34話 図星
「お前は、何も信じていない」
その言葉が、レオンの胸の奥に深く突き刺さった。
戦場には絶え間なく剣戟の音が響き、遠くでは建物の崩れる音まで聞こえている。それなのに、その瞬間だけは、ロガーの声だけが妙にはっきりと耳へ届いた。
「味方も――自分自身もな」
「…………」
否定しなければならなかった。
違う、と言えばいい。
そんなことはないと笑い飛ばせばいい。
なのに、喉から声が出てこない。
レオン自身が、その言葉を完全には否定できなかった。
仲間を信じているつもりだった。帝国軍の一員として戦い、与えられた任務を遂行し、自分の力を疑ったことなどない。
それでも、本当にそうだったのか。
仲間に背中を預けたことが、果たしてどれほどあっただろう。
自分より強い誰かを信じ、その人間に命を託すことを、いつからか避けてはいなかったか。
そして何より――自分自身の力さえ、信じているわけではなかった。
負けることが怖い。
弱いと思われることが怖い。
だからこそ、誰よりも強くあろうとしてきた。
その全てを、目の前の魔人はたった一言で暴いてみせた。
「……お前に、何が分かる!」
込み上げてきた感情を押し殺すことができなかった。
怒りだった。
いや、怒りだけではない。
図星を突かれたことへの焦りと、それを認めたくないという意地が混ざり合い、胸の奥でぐちゃぐちゃに渦巻いている。
レオンは大鎌を握り直した。
もう、出し惜しみをする理由はない。
身体の奥に残された魔力を、根こそぎ引きずり出す。
黒い刃が軋み、周囲の空気が震える。濃密な魔力が刃の周囲に渦を巻き、触れるだけで皮膚を裂きそうなほど鋭い気配を放ち始めた。
これが、自分の全てだった。
今まで積み上げてきたものも、磨いてきた技術も、戦場で培ってきた経験も、その全てを一撃へと込める。
これなら届く。
届かなければならない。
そうでなければ――自分は本当に何もない。
「ッ!」
レオンは地面を蹴った。
一瞬で距離が消える。
大鎌を大きく振りかぶり、その首へ向かって自身の渾身の一撃を叩き込んだ。
その刃を見たロガーは――笑った。
「はっ……!」
獣のような笑い声が響く。
「いい顔になったじゃねえか!」
ロガーは逃げなかった。
むしろ、迫り来る大鎌へ自ら踏み込んだ。
次の瞬間。
獣拳と大鎌が衝突した。
――轟ッ!!
凄まじい衝撃が周囲へ弾け飛ぶ。
レオンの腕に伝わったのは、金属を殴ったような感触だった。
「――な」
何が起きたのか理解するより先に、身体が宙へ持ち上がった。
視界が回る。
次いで背中から地面へ叩きつけられ、肺から空気が一気に吐き出された。
「がっ……!」
瓦礫が身体へ食い込み、口の中に鉄の味が広がる。
立て。
そう思った。
だが、身体が動かない。
片腕を地面につき、必死に上体を起こす。
その途中で、何かが足元へ転がってきた。
レオンはそれを見た。
「…………」
自分が何年も使い続けてきた大鎌だった。
その刃は、中央から無惨に砕けていた。
「……嘘だろ」
声が震えた。
全力だった。
間違いなく、今の一撃には自分の持てる全てを込めた。
それなのに。
斬れなかったどころか――叩き折られた。
自分の、武器を。魂を。
頭では理解している。
目の前にいる男は、自分より遥かに強い。
そんなことは最初から分かっていたはずだった。
だが、実際に自分の全力を正面から潰された瞬間、その事実がどうしようもない現実として突きつけられる。
どれだけ力を振り絞っても、技を磨いても。
今の自分では、この男には届かない。
その事実が、これまで積み上げてきた自信を根元から崩していく。
「はっはっはっ!」
ロガーの笑い声が響いた。
「ようやく分かったか?お前じゃ俺には勝てねえ」
「…………」
今のレオンには反論する力すら残っていなかった。
ロガーが、折れた大鎌へ視線を落とす。
「なあ」
その声には、戦いを楽しむ獣のような響きがあった。
「お前、自分の銘――知らねえだろ?」
「……銘」
レオンの眉が僅かに動く。
「自分の銘が何て言うのかも知らねえ。そんな奴が、自分自身を信じられると思うか?」
「…………」
言葉が出なかった。知らない。戦える。敵を倒せる。
それで十分だと思っていた。
だが、目の前の男に銘を折られた今、その「十分」だったはずのものが、急にひどく薄っぺらく感じられた。
自分は何者なのか。
何のために、この力を持っているのか。
その答えを、レオンは何一つ持っていなかった。
「……っ」
胸の奥が締めつけられる。
認めたくない。
でも、否定できない。
ロガーはそんなレオンを見下ろし、拳をゆっくりと握った。
「じゃあ、もう終わりだ」
ロガーの拳が振り下ろされる。
その瞬間だった。
――轟ッ!!
何かが凄まじい速度で割り込んだ。
ロガーの拳が、空中で止まる。
いや。
止められていた。
「……あ?」
ロガーが目を見開く。
拳の前に、一振りの大剣があった。
大剣を握る男が、レオンの前に立っている。
ただそれだけだった。
それだけなのに、周囲の空気が変わっていた。
男の足元では、ロガーの拳を受け止めた衝撃によって石畳が大きく陥没している。それでも男は一歩も動いていなかった。
腕も、肩も、表情すら微動だにしていない。
まるで、今の一撃が取るに足らないものだったかのように。
ロガーが拳を引く。
その顔から、先ほどまでの余裕が僅かに消えた。
男は大剣を片手で構えた。
巨大な刀身が、まるで重量など存在しないかのように静かに持ち上がる。
「……そこまでにしてもらえるかな」
穏やかな声だった。
戦場に似つかわしくないほど、落ち着いた声。
レオンは、その背中を見つめた。
帝国軍第一師団、副師団長。
アレクシス・クロイツ。
帝国で彼の名を知らない者はほとんどいない。
帝国最強と呼ばれるのは、第七師団長アザレア・エーデルハルト。
帝国最凶と恐れられるのは、第七師団長グレン。
だが、それとは別の意味で――アレクシスは有名だった。
若くして第一師団副師団長にまで上り詰めた天才。
剣技、魔力、知性、判断力。
そのどれを取っても欠点らしい欠点がなく、あまりにも完成されていることから、帝国内ではいつしかこう呼ばれるようになっていた。
――最も完璧な男。
「アレクシス・クロイツ……」
レオンが、かすれた声で名前を呼ぶ。
アレクシスは振り返った。
「アレクでいいよ」
柔らかな笑みを浮かべる。
「大丈夫だったかい?」
「……」
目の前の男を見ているだけで分かる。
この男は、自分とは違う。
何かを恐れているようには見えない。
自分の力を疑っているようにも見えない。
その立ち姿そのものが、揺るぎない自信を形にしたようだった。
アレクはレオンから視線を外し、ロガーへ向き直る。
「さて」
大剣の切っ先が、ゆっくりとロガーへ向けられる。
その瞬間、ロガーの口元が吊り上がった。
「……なるほどな」
先ほどまでとは違う。
明らかに目の前の男を警戒している。
だが、それ以上に――楽しそうだった。
「お前、強ぇな」
アレクは答えない。
ただ、大剣を構えた。
その構えには一切の無駄がない。
魔力の奔流すら見えない。
殺気を露わにしているわけでもない。
それなのに、レオンには分かった。
――強い。
今まで感じたことのないほど、圧倒的に。
ロガーが笑う。
「はっ……!」
拳を握り締める。
「いいぜ。こういう奴を待ってたんだよ!」
アレクの瞳が、静かに細められた。
そして――。
二人の姿が、同時に消えた。




