17話 悪魔の印
「クロスには――悪魔の印がある」
「…………」
食堂から、音が消えた。
誰も言葉を発しない。
俺自身も、思わず胸元へ視線を落とした。
これまで何度も「悪魔の印」と呼ばれてきたもの。
だが、それがこの世界でどれほど重い意味を持つのか。
アザレアから聞かされてはいたものの、実際にこうして大勢の前に晒されると、嫌でも実感させられる。
「帝国では、印付きは悪魔の契約者として忌み嫌われている」
アザレアの声は淡々としていた。
「理由も経緯も関係ない。印がある。それだけで敵視されることもあるだろう」
食堂に集まった団員たちの表情を見渡す。
誰も口を挟まない。
「だが――」
アザレアの視線が、俺へ向いた。
「私はクロスを第七師団の一員として認めている」
その言葉に、胸の奥が少しだけ軽くなった。
「こいつがここにいることで、他の者が不利益を被る可能性もある。それでも構わないという者だけ、こいつを仲間として迎えろ」
重い沈黙が落ちる。
俺は無意識に拳を握った。
もし、ここで拒絶されたら。
そう考えた瞬間だった。
「はいはーい!」
明るい声が響いた。
「ロゼは賛成~!」
「ロゼ……」
「印があるからって、クロス君がクロス君じゃなくなるわけじゃないでしょ?」
「それに、試験にもちゃんと合格してるし。面白そうだから歓迎するよ~」
「理由がそれでいいのか……?」
「いいのいいの」
ロゼが笑う。
続いて、双子が顔を見合わせた。
「悪魔の印って、あの悪魔の印?」
「そうじゃない?」
「へー」「へー」
二人は揃って俺を見る。
「怖くないのか?」
俺が尋ねると、ユーリが首を傾げた。
「だってクロス、普通じゃん」「うん。ちょっと顔怖いけど」
「おい」
二人がワーっと逃げていく。
「印よりそっちの方が怖い!」「絶対サバ呼んでるし!」
「うっ……」
食堂に小さな笑いが起こった。
ってかソルトもうんうんと頷いてるし…
だが――
「……ふざけんな」
低い声が、その空気を切り裂いた。
笑い声が止まる。
集団中央に立っていた男が、一歩前へ出た。
頭は綺麗に刈り上げられ、左右には深く剃り込みが入っている。
耳にはいくつもの金属製のピアス。
着崩した軍服に鋲のついたバングル。
まるで、この世界に紛れ込んだパンクロッカーのような格好だった。
「バルドル?」
ロゼが声を掛ける。
だが、バルドルは答えない。
真っ直ぐアザレアを睨みつけていた。
「アザレアの姉御」
「なんだ」
「本気で言ってんのか?」
「何がだ」
「そいつを仲間にするって話だよ!」
バルドルが俺を指差す。
「悪魔の印があるんだろ!? だったら話は簡単じゃねえか!」
「帝国じゃ印付きは悪魔の手先だ! そんな奴を、俺たちの中に入れるってのか!?」
「バルドルさん、一旦落ち着いて欲しいっス!」
「落ち着いていられるかよ!!」
怒鳴り声が食堂に響き渡る。
「俺たちは何のために戦ってる!?」
バルドルは周囲を見回した。
「帝国や人々を守るためだろうが!」
誰も答えない。
「それなのに、その悪魔と繋がってる奴を仲間にする!?」
「俺は悪魔なんかと契約してない」
思わず口を挟んだ。バルドルの目が俺へ向く。
「だったら、その印はなんだ!」
「それは……」
答えられない。
俺自身、この印について何も知らない。
その沈黙を見て、バルドルは鼻で笑った。
「ほら見ろ。何も知らねえじゃねえか」
「バルドル」
アザレアの声が低くなる。
「こいつが悪魔と繋がっているという証拠はない」
「証拠がねえから何だ!」
「怪しい奴を身内に置いて、仲間が殺されてから後悔するのか!?」
「……」
「俺は御免だね!」
食堂の空気が張り詰める。
アザレアはしばらくバルドルを見つめていた。
「言いたいことはそれだけか」
「まだある!」
「なら言ってみろ」
「俺は――」
バルドルが拳を振り上げる。
だが、アザレアは微動だにしない。
「……いや」
バルドルは拳を下ろした。
「今ここで姉御に逆らっても、どうせ勝てねえ」
「分かっているじゃないか、これは決定事項だ」
「だからムカついてんだよ!」
吐き捨てるように言う。
「俺は認めねえ」
バルドルは俺を睨みつけた。
「俺はお前を仲間だなんて思わねえ」
「好きにしろ」
アザレアが淡々と答える。
「ただし、第七師団の命令には従え。それができないなら――」
「分かってるよ!」
バルドルは踵を返した。
「今日はもう付き合ってられねえ!」
大股で食堂の出口へ向かう。
扉の前で一度だけ足を止める。
「……姉御」
振り返らないまま、バルドルが言った。
「俺は、印付きだけは絶対に許さねえからな」
そのまま扉を乱暴に開け、出ていった。
バタンッ!
大きな音を立てて扉が閉まる。
しばらく、誰も口を開かなかった。
「……なんか、すごい人だったな」
俺が呟くと、ロゼが苦笑する。
「まあ、あれがバルドルだからね~」
「昔からあんな感じなんスよ」
ソルトも困ったように笑った。
「でも、悪い奴じゃないっス」
「それ、フォローになってる?」
「たぶん!」
「たぶんかよ」
少しだけ空気が和らぐ。
だが、俺は閉じた扉を見つめたままだった。
自分の胸に刻まれた印。
それを見て、あれほど怒る人間がいる。
今までは、アザレアやソルトたちが受け入れてくれたことで、どこか安心していた。
けれど――この世界では、そう簡単な話じゃない。
「クロス」
アザレアが俺を呼ぶ。
「はい」
「気にするな」
短い言葉だった。
「第七師団には、ああいう奴もいる。それだけだ」
「……分かった」
アザレアは食堂を見渡した。
「今日はもう解散だ。明日から通常通り任務に戻るぞ」
「了解っス!」
「はーい」
「おやすみー」
団員たちが次々と席を立つ。
俺もその場を離れようとした。
その時――
「クロス」
食堂を出ようとした俺を、レオンが呼び止めた。
「何?」
レオンは、少し離れた場所で腕を組んでいた。
「……さっきのバルドルの話だが、気にするな」
意外な言葉に、俺は眉を上げる。
「お前も俺のこと、まだ認めてないんじゃなかったっけ?」
「認めているとは言っていない」
即答だった。
「じゃあ、なんで?」
レオンは少しだけ黙り、俺を見る。
「俺は、お前が印付きだから反対しているわけじゃない」
「……」
「あいつとは違う」
レオンの視線が、食堂の出口へ向く。
そこには先ほどバルドルが出ていった扉がある。
「あいつは、お前が何者かも知らずに否定している」
「……なるほど」
「俺は違う」
レオンは淡々と言った。
「俺が判断するのは、お前が何を成すのか、だ」
それだけ言うと、レオンは背を向ける。
「第七師団に害を与えるようなら即刻俺が斬る、覚えておけ」
レオンはそう吐き捨てると、今度こそ食堂を出ていった。
一人残された俺は、しばらく閉じた扉を眺めていた。




