16話 入団式
「――っ」
体の中心から、意識を全身へと広げていく。
体の奥に灯る熾火のような熱が、少しずつ輪郭をはっきりとさせていくのが分かった。
腕、脚、指先。今まで意識したこともなかった感覚が、確かにそこにある。
「……行ける」
魔力が、末端まで巡っていく感覚があった。
だが、それを維持しようとした瞬間、糸が切れるように、感覚がふっと霧散した。
「――くそ、切れた」
「今ので、三十回目だ」
川辺の岩に腰掛けたアザレアが、涼しい顔で数を数えていた。
「最初は、誰でもそんなもんだ。気にするな」
「本当なのか」
「いや、嘘だ」
「おい」
思わず突っ込むと、アザレアは軽く笑った。
「普通は、最初の伸ばす段階すら覚束ない。お前は、もう三十回中、十七回は成功させてる」
「……それって」
「異常だ、ってさっきも言っただろ」
事も無げに言われて、なんと返せばいいのか分からなくなる。
「ま、褒めてるんだ。素直に受け取っておけ」
アザレアはそう言うと、腕を組んで俺を見据えた。
「持続させるコツを教えてやる。特別なことじゃない。日常の中で、常に意識しろ」
「日常の中で?」
「歩いてる時、飯を食ってる時、寝る前――ふとした瞬間に、体の中の魔力を広げたり、戻したりする。それを癖にするんだ。修行や訓練の時間だけじゃ、感覚は身につかない」
「地味だな」
「地味だからこそ、続けられる奴が少ない。裏を返せば、そこが差になる」
言われてみれば、確かに理屈は通っている。俺は、素直に頷いた。
「――それと、もう一つ」
アザレアの声のトーンが、僅かに変わる。
「銘についてだ」
「俺の、まだ発現してないやつか」
「ああ。銘ってのは、生まれつき魂に刻まれてるもんだ、って話はさっき伝えたな」
「うん」
「だが、完全に固定されたものってわけでもない」
「……どういうことだ?」
「銘は、その人間が経験した出来事――中でも、特に強く魂に刻まれた出来事に影響されて、性質が変化することがある。名前も、力の形も、な」
アザレアが、遠くを見つめながら続ける。
「私の『ヒエロニモの焔』も、最初からこの形だったわけじゃない。色々あって今の形に変わった」
「それって――」
「そこまで教える必要はない」
にべもなく切り捨てられる。それ以上、踏み込むなという空気を感じ取り、俺は口を噤んだ。
「まあ、覚えておけ。お前がこれから経験することの中に、お前の銘を形作る種があるかもしれないってことをな」
◇
――なるほどな。
黒須の後ろ姿を眺めながら、アザレアは内心でそう呟いていた。
魔力操作を教えて一時間足らず。
三十回中十七回の成功。
確かに筋は良い。
だが、この程度なら帝国にも探せばいくらでもいる。
若くして魔力操作を身につけ、瞬く間に頭角を現す者も珍しくはない。
問題は、そこではなかった。
模擬戦で見せた、戦闘中の飲み込みの早さ、あの暴発としか言えない加速。
そして、レオンを殴り飛ばす直前の正体不明の「引力のような力」。
あれが銘の片鱗だとすれば――
こいつは、恐ろしい。
それ自体は、悪いことではない。むしろ、才能と呼ぶべきものだろう。
まだ何も知らない。
何も扱えない。
それなのに、すでに自分でも理解できない力だけが先に顔を覗かせている。
速すぎる成長は、時に本人の制御を置き去りにする。
(……厄介、という言葉では足りんな)
アザレアは黒須から視線を外した。
(こいつは一体、何者だ?)
(急がせすぎたか……いや、悠長にしている暇もない)
胸に刻まれた印、悪魔との繋がり。素性の知れない出自。
危うさの種は、既にいくつも揃っている。
それでも――アザレアは、小さく息を吐いた。
こいつの進むべき道を、示してやらねばならない。
そんな思いが、今は勝っていた。
◇
「――そろそろ帰るか」
日が傾き始めた頃、アザレアがそう切り出した。
帝都へ向かう道すがら、アザレアは思い出したように、真剣な声で切り出した。
「クロス。念のため、もう一度言っておく」
「なんだ、改まって」
「お前の胸の印――帝国では、悪魔の契約者は徹底的に嫌悪される。クレイヴェル帝国軍においてもそれは変わらん。理由も経緯も関係ない。多くの人間は、お前を見た瞬間、恐怖と嫌悪しか抱かない」
「今はまだ一部の者にしか伝わっていないが、第七師団の面々には知らせなければならない」
「……分かってる」
「分かっていても、悪意や忌避といったものは実際に向けられると堪えるものだ。覚悟だけは、しておけ」
その言葉には、これまでにない重みがあった。
◇
その夜、第七師団の食堂には、団員全員が集まっていた。
「――全員、揃ったな」
アザレアが、食堂の中央に立つ。ざわめきが、すっと静まった。
「新しく第七師団に加わった、クロスだ」
促され、俺は一歩前に出る。無数の視線が、一斉にこちらへ突き刺さった。
「先に言っておく。こいつは、召喚に巻き込まれた異界の人間だ。先の迷宮での冒険者失踪の件とこいつは無関係だ」
「僕はそうだと信じてたっス!」
ソルトが自信たっぷりに声を挙げる。
「前日まで『案内する相手が殺人鬼かもしれないっス~…殺されるっス~』って震えてたくせに~」
「ロ、ロゼさん!それは言っちゃダメっス!」
アザレアが、ひとつ咳払いをした。
「――話はまだ終わっていない」
その一言で、再び食堂が静まり返る。
アザレアは俺を一瞥すると、ゆっくりと口を開いた。
「もう一つ、こいつについて伝えておくことがある」
先ほどまでの軽い空気が、わずかに張り詰める。
「クロスには――悪魔の印がある」




