15話 銘
草原を抜けた先、川沿いに小さな滝が流れ落ちている場所で、アザレアはようやく足を止めた。
水音が絶え間なく響く中、水飛沫が陽光を弾いて、細かな虹を作っている。
「ここでいいだろう」
「わざわざこんな所まで来る必要、あったのか?」
正直、帝都の練兵場でも十分だったんじゃないかと思う。
俺の疑問に、アザレアは肩をすくめた。
「魔法を見せるだけなら、別に帝都でも構わなかった。だが――」
彼女は、俺の方へ向き直った。
「これから見せるのは、『銘』だ。目立つ真似は、できるだけ避けたい」
「銘って、レオンが使ってたあれか」
「そうだ。魔法とは似て非なるものでな」
アザレアは、近くの岩に腰掛けながら、説明を始めた。
「まず魔法から話そう。魔法ってのは、体内の魔力を、属性ごとの理に沿って外部へ発現させる技だ。習得すれば、誰でも使えるようになる」
「誰でも……つまり、俺も?」
「素質次第だが、まあ可能性はあるな」
アザレアは、掌を上に向けた。
「属性は大きく分けて六種、火、水、土、風、光、闇だ。見せた方が早いか」
そう言うなり、掌の上に小さな炎が灯った。
ゆらゆらと揺れる火が、次の瞬間には掌から離れ、水面へ向かって飛んでいく。
着水と同時に、蒸気を上げて消えた。
「火」
続けて、足元の地面が盛り上がり、拳大の石が浮かび上がる。
「土」
彼女が軽く息を吹きかけると、そよ風が起こり、周囲の草がざわめいた。
「風」
掌に灯った光が、白く眩く輝く。
「光」
最後に、その光が一瞬で影に呑まれるように消え、周囲がわずかに薄暗くなった。
「闇」
流れるような実演に、俺はただ圧倒されるしかなかった。
「――それで、水なんだが」
「私は水だけは、からっきしだ」
アザレアは、悪びれもせずそう言った。
「昔から相性が悪くてな。どれだけ練習しても、コップ一杯分の水すら出せなかった」
「最強格でも苦手なものってあるんですね」
「馬鹿にしてるのか?」
「まさか」
睨まれて、俺は慌てて首を振った。
「――で、座学がしたいだけなら帝都でよかったんじゃ、って話に戻るけど」
「だから言っただろう。魔法なら別に構わん。だが、これから見せる『銘』だと、話が違う」
アザレアは、真剣な表情に変わった。
「銘は、生まれつき魂に刻まれているものだ。後天的に新たに習得することは、絶対にできない」
「絶対に?」
「絶対にだ。魔法は努力と才能次第でどうにでもなるが、銘だけはそうはいかない。生まれた瞬間から、その人間の魂に刻まれている固有の力が決まっている――それが銘だ」
「じゃあ、アザレア師団長の銘は……」
「見せた方が早い」
アザレアは立ち上がり、両腕を静かに広げた。
「――『銘』、ヒエロニモの焔」
その瞬間、周囲の気温が、目に見えて上がり始めた。
「な……!?」
肌が、じりじりと焼けるような感覚に包まれる。空気中の水分が急速に失われていくのが、はっきりと分かった。喉が渇き、唇の皮が突っ張る。
「――っ、唇、切れ……」
乾燥しきった唇の端が、パリッと裂けた。血の味が滲む。
「試しに、石でも拾ってみろ」
言われるまま、傍らの石を拾い上げる。
次の瞬間、掌の中の石が、みるみるうちに赤く色を変えていった。
まるで炉の中で熱せられたかのように。
「あ、熱っ――!」
咄嗟に手を離すと、地面に落ちた石は、そのままボロボロと崩れ、粉々になって砕け散った。
「これが、私の銘の能力だ。触れたものの水分を根こそぎ奪い、灼熱に変える」
アザレアは、腕を下ろしながら淡々と告げた。
「威力だけなら、並の上級魔法を軽く超える。だが――」
「だが?」
「銘は、魔力操作の技術なしでは、まともに制御できない。今のは、極々小さく発動させただけだ。本気でやれば、この一帯が更地になる」
想像するだけで、背筋が冷える。
「レオンの『銘』も、そういうことか」
「ああ。あいつの武器変形も、精密な魔力制御があってこそ成り立つ力だ。制御を誤れば、下手すりゃ自分の腕ごと持っていかれる」
アザレアは、俺の方へ向き直った。
「お前にも、いずれ銘が発現する可能性がある。いや、もう片鱗は見えている」
模擬戦での、あの「引き寄せられる」感覚を思い出す。あれが、もし銘の欠片だとしたら。
「だからこそ、今のうちに魔力操作を叩き込む。話はここからだ」
アザレアは、川辺の石に腰を下ろし直すと、俺にも隣に座るよう促した。
「ただ、ダリスからは包帯が取れるまでは絶対安静にと報告を受けている、だから――」
「基本の呼吸法だけだ。練兵場で言ったことは覚えているか。体の中心、臍の下あたりに意識を集め、そこに漂う魔力の輪郭を捉える」
「輪郭を捉えられたら薄く、そいつを全身に伸ばすように意識を変えろ」
「分かった、やってみるよ」
日が傾き始めるまで、俺は、その場でひたすら、魔力と向き合い続けることになった。




