第八話
――夏祭り当日。
海都は内心ソワソワしつつも、平常心を保つためにスマホをいじって凪のことを待っていた。
前回の夏祭りは凪だけが浴衣だったが、今年は海都も浴衣を着て、ヘアセットもしている。
「……側から見たらデート、だよな。これ……」
海都はそんなことを呟く。
邪念を払うように首を振り、スマホの時計を見る。時刻は十七時前だった。
そろそろかと思った矢先、凪の家の扉が開く。
そこには前回の夏祭りとは違う色の浴衣に身を包み、ヘアセットもしている凪がいた。
凪は海都を見て、怪訝な表情を浮かべる。
「…………本当に着てるよ、浴衣……」
「嘘だと思ったのか?」
「そういう訳じゃないけど。これじゃまるで……」
――……デートみたいじゃん……。
凪はその言葉を抑え、飲み込んだ。
言ってしまえば意識してしまって、まともに顔を見れる自信がなかったからだろう。
目を泳がしている凪の様子を見た海都は、ニヤリとして凪に近づいた。
「……もしかして、デートとか思ってんの?」
「――っ! ばっ、馬鹿! デートじゃないから! 変なこと言わないで!」
凪は頬を赤らめながら、早足で海都の横を通り過ぎようとする。
そんな凪の手を海都は掴んだ。
「また転けるだろ。手は……、握らなくてもいいけど袖でも掴んどけ」
そう言って、海都は凪の手を自身の袖に近づけた。
凪は海都の袖と顔を交互に見る。そして、海都の袖を控えめに掴む。
「…………ありがとう」
「――っ、……おう」
海都は少し驚きながらも、凪を見て微笑む。
二人はそのまま、夏祭り会場に向かって歩き始めた。
――夏祭り会場にて。
凪と海都は人混みを掻き分けながら、屋台を巡っていた。
海都は凪の方を振り向いた。
「凪、なに食べたい?」
「……うーん、甘い物」
「じゃあカステラだな。手離すなよ〜」
海都はそのまま歩き出す。
凪はチラリと海都の方を見る。普段の海都とは違い、少し大人びた雰囲気に緊張が走る。
その時にギュッと、海都の袖を掴む手を強く握った。
――……海都だけが余裕なのムカつく……。
凪はそんなことを考えながら、口を結ぶ。すると、甘い匂いが鼻を掠めた。
凪が顔を上げると、目の前にベビーカステラの屋台が見えた。
「ほら着いたぞ。ここでいいだろ」
そう言って海都が進むと同時に、凪と海都の間に人混みが流れてくる。
「……あっ」
二人の繋がりは切れ、距離が段々と離れていく。
「――っ、凪!!」
海都は手を伸ばすが、凪には届かない。
凪も流されるままに、海都とは反対方向に移動せざるを得なかった。
人の流れにもみくちゃにされ、凪は目を回していた。
「……人混みやばすぎる……。とりあえず人が少ないところに行って海都に連絡……」
凪はフラフラと人が少ない空間に向かって歩き出した。
覚束無い足取りだったためか、タイルの凸凹に躓いてしまった。
「――っ、やば……!」
咄嗟に受け身を取ろうとして、凪はギュッと両目を瞑る。
しかし誰かが凪の身体を支えてくれたおかげで、地面と対面することはなかった。
凪は、恐る恐る目を開ける。
「……だ、大丈夫ですか?」
凪はお礼を言おうと、その人を見上げる。
「はい、ありがとうございま……、……っ!?」
その人の顔を見た瞬間、凪は目を見開いて驚いた表情を浮かべる。
逆も然り、その人も凪の顔を見て驚いたような表情を見せる。
「……え、は、蓮實……くん……?」
「り、りり、律希さん……!? な、な、な……」
凪を助けたのは、律希だった。しかも女装した姿ではなく、普通の男の子の格好をした律希。
いつものロングヘアではなく、綺麗に切り揃えられた髪の毛、Tシャツから強調されるゴツゴツした身体付き、ウィッグで隠れていた喉仏。
――……りっ、律希さんの女装してない姿……! しかも私服……! 色々キャパオーバー過ぎる……!
凪は色んな事象による動揺から上手く舌が回らず、口をパクパクさせている。
律希も状況を整理できず、瞬きを何回もしていたが、我に返って凪の様子を伺う。
「……とりあえず、怪我はない?」
「あ、はい。だ、大丈夫……です……」
凪は律希に支えられながら、立ち上がる。
二人の間に、なんとなく気まずい雰囲気が流れる。
その空気に耐えられず、凪はその場から逃げ出そうと踵を返す。
しかし凪の手を律希が掴んで離さなかった。
「……は、離してください……」
「今ここで離したら一生逃げるでしょ」
「律希さんにアタックしに行く時以外は逃げませんよ」
「それだと、おれから聞きたいことは何も聞けないままじゃん」
律希は凪の手を離して、優しく両肩を掴んだ。
「……えっと……、おれの知ってる蓮實凪くんで合ってる?」
「…………………………チガイマス」
「すっごいカタコトじゃん。絶対合ってるじゃん」
「いいえ、そんな人知りません」
凪は律希から顔を逸らして、目線を合わさないようにしていた。
そんな凪の顔を覗き込むように、律希は身を屈める。
「出会うたびに告白される相手の顔を見間違える訳ないよ。……君は、蓮實凪くんだよね?」
「――っ!」
凪はグッと言葉を詰まらせる。そして、か細い声で「……はい」と答えた。
律希は凪の返事を聞いて、ある疑問を投げようとするが、一瞬踏み止まる。
――……そんな軽率に聞いていい話題ではない……か……。
律希は何も言わずに凪を見下ろす。
何も言ってこない律希に不安を感じた凪は、眉を下げて律希を見上げる。
「…………なんで、何も言わないんですか……」
「……え?」
律希の心を見透かしたように、凪はそう言う。
図星を突かれた律希は驚き、目を丸くした。
「……普通じゃ、ないじゃないですか。普段は男なのに、今は女の格好してるとか……」
凪が視線を泳がせながら、しどろもどろで言う。
そんな凪を見た律希は目をパチパチさせた後、フッと微笑んだ。
「おれも似たようなもんだし。おれは何とも思わないよ」
「律希さんはいいんです。特別なんで」
「その理論はよく分かんないかも」
律希はその場に跪いて、凪を見る。
「それよりも、やっぱり昔に会ったことあるよね。……路地裏で」
律希の言葉に、凪は目を見開く。そして、観念したようにため息をついた。
「……はい」
「なんで、隠してたの?」
「だって、あの時に会ったの自分ですって言ったとしても、信じないですよね?」
「…………まぁ、姿が違うからね」
律希がそう言うと、凪は「でしょ?」と言って苦笑いする。
「律希さんが人を避けてるのはなんとなく分かってました。だから隠して、ありのままの自分を好きになって欲しかったんです」
凪は両手をギュッと強く握りしめる。
話を聞いていた律希は、ふとある疑問が浮かぶ。
「逆に、女装してたおれにどうして気づけたの? 雰囲気はだいぶ違うと思うけど……」
「好きな人はどんな姿になっても気づきます! 律希さんは律希さんだから」
「……遥人と似た思考になるのはやめた方がいいと思うけど……。もう一つ聞いてもいい?」
「もうなんでも聞いてください」
律希は一呼吸置いて、凪をジッと見つめて聞く。
「……君は……、どっち?」
「……? ……性別の話なら女です。好き好んで男装してる訳じゃないですよ」
「そ、……っか。君も、そうだったんだね」
その場に沈黙が流れる。
その沈黙を掻き消すように、凪は明るい声で話し始めた。
「……あっ! そういえば今日は遥人さんと来てるんですよね!? こんなところ見つかったら、私が遥人さんにしばかれそうなんで、私はこれで失礼します!!」
凪は早口で捲し立て、サササッとその場から逃げ出す。
そんな凪を掴もうとした律希の手は、空を掴んだだけだった。
「――っ、ちょ、蓮實さん……!!」
律希は凪の背中をジッと見つめたまま立ち止まった。本気で走ったら追いつけるのだが、何故か追いかけようとはしなかった。
律希はその場にしゃがみ込み、ため息をつく。
「……はぁ――……。……完全に思い出した。蓮實さんはあの子だったんだ……」
何故、人を極端に避けていた律希が凪のことを忘れられなかったのか、気にかけていたのか。
その理由が分かり、律希は胸のつかえが取れた感覚になる。
――……逆になんで今まで気づかなかったんだ。男装してるとはいえ、顔はそのまんまじゃん……。
律希はその状態のまま目を瞑って、昔の記憶を辿り始めた。
* * *
――二年前の街中にて。
律希はなんとなく家に帰る気にならず、あてもなく暗くなった街を歩いている。
制服を着たままのため、補導される可能性もあったが、その時はその時かと考えていた。
「……ま、おれが補導されたとて、あの人たちは特に怒りも悲しんだりもしないでしょ……」
律希はそんなことを呟きながら、何かないかと辺りをキョロキョロと見渡す。
そこでふと、ある路地裏を見る。
無意識に向けた視線の先に、一人の女の子が数人の男性に囲まれているのが見えた。
明らかに友好的なものではないだろうと分かる。
――……関わると変に拗れそうだな。警察に……。
そんなことを考え、律希は携帯を取り出す。
そこでもう一度彼らを見た時、女の子の顔に目が留まる。
その女の子の表情は、何もかも諦めている表情で、目に光は宿っていなかった。
普通の女の子なら恐怖で顔が歪んでいると考えられるが、その子は無だった。
その表情が、どことなく自分と似ていると律希は瞬時に感じた。
その感情が律希の足を路地裏に向かわせる。
静かに彼らに近づいた律希は、一人の男性の手首を思いきり掴んだ。
「――っ、……なんだよお前」
掴まれた男性は不機嫌そうに、律希を睨む。
律希は無表情のまま、男性のことを見上げる。
「……別に。こんな女の子一人に寄って集ってみっともないなって思っただけだけど」
「…………そうかよ。なら……」
男性は律希の手を振り解き、律希めがけて拳を振り翳した。
「お前が相手してくれよっ!!」
律希はその拳を軽く避けて、首元に手刀を落とす。
手刀を落とされた男性は気を失い、その場に力無く倒れた。
その男性を見下ろした後、律希はチラリと残りの男性たちを見る。
「――っ、このガキ……!!」
残りの男性たちが一気に律希に襲いかかるが、律希は彼らの攻撃を上手くいなす。
そして、順々に一撃を与えて彼らを倒していった。
鳩尾に一撃を喰らわしたり、後頭部に踵落としをしたりなど。
虎視眈々と男性たちを倒していった。
最後の男性が倒れた時、律希は女の子の方を見る。
彼女は律希を虚ろな目で見上げていた。その目には、恐怖も悲しみも喜びも、どんな感情も感じられなかった。
律希は彼女の近くにいき、しゃがんで目線を合わせる。
「大丈夫?」
「………………はい」
律希の問いかけに、彼女は小さい声で答えた。
律希はその時に、彼女の頬に切り傷があるのが見えた。
ポケットに入っていたハンカチを取り出して、彼女の切り傷に当てる。
「これあげる。しばらく押さえといたら、血は止まると思うよ」
「――っ! ……あ、ありがとう……ございます……」
彼女は驚いたように目を見開いて、ハンカチを受け取った。
その場に沈黙が流れる。
律希はふと彼女の格好を見て、気まずそうに視線を逸らした。
「……とりあえず、これ着といた方がいいんじゃない?」
そう言って、律希は自分の着ていたパーカーを差し出した。
何も分かっていない彼女は、キョトンとした表情を浮かべたまま律希を見つめる。
「……どうして、ですか?」
「――っ、……いや……、……その……」
律希は視線を泳がせながら、口をモゴモゴさせている。
彼女はなんとなく自分の姿を見下ろすと、先程の男性たちに服を剥ぎ取られたままの姿だった。
端的に言えば、下着が見えている状態である。
「……、……――っ!?」
そのことに気づいた彼女は、顔を赤くさせてパーカーを受け取った。
そして彼女は恥ずかしさからか、俯いたままボソボソと呟く。
「…………お、お見苦しい姿だった……みたいで……。す、すみません……」
「見苦しくはないけど。……いや、それも語弊があるか……。まぁ、とりあえず着といて」
「……はい。ありがとうございます……」
彼女はパーカーに袖を通して、前を隠した。
身なりを整えた彼女は、その場に立ち上がった。そんな彼女に合わせて律希も立ち上がる。
彼女は律希の方を向いて、ペコリとお辞儀をする。
「……改めて、ありがとうございました。……えっと、服とか……」
「パーカーとハンカチなら気にしないで。そのまま着て帰っても大丈夫だから」
律希は首を振って、大丈夫だという意を示す。
そんな律希を見た彼女は、目を細めて微笑んだ。
「……本当に、ありがとうございます。また会えた時に、お返しします」
「そんな大袈裟な……。……おれが覚えてたらね」
律希がそう言うと、彼女はクスクスと笑う。
「覚えてないやつですよね、それ」
「……かもしれないね」
律希も同じように笑った。
その時に律希は我に帰って、口元を抑える。
――……あれ。おれってこんな風に笑ったのいつぶりだろ……。
律希の様子に気づいた彼女は、心配そうに律希の顔を覗き込む。
「……、……どうしました? あっ、もしかしてさっきのでどこか怪我を……」
「し、してないから。少し考え事をしてただけで……」
律希は慌てたように両手を振った。そして、踵を返して歩き出す。
「……家の近くまで送ってくよ。また変な奴に絡まれたら大変だから」
「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて近くの駅までお願いします」
「分かった」
そう言って、二人は並んで最寄り駅まで歩いていった。
最寄り駅に着くと、彼女は律希の方を向いてお辞儀をした。
「今日はありがとうございました。……また、どこかで」
「……そうだね。また会えたらね」
そう言って、律希は彼女に手を振った。
彼女は駅の方に歩いていった後、軽く会釈をして改札の中に入った。
彼女の姿が見えなくなった時、律希はため息をついてその場にしゃがんだ。
「……また会えたら、なんて。なんで言ったんだろうなぁ……」
――……それでも、後悔はしてない。あの子だけだ。また会いたいと思えるのは……。
律希は立ち上がって、帰路についた。




