第九話
――夏祭り会場にて。
律希と別れた後、凪は携帯を操作して海都と連絡を取ろうとする。
海都へのメッセージを打とうとした時、海都からの着信がきて、通話ボタンを押した。
「あ、海都。今ど……」
「……っ、……お前さっ! 今どこだよ!!?」
「うるさっ……。大声出さないでよ」
余りにも大きい音量に、凪は顔を顰めながら携帯を耳から離す。
「こっちはいきなりお前が居なくなって心配してたってのに……。……で、本当にどこ?」
「……えーっと……、おみくじのとこ」
「分かった。そこに行くから待ってろよ」
「おっけ……、……って、もう切れたし」
凪が返事するより先に、海都との通話が切れた。
凪は暗くなった画面を見つめた後、近くのベンチに腰掛ける。
そして周りの風景を見渡した。
「……みんな楽しそう……」
凪は視界に映る人たちの笑顔が眩しく見え、目を細める。
そんな凪の視界に数人の人影が映る。
「君、一人?」
「え?」
凪が見上げると、ニヤニヤしたまま凪を見下ろしている数人の男性がいた。
凪は嫌な予感がして立ち上がって逃げようとするが、男性のうちの一人が凪の手首を掴む。
「――っ、離してください!」
「めっちゃ可愛いのに一人ってもったいないじゃん。俺らと遊ぼうよ」
そう言って、凪の手首を掴んだ男性は嫌な笑みを浮かべながら、凪に近づく。
凪は気持ち悪さを感じ、顔を引き攣らせた。
「……い……、やめて……ください……!」
必死に振り解こうとするが、男と女の力の差は歴然。
ジリジリと追い込まれる凪は、ギュッと両目を瞑った。
――……誰か……! 助けて……!
そう思った瞬間、凪の手首を掴んでいた男性の腕を、誰かが掴んだ。
「……っ、なにしてんだよ。おっさん……」
「海都……!」
凪の目の前には、息を切らして怒りの表情を浮かべる海都が立っていた。
海都は凪の方を見て、安心したように微笑む。
「……良かった。無事だな」
そう言って、海都は凪に近づいて、凪の両目を塞ぐように手を当てる。
「……三十秒。目と耳を塞いでろ」
「わ、分かった……」
海都に言われた通り、凪は目を瞑り、手で両耳を塞いだ。
――……海都……。大丈夫かな……。
心の中で三十秒を数えた時、肩をトントンと優しく叩かれた。
そっと目を開けると、涼しい顔をした海都が凪の目の前に立っていた。
「偉い偉い。いつもなら俺の言うことなーんにも聞かねーのにな」
そう言って、海都は嬉しそうに頭を撫でる。
凪は海都の後ろに転がっている人たちの様子を伺おうと、顔を覗かせる。
しかし、その凪の視界を海都は手で塞いだ。
「見なくていい。凪は、見なくていいよ」
「……海都って喧嘩できたんだ」
「それだと語弊があんだろ。凪を守るための、正当防衛だ」
海都は当然かのように、飄々としている。
いつも通りの海都を見た凪は、安心からか思わず吹き出して笑い始めた。
「……っ、ふ……、あははっ……! あ――……、おかしい。海都見てたら平気になってきた」
そう言って笑う凪を見て、海都は安心したように微笑む。
そしてその笑顔のまま、凪の頭を鷲掴みにする。
「……お前さ、勝手に離れたと思ったら、勝手にナンパされて、勝手に連れ去られそうになってんの。俺、お前に袖離すなよって言ったよな?」
「いててててっ……、ご、ごめんって……。でもあの人混みは不可抗力というか……」
「俺は最初から手繋いでおきたかったけど、お前が嫌かと思って袖で妥協したのに」
「す、すみませんでした……!」
海都は凪の頭から手を離して、ふぅとため息をつく。
「離れた直後も電話かけてんのに、ちっとも出ねーし。こっちの身にもなってみろよ……」
海都の言葉に凪は、ウッと言葉を詰まらせる。そして目線を泳がせながら、指先を遊ばせた。
「それは……、ごめん……。えっと……、……律希さんとたまたま会って……」
その瞬間、海都の口が開いたまま止まった。
「…………………………は?」
「だから律希さんに……」
「聞こえなかった訳じゃねーよ! おまっ……! その格好で会ったのか!?」
海都は慌てた様子で凪の両肩を掴んだ。
凪は海都の慌て様に驚き、目をパチクリとさせる。
「私も極力会いたくなかったけど、出会っちゃったものはしょうがないでしょ。逃げようにも下駄だし」
そう言って、凪は自身の下駄を鳴らす。
凪の淡々とした表情とは対照的に、海都は大きなため息をついて肩を落とした。
「……お前、バレたんだろ?」
「バレたよ。……昔に律希さんに助けられた日のことも」
「…………そうかよ」
海都の凪の肩を握る手の力が強くなる。
凪は微かに震える海都の手に、そっと自身の手を添える。
「……大丈夫だよ。律希さんは言いふらすようなことする人じゃない」
「分かってるよ。それでも、またお前が悲しい顔するのは嫌なんだよ」
「…………うん」
海都は宝物を扱うように、優しく凪を抱き締める。
「俺のせいで悲しい思いをして欲しくない」
「今はもう大丈夫だってば。男装してるおかげで」
「俺のせいで傷つけられて欲しくない」
「もう、何もされてないよ」
二人が言葉を紡ぐたび、海都の凪を抱き締める力が強くなる。
海都は大きく息を吐いて、凪を離す。
「…………悪い。取り乱した」
海都はそのまま凪の手を取って、夏祭り会場に向かって歩き出した。
凪は突然繋がれた手を見つめて、少し頬を赤く染める。
「……海都、手……」
「またはぐれてナンパされるぐらいなら、繋いでた方がいいだろ」
そう言って、海都は力強く凪の手を握り締める。
――……嫌なこと、思い出させちゃったかな……。
凪も同じように、海都の手を握り締める。
「……もう、大丈夫だよ」
そんな凪の呟きは、暗い夜の空気に溶けて消えていった。
* * *
――同時刻、花火会場にて。
凪と分かれた律希は、屋台で買った食べ物を持って遥人の姿を探す。
キョロキョロと辺りを見渡していると、律希に手を振る遥人の姿があった。
律希が近くに行くと、遥人は呆れた表情で笑っている。
「どんだけ遠くの屋台に行ってたんだよ」
「ごめんごめん。ちょっと人を助けてて」
律希はそう言いながら、遥人の座っていたレジャーシートに腰掛ける。
遥人は驚いたように目を見開く。
「何があったんだ?」
「女の子が転けそうだったから支えただけ。下駄だったし怪我したら大変でしょ」
「優しいなー、リツは」
「人として当たり前じゃない? ……まぁ、正義振り翳すだけが正義じゃないけど」
律希は自嘲気味に笑い、飲み物を一口飲む。
そんな律希の様子を見た遥人は、少しムッとして律希の額に思いきりデコピンをする。
「――っ!! いっ……たぁ!? なんで!?」
律希は突然デコピンされて、驚き半分イラつき半分で、遥人を睨んだ。
当の本人の遥人は、飄々としている。
「リツは自分を下げすぎなんだよ。昔のことはいいだろ。中学の奴らがゴミなだけ」
「おれもそこまで言ってないけど。それよりも痛い」
「好きな奴がいじめられて、笑ってられる奴なんていねーだろ」
「え、デコピンの件はスルー?」
「今はそれどうでもいい」
「酷すぎない? 本当におれのこと好きなの?」
「好きだから怒ってんだよ。なら今ここで分からせてやろうか」
そう言いながら、ニヤニヤして律希に詰め寄る遥人。
律希は顔を顰めて、遥人の顔を思いきり押す。
「いいです、結構です、間に合ってます」
律希は大きなため息をつく。
そして、買ってきた焼そばを食べながら凪のことを思い出していた。
――……蓮實さんが女の子だってこと、言わない方がいいよね。それよりも……。
「……可愛かったな……」
「え、何が?」
「…………もしかして、聞こえてた?」
「誰が可愛い? もしかしてさっき助けた女の子のこと?」
「そうなんだけど、そんな詰めなくても……」
律希はやってしまったと言わんばかりの表情で、冷や汗をかく。
一方、遥人は律希に好きな人でもできたのではと考えて詳しく聞きたそうにしている。
「……あ――、もう! 可愛いなって率直に思っただけだろ! はい、この話はおしまい!」
律希は無理矢理に話を畳み、遥人の口にベビーカステラを突っ込んだ。
ベビーカステラをもぐもぐさせて、腑に落ちない表情をする遥人。
遥人はベビーカステラを飲み込み、神妙な面持ちで聞く。
「………………好きじゃねーよな?」
「そんな簡単に人を好きになれたら苦労しないよ」
そう言いながら、律希は遥人から目を逸らす。
律希の表情は苦虫を噛み潰したような、少し恥じらいがあるようなもので、どこにでもいる男子高校生がするような表情と同じだった。
――……例え蓮實さんがあの時の女の子でも、好きにならないよ。……おれが好きになっちゃいけない……。
律希の考えとは裏腹に、凪の浴衣姿は律希の脳内に焼き付いて離れなかった。
そんな律希の様子を、遥人は複雑そうに見つめる。




