第五十八話
――季節は流れて、七月。
ある日の夜。
凪は自室のベッドに座って、律希と通話をしていた。
「……で、もう少しでドラマの役を貰えそうで……。あ、そんな大層な役じゃないですよ! 一話にしか出ないくらいのモブです」
「だとしてもすごいよ。ドラマが放送されたら見るね」
「はい! 是非!」
和気藹々と話している途中、律希が「……あー……」と少し言いにくそうにした。
そんな律希の様子に、凪は首を傾げる。
「どうしました?」
「……いや。仕事が本格的に始まるなら、忙しいかなぁと思って……」
「……え? いやいや、まだ決定した訳じゃないですし、主役じゃないから忙しくないですよ! 時間ならいくらでもあります!!」
凪がそう言うと、電話越しに律希の安心したようなため息が聞こえてきた。
「…………よかった。それなら来週の日曜日の夏祭り、一緒に行かない?」
「……っ、い、行きたいです!!」
「うん、行こう。去年みたいに浴衣着てきてくれる?」
「………………去年……?」
凪は目を丸くして、去年の記憶を辿る。
数秒後にハッとし、去年の夏祭りのことを思い出した。
「……あ、お、覚えてるんですか!!」
「当たり前じゃん。あの時に初めて君を認識したんだもの」
律希のクスクスと笑う声が、携帯のスピーカーから聞こえてくる。
凪は頬を膨らませて、拗ねた表情を浮かべた。
「でも、あの時の律希さんは私のこと覚えてなかったじゃないですか」
「ごめんて。それは本当に」
「いいですよ――。どうせ私は印象に残りづらい女だったんです――」
「……もしかして、根に持ってる?」
律希の言葉に、凪は拗ねた表情のまま、小さく呟いた。
「…………浴衣、可愛いって言ってくれたら許します」
「……それでいいの?」
「じゃあ綿飴も買ってください」
「そういうことじゃないんだけど」
律希の笑い声が聞こえ、拗ねていた凪の頬も緩んだ。
そして、律希が「……あのさ」と言い掛けたその時――。
「リツ兄〜、お願いがあるんだけど」
お互いに沈黙が流れ、先にそれを破ったのは電話の向こうにいる理央だった。
「こんな時間までリツ兄を拘束すんなよ!! リツ兄! あと五分で終わらせて! いや三分!!」
「はぁ!? なに勝手に入ってきて決めてんの!? あ、コラ!! 携帯返せって!」
ドッタンバッタン、と携帯から凄まじい音と、律希と理央の言い合いする声が聞こえる。
凪はポカーンとしたまま、携帯の画面を見つめていた。
「……え、えと……。り、律希……さん?」
凪は心配になり、控えめな声量で律希に呼び掛ける。
すると、律希の焦った声音が携帯から聞こえた。
「凪、あと二分待って! 理央のこと追い出すから!」
「な、名前で呼んでる……!? 校外学習で脅されて……!?」
「んな訳あるか! 早く出てけよ……!」
「うわー! 可愛い弟にそんなこと言うのかよ! 暴力反対!!」
「やかましいわ!」
兄弟の攻防を聞いてる凪は、思わずクスッと笑ってしまった。
――……何だか、理央くんといる時の律希さんって男の子って感じする……。
しばらくした後、電話越しが静かになる。そして律希が少し息を荒げて、「もしもし……?」と言った。
「もしもし。大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……。まさか乱入してくるとは思わなかったから……。……はぁ……」
律希は疲れたようにため息を吐く。
そんな律希に、凪は思わず吹き出して笑い出した。
「…………そんなに面白い?」
「ご、ごめんなさい……。……っ、ふふ……。なんか、理央くんといる時の律希さん、口が悪いなーって思ったらおかしくって……」
凪がそう言うと、律希はグッと息を呑んだ。
「……えっ、おれ、なんか変なこと言ってた?」
「いいえいいえ! 私と話す時よりも口調が強かったぐらいです! それが新鮮だなぁって思って」
「…………これから凪の近くで理央と会話しない」
「えっ! 何でですか! 治安悪い律希さんも見たい!」
慌てた様子で凪が言うと、律希は一息吐いて、ボソボソと小さい声で言った。
「……だって、こんなおれ、見られたくないし……」
その瞬間、凪の胸がキュンと高鳴った。
――……えぇえぇ、な、なんか今日の律希さん……。
「………………可愛すぎませんか」
「男に可愛い言わないの」
律希は大きくため息を吐いた。
そんな律希に、凪は口元に手を当ててクスッと笑う。
「……ふふ。夏祭り、楽しみです」
「……そうだね」
律希もフッと笑った。
* * *
――夏祭り会場の鳥居前にて。
浴衣を身に纏った凪は、辺りをキョロキョロと見渡す。
「……まだ律希さんは、来てない。ちょっと早過ぎたかな……」
凪が携帯の時計を見ると、集合時間のまだ三十分も前だった。
凪は少し歩いて時間を潰そうと、歩き出そうとした時、凪を一般人が取り囲んだ。
「――っ、え、な、何ですか……?」
凪は困惑した表情で彼らを見ると、彼らは目を輝かせて凪のことを見ていた。
「も、もしかして、蓬野凪さんですよね……! サイン下さい!」
「お、俺も! 握手して欲しいです!」
「私は一緒に写真を……!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて……!」
少しずつ近づいてくる民衆に、凪は慌てたように両手を振った。
――……ど、どうしよう……! まさか囲まれるとは思わなかった……! このままじゃ律希さんと合流出来ない……。
すると、誰かが凪の手を掴んで引っ張った。
「――っ、えっ、だ……」
「こっちだよ」
凪がパッと顔を上げると、そこには律希がいた。
律希は凪を見てフッと微笑むと、そのまま民衆を掻き分ける。
「……見つけた。遅くなってごめんね」
「――っ、いえ……! あ、ありがとうございます……」
「……っと、その格好じゃ走れないよね。ちょっとごめんね」
そう言って、律希は凪の膝裏に手を入れ、凪の身体を持ち上げた。
凪は驚きのあまり、目を丸くして律希を見る。
「……えっ、えぇ!? り、律希さん!?」
「ちょっと走るね」
律希はそのまま夏祭り会場の入口まで、駆け足で向かった。
――夏祭り会場にて。
律希は辺りをキョロキョロと見渡して、安心したように一息つく。
そしてゆっくりと凪の身体を降ろした。
「遅れてごめんね。もう少し早く来てたら、ああはならなかったのに」
律希が申し訳なさそうに、眉を下げて微笑む。
そんな律希に、凪は全力で首を横に振った。
「い、いいえいいえ!! 私が早く来過ぎただけなので!!」
「それならいいけど。……凪」
律希が名前を呼ぶと、凪は肩をビクッとさせた。
「……はっ、はい……!」
「…………ふ、ふふ。そんな驚かなくても。……浴衣、似合ってるよ。可愛い」
そう言って、律希は凪の頬を優しく撫でた。
その瞬間、凪は顔を真っ赤にさせて律希の胸をポカポカと両手で叩き始める。
「ふ、不意打ちはズルいです!! 今日は照れるの三回までって決めてたのに!」
「何それ。もう一回使っちゃったじゃん」
「誰のせいですか!!」
凪は頬を膨らませて、律希から目を逸らす。
すると、律希が意地悪っ子のような笑みを浮かべて凪の顔を覗き込んだ。
「……あと二回で足りるの?」
その律希の表情に、凪はまた顔を赤くさせた。
律希は口元に手を当ててクスクスと笑う。
「二回目〜。あと一回だよ」
「……っ、ド、ドSめ……」
ぐぬぬ、と悔しそうに拳を握る凪。
律希はクスクスと笑いながら、凪の手を握って歩き出した。
「……はいはい。ほら、行こう。何から回る?」
「たこ焼き、食べたいです……」
「うん。おれも食べたい。あと唐揚げも」
二人は楽しげに会話をしながら、煌めく祭の会場を歩き始めた。
たこ焼きを食べたり、焼きそばを食べたりと、色々なものを食べ歩きしていた。
そんな中、凪の目に止まったのは、射的の景品の猫のぬいぐるみだった。
「…………可愛い」
「何が?」
思わず口に出た言葉が、律希の耳に入る。
凪は慌てて首を横に振った。
「な、何でもないです! ただ、あそこのぬいぐるみが可愛いなぁって思っただけで……」
「…………ふーん……」
律希はチラリとぬいぐるみを見る。
律希から見るそのぬいぐるみの表情は、可愛げはなく、どこか太々しさを感じた。
まるで、取れるもんなら取ってみろとでも言いたげな表情をしている。
――……なんか、あの顔ムカつくな……。
律希は凪の手を引いて、射的の屋台に向かった。
「……えっ、ちょ、律希さん?」
「ちょっと待っててね」
そう言って、律希は凪の方を向いて微笑み、頭を優しく撫でた。
律希は店主に小銭を渡して、ピストルを受け取る。そして、ぬいぐるみに狙いを定めた。
一回目、二回目とぬいぐるみの端を当てて、位置をズラし、三回目、四回目と胴体を狙った。
そして最後に頭を当てて、ぬいぐるみが倒れた。
「お見事!! 大当たり!!」
店主の声と共に、店主がベルを鳴らした。
律希はふぅ、と一息つく。
そして店主からぬいぐるみを受け取り、凪に差し出した。
「はい。今日の記念に良かったら」
律希がそう言うが、凪は微動だにしなかった。
よく見れば、凪は携帯のカメラを律希に向けたまま、口を震わせていた。
「……しゃ、射的する姿も横顔も表情も、何もかもカッコ良過ぎます……! まるでスナイパー!! 大好きです!!」
「ず、ずっと撮ってたの……? 気づかなかった」
「当たり前じゃないですか! 律希さんの勇姿は毎秒毎分撮っていたいですが、網膜にも焼き付けたいので、ここぞと言う時だけ録画します」
「ちょっと何言ってるか分かんないけど」
律希は苦笑いを浮かべて、ぬいぐるみを凪の両手に乗せた。
凪は嬉しそうにぬいぐるみを抱き上げて、頬を寄せた。
「ありがとうございます。大切にします」
「……喜んでもらえて良かった」
『まもなく、花火打ち上げ時間となります。ご観覧する方は移動をお願いいたします』
会場のアナウンスを聞き、律希は凪の手を握り、優しくエスコートをする。
「……じゃあ、行こっか。花火」
「はい!」
二人は手を繋いだまま、花火会場へと向かった。




