第五十五話
――校外学習の前日、律希の自室にて。
律希は一泊する用の荷物を鞄に詰めているところで、その表情はどこかワクワクしているように見えた。
「……学校行事を楽しみって思えるの、いつぶりだろうな……」
そう呟きながら荷物を詰めていると、律希の部屋の扉をノックする音が聞こえた。律希が返事をすると、理央が頬を膨らませて入って来た。
律希は苦笑いを浮かべて、「どうしたの?」と理央に聞く。
その瞬間、理央が律希の近くに滑り込み、近所迷惑にならない程度に叫んだ。
「何で二、三年生合同なんだよ! 一、三年生じゃダメだったのかよ!」
「…………し、知らないよ。そういうことは先生に言って」
「言った!! 言ったのに何も聞いてくんなかった!!」
涙目でそう訴える理央に、律希は困ったように眉を下げて笑う。
――……そりゃそうだろうな……。入学して間もない一年が何言ってんの?って感じだろうし……。
律希は小さくため息を吐いて、理央の頭を優しく撫でる。
「まぁ、来年になったら行けるじゃん。今年はお土産買って来てあげるから」
「…………来年じゃ意味ねーし。僕はリツ兄と行きたいんだけど……」
理央は口を尖らせて視線を下に向ける。
あからさまに拗ねた表情をしている理央に、律希は思わず吹き出して笑い出す。
「……ぷっ、ふふ、あはは! 旅行なんて大人になったらいくらでも行けるよ。学校行事じゃ縛りがあるけど、プライベートなら何にもないよ」
「そうだけど、それでも僕は行きたかったんだよ!」
「小学生みたいなこと言わないの」
そう言って、律希は理央の頭に軽く手刀を落とす。
頭を押さえた理央は頬を膨らませて、律希を見上げた。
「……だって……」
「だってもないです。そういう決まりなんだからしょうがないでしょ」
「………………分かった」
理央はプイッとそっぽを向く。そしてボソボソと小さい声で呟き始めた。
「…………僕とも、絶対行く。約束」
律希は目を見開いて理央の背中を見る。
――……大きくなっても、変わらないな……。
そして律希はフッと微笑んで、理央の頭を優しく撫でた。
「分かった。約束だよ」
律希がそう言うと、理央は満足そうに笑った。
* * *
――校外学習当日。
律希は荷物を持って、指定のバス乗り場まで歩く。
「……おれは、三号車だから……」
律希がキョロキョロと辺りを見渡すと、律希に向かって大きく手を振る人が見えた。
「……あっ、律希さ――ん!」
凪が大きく手を振り、その隣にいる海都と遥人が律希を見て微笑んでいる。
その三人を見て、律希は近くまで駆け寄った。
「おはよう。みんな早いね」
「いや、リツがギリギリなんだよ。集合時間二分前だぞ」
「あれ? そうだっけ?」
そう言って、律希は手元にあるレジュメを確認する。そこ書かれていたのは、律希が把握していた集合時間よりも早めだった。
律希は首を傾げて惚ける。
「……まぁいいじゃん。間に合ってるし」
遥人がため息をついた後、荷物を持ち直してバスを指差した。
「ほら、俺達が乗るのはあれだ。行くぞ」
先導する遥人の後ろを、残りの三人がついていく。
四人はバスに乗り込み、それぞれの席に座る。席順は遥人と海都が隣、律希と凪が隣だった。
平等にくじ引きで決めたのだが、遥人は海都が隣なことに不服そうだった。しかし、海都はケラケラと笑いながら「失礼だな〜」と一言言うだけだった。
凪が窓際に律希が通路側に座る。
その時に律希の手が、自身の膝の上にあった凪の手に触れて、そのままギュッと握る。
「――っ!? り、……」
驚きの余り、凪は勢いよく律希の方を見た。
律希は口元に人差し指を当て、ニヤリと口角を上げ、静かに、のジェスチャーをしている。
「……どうせ誰も見えてないよ」
「こ、こんなことするんですか……」
凪は顔を赤くして、怪訝そうに律希を見た。
そんな凪を見て、律希は眉を下げて首を傾げる。
「…………嫌?」
「積極的な律希さん、最高です」
「ちょっと。語弊がある言い方はやめて」
律希は苦笑いを浮かべつつも、握っていた凪の手に、自身の手を絡めた。
僅かに動いた手に、凪はビクッと身体を震わせる。
律希はニヤニヤしたまま、凪の顔を覗き込む。
「……慣れるって言ってなかったっけ?」
「この状況は想定外です」
凪はプイッとそっぽを向いた。
律希は空いている方の手を口元に当てて、クスクスと笑う。
不服そうな表情を浮かべていた凪だったが、律希の様子を見て口を開いた。
「…………もしかして、だいぶ楽しみにしてます?」
「……、……そうかもね……」
そう言って、律希は凪を見たまま微笑む。
* * *
――京都にて。
京都駅のバスターミナルに到着した。
各班バスから降りて、各バスの担当教員の近くに集まった。
そこでは今日一日の簡単な流れと、集合時間と場所が伝えられた。
伝えられた後は自由行動となり、各々動き始める。
凪達も移動を始め、彼らが最初に向かったのは八ツ橋の手作り体験の店。
彼らは、中に入って席に座る。
店員から説明を聞いて、各々が八ツ橋を作り始めた。
律希は器用に伸ばして形を整えている横で、遥人が顰めっ面で生地と睨めっこをしていた。
それを見た海都が、馬鹿にしたようにクスクスと笑う。
「……意外と不器用ですよね、千蔭さんって」
「………………別に、八ツ橋ぐらい作れなくて困ることねーよ……」
「強がってる――……、……ってすみませんって! だからその八ツ橋切る道具置いて!!」
遥人が無言で道具を持ち、海都を睨みつけた。
そこでふと、遥人の目に海都の作った八ツ橋が目に入った。
「…………器用なの、腹立つな」
「俺って天才だし。こんなの朝飯前ですよ」
海都は自慢げに微笑み、出来た八ツ橋を遥人に見せびらかした。
遥人の眉間には更に皺が寄る。
「……うぜーな」
「素直に褒めるってこと出来ないんですか」
海都は口を尖らせて、ぶー、と文句を言う。
凪と律希は二人のやり取りを見つつ、出来た八ツ橋を互いに見せ合っていた。
――商店街にて。
着付け体験をするべく、着物をレンタルする店に入った四人。
男性陣は早くに着付けを終えて、待合室で凪の着付けを待っていた。
壁にもたれたまま腕を組んでいた遥人が、小さくため息を吐く。
「……こんなもんなのか。女の準備って」
「千蔭さーん。そういうこと言ってる男はモテないですよ」
「やかましい」
遥人は軽く海都の頭を叩く。
そんな二人を、律希は苦笑いを浮かべて見た。
「……まぁまぁ。もうすぐ来るんじゃない?」
意外と余裕そうな律希に、海都はニヤニヤしながら近づく。
「え――? そんな余裕ぶってますけど、凪の着物見たら失神するんじゃないですか?」
「君じゃあるまいし、しな……」
そうやって話していると、カラン、と草履の音が聞こえてきた。
彼らがその方向を見ると、薄い紫色で花が散りばめられた着物を身に包む凪が恥ずかしそうに立っている。
髪の毛も巻いて、ハーフアップにされていた。
何も言われない凪は、小さい声でおずおずと口を開く。
「…………あ、……あの……。に、似合って……ますか……?」
そう言って首を傾げる凪。
遥人は腕を組んだまま真顔、海都は口を開けたままポカーンとして、律希は目を見開いたまま凪を見ている。
小さくため息を吐いた遥人が律希の背中を押した。
「……なんか言ってやれよ。俺達は先に外出てっから」
そして遥人は海都の首を掴んで、先に店を出た。
二人きりになり、律希は頬を染めながら目線を逸らしてゆっくりと口を開いた。
「……あ、えと……。……似合ってるよ。可愛い」
そう言って、律希は凪の頬に触れる。
その時に律希の手が凪の耳に触れ、何かが律希の手に当たった。
「――っ、……これ……」
「……付けたくて、付けました……」
凪は恥ずかしそうに顔を逸らす。
キラリと凪の耳で光ったのは、律希があげたイヤリングだった。
それに気づいた律希は、嬉しそうに目を細めて微笑む。
「…………あの時も思ったけど、やっぱりよく似合う」
「うぅ……。これ以上褒め殺してどうするんですか……」
凪は目を逸らしたまま、頬を膨らませた。
そんな凪の顔を覗き込むように、律希は視線を凪に合わせるように身を屈める。
「……いくらでも褒められるよ。君のこと、大好きだもの」
「……ぅ、突然の告白……! し、心臓持たないんで、もう結構です!!」
そう言って、凪は草履の音を鳴らして出入口に向かった。
その後ろ姿を見て、律希はクスクスと笑う。
「……やっぱり、可愛い……」
律希も凪の後を追うように、歩き出した。




