第五十一話
――四月。
靴箱近くにある掲示板に、今年度のクラス表が張り出されている。
自身のクラスや友人のクラスを確認すべく、多くの生徒が掲示板前に集まっていた。
その人だかりの一歩後ろで、凪と海都も自身のクラスを確認しようとしている。
「……見えねぇな」
「双眼鏡とか持ってきたらよかったかな?」
「ライブでもないのに、そんなんいらねぇよ」
凪の冗談に、海都は突っ込みながらケラケラと笑う。
そうしているうちに前に空間が出来た。
二人はスルリと中に入り、クラス表を確認する。
「……えーっと……、……。……あ、四組だ。海都は?」
「早くね? 俺まだ三組見てんだけど」
海都は目を細めて、睨みつけるようにクラス表を見つめていた。
そんな海都の様子に、凪はクスクスと笑う。
「目付き悪いよ。海都って、そんなに視力悪かったっけ?」
「ここ最近な。やっぱコンタクトいるか……」
「サッカーするなら視力いい方がいいんじゃないの? 知らないけど」
「今のとこ、支障はねぇけど……。……考えとく」
そう言って、海都はジーッとクラス表と睨めっこする。
するとハッとして凪の方を向いた。
「俺も四組。また一緒だな」
海都はどこか安心したようにホッと一息吐いて、柔らかく微笑んだ。
「……そうだね。また一年間よろしくね」
凪も同じように笑った。
そんな二人に、見知った顔が話し掛けた。
「進級おめでとう。蓮實さん、櫻庭くん」
「海都は当然だが、お前も進級出来たんだな」
凪と海都が後ろを振り向くと、片手を上げて微笑んでいる律希と、真顔の遥人が立っていた。
律希の姿を見て、凪の表情が明るくなる。
「律希さん! ……と、遥人さん。おはようございます!」
「わー、千蔭さんだー。おはざーす」
「お前ら、俺のこと何だと思ってんの?」
遥人に対する対応が雑過ぎる二人に、遥人は分かりやすく顰めっ面をする。
そんな遥人の肩に肘を置いた海都は、ヘラヘラと笑った。
「やっだな〜。親しみやすいってことですよ〜。俺、千蔭さんのこと大好きですよ?」
「気持ち悪りぃからこっち来んな」
そう言って、遥人は更に眉を顰めて、海都の顔を思いきり押す。
そんなことをされても尚、海都はケラケラ笑っていた。
二人のやり取りを見ていた律希が、口元に手を当ててクスクスと笑う。
「遥人って、よく後輩に揶揄われてるよね。いい反応するから」
「リツまで気持ち悪いこと言うなよ」
遥人は大きくため息をついて、律希の方を見た。
「この状況が、十分な証拠だけど」
「こいつが例外に気持ち悪いだけだ」
「ひっで――。可愛い後輩にそんなこと言うんだ――」
海都がぶーっと頬を膨らませて、遥人の肩に顎を乗せる。
その瞬間、遥人の渾身の肘打ちが海都の鳩尾に見事に入り、海都はその場にしゃがんだ。
「……ぼ、……暴力、反対……。ちょっと揶揄っただけじゃ、……ないですか……」
「お前はこれぐらいしないと学習しねぇからな。丁度いい」
そう言う遥人の表情は、目に光が無く、冷たく海都を見下ろしていた。
彼らのやり取りを見ていた凪の肩を優しく掴んで、律希は凪を別方向に歩かせる。
「あんな野蛮人達ほっといて、おれたちはクラスに行ってようね〜」
「…………あれ、放置してていいんですか?」
「いいよいいよ。遥人も満更でもないだろうし」
「やっぱり遥人さんってドS……」
凪は心の中で「海都、ドンマイ」と思いながら、律希と共にその場を離れた。
* * *
――凪、海都の教室にて。
凪は教室に着いて、黒板に掲示してある席順を確認する。その数分後に海都もやってきた。
海都の姿を見つけ、凪はパッと顔をそちらに向けた。
「あ、来た」
「お前なぁ……。俺を置いてくなよな」
海都はため息をつきながら、凪の隣に立つ。
「海都だしいっかなと思って」
「凪も大概、俺に対して雑だよな」
「海都だし」
「そーゆーとこー。ま、いいけど」
海都は肩をすくめた後、席順を確認した。
確認すると、海都は真ん中、凪は一番後ろだったようだ。
二人は自分の席に移動して、荷物を置く。
それと同時に、凪と海都は各々の席でクラスメイト達に囲まれた。
「ふ、二人って付き合ってるの!?」
「蓮實さんって、あの蓬野凪って本当!?」
「おい、櫻庭。あんな可愛い子と付き合えるとか、どんな徳積んだんだよ」
各々が色んな野次を受け、凪は困ったように眉毛を下げ、海都は詰まらなさそうに欠伸をする。
海都が少し目を伏せて、ため息を吐いた。
「…………付き合ってねぇよ。あいつとは幼馴染なだけ」
「俺も蓮實さんと幼馴染になりたかった。今からその位置譲れよ」
「しばくぞ」
そう言って、海都が男子生徒のことを睨みつける。
そんな海都と男子生徒の会話を聞いていた女子生徒達が、凪にも聞く。
「蓮實さんは何とも思ってないの!? あんなにカッコいい幼馴染がいるのに!」
「サッカー部のエースでしょ! それに勉強も出来て優しい!」
凪を取り巻く女子生徒達は頬を紅潮させて、「いいなぁ〜」と言う。
凪は少し首を傾げて言った。
「海都とは小学校から一緒だから、家族みたいなもんなんだ」
「そうなの〜?」
「そうだよ。……それに」
そう言って、凪は照れ臭そうに頬を染めて視線を下に移した。
「……大事な人は、他にいるから……」
小さく呟いたその声に、女子生徒達は黄色い声を上げた。
その中の一人の女子生徒が、凪に詰め寄る。
「えぇ――! それって誰々!?」
「……え、えっと、それは……」
凪が言いにくそうに口をモゴモゴさせていると、もう一人の女子生徒が小さい声で話す。
「あんた知らないの? 蓮實さんって、去年の文化祭で二年の先輩と回ってたじゃん。きっとその人よ」
「それって、めちゃくちゃカッコいい園田先輩じゃないの!?」
女子生徒達の視線が一斉に凪に集まる。
凪は消え入りそうな声で、小さく「はい」と言うと、嬉しそうな女子生徒達の声が響く。
そうしていると、教室の扉が開いた。
「お前ら席つけよ〜」
彼らの教室に教員が入って来て、座るように促した。
凪と海都の周りに集まっていた生徒達は、残念そうにしながらも自分の席に座った。
海都は頬杖をついて教員の話を聞きながら、先程の自分の言葉や凪の言葉を思い返していた。
――幼馴染なだけ。
――家族みたいなもん。
その言葉を咀嚼するように下唇を噛み、小さくため息を吐いた。
「……………………もう、いいよな……」
そう呟いた海都は、真っ直ぐに正面を向く。
* * *
――帰り道にて。
凪と海都は並んで歩いていたが、海都の表情はどこか渋そうにしている。
凪は心配そうな目で、海都の顔を覗き込んだ。
「ど、どうしたの? どういう表情?」
「…………俺と二人でいていいのかなーって。律希センパイはいいって言った訳?」
海都は前を向いたまま、ぶっきらぼうに答える。
「え? うん。海都ならいいよーって」
「……本当、タチ悪りぃ……」
律希の姿を想像して、海都は大きくため息をついて片手で顔を覆う。
海都の考えなど露知らず、凪はニコニコとしたまま携帯を操作した。
「それに今日はご飯会じゃん。一緒に帰んないと不自然だよ」
「それはそうだけどさ。なんか、……いや、もういいや。考えたら負けだな」
海都は諦めたように小さく首を横に振って、凪の頭を軽く叩く。
「え、何? なんか馬鹿にしてる?」
「何でそうなんだよ。馬鹿にしてねーよ」
凪はムッとした表情で、頭を押さえて海都を見上げた。
海都にとっては、今だけは凪の瞳の中には自分しかいないということが嬉しくもあり、それすらも律希に見透かされてそうで虚しくもあった。
――……どうでもいいって思えたら、どれだけ楽なんだろうな。そんな日がいつか、来んのかな……。
そんなことを考えて、海都は手を下ろして拳を強く握った。
「……律希センパイとは、上手くいってんのか?」
僅かに震える声で、凪に尋ねる。
凪は目を丸くした後、ふわりと優しく微笑んだ。
「…………うん。ちゃんと幸せだよ」
そう言って笑う凪を見て、海都は胸の重しが取れたような感覚になった。
――……俺はどこかで、凪のことを幸せにしてやりたいって思い込んでたけど……。
強く握っていた拳をゆっくりと開く。
――……違う。俺は、凪のその幸せそうな顔を隣で見られるだけで、よかった……。本当に俺って……。
海都は視線を下に向けて、僅かに口角を上げた。
「…………馬鹿だなぁ……」
「……? 何て?」
海都の言葉が聞き取れず、凪は首を傾げる。
海都はパッと顔を上げ、凪に向かって優しく微笑んだ。
「……何でもねぇよ。幸せそうで、良かった。……それだけだよ」
そう言って、海都は凪より先に歩き始めた。
――……正真正銘、俺の恋は終わったんだ。でも……。
「……隣で幸せを見届ける事ぐらいは、させて欲しい……」
海都の呟きは春の風に流れて、どこかに消えていった。




