第五十話
――ある日の夜、律希の自室にて。
律希はベッドに寝転んで、携帯と睨めっこをしていた。
彼が見ていたのは、『ホワイトデーのオススメプレゼント!』特集だった。
「…………何が正解? おれがお菓子なんて作ろうもんなら、ダークマターが出来かねないし……」
ブツブツと呟きながら、律希は画面をスクロールして悩む。
そこでふと、目が止まった物があった。
「……これ、いいかも……」
それの詳細を見ようと画面をタップした時――。
「リツ兄――! いつ空いてる――!?」
理央が勢いよく扉を開けて中に入ってきた。
それに驚いた律希は、携帯を持つ手が緩み、思いきり顔面に落とした。
律希は声にならない悲鳴を上げて、顔を押さえる。
「……え、僕のせい?」
「少なくとも理央のせいだろ……! ……で、何だって?」
律希は鼻を摩りながら顔を顰めて、身体を起こした。
理央は律希のベッドに座る。
「リツ兄の空いてる日はいつ?って、聞きたくて……」
理央はモジモジと両手を遊ばせて、気恥ずかしそうにしていた。
律希は訳が分からず、首を傾げる。
「……、……いや、いつって言われても……。基本空いてるけど何で?」
「僕だって、リツ兄と出掛けたい! 遊びたい! 最近はあの女とばっか遊んでんじゃねーか!」
そう言って、理央は拗ねた表情を浮かべて頬を膨らませた。
そんな理央はまるで、小学生みたいだった。
律希は瞬きを何回かして、思わず吹き出して笑い出す。
「……ぷっ、ふふ、あはは……! そんなことで拗ねてたの? ……子どもだなぁ……」
「僕にとっては死活問題なんだよ! ……で、いつならいいの?」
プイッとそっぽを向く理央。
律希からは表情は見えないが、耳が僅かに赤くなっているのが分かる。
律希はフッと微笑んで、理央の頭を優しく撫でた。
「……今週の土曜日は? 部活休みでしょ?」
「――っ、行く! 僕とだけだかんな!」
理央は顔を律希の方に向けて、嬉しそうにニコッと笑った。
そんな理央を見ながら、律希は別のことを考えていた。
――……蓮實さんはいつ空いてるかな……。
律希は理央の頭を撫でながら、脳内で自身のスケジュールを確認していた。
* * *
――次の日、学校にて。
昼休みの屋上で、凪と律希はベンチに座って昼食を取っていた。
すっかり習慣化したこの時間は、二人にとって大切な時間になっている。
そこで律希が口を開いた。
「……ところで、蓮實さんって来週の日曜日って空いてる?」
律希の言葉に、凪は首を傾げて目を丸くした。
「へ……? 日曜日? 何日ですか?」
「……えっと、……その、……ホワイトデー……」
律希は気恥ずかしそうに、小さい声でボソボソと呟いた。
凪は目をパチパチとさせた後、ハッと口元を手で隠す。
「……そ、そうでしたね……! その日なら空いてます! 仕事もないです!」
律希はホッとしたように、胸を撫で下ろした。
「よかった。その日、出掛けない?」
「……っ、い、行きたいです!」
「その日はおれにエスコートさせてね」
そう言って、律希は凪の手を取って微笑む。
その瞬間に凪は、身体をビクッと震わせて顔を赤くする。
「そっ、それはいつものことじゃないですか……!?」
「そうだっけ? そんなつもりなかったんだけど」
律希は凪から手を離して、クスクスと笑う。そして凪の方を見た。
「楽しみにしててね」
「もちろんです!」
凪も律希の方を見て、ニッコリと笑った。
* * *
――ホワイトデー、当日。
律希はいつものデートよりも落ち着かない様子で、待ち合わせ場所にいる。
携帯で時間を確認したり、ショーウィンドウで身なりを気にしたりと、明らかに挙動不審だった。
「……クリスマスの時よりも、緊張してる。平常心、平常心……」
そんな律希の視界に、見慣れた顔が飛び込んできた。
「お待たせしました! 私、集合時間間違えましたか?」
律希は身体をビクッと震わせて、驚いたような表情を浮かべる。
そしてすぐに、いつも通りの笑顔に戻った。
「い、いや大丈夫だよ。おれが早く家を出過ぎただけだから」
「それならよかったです! ……ところで」
凪は律希の姿を見るや否や、携帯をサッと取り出してカメラを向けた。
突然のことで、律希は目を丸くする。
「…………えっと、何……?」
「今日の律希さんがあまりにもカッコよすぎるので写真に収めようと思って。網膜にも焼き付けますが、媒体でも残しておきたいです」
「あ、あぁ、うん。どうぞ……?」
律希はやや困惑しながら、凪のしたいようにさせた。
すると凪は、嬉しそうに律希の写真を撮り始めた。
その姿はさながらファンのよう。
笑顔で写真を撮る凪を見て、律希はクスリと笑って、律希も写真をパシャリと撮った。
凪は目を丸くして、律希を見る。
「……えっと、何を撮ったんですか?」
「…………おれの一番好きなもの」
「……? それは何ですか? 猫?」
律希は少し考えた後、携帯を口元に当ててニヤリと微笑んだ。
「……どちらかと言うと、子犬かな」
「律希さんって犬派だったんですね〜」
そう言って、凪は満足したのか携帯をしまって、ニッコリ笑う。
律希はそんな凪の頭に手を置いた。
――……君のこと、だなんて言ったら怒るかな……。
そんなことを考えて、思わずクスッと笑った。
凪は訳が分からず、首を傾げる。
「……どうしました?」
「ううん、何でもないよ。行こっか」
律希は口元を手で押さえ、もう一方の手で凪の手を取って歩き始めた。
――水族館にて。
手を引かれるまま連れてこられた凪は、目の前に佇む大きなイルカの模型に、目を輝かせていた。
そして嬉しそうな表情で律希の方を見る。
「こ、ここって最近出来て、イルカショーが有名なとこ……!」
「そう。クラスの子が話してるの聞いて、どうかなーって思って」
「行きたいなって思ってたんで、すごく嬉しいです!」
凪の反応に、律希は安心したように小さく息を吐いた。
そのまま自身の手と凪の手を絡めて、水族館に向かって歩き始めた。
「じゃあ行こっか。イルカショーはまだ時間あるし、ゆっくり見て回ろう」
「はい!」
二人が中に入ると、最初に出迎えたのはトンネル状になっている大きい水槽で、色んな魚が泳いでいた。
大きさに圧巻している二人は、「おぉ〜……」と呟きながら見上げる。
「……あ! あそこにサメいますよ!」
凪は壁沿いに行き、水槽の中を指差した。それに続くように、律希も近くに行く。
「こう見ると大きいね。牙もしっかり見えてる」
「他の魚のこと食べないんですかね〜」
近くに来たサメを、凪がまじまじと見つめながら言った。
律希も同じように、水槽の中のサメを見つめる。
「水族館のサメはちゃんと餌をもらえててお腹いっぱいらしいよ。だから他の魚を食べる必要がないんだって」
「へ〜! 知らなかった! てっきり水槽の中の他の魚も食べちゃうと思ってました!」
「食べる事もあるらしいけどね。おれは見た事ないかな」
そう言って、律希は苦笑いを浮かべた。
「おれが小さい魚だったら嫌だなぁ。水族館ぐらいはゆっくり泳ぎたいかも」
「律希さんが小さい魚だったら、サメも食べれませんよ! 輝き過ぎて!」
「ごめん。それはどういう事?」
次に二人が向かったのは熱帯魚コーナー。
グッピーやエンゼルフィッシュなどが、各水槽で優雅に泳いでいる。
その中でグッピーが、凪の近くに来てはジッと見つめているようだった。
「……すごい蓮實さんの事を見てるよ。魚って視力あるのかな」
「あるらしいですよ! 人間を認識出来る可能性がある程度みたいですけど」
そう言って、凪は水槽越しにグッピーに指を重ねた。
するとグッピーがふよふよと近づいてきて、水槽を突き始める。
「あ、ほら! やっぱり見えてますよ!」
「同じ生き物って思われてるとか」
「え、私って魚類に似てます?」
「いや、蓮實さんってグッピーみたいじゃない? 綺麗な髪の毛だし」
「――っ!? えっ!?」
律希がそう言うと、凪は顔を赤くして目を丸くさせた。
その姿を見て、律希は思わず吹き出した。
「……ぷっ、ふふ……。グッピーと同じ顔しないで……、……っ、……笑っちゃう……」
「同じ顔してません! グッピーに失礼です!」
「そこは自分じゃないんだ」
律希はクスクス笑いながら、凪の手を取る。そして凪の顔を覗き込むように、身を屈めた。
「もう少しでイルカショー始まるけど、行く?」
律希の言葉に、凪は目を輝かせて大きく頷いた。
「……行きます!!」
――イルカショー会場にて。
ザワザワと人が多く集まっており、流石話題になっているイルカショーだと感じる程だ。
凪と律希はやや後ろの方に座り、始まるのを心待ちにしている。
「やっぱり人多いですね。なんか遊園地のパレードみたい」
「まぁ、ある種そういう類だろうね。とても熱心なカメラマンもいるみたいだし」
そう言って、律希は下の方に視線を向ける。
凪も同じように見ると、一眼レフのようなカメラを持っている人が見えた。
「わっ、本当だ! あんなカメラ初めて見ました!」
「すごいよね。でもそれだけ見応えがあるってことじゃないかな」
「そうですよね! 楽しみだなぁ……」
凪がそう呟くと同時に、ブザー音が鳴り、会場が暗くなった。
中央のメインステージにのみ照明が当たり、イルカとトレーナーがよく見える。
二人の息ピッタリのパフォーマンスに、会場から大きな拍手が何度も鳴り響いた。
イルカショーを見ている凪の瞳が、照明で照らされているからなのか、キラキラと輝いていた。
まるで海の底にある宝石のように。
律希はチラリと横目で凪の瞳を見て、息を呑んだ。
――……やっぱり、綺麗……。
その時、律希は鞄の中にある包みを見て小さく微笑んだ。
「……きっと似合うだろうな」
そんな呟きは誰も聞こえず空気中に溶け、拍手で掻き消された。
* * *
――水族館近くのベンチにて。
凪は満足気に笑って、イルカのぬいぐるみを抱き締めていた。
「……嬉しそうだね」
「はい! まさか入場者特典くじに当たるとは思わなくて……!」
いま凪が手にしているイルカのぬいぐるみは、オープン記念の入場者特典に含まれるくじの景品である。
時間があったため引いてみたところ、まさかの一等のぬいぐるみが当たったのだ。
思わぬ収穫に、凪は嬉しそうにしていた。
「ベッドに置いて毎晩一緒に寝ます!」
「嬉しそうで何よりだよ」
律希は凪の抱いているぬいぐるみの頭を、軽くポフポフと叩く。
その表情はどことなく拗ねているようにも見えた。
凪は律希の表情を見逃さず、ニヤニヤして律希を見つめた。
「…………ぬいぐるみに嫉妬ですか?」
「――っ! ち、違うし。触り心地いいなーって思っただけ」
図星を突かれた律希は、少し頬を染めてプイッとそっぽを向いた。
凪はニヤニヤしたまま、律希の顔を覗き込む。
「え――? 目が合いませんけど、おかしいなぁ〜」
凪が無理矢理目を合わそうと律希に近づいた時、律希は凪の両頬を片手で掴む。
そして赤く染まった頬のまま、ニヤリとした。
「……悪い事を言う口はこの口?」
そう言って、凪に近づく律希。
凪は顔を赤くして焦った様子で、目を丸くした。
「……っ、う、うわぁ! 違います! すみません、やり過ぎました!!」
その時に、凪の視界にキラリと光る物体が映る。よく見ると、律希の耳にはピアスが付いていた。
凪は驚いて、律希の耳を指差して口を震わせた。
「……そ、そそそ、それ!! どうしたんですか!?」
凪の言葉に、律希は「あぁ……」と呟いて自身の耳を触る。
「開けた」
「開けた!?」
「似合ってない?」
「滅相もない! とてもよくお似合いです……、……じゃなくて!! 何で突然……?」
凪が首を傾げると、律希は目線を泳がせる。
そして鞄から一つの包みを取り出して凪に手渡した。
「……おれはお菓子とか作れないし、物になっちゃうけど。よかったら付けてね」
凪はキョトンとしたまま包みを開ける。
その中に入っていたのは、律希が付けているピアスと同じデザインのイヤリングだった。
凪は取り出したイヤリングを、ポカーンと口を開けて見つめた。
「……私のはイヤリング……?」
「おれは決意表明みたいな感じで開けたけど、蓮實さんは嫌かなと思って。それならピアスと同じデザインだし」
そう言って、律希は頬を染めて照れ臭そうにそっぽを向く。
凪はイヤリングを台紙から外して、手のひらに乗せた。
「……律希さん、お願いがあります」
「何?」
律希が振り返ると同時に、凪は手のひらのイヤリングを律希に差し出した。
「付けてくれませんか?」
「……………………え?」
律希は目を丸くして固まったまま、凪を見つめた。
そんな律希にはお構いなしに、凪は耳に髪の毛をかけて耳を露わにする。
ジーッと見られていることに気づいた凪は、恥ずかしそうに顔を逸らした。
「……だって、今日はホワイトデー、ですよね。なら、お願い、聞いて、欲しい……です……」
「――っ!」
律希は息を呑み、凪からイヤリングを受け取る。僅かに震える手で凪の耳に触れた。
その瞬間、凪の身体がビクッと震えた。
そんな状況に置かれている律希は、何かの苦行なのだろうかと考えながら、イヤリングを付ける。
もう片方の耳にイヤリングを付けようとした時、律希の手が凪の首に当たった。
「――っ、…………」
凪は小さく声を上げて、顔を赤くさせた。
「……………………はぁ……」
律希は気持ちを落ち着かせるように、大きく息を吐いて視線を逸らした。
――……この、なんとも言えない状況はなんだ。これ以上突っ込んだら危ない気がする……。
律希は平常心を保ちつつ、反対の耳にもイヤリングを付けた。
凪の両耳には、ペイルブルー色のイヤリングが揺れている。
それを携帯のカメラで確認した凪は、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「……ありがとうございます。大切にします」
「気に入ってくれて嬉しいよ」
そう言って、律希は凪の頭を優しく撫でる。
そんな律希のことを見ながら、目を細めて微笑む凪。
二人の頬を、春の温かな風が優しく撫でた。
――耳飾りを送る意味。
そばにいたい。貴方を守りたい。
律希はそんな願いを込めて凪に送ったが、凪がそれに気づく日はもう少し後の話。
そして四月になり、律希と遥人は高校三年生、凪と海都は高校二年生になった。




