第四十九話
――夜。律希の家にて。
夕食後、律希はリビングのローテーブルで、理央に勉強を教えていた。
「……で、こうなる。分かった?」
「おう! ありがとー! リツ兄!」
理央がニコッと嬉しそうに笑う。
律希はフッと笑った後、チラリとダイニングテーブルに目を向ける。
そこには母親と話している父親がいる。
――……今更関係をどうこうしようとか、ないけど……。……話って何をすれば……。
律希は険しい顔で、悶々と考える。
そんな律希を見ていた理央が、小さくため息をついた。
「……ほんっと、似た者親子」
「……? 何か言った?」
律希はキョトンと首を傾げた。
「なーんも。……あ、母さん〜。僕の部屋にあるやつで分からんやつあってさ〜。見てくれん?」
そう言って、理央は母親の腕を引っ張り、リビングから出ていった。
大方、父親と律希の二人で話す時間を、意図的に作ったのだろう。
律希は突然の状況に、目を白黒させた。
――……い、いやいや。何してんの、理央……。普段そんなこと言わないじゃん。明らかに変……。
そこで律希はハッとして、口元を手で押さえる。
「……まさか、バレて……」
その時、律希の近くに父親がやってきた。
「……律希」
「…………何だよ」
律希はプイッとそっぽを向いて、父親と目を合わそうとしなかった。
そんな律希を気に留めず、父親は静かにソファに腰掛ける。
「…………もう、遅いと思うが、お前に謝りたいんだ」
その言葉を聞いて、律希は目を見開いて父親を見た。
そこで久しぶりに父親と目を合わす。
「……な、……何を今更……」
「分かってる。俺達がお前に何をしたのかも、お前に何もしてあげられなかったことも。そのせいでお前は、辛い思いをしていたことも……」
そこまで聞いていた律希は強く拳を握って、ローテーブルをダンッと叩いた。
そして険しい表情で、父親を睨む。
「……ふざけんなっ……! 今更そんなことを言われて信じる訳が……」
――……違う。こういうことを言いたいんじゃない……。
律希の態度に父親は動じず、淡々と自身の想いを告げ続ける。
「信じてくれとは言わない。ただ、少なくとも俺は、前みたいに律希と話したいと思ってる」
律希は下唇をグッと噛み締めて、ギリギリと拳に力が込もる。
――……おれは、仲良くなんて……。
律希が少し後退った時、律希の手がテレビのリモコンに触れ、電源が入った。
テレビに映った映像には、今よりも幼い凪の姿が映っていた。
それに律希は目を見開いて驚く。
「――っ、な、何で……」
テレビの文字には"蓬野凪、復帰!!"と書かれており、昔のドラマなどの映像が流れていた。
パッと画面が変わり、どこかのスタジオの映像になる。
『今まで活動休止をしていた役者の蓬野凪さんが、復帰されるとのことです! 今夜は本人に来ていただいています!』
『皆様、こんばんは。元気にお過ごしでしょうか?』
そう言って、テレビの中の凪は、首を傾げて優しく微笑んでいた。
これには父親も驚いたようで、目を見開いている。
「……この子は、前に家に来ていた……」
「……蓮實、さん……?」
律希はテレビの向こうの凪から目を離せなかった。
『いや〜、ファンの皆さんは待ち望んでいたんじゃないですかね! 斯く言う俺もその一人でして! 三年前のドラマ、今でも見直してますよ!』
リポーターが目を輝かせて話す横で、凪は口元に手を当ててクスクスと笑う。
『今でも私のことを知ってくれている人がいるのは、嬉しいです。ありがとうございます』
『何で復帰を決めたんですか? 何か怪我をされていたとか?』
リポーターが凪にマイクを向ける。
凪は困ったように眉を下げて、ゆっくりと口を開いた。
『普通の学生生活を送ってみたくて事務所にお願いして休止という形を取っていたんです。復帰した理由は……』
その時、凪はカメラの方を見て律希に向けるような、優しい表情をする。
『また、勇気づけたいと思ったんです』
凪のその言葉に、律希は胸がドキリと高鳴る。
自分に言われたことでもないのに、自分に言われたような感覚に陥った。
――……もしかして、おれのために……?
そこで律希は俯き、瞳を潤ませて笑った。
「……本当に、君はおれの神様だよ……」
律希は拳を握り締め、意を決したように父親の方を見た。
そしてゆっくりと口を開く。
「……おれは、普通でよかった。普通に家族で暮らして、普通に話して、時々喧嘩して。そんな普通の家族が……」
父親は目を丸くして律希を見る。
「おれはあんたも、母親も許さない。許すつもりもない。でも……」
律希は気恥ずかしそうに頬を染めて、顔を父親から逸らした。
一呼吸置いて、ボソボソと小さい声で呟く。
「…………あんたとなら、最低限の会話ぐらいなら、してやってもいい……」
その言葉に、父親は目を見開いて驚いた表情を浮かべた。
そして律希と似た、優しい表情で微笑む。
「……あぁ。ありがとう、律希」
律希はチラリと父親を見ると、すぐに顔を逸らしてテレビに映る凪の方を見た。
凪の言葉に、リポーターがうんうんと力強く頷いている。
『蓬野さんの演技って元気貰えるって評判ですからね! 直近でお仕事あるんですか?』
『いやぁ、まずはリハビリでレッスンからですね。そんなすぐお仕事貰えませんよ〜』
『またまた〜。蓬野さんなら、すぐにお仕事貰えますよ! ファンの皆さん待ってますから!』
そう言って、リポーターの締めの言葉に入り、番組は終わった。
律希は小さく息を吐いて、視線を下に向けた。
「……ありがとう。蓮實さん……」
律希の様子に父親が何かを言いかけた時――。
「リツ兄――! 勉強の続き教えて――!」
理央が勢いよく扉を開けて、リビングに入ってきた。
父親と律希はビクッと肩を震わせて、理央に視線を向けた。
理央は首を傾げてキョトンとする。
「……どったの? 二人して僕のこと見て」
「何でもない。長く勉強し過ぎないようにな」
それだけ言って、父親はリビングから出ていった。
リビングに二人だけになった途端、理央がスッと律希の隣に来て耳打ちをする。
「…………怒った?」
「やっぱり気づいてたんじゃん。気なんて利かせなくていいんだって」
律希はため息をついて、肩をすくませた。
そんな律希の顔を覗き込むように、理央は机に突っ伏して見上げる。
「だって、僕はいつだってリツ兄の味方だし? リツ兄が望む事はするってのが、僕のポリシー」
「…………変なポリシーは堂々と掲げない方がいいよ」
律希は苦笑いを浮かべて、理央の頭を撫でた。
「……まぁ、ありがとう。ちょっと楽になった」
理央は嬉しそうに目を細める。
「……へへ。僕、リツ兄のこと大好きだかんな」
「知ってる」
律希も同じように目を細めて、微笑んだ。
* * *
――同時刻、凪の家にて。
凪は自身の復帰告知の番組が終わると、大きく息を吐いてソファにもたれる。
それと同時に、玄関の扉が勢いよく開く音が聞こえ、バタバタとリビングまで駆けてくる足音が響く。
リビングの扉が勢いよく開くと、そこには肩で息をしている海都が立っていた。
「やっぱり来た。その様子だと見てくれたの?」
「……っ、お、おま……! 何で……!」
焦った表情の海都とは対照的に、凪はケロリと笑っていた。
「私の出来る事をしただけだよ。……あと、私は演技が好きだから」
凪の言葉を聞いた海都は、ズカズカと中に入り、凪の隣に腰掛けた。
そしてブスッとした表情を見せる。
「………………一言、言ってくれてもいいじゃねぇか。俺ぐらいには……」
「……うん、ごめん。驚かせたかったのもあるけど、いざ口にするのが怖くって」
凪は少し俯いて、両手を膝の上で遊ばせる。
「男装辞めたのも、役者復帰するのも、後悔はしてはない。けど、怖いもんは怖い。……また昔みたいに……、って……」
その場に沈黙が流れる。
凪の話を聞いた海都は大きくため息をついて、近くにあったクッションを、凪の顔に軽く投げつけた。
「――っ!? ……ちょ、何すんの!?」
凪は軽く咳き込み、キッと海都を睨む。
「何って、何も分かってねー奴への制裁だよ」
「…………は? 制裁……?」
訳の分からない凪はキョトンとする。
海都は凪の方を向き、しっかりと凪を見据えた。
「……言われねー方が嫌だ。それは律希センパイも同じだろ。心配、掛けさせてくれよ」
「――っ、海都……」
凪はクッションをギュッと握り締めた。そして、安心したように微笑む。
「……ありがとう。ごめん……」
「おう。何があっても俺が――」
海都はある言葉を言いかけたが、ピタリと止まった。
海都の様子に、凪は首を傾げて心配そうに顔を覗き込む。
「……海都?」
その凪の表情が視界に入り、海都はハッとして何でもないかのように笑った。
「…………何でもねぇよ。何があっても、律希センパイがカッコよくて守ってくれるって!」
そう言って、海都は凪の頭を乱雑に撫でた。
――……俺が守る、なんて言葉……。もう、言っちゃいけねぇのに……。
海都はグッと口を結んで、その場に立ち上がった。
「……急に来て悪かったな。帰るわ」
「え? ついでにご飯食べてったら?」
「いーよ。明日の授業の予習してねーし」
リビングの扉まで歩き、海都は振り返って笑う。
「……じゃあな、凪。また明日な」
「う、うん。また明日……」
ぎこちなく手を振る凪に、海都も片手を上げてリビングを後にした。
凪の家を出て、隣の自分の家の玄関まで来た海都。
玄関の扉にもたれかかり、ズルズルとその場にしゃがみ込んだ。
「……油断するとダメだな。ただの幼馴染でいいって言ったけど、キツいもんだな……」
海都は大きくため息をついて、俯く。
――……それでも、隣にいるって決めたのは俺だろ……。慣れろ、いちいち落ち込むな……。
立ち上がって両頬を勢いよく叩く。
「…………っし。大丈夫……」
そう呟いて、海都は玄関の扉を開けて中に入った。




