第四十八話
――学校。凪と海都の教室にて。
凪は先日の律希の家での出来事を思い出し、ボーッと考え込んでいた。
頬杖をつき、外の景色を眺める。
――……律希さん。……もう、諦めてるって前も言ってたけど、それなら何で……。
「……あんなに辛そうなんだろう……」
深く考え事をしている凪の目の前に、顰めっ面をした海都が顔を覗かせた。
「……おい。挨拶してるのに無視かよ」
「――――っ!?!? か、海都!?」
凪は驚きの余り、椅子から崩れ落ちて尻餅をつく。
凪の驚き様に、海都は口を開けたままポカーンとした。
「え、悪い。まさかそんな驚くと思わなくて」
「……いや、私が考え事してたから。おはよう、海都」
「おう。……で、なーに考えてんの?」
海都は自身の席に荷物を置き、椅子に座った。
そして頬杖をつき、ニヤリとする。
「ま、お前のことだし、律希センパイのことだろ?」
「………………私の思考回路を読まないでください」
「図星かよ」
海都は、はぁ――と大きいため息をついて肩をすくめた。
そんな海都の様子に、凪は少し頬を膨らませる。
「……そんな、あからさまにしなくても……」
「案の定過ぎて拍子抜けしたんだよ。……で、それは一人で考えたいやつ?」
海都が真面目な表情で凪に聞いた。
凪は少し黙った後、小さく首を横に振る。
「……私一人じゃ、分からないから聞いて欲しい」
「おう」
凪は一度深呼吸をして、ゆっくり口を開く。
「……律希さんの、辛いことを一緒に背負いたいのに、背負わせてくれない……」
「それが凪は嫌なの?」
「嫌。……だけど、それが律希さんにとってはしんどいのかなって思うと……、……恩着せがましいことになるんだろうなぁって……」
海都は黙ったまま、凪の話を聞いていた。
お互い何も話さない時間が流れる。
少しした後に、海都が口を開いた。
「……いいんじゃねぇの。恩着せがましくても」
「…………え?」
そこで凪は驚いたように、目を丸くして海都を見る。
海都は至って真剣な表情を浮かべていた。
「あの人って、人から何かされたこととかなさそうじゃん? だから凪から何かしてもらえただけで、嬉しいと思うけど」
「そういうもん?」
「そういうもん」
あまりにも単純な回答過ぎて、凪は思わず吹き出して笑い出した。
「……っふ、あはは……! 何それ。そんな単純な問題じゃないんだけど」
「知らねーよ。男ってのはみんな単純なの」
「律希さんは複雑だよ」
「うぜ――。そういうのいらねぇよ」
海都は天を仰ぐように天井を見上げて、大きく息を吐いた。
そして天井を見つめたまま、目を細める。
――……俺だって、単純だよ。お前が頼ってくれるだけで、こんなに嬉しいんだから……。
その状態で何も言葉を発しない海都を、凪のは首を傾げて心配そうに見つめた。
「……ね、ねぇ? 大丈夫……?」
そんな凪に、海都はため息をついた。
「ば――か。俺よりも自分達のこと考えろよ」
海都は眉を顰めて、凪にデコピンをする。
凪は額を摩りながら、頬を膨らませて海都を見た。
「デコピンする必要、ないよね?」
「俺がムカついたから」
「私、何もしてなくない?」
「知らなくて結構」
そう言って、海都は前を向いて授業の準備を始めた。
凪は微笑んで、小さい声で呟く。
「……ありがとう、海都……」
――……今日は律希さんと、ちゃんと話さないと……。
凪は机の下で、グッと強く拳を握った。
* * *
――放課後。
凪は律希のいる教室をそーっと覗き、律希がいるかを確認する。
キョロキョロと見ていると、一人の男子生徒が凪に気づいた。
「……あれ? 一年生? 誰かに用事?」
「えっ! あ、はい! ……園田律希さんは、いますか……?」
その言葉を聞いた男子生徒がハッとして、凪にズイッと詰め寄る。
「も、もしかして! 園田の彼女!?」
彼の問い掛けを他の生徒も聞いていたのか、一斉に凪の周りに集まってきた。
「うっそ! 噂の彼女!? めっちゃ可愛いじゃん!」
「しかも年下かよ!?」
「芸能人みたい! 顔ちっさい!」
一気に囲まれた凪は、目をグルグルと回して両手をパタパタとさせた。
――……ど、どど、どうしよう……!? まさかこんなことになるとは……! しかも律希さんいないし!
凪はその場から離れようと一歩、足を後ろに下げる。
その時、凪の身体は誰かに引き寄せられて、誰かの身体にポスンと収まった。
凪の耳には、聞き慣れた息遣いが聞こえてくる。
「……はぁ、はぁ……。何、してるの……?」
律希は肩で息をして、焦った表情でクラスメイト達を見つめた。
「律希さん!」
凪が安心したように律希を見上げた。
凪の視線に気づいた律希は、優しく微笑んで頭を撫でる。
「大丈夫? 何もされてない?」
「だ、大丈夫です! ありがとう、ございます……」
そんな二人のやり取りを見ていたクラスメイト達は、ニヤニヤと律希を見る。
バツが悪そうに眉を顰める律希。
「………………何?」
「いやぁ? 園田も彼女の前だと、そんな顔すんだなーって思って」
「……うるさい」
律希は顔を逸らして、凪の身体を抱き寄せたまま歩き出した。
そして顔だけクラスメイト達の方を向く。
「この子に何かしたら、許さないからね」
それだけ言って、律希と凪はスタスタと歩いていった。
その場に残されたクラスメイト達は、お互いに顔を見合わせる。
「……園田って、やっぱり遥人の友達なんだな……」
「同じ雰囲気あったよね」
ヒソヒソとそんなことを話している彼らに、遥人が怪訝そうな顔をして話し掛ける。
「……何してんだ、お前ら」
クラスメイト達はパッと遥人の方を見る。
一気に視線を浴びた遥人は、ビクッと身体を震わせた。
「な、何だよ」
そんな遥人を見て、ニッコリと笑うクラスメイト達。
「「べっつに〜?」」
遥人は何も分からないためか、首を傾げるしか出来なかった。
――空き教室にて。
律希は凪の肩を抱いたまま、扉を開けて中に入る。
中は閑散としており、しばらく使われていなさそうだった。
「……ここなら、いいかな……。……ごめんね、うちのクラスの人達が」
そう言って、律希は凪を離す。
「いいえ! 私が軽率にクラスに行ったせいなので。むしろすみません」
シュンと落ち込む凪の頭を、律希は優しく撫でた。
「いずれバレる事だし、気にしないで。おれからテキトーに言っとくから」
律希は手を下ろして、ジッと凪の顔を見つめる。
「……で、この前のこと、だよね?」
「そう……、です。律希さんは、辛くないんですか……?」
凪がそう言うと、律希は眉を下げて笑う。
「辛くないよ。だって、何年あの家で過ごしてきたと思ってるの? もう慣れたよ」
その律希の姿を見た凪は、胸が締め付けられるように痛んだ。
凪は唇をグッと噛み締めて、律希に詰め寄る。
「……律希さん、前に言ってくれましたよね。一緒に背負っていきたいって……」
その言葉を聞き、律希は無言で目を見開いた。
「……私だって、同じ気持ちです。律希さんの辛い事、嫌な事、全部一緒に背負いたいです」
凪は、ジッと律希の瞳を見つめた。
「…………だから、本当の気持ちを教えてください……」
「――っ、本当の、……気持ち……?」
律希は口の中で咀嚼するように、そう呟いた。そして視線を下に向ける。
――……おれの、本当の気持ち……。おれがどうしたいかなんて分かりきってることだろ。……あんな家から早く出ていって、両親と縁を……。
そこまで考えた時、小さい頃の自分の映像が脳内に流れ込んできた。
――膝を抱えて部屋の隅で泣いている律希。
――ニコニコと笑う理央の隣を、羨ましそうに見つめる律希。
――そんな理央が生まれた時、笑顔で嬉しそうにしている律希。
――「素敵なお兄ちゃんになるんだよ」と、両親から頭を撫でられている律希。
律希はそこまでの記憶を思い出し、腑に落ちたように目を丸くさせる。
――……あぁ、そっか。今まで蓋をしていたから気づかなかっただけで、本当は……。
ざぁ、と外で風が吹く音が聞こえる。
律希は俯いたまま、ゆっくりと口を開き、小さい声で呟く。
「……普通の、家族になりたかった……」
「………………言えるじゃ、ないですか……」
凪は目に涙を溜めたまま、律希の身体に寄り掛かる。
そんな凪の身体を、律希はギュッと抱き締めた。その時、僅かに律希の身体は震えていた。
「……っ、……蓮實さんは、本当にズルいなぁ……」
震える声で言葉を発しながら、凪の肩に顔を埋める律希。
凪も律希の背中に手を回し、優しく受け止める。
「……貴方も大概ですよ。私がこの格好するようになったのも、貴方のおかげです」
「…………最初はそんなつもりなかったけどね」
「そうですね。律希さん、めっちゃドライでしたから」
「ごめん」
「気にしてません」
そう言って、凪は律希から離れてニッコリと笑った。
「私は、どんな律希さんでも、大好きです…… !」
その瞬間、律希の瞳が揺れて息を呑んだ。
――……こんなにも近くに、おれのことを大切にしてくれる人がいるのに。昔のことをズルズルと引き摺って、馬鹿だろ、おれ……。
律希は大きく息を吐いて、その場にしゃがみ込み、自身の前髪をくしゃりと掴む。
「………………ほんっと、馬鹿だな……」
「……? 律希さん、どうし――」
凪は律希の様子を伺おうと、同じようにしゃがんで尋ねたが、その言葉が音になることはなかった。
目を開けたままだった凪は、至近距離で律希と目が合った。
一度離れた後、凪は口をパクパクさせた。
「な、な……、なな、何で今!?」
「今だからこそ、したくなった」
「答えになってないです! ……って、私の話はまだ――っ……!」
律希はグイッと凪に近づいて、後頭部を片手で支えて唇を重ねた。
いつもよりも長いその時間に、凪は息苦しくなり、目に涙を溜める。
律希が離れて凪を見ると、凪は目を潤ませて顔を真っ赤にさせていた。
そんな凪の表情を、律希は満足そうに微笑む。
「…………おれの一番は、蓮實さんだよ」
「……………………知ってます。今、再度分からせられました」
凪は頬を膨らませて、プイッとそっぽを向いた。
すると、律希は凪の頬に手を伸ばして優しく撫でる。
「……ありがとう。蓮實さんのおかげで、勇気出た」
「……それなら、良かったです……」
凪は顔を逸らしたまま、顔を真っ赤にさせて口を尖らせていた。
そんな凪も愛おしいと感じる律希はクスッと笑って、頬を撫で続ける。
「……年下扱いしてますか?」
視線だけ律希の方に向けて、拗ねた表情で尋ねた凪。
律希は小さく首を横に振った。
「違うよ。彼女扱い」
そう言って、律希は頬を撫でていた手を頭に置いた。
――……この子は、おれが躊躇することにも手を引っ張ってくれる。まるで……。
「神様みたいだね」
「……だ、誰がですか……」
困惑した表情を浮かべた凪は、不安げに聞く。
「……内緒」
律希は口元に人差し指を当てて、ニヤリと微笑んだ。




