第五話
――五年前。
隣の家に引っ越してくる家族がいると、親から聞いた海都だったが、海都はさっぱり興味が湧かなかった。
何故なら、この頃の海都は周りよりも大人びており、同級生が子どもっぽく見えてしょうがなかったためだ。
――……どうせ俺と同じくらいの思考回路してる奴じゃねーし、興味ねー……。
海都は、隣の家だから仲良くしろと言われる未来を想像して嫌気が刺していた。
一生挨拶に来んなとまで思っていた。
だが、その時はやって来た。
海都の自宅のインターホンが鳴る。
母親が出て、明るく挨拶している声がリビングにいる海都の耳に入る。
そして、ニコニコして海都を手招きする母親。
「海都と同じ歳だって! 海都もほら! ご挨拶!」
「…………行かねぇ。興味ねぇから……」
海都はチラリと母親の方を見るが、すぐにテレビに目を移した。
母親はそんな海都の近くに来て、手首を掴んだ。
「そんな大人ぶってないで来なさいよ〜」
「ちょ……! 離せって!」
海都はそのまま母親に玄関に連れてかれる。
そのまま苛立ちを表情に浮かべながら、玄関先に立った。大きなため息をついて、海都は正面を向く。
「……で、誰?」
「あ! コラ!! ……すみません。この子ったら少し偏屈で……」
母親は海都の後頭部を軽く叩く。
海都は母親から叩かれた後頭部を摩りながら、母親を睨んだ。
そんな二人のやりとりを見ていた、挨拶に来た隣人はニコニコとしていた。
「気にしないでください! ウチの子も変に大人びてるというか、達観しているので分かりますよ。……ほら、凪。ご挨拶」
そう言って、隣人は女の子の背中を軽く押す。
「……蓮實凪です。よろしくお願いします」
凪は軽くお辞儀をする。
凪を見た海都は、他の同年代の子どもと違った雰囲気に目を丸くする。
そんな凪を見て、黙ったまま立っている海都の肩を、母親は肘で軽く小突く。
「ほら、あんたもご挨拶」
そこで海都はハッとして、ブスッとしたまま自己紹介をする。
「…………俺は、櫻庭海都……。まぁ、よろしく」
「もっと笑いなさいよ、あんた。ごめんね〜、凪ちゃん」
「いえ、大丈夫です」
そう言って、凪は母親にニッコリと笑いかける。そんな凪の様子に、海都は簡単に目を奪われた。
ボーッとしている海都に母親は、背中を軽く押した。
「なにボーッと突っ立ってるのよ。これからお隣さんで、同級生になるんだから」
「うっせーな。……分かってるよ」
海都は口を尖らせて、視線をやや下に向ける。
――……こんな奴、今までいなかった……。俺と同じくらいの奴……。
そんな海都は、チラリと凪を見る。
凪は海都からの視線を感じ、海都を見て首をコテンと傾げた。
凪と目が合った海都は、肩を震わせて顔と耳を赤らめる。
「――っ!? ……、……っ……」
「……? えっと、海都くん? 顔赤いけど熱ある?」
そう言って、凪は海都の額に手を近づけるが、海都は慌ててその手を振り払った。
「……っ、だ、大丈夫だよ! ちょっと暑いだけだ」
「照れてるのね、海都。あんた、可愛いとこあるじゃない」
「うっせ。俺はもう行くからな」
海都は居た堪れなくなり、その場から離れようとする。
「――、待って!」
そんな海都の手を取った凪。
海都は振り返って、凪の顔を見る。
「…………何?」
「えっと……。私、知り合いとかいないから海都くんと会えてよかった。これからよろしくね」
そう言って、凪は優しく微笑む。
海都の顔が一気に真っ赤になり、海都は静かに頷いた。
* * *
――ある日曜日の昼間。
海都がリビングで寝転びながらテレビを見ている時だった。
テレビに突然、凪が映し出された。
海都は驚きから飛び起きた勢いで、机に思いきり膝をぶつけてしまう。
海都が膝をぶつけた音に、母親が慌てて駆けてきた。
「海都、大丈夫!? すっごい音したけど!?」
「だ、大丈夫……。……っ、膝ぶつけただけだから……」
「それならいいけど。……あ! これ凪ちゃんが出てるドラマの番宣じゃない!?」
母親が目を輝かせてテレビの前に座った。
海都は母親の言葉に目を丸くさせる。
「……は? ドラマ? ……あいつって何してんの?」
「言ってなかったっけ? 凪ちゃんって役者さんなのよ?」
「…………はぁ――――!?」
――近くの公園にて。
ベンチに座る凪に、詰め寄る海都。
「……え? 何?」
凪は訳が分からず、目をパチパチさせている。
「お前って役者だったの?」
「あ、テレビ見てくれたんだ。てっきり知らなかったのかと思ってたよ」
「たまたま見たんだよ! ……何で言わなかったんだよ」
海都が俯きがちにボソボソと呟いているのを見た凪は、クスッと笑う。
凪の様子に海都は顔を赤くさせた。
「な、なに笑って……!」
「ごめんごめん。言わなくてもそのうち知ることになるからいっかーと思って」
そこまで言って、凪は「それよりも」と言葉を続ける。
「初対面であんなに冷たかったのに。どういう心境の変化?」
そう言われた海都は言葉を詰まらせる。そして、目線を泳がせながら話し出した。
「あの時は、その……。周りには俺より馬鹿な奴しかいないって思ってたから……。お前は違うって分かったから」
言葉を紡ぐ海都の様子に凪は目を丸くした後、すぐに噴き出して笑い出した。
凪が笑う様子に、また海都は恥ずかしそうに顔を赤くした。
「……さっきから笑い過ぎだろ……」
「ごめんって。君がそんな風だと思わなかったから」
凪は一頻り笑うと、海都に手を差し出した。
海都はポカンとしてその手を見つめる。
「…………なんだこれ」
「なんだって、握手だよ。今の君なら仲良くできそうだなって思ったから」
「……っ、そうかよ……」
海都は凪の手を取る。そして、二人は握手をした。
「私のことは凪って呼んでよ。私も君のこと海都って呼ぶからさ」
「……おう」
海都は照れたように凪から視線を逸らした。
* * *
――凪、海都の中学時代。
凪の教室の外からバタバタと足音が聞こえ、勢いよく後ろの扉が開いた。
そこには笑顔の海都がいる。
「――凪! 一緒に帰ろうぜ!」
キラキラした目を向ける海都に、凪はうんざりしたような表情を浮かべる。
「……海都。毎回毎回、迎えに来なくてもいいって言ったよね?」
「迎えに来ねーと勝手に帰るじゃん、お前」
「うん」
「うん、じゃねーよ!! 早く帰っていつものやろうぜ」
そう言って、海都は躊躇なく教室の中に入ってきて凪の席まで来た。
教室中の注目の的はもちろん彼ら。
凪は大きなため息をついて、席を立つ。
「こうやって目立つから迎えに来ないでって言ってるのに。そんなに一緒に帰りたいなら待ち合わせにしよ」
「毎日一緒に帰ってくれんの?」
「仕事ない時はね」
凪は荷物をまとめながらそう言った。
すると、海都は一気に目を輝かせて嬉しそうに凪の肩に手を回した。
「よっしゃ! 言質いただき〜」
「…………やっぱやめとこうかな、一緒に帰るの」
「なんでだよ!! 昔は会えてよかったとか言ってたくせに」
「記憶にないでーす」
「図星かー?」
凪はスタスタを歩き始め、後ろでちょっかいをかけてくる海都をテキトーにあしらう。
凪が教室を出ていったのと同時に、教室にいた女子生徒がコソコソと話し出す。
「……蓮實さんと櫻庭くんって、どういう関係?」
「さぁ? 櫻庭くんをあんな風にあしらうなんて酷くない?」
「天才役者だからって調子乗りすぎでしょ」
そうやってヒソヒソ話す女子生徒の方を振り返った海都は、ジロリと睨む。
彼女らは、海都の視線にビクリと肩を振るわせた。
「…………お前らに凪の何がわかんの? 何も知らないのにテキトー言ってんじゃねーよ」
それだけを言って、海都は教室を出た。
先を歩いていた凪は、一歩後ろにいた海都に違和感を覚えて振り返る。
「……? どうしたの? 何かあった?」
「な――んも。お前の良さは俺だけが知っていたい的な?」
「え、怖。やっぱ一緒に帰るのやめる」
「冗談だって。そんなこと言うなよ〜」
そう言って、海都は凪の肩を組む。
そんな海都の様子を見た凪は少し驚いたように、目を見開いた。
凪の表情に、海都は疑問の表情を浮かべる。
「……んだよ、その顔」
「昔と立場が逆転したなぁって思っただけだよ」
「は? どういうこと?」
凪の言っていることがイマイチ分かっていない様子の海都に、凪は呆れたような目を向ける。
そんな目を向けられた海都は、眉を顰めた。
「だからなんだよ!」
「海都ってそんな馬鹿だったっけ?っていう顔」
「少なくともお前に負けたことねぇぞ」
「勉強じゃないってば」
海都は凪の言葉を聞いて、ますます分からないといった表情を浮かべる。
「昔は私が仲良くなろうってしてたけど、今は海都の方から来てるなーって話」
「俺からって……、そんなことねぇけど」
「無意識なの怖いんだけど」
凪は怪訝そうな表情をする。
「いーじゃん、昔のことなんて。今はこうして一緒に帰る仲になってんだからさ」
そう言って、海都は肩を組んだまま歩き出す。
凪もされるがままで歩く。
校門までやってくると、夕陽が明るく街を照らしていた。
「おぉ〜、でっけー夕陽じゃん」
「夏だからじゃない? 太陽近くなるって言うじゃん」
「そっか、もう夏か。……なぁ、凪。……夏祭りとか、行かね?」
そう言って、海都はスイスイとスマホを操作して画面を凪に見せた。
そこには近所の夏祭りの要綱が表示されていた。
「……二人で?」
「もちろん。俺と凪の二人で」
凪は少し考えた後、スマホのカレンダーアプリを見て言った。
「…………いいよ。その日は仕事もないし」
「よっしゃ!! 約束だかんな!」
海都はニコッと笑う。夕陽に照らされた海都の笑顔は、太陽のように眩しく見えた。
凪は少し目を細めて、「分かったよ」と言う。
* * *
――夏祭り当日。
海都は、凪の家の前の塀にもたれながらスマホを見て凪を待っていた。
ガチャと玄関が開く音が聞こえ、海都は視線をそちらに向ける。
そこには浴衣を着て、ヘアセットもしている凪が立っていた。
「…………え、なんで?」
目を丸くして驚いている海都に、凪は言い訳するように早口で話し出した。
「わ、私が言い出したんじゃないから! お母さんに海都と夏祭り行くって言ったら着て行きなさいってうるさくて仕方なく! 髪の毛もお母さんが無理矢理……!」
「え、あ、お、おう……」
今まで見たことないくらい動揺している凪は、赤い顔を両手でパタパタと仰ぐ。
そんな凪を見た海都は、思わず吹き出した。
「……ふ、……あはははっ!! 笑いが、止まんねぇ……っ、ははは……!」
「ちょっと! 笑い過ぎ……、――っ!?」
海都の態度を苛立ちを覚えた凪が詰め寄ろうとした時、段差で躓いてしまう。慣れない浴衣で足元が覚束なかったためだろう。
倒れると思った凪は目をギュッと瞑るが、地面に倒れることはなかった。
凪が恐る恐る目を開けると、海都が受け止めてくれていたのだった。
「……あっぶね……。慣れねぇことすっからだ」
「あ、ありがと……、っでも! 揶揄いすぎだし! そんなに変!?」
凪は海都の腕の中で、ヤケクソになって大声を出す。
そんな凪を落ち着かせるように、海都は凪の頭を撫でながら言う。
「……んなこと言ってねーだろ。いいんじゃねぇの? 浴衣、似合ってるよ」
「――っ!? ……あっそ」
「あ、照れてる? あの凪が?」
「うるさい! ばーかばーか!」
顔を真っ赤にさせた凪は、海都の腕を振り払って先に歩き始めた。
凪の背中を見て、海都は思わず笑みが溢れる。
「……かわい……、……っ!?」
溢れ出る言葉を手で押さえて、海都は視線を逸らし、そのまま俯く。
――……好き……なのか? あいつのこと……。
先に歩いていた凪は振り返って、首を傾げる。
「何してんの? 行かないの?」
「……っ、あぁ。行く行く」
海都は少し頬を染めながら、凪の隣を並んで歩いた。
――夏祭り会場にて。
近所とはいえ、大きなお祭りなためか、多くの人で賑わっていた。
「人多すぎじゃね?」
「誘った本人がそれ言うの? ここ、意外と人いっぱいだよ」
「そうか。……じゃ、迷子にならないように手でも繋いどくか?」
そう言って、海都は凪に手を差し出す。
凪は目をぱちくりさせ、その場で硬直した。
「…………私たち、もう中二だよ。手だって繋いだの何年前の話?」
「お前浴衣じゃん、今日。転けて挫くとかぜってーするぞ」
「しないよ」
「どうだかな」
海都は肩をすくませる。
凪が海都の顔を手を交互に見つめて、そっと自身の手を海都に添えた。
「……仕事に支障出るのは嫌だから。それだけだから」
「照れ隠し?」
「違うし、馬鹿」
「わーったよ。ほら行くぞ」
海都はそのまま凪の手を握ったまま、歩き出した。
手を握られたままの凪は、海都の背中を見ながら歩く。
「……、……?」
その時に、小さい頃の記憶の中にある海都の手の大きさと、現在の手の大きさとの相違を感じた。
凪は、歩きながら海都の手を見る。
その海都の手は、昔よりも大きくて角張っていた。
――……海都の手、昔よりも大きい……?
意識し出した凪は、顔を赤くさせて握られた手をぶんぶんと振る。
凪の挙動に、海都は振り返って眉を顰めた。
「いやいや、何してんの? 離したら転けるって言っただろーが」
「こ、転けないから! 一人で歩けるから!」
「そう言って照れてるだけだろ〜? ほらいーからいーから」
凪のことなどお構いなしに、海都は手を掴んだままズンズン進む。
そんな海都の背中に向かって、聞こえないぐらいの声で凪は呟いた。
「…………馬鹿」
「……? なんか言ったか?」
「な――んも。海都って実は強引だったんだなって思っただけ〜」
「はぁ? 何言ってんの?」
海都は怪訝そうに凪を振り返って言った後、可笑しくなったのか吹き出した。
凪も釣られて笑い出す。
――数時間後。
二人は屋台などを一通り見終わって、花火会場で座っていた。
「は――、満喫したなぁ。凪、足は平気かよ」
「大丈夫だって〜。ほら、どこも擦ってない」
凪は大袈裟だとでも言うように、下駄を脱いで素足を海都に見せた。
「大丈夫ならいいんだよ。あと軽率に足見せんな」
「足のこと聞いてきたのそっちじゃん。理不尽」
「…………俺はお前の今後が心配だよ」
「馬鹿にしてるよね?」
凪が海都に詰め寄った時、一気に明るくなった。
花火が打ち上がり、音と光が会場を包み込む。
その時に暗がりでよく見えなかった二人の顔が、花火の光で照らされる。
目と鼻の先にある互いの顔の距離は、あまりにも近すぎた。
「…………――っ、か……」
顔を真っ赤にさせて目を潤ませる凪。
その表情を見た海都は、目を見開いた。そしてそのまま、凪の頬に手を伸ばす。
海都の手が凪に触れた時、今日一番の大きな花火が上がった。
花火の光で見えた二人の瞳には、互いの顔が映っている。
海都から見えた凪は、目を見開いて口を震わせていた。それは海都が今まで見た凪の表情の中で、初めての表情だった。
「……凪……」
――……ダメだな。怯えさせるようなことするなんて……。
海都はフッと笑って、凪の頬に触れていた手を静かに下ろす。
ちょうど花火の光が消え、暗がりに戻る。
花火が終了のアナウンスが流れた。
海都は立ち上がって、凪に手を差し伸べる。
「……帰ろうぜ。これ以上は補導されっから」
「うん、そうだね……」
凪は素直に海都の手を取る。
凪が立ち上がったと同時に、海都は凪の手を強く握りしめた。
「…………また来ような、夏祭り」
そう言う海都を見上げて、凪は微笑んだ。
「……もちろん。今度は海都も浴衣着て来てね?」
「それはまぁ、うん。考えとく」
「絶対着ないやつじゃん」
「覚えてたらな」
二人は他愛無い話をしながら帰路についた。その時、手を繋いだままだった。




