第四話
――数十分前、律希の教室前にて。
中途半端なタイミングで海都に呼び出された遥人は、すこぶる機嫌が悪そうな様子でドアにもたれる。
その前で、そんな遥人に動じずにニコニコと立つ海都。
「…………で、何だよ」
「今日、部活のことで話あるって昨日言ったじゃないですか。もう忘れたんですか?」
「今じゃなくていーだろ。部活前とかで」
「律希センパイとの会話を邪魔されたからって、そんな不機嫌にならないでくださいよ」
「なってない」
「嘘つけ」
――……律希絶対主義者多すぎんだろ……。
海都はため息をついて、一枚のプリントを遥人に渡す。
それを受け取って中身を見た遥人は、眉を顰めてプリントを二つ折りにする。
「……やっぱり部活前でよかったじゃねーか。しばくぞ」
「これをずっと持ってたくないです」
「……まぁいいや。確かに受け取った」
遥人はそう言って中に入ろうとしたが、ピタッと止まった。そして海都の方を振り返る。
「海都。お前と同じ学年の蓮實凪って知ってるか?」
「知ってるもなにも幼馴染ですよ」
「…………はぁ――!? 幼馴染!?」
遥人は驚いて大声を上げる。
至近距離で大声を喰らった海都は、両耳を塞いで顔を顰めた。
「鼓膜破れるって。……で、凪がどうしたんですか?」
「あいつに言っとけ。これ以上、リツに関わるなって」
海都は目をパチパチさせ、スンッと真顔になる。
「……直接言えばいいじゃないですか。何で俺を経由してまで……」
「言った」
海都の言葉に被せるように、食い気味に遥人は答える。
「言ったけど聞かねーんだよ、あいつ。リツの問題に茶々入れやがって……。ああいう表面でしか見ない奴が一番嫌いなんだよ」
遥人の言葉を聞いた海都は、不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。そして、遥人に詰め寄った。
「……あいつはそんな奴じゃないです。きちんと律希センパイに向き合ってます」
普段の海都とは様子が違うと感じた遥人は、少し目を見開かせたが、すぐに真顔に戻る。
「…………だとしても、俺には何も感じない。俺からしたら、あいつも野次馬の一人でしかねーんだよ」
「そうですか。一応、伝えておきます」
海都はそう言って、踵を返し、振り返らずに遥人に告げた。
「……これ以上あいつのことを侮辱したら、例え千蔭さんでも許しませんよ。あんたが律希センパイを大事にしてるのと同じように、俺も凪のこと大切なんで」
海都はそのまま、その場を後にした。
* * *
――現在、凪の教室にて。
二人は自身の教室に戻った後、席に座っていた。
凪の前の席の海都は、遥人とのやりとりを思い出して不機嫌そうな表情を浮かべている。
そんな海都を見ていた凪が耐えきれずに、ため息をつく。
「……さっきから何でそんな不機嫌な訳? オレ、なんかした?」
「お前じゃねー。千蔭さんにだよ」
「遥人さんに嫌なことでも言われた?」
凪は少し首を傾げて聞く。
海都はチラリと凪を見て、またため息をついた。
「俺の大事な奴の悪口言われたんだよ。そりゃ不機嫌にもなるだろ」
海都の言葉に、凪は目を丸くして驚いた表情を見せる。
「……海都って、人のために怒れんだ」
「おい。俺を何だと思ってんだよ」
「うーん……。人に関心がない奴?」
「それ、ブーメランだぞ。いいのか?」
凪は首を傾げて「何のこと?」と言ってとぼける。
海都が口を開こうとした時、教室のドアがガラリと開いた。
「おーい。ホームルーム始めるぞ〜」
そう言って、凪たちの担任が入ってきた。
「……海都、さっきなんか言った?」
「何もねーよ、馬鹿」
「は? なんだよそれ」
「いーんだよ。ほら、ホームルーム始まるぞ」
海都はそのまま前を向いた。
――……変な海都……。
凪は少し気になりながらも、前を向いて担任の話を聞くことにした。
――放課後。
海都は荷物を持って立ち上がり、後ろの席の凪の方を向く。
「じゃ、俺は部活あっから。今日はどうすんの?」
「んー、待っとく」
「おっけー。終わったら連絡するから昇降口に来いよ」
「分かった」
海都は片手を上げて、教室から出ていった。凪も同じように手を振る。
そして、凪は大きく息を吐いて机に突っ伏した。
「……律希さんに会いたいけど、気まず〜……」
凪はボーッと机に突っ伏したまま、窓を見つめる。
耳を澄ませれば、校庭にいるであろう運動部員たちの声が聞こえてくる。
凪は目を閉じて、笑顔でサッカーボールを持っている海都の表情を思い出す。
――……海都は今頃、大好きなサッカーを楽しんでるんだろうな……。
「……私も、好きなものを好きって言いたいなぁ……」
「……おい。海都知らね?」
「――っ!? うわっ……!!」
ガタガタガタ――!
凪は突然の声に驚き、椅子から落ちてしまう。
声をかけた主は尻餅をついた凪の目線までしゃがみ、焦った表情を見せる。
「お、おい。大丈夫かよ」
「急に声かけないでください。遥人さん」
「何回も声かけてたよ。気づかなかったのお前だろ」
凪はムスッとしながらも、遥人の手を取って立ち上がった。
制服についた埃を払いながら、凪は遥人に言う。
「海都のことですよね? あいつなら部活行きましたよ。今頃ニコニコでサッカーボール追っかけてるんじゃないですかね」
「…………あいつ。部活前に俺んとこ来いっつったのに。後でしばく」
遥人の目は据わり、眉間の皺が出来る。
そんな遥人を見た凪は、なんだがおかしくなり、思わず吹き出してしまった。
「……何笑ってやがる」
「すみません……、……っ、遥人さんのそんな表情、オレ以外でもするんだと思って……」
「お前らだけだよ。俺をこんなにイライラさせられるのは」
「――痛っ……!」
海都はバツが悪そうな表情で、凪に思いきりデコピンをする。
凪は額を抑え、頬を膨らました。
「今のデコピン、理不尽だと思いません? オレなーんもしてないのに」
「思わねーな。日頃の行いだろ」
「この人、律希さん以外に冷た過ぎる」
不貞腐れる凪を眺める遥人。
――……さっきこいつ、私って言ってたよな……。
遥人は少し目を細めて、怪訝そうに凪を見る。
そんな遥人の視線に気づいた凪は、ムスッとした表情で遥人を見た。
「何ですか。まだオレに何か嫌味でもあるんですか――?」
「…………いや、一つ聞いていいか」
「はい? どうぞ」
遥人は一呼吸置いて、口を開いた。
「……お前は、リツと同じなのか?」
遥人の発言に凪は少し顔が引き攣らせる。
しかし遥人は凪のその表情の変化に気づかないまま、凪を見つめる。
凪はすぐにいつも通りの表情を戻った。
「同じって何がですか? あ、お似合いって意味ですか? 嬉しいな――」
「んな訳あるか、馬鹿。……まぁいいや。俺の杞憂だな、忘れろ」
そう言って、遥人は踵を返すが、顔だけ凪の方に向けて言った。
「……最後の忠告だ。軽い気持ちでリツに近づくなよ」
それだけ言って、遥人は教室から出ていった。
取り残された凪は、教室の出入り口を眺めて自嘲気味に微笑んだ。
「……そんなこと、私が一番分かってます」
* * *
――下校時間の昇降口にて。
凪は靴を履き替えて、スマホ片手に海都が来るのを待っていた。
「……海都、何してんだろ」
スマホの画面には、「終わった。昇降口に来いよ」と十分前に送られたメッセージが表示された。
待ちくたびれた凪は、サッカー部の部室付近まで行こうと歩き出した。
その時、凪の頬に冷たいペットボトルが当たる。
「――っ、冷たっ!?」
凪が勢いよく振り返ると、ニヤニヤした表情でペットボトルを持っている海都がいた。
「こんなのに引っ掛かるとか、可愛いとこあんじゃん」
「誰でもビビるだろ」
凪はプイッとそっぽを向く。
海都はそんな凪の目の前に回り込んで、ペットボトルを差し出した。
「…………何これ」
「待っててくれたお礼。お前これ好きだろ?」
「好きだけど。海都がそんなことするとか、どういう風の吹き回し?」
凪は怪訝そうな表情で海都を見ながら、ペットボトルを受け取る。
そして、そのままペットボトルを開けた。
「お前、さっきから失礼すぎねぇ?」
「日頃の行いのせいだろ。……まぁ、ありがとう」
凪は少し拗ねたような、不服そうな表情をしながら、貰ったジュースを飲む。
そんな凪の様子を見た海都は、徐にペットボトルをひったくってグビっと一口飲んだ。
「……あっ! オレが飲んでたやつ……!」
「別にいいだろ、俺が買ったんだし。……それとも……」
海都はニヤニヤして、凪の耳元で呟く。
「……今更、間接キスとか意識してんじゃねーだろ?」
突然の耳元での囁きと、海都の発言に驚いた凪は、肩を震わせた。
海都からペットボトルをひったくって、恨めしそうに海都を見る。
「――っ!? し、してる訳ねーだろ! 馬鹿!」
「はははっ! めっちゃ動揺してんじゃん。図星?」
「ちっ、違うから!! 変なこと言うなよ!」
「……っ、いって!」
凪は思いきり海都の背中を叩いて、怒った様子でズンズンと校門に向かって歩き始める。
海都は叩かれた背中をさすりながら、凪の背中を見つめた。そして、凪に駆け寄る。
「……、――おい、凪!」
海都の呼びかけに、凪は「……何だよ!」と勢いよく振り返る。
しかし、その声が音になることはなく、凪の頭は海都の腕の中に収まっていた。
凪は目を見開いて、驚いた表情を見せる。
「――っ、な、何を……」
驚く凪とは対照的に、海都は淡々とした声音で話す。
「俺は、何があってもお前の味方だからな。……覚えとけよ」
そう言って、海都は凪を抱き締める力を強める。
「…………うん。ありがとう、海都」
そう呟く凪の表情は、男子生徒である蓮實凪ではなく、本来の蓮實凪の柔らかい表情をしていた。




