第四十六話
――ある日の朝。
……ピピピッ! ピピピッ! ピピピッ!
律希の部屋で、アラーム音が鳴り響く。
律希は欠伸をしながらアラームを止め、その場に起き上がった。
「……朝か……」
そう呟いて立ち上がり、律希は窓を開けて朝の風を感じながら目を瞑る。
――……今日は、蓮實さんと何の話をしようかな……。
以前の律希は、毎日は変わり映えの無いもので、白黒の世界を見ているようなものだった。
しかし凪と出会ってからというもの、毎日に楽しみを見出せるようになっていた。
律希は目を開けて、小さく息を吐く。
「……もう、冬は終わりかな」
そんな律希の呟きは朝の空気に溶けて消えた。
律希が着替えてリビングに行くと、ローテーブルの近くで両親と理央が楽しそうに談笑していた。
律希の姿を目にした父親は、チラリと見ただけで特に挨拶も交わさない。
――……無視するぐらいなら、こっち見なきゃいいのに……。
律希はため息をついて、冷蔵庫から飲み物を取り出して一口飲む。
そんな律希の近くに、理央が笑顔で駆け寄った。
「リツ兄、おはよ! 朝飯一緒に食おーよ!」
「……おはよう、理央。おれはいいけど……」
律希はローテーブルにいる両親をチラリと見る。
その時に父親と目が合うと、父親は何も言わずに顔を逸らした。
――……何も言わないってことは、好きにしろってことかな……。
律希が理央の方を見ると、目を輝かせて律希のことを待っていた。
まさに忠犬そのもの。
律希はそんな理央を見て、フッと微笑んだ。
「いいよ。食べよっか」
「やた――!! リツ兄と朝飯!」
理央は笑顔でキッチンから飲み物や、皿に盛られた料理をテーブルに運ぶ。
嬉しそうにしている理央に律希は頬を綻ばせ、椅子に座った。
その隣に理央が勢いよく座る。
律希は怪訝そうに理央の方を見た。
「…………なんで隣?」
「え? なんか変?」
「普通に考えて、向かい合って食べるもんじゃないの?」
律希は呆れたように理央を見つめていた。
そんな律希の言葉と表情に、理央は思いきり頬を膨らませた。
「あの女は良くて、僕は嫌なのかよー!?」
「……っ、馬鹿!!」
律希は慌てて理央の口を塞いだ。
理央の言葉を聞いた父親が、律希の方を見てゆっくりと口を開いた。
「…………、……女?」
父親に話し掛けられたことに驚いた律希は、一瞬目を丸くするが、すぐに険しい表情になる。
「――っ、……おれの彼女。別に関係ないだろ」
そう言って、律希はフイッと父親から顔を逸らして朝食を食べ始めた。
――……蓮實さんのこと、こいつらに知られたくなかったけど。……しょうがないか……。
黙々と食事を取る律希に近づいた父親が、目の前の椅子に座って新聞を読み始める。
そして、ボソリと呟いた。
「……今度、家に連れて来なさい」
「………………は? なんで?」
律希はポカーンとしたまま父親を見る。
新聞から目を離さずに、父親はボソボソと小さい声で話す。
「…………、……息子の彼女なら、知っておくべきだろう」
「……はぁ。今更保護者面すんなよ。会わせる気ないから」
律希はガタッと勢いよく立ち上がって、リビングから出ていった。
律希が出ていった後のリビングでは、沈黙が流れていた。
それを破ったのは理央だった。
「……心配なら心配って言えよな。馬鹿親父」
「……………………うるさい」
理央は肩をすくめて、苦笑いを浮かべた。
「……ほんと、似た者親子かよ……」
* * *
――学校の昇降口にて。
律希は何もなく下駄箱を開けると、多くの手紙が雪崩のように落ちてきた。
目を点にしてそれを見つめる律希。
「……………………なにこれ」
律希がそう呟いた時、律希の肩に誰かの手が乗った。
「浮気ですか?」
「――っ!?」
律希は肩をビクッと震わせて後ろを向いた。
そこにはニヤニヤした表情の海都と、目を輝かせている凪が立っていた。
「……違うし。開けたら出てきたの」
律希は口を尖らせて、怪訝そうに海都を見る。
海都はというと、凪の肩に肘を乗せて、わざとらしく口元に手を当てた。
「うわ――、浮気だ――。ほら凪。浮気だぞ、浮気」
「律希さん! 人気者ですね! そんな所も素敵です!」
「あぁ、うん。話通じねーや、こいつ」
海都はガクッと肩を落として、つまんなそうに落ちた手紙のいくつかを拾った。
「えーと、何々……。……同学年だけじゃなく、他学年からも貰ってるじゃないですか。すごーい」
そう言って、海都はパチパチと手を叩く。
律希は大きくため息をついて、落ちた手紙を拾って一つにまとめた。
「何とも思ってない賞賛をどうもありがとう。……こんなの貰っても全部ゴミ箱なんだけど」
「ひでー」
頭の後ろで手を組んで、ヘラヘラしている海都を、律希はジロリと睨む。
「逆に、君も同じ立場だとして大切に取っとくの?」
「んな訳ないじゃないですか。当然、燃やしますよ」
「そっちの方が物騒じゃない?」
律希は海都が拾った手紙も受け取り、鞄の中に入れた。
その時に、海都が律希の顔を覗き込んだ。
「持って帰るんですか?」
「学校で捨てるとか最低過ぎるから。家で捨てる」
「やっさし〜」
ケラケラ笑っていながら、海都も下駄箱を開けると、同じように大量の手紙が落ちてきた。
黙った三人の視線が、落ちた手紙に移る。
それを黙って拾った海都は、何事もなかったかのようにゴミ箱に捨てた。
そしてニッコリと笑って律希と凪を見る。
「……ね? 何もなかったですよね?」
「……櫻庭くんって、容赦ないというか何というか……」
そんな海都を見て、律希は苦笑いを浮かべた。
凪は律希の袖を引っ張り、小さく首を横に振る。
「海都は腹黒いだけです。騙されちゃだめですよ」
「その腹黒に、定期テスト前に助けられてるのはどこの誰なのかな――?」
「………………存じ上げません」
凪はサッと律希の後ろに隠れて、海都から顔を逸らした。
そんな凪にため息をついた海都。
肩をすくめて片手を上げて、先に歩き始めた。
「はいはい。じゃ、二人は仲良くね〜」
その場に海都がいなくなると、律希は海都の発言から気になったことを聞く。
「……勉強、苦手なの?」
律希の言葉に、凪はウッと言葉を詰まらせて目線を逸らした。
「…………、……ちょっと、苦手なだけです」
「……ふーん……。……ねぇ、蓮實さん」
「……? はい」
律希が凪の方を向いて、ニッコリと笑った。
「勉強会、しよっか?」
「………………え?」
凪は目を丸くして律希の顔を見つめた。
* * *
――その日の放課後。律希の部屋にて。
時計の音と、シャーペンの音が部屋に響く。
耐え切れなくなった凪がシャーペンを静かに置いて、ギャンッと叫ぶ。
「……で、何でこうなってるんですか!!」
「だって、赤点取ったら春休み返上だよ?」
「そうですけど! そこまで酷くありません!」
凪は頬を膨らませて、律希を見た。
瞬きを何回かした律希は、フイッと凪から顔を逸らした。
「……、……でも、櫻庭くんに頼らなきゃいけないぐらいなんでしょ?」
「そ、それは……。……、律希さん。ヤキモチ、妬いてます……?」
凪が恐る恐る聞くと、律希は肩を震わせるだけで顔を合わせようとはしなかった。
凪から見える律希の耳は、僅かに赤くなっているのが見えた。
凪はニヤリとして、律希に近づく。
距離が近くなった凪に驚き、律希は更に頬を染めて目を見開いた。
「えぇ〜? 律希さん、海都に嫉妬したんですか? 本当に?」
「――っ、そ、それは……」
律希は恥ずかしそうに顔を逸らして、ボソボソと呟いた。
「……、……昔のことに嫉妬するつもりはないけど。それでも、櫻庭くんに頼りきりだったのが納得できないというか……」
「頼れる人が海都しかいなかったんですもん」
「分かってるよ。……だから、言いたくなかった。こんな子どもっぽい理由で、勉強会しようって言ったこと……」
律希の言葉を聞いて、凪は目を見開いた。
「…………律希さんって、め――っちゃ私のこと好きですね」
凪がそう言うと、律希は顔を真っ赤にして「はぁ!?」と叫んだ。
「な、何いきなり……」
「じゃなきゃ、海都なんかに嫉妬しませんよ」
そう言ってケラケラ笑う凪を、横目に見る律希。
――……櫻庭くんだから、嫉妬するんだけどな……。
律希はため息をついて、目を瞑った。
「……おれも、大概重いな……」
「……? 何か言いました?」
凪は律希の呟きを聞き取れず、キョトンとして首を傾げる。
そんな凪を見て、律希はフッと笑った。
「……何でもないよ。君のこと離したくないなって思っただけ」
「――っ、……それって……」
その瞬間、凪は過去に言われた律希の言葉がフラッシュバックした。
――……。
『頑張ってよ。おれが君のことを離したくなくなるぐらい、夢中にさせてよ』
……――。
その言葉を思い出し、凪は嬉しそうに微笑んだ。
「……これからも、夢中にさせてみせます」
「うん。頑張ってね」
律希も照れ臭そうに笑う。
そして凪のシャーペンを、凪の手のひらに乗せた。
「じゃ、春休みも会えるように、勉強頑張ろうね」
「ぅ……、はい……。頑張ります」
苦笑いを浮かべた凪は、大人しくシャーペンを受け取り、ノートに向かう。
そんな凪を見て、律希はクスッと笑う。
――……これから少しずつ、君の思い出をおれでいっぱいにしたいな……。
「……なんて、やっぱり重いか」
律希は凪に聞こえないぐらいの声で、そう呟いた。




