第四十二話
――約五年前。
凪が海都の隣の家に引っ越してきた時のこと。
海都に対する凪の初対面での印象は、「面白そうな子だなぁ」だった。
凪は、他の同年代よりも先に芸能界という社会に入っていた。しかし、海都のように周りに失望していたことも見下していたこともなかった。
それでも、自分は他よりも達観していることは、なんとなく感じていた。
そんな凪の元に現れたのが海都だった。
――……この子はきっと、私と似ているんだろうな……。
凪は海都に出会った瞬間、そう実感した。
凪が芸能界に入ったきっかけは単純。
テレビで見ていたドラマの役者の真似を、家でやってみたのを両親が見て、感動されたから。
なんとなくで始めた演劇も、徐々に凪にとって大切で大好きなものへと変わっていった。
最初はエキストラばかりだったのが、脇役、主要な役へと、大きな役をもらえるようになった。
そんな凪の芸名は「蓬野凪」。
凪が中学生に上がった頃には、その名前を知らない人はいないぐらいにまでの人気を博した。
演技力もさることながら、小顔でスラッとしたスタイル、整った顔立ち、程よい愛嬌。
人気が出ない訳がなかった。
あるドラマの撮影監督からは、「光る原石」とまで言われるほどに才能に恵まれていた。
凪自身も演じることが楽しく、どの撮影も楽しく笑顔で取り組んでいた。
そんな凪が中学二年生に上がった時のこと、事件は起きた。
* * *
――約三年前の、ある日の放課後にて。
その日は急ぎの仕事があったため、いつもなら海都と帰っていたところを、凪は一人で帰るつもりだった。
昇降口で靴を履き替えた凪の目の前には、険しい表情をした女子生徒が何人かいた。
「……? 何か用事?」
凪は首を傾げる。
その瞬間、凪の視界が揺らいだ。
凪は突き飛ばされて、下駄箱で頭を強く打った。幸い脳震盪は起こさず、痛みだけで済んだ。
ズキズキと痛む頭を押さえて、凪は彼女達を見上げる。
「……い、いきなりなに? こんなことをされるような覚え、私にはないんだけど」
「うるさい! 天才子役だがなんだか知らないけど、櫻庭くんにあんなにベタベタと付き纏って目障りなの!」
「――っ、な、何言って……」
凪が何か反論しようとしても、彼女達には響かなかった。
彼女達は凪のことを睨みながら、持っていたゴミなどを凪に投げつける。
「気安く櫻庭くんに近づかないで! 良い顔してるのも、どうせ演技なんでしょ!?」
そう言われた凪は、目を見開いて彼女達を見た。
――……仕事以外で演技したことないのに、なんでそんなことを言われないといけない訳……? 役者だから? 仕事で演技してるから?
震える唇をキュッと結び、凪は小さく首を横に振る。
「……っ、……ち、違う。演技なんてしてない」
「そのしおらしい態度も、私達を騙すための演技でしょ!! 騙されないんだから!!」
「ほんっと、狐みたい。人のこと騙して」
そう言って、凪のことを見下ろしてクスクス笑う彼女達。
凪は俯いて、下唇を噛んだ。
――……ただ、演技が好きなだけ。ただ、海都といるのが心地良いだけ。それじゃダメなの……?
「あんたみたいな女狐、櫻庭くんには相応しくないの!」
――……なんで、したいことをしたら否定されるの……?
「櫻庭くん以外にも侍らせてるんでしょ。女狐だもんね〜」
――……なんで、一緒にいたい人といれないの……?
「蓬野凪じゃなくて、女狐凪に改名したら〜?」
――……あぁ、本当に……。
俯いていた凪は、彼女達に聞こえないぐらいの声で呟く。
「…………、……くだらない……」
その付近を境に、「蓬野凪」という名前の役者はメディアに出てこなくなった。
学内だけでなく、学外での嫌がらせもエスカレートしていき、凪の精神は疲弊し始めた。
それと同時に、凪が男装を始めて、周りと関わることを拒んだ。
* * *
――ある日の海都の家にて。
幸せそうな顔でケーキを頬張っている凪と対照的に、海都は神妙な面持ちで凪を見ていた。
その海都の視線に気づいた凪は、首を傾げる。
「海都、どうした?」
「……いや、お前がどうした? 最近いきなり髪の毛短くするし、男子用の制服着てるし、口調も雰囲気も変わったし」
海都の言葉に、凪は一瞬息を詰まらせたが、すぐにニッコリと笑う。
「イメチェン。似合ってるだろ? 髪の毛はウィッグ。地毛はちゃんとなげーよ」
「似合ってるけど、そうじゃなくて! ……なんで男の演技してんだよ」
海都は眉を顰め、机をバンッと叩いた。
不機嫌そうに見えるその表情の奥には、心配の色も伺える。
凪は息を吐いて、ゆっくりと口を開く。
「……だって、女ってめんどくせーもん。ちょっとのことで嫉妬して、ちょっとのことで嫌って。それなら男でいた方が楽」
「――っ、本当に、何があったんだよ……」
二人の間に沈黙が流れる。
自嘲的な笑みを浮かべた凪は、海都の目をジッと見つめた。
「……、……なぁ、海都」
「なんだ」
「……オレって、変かな……」
「――っ!! ……そんなこと、ねぇよ。凪は、凪だろ……」
そう言って、海都は苦しそうな表情を浮かべて拳を強く握り締める。
そして、海都は震える唇でゆっくりと話を続ける。
「……俺の、せいだろ……」
「…………なんで?」
凪はなんでもない顔で海都を見つめた。
「知らない訳ねーだろ。俺が原因で、凪は女子から嫌がらせされてることも、凪に変な噂が流れてるのも」
「……そっか……」
また沈黙が流れる。
今度は海都が口を開いた。
「……ごめん。俺がもっと上手く立ち回るべきだったのに……」
その時の海都の表情は、今にも泣き出しそうで、僅かに瞳が潤んでいた。
凪は目を見開いて海都を見る。
「……いいよ。オレはオレらしく生きるには、これが一番だって知った。ただそれだけ」
そう言って、凪はポケットから一枚のハンカチを取り出す。
「…………それに、あの人に会いたいから」
海都は目を丸くして、そのハンカチを見る。
「それって……」
「商店街で助けてもらった時に貰ったやつ」
「あぁ、あの時の……。まだ持ってたのか?」
「初めてだったから。ああやって、身を挺してオレを守ってくれた人」
凪は嬉しそうにハンカチを握り締めて、目を細めていた。
頬杖をつき、海都は少し不機嫌そうにしている。
「……その人、同い年?」
「多分年上。高校生だと思う」
「ふーん……」
海都は面白くなさそうにハンカチを見つめ、凪の頬を掴んで軽く引っ張る。
「いてててて。なんでだよ!」
「べっつに〜……。俺は俺なりに凹んでるのに、凪は平気そうだなって思ってムカついた」
「完全に八つ当たりじゃねーか!」
引っ張られた頬を摩りながら、海都を睨む凪。
そんな凪を見て、海都はフッと笑う。
「……まずはお勉強を頑張んねーとな」
「うっ……! な、なんとかなる! 定期テストもどうにかなってるだろ!」
「定期テストと受験を一緒にすんなよ」
海都は呆れた表情で凪を見てため息をついた。
そして、不意に凪の頬に手を伸ばす。
「……俺が、守る。だから何かあったら絶対に呼べよ」
「んだよ、それ。守るって」
「うっせ! 素直に『ありがとう』って言えばいいだろ!」
自分の発言に恥ずかしくなったのか、海都は手を引っ込めてぷいっとそっぽを向いた。
凪は思わず吹き出して笑い出す。
「……じゃあ、……ありがとう、海都……」
「おう」
そう言って、海都はそっぽを向いたまま凪の頭をガシガシと撫でた。




