第四十話
――週末の朝にて。
凪は鏡の前で、男装用のウィッグと自身の髪を険しい表情で見比べていた。
「……、……どっちで行くべき……?」
頭を抱えた凪は、その場に座り込む。
――……律希さんはきっと普通の格好で来る。私は普通の格好で行ったら他の人たちにバレる可能性がある。いやまぁ文化祭でやらかしてるし、今更かな。いやでも……。
悶々と悩んでいた凪の携帯から、メッセージアプリの通知音が鳴った。
凪が確認すると、律希からのメッセージだった。
『おはよう。今日は蓮實さんの好きな格好でおいで。他の生徒と関わることはないとは思うよ』
そのメッセージを見た凪は、目頭が熱くなり、口をキュッと結んだ。
「……話すって決めたんだから。律希さん以外の人に会っても、慣れないと……」
凪は男装用のウィッグを元の場所に置き、部屋を出ようとする。
その時、部屋にあった帽子に目が留まる。
「……、……念のため。念のためだから……」
そう呟いて、帽子を手に取って被り、部屋を後にした。
* * *
――会場前にて。
律希は携帯を操作しながら、壁にもたれて凪が来るのを待っていた。
――……どっちでもいいとは言ったけど、どうするんだろう。他の生徒もいるし、男装かなとは思ってるけど……。
そんなことを考えながら待っていると、律希に近づく影が一つ。
「律希さん、お待たせしました」
「ううん。待ってない……よ……」
律希は目の前にいる人の格好を見て、目を見開いて驚いた。
凪の格好は、ズボンにオーバーサイズのトレーナーを着ていたが、髪型は地毛の長髪のまま。側から見れば、女だと分かる格好だった。
律希が何も言わずに立ち尽くしていると、心配そうな顔で凪が顔を覗き込む。
「……あ、あの……、何か変……ですか?」
そこで律希はハッとして、すぐに笑顔になる。
「ごめん。まさかそっちで来るとは思ってなかったから驚いた。似合ってるよ」
「律希さんの隣に立つためにも、頑張らなきゃって思って。帽子は顔を隠す用です」
そう言って凪は帽子のツバを持ち、少し下げた。
律希はフッと笑って、帽子のツバを掴む凪の手を掴んで、凪の顔を覗く。
「顔を隠すのはいいけど、おれが見られないのは嫌だな。それとも、毎回これぐらいの距離で話したいってこと?」
律希との距離が近くなった凪は、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「――っ、ちっ、違います!! 違わないけど、そういうことじゃなくて……!!」
「あはは……! 毎回可愛い反応してくれて嬉しいよ。じゃあ行こっか」
律希は口元を手で押さえてクスクス笑いながら、凪の手に自身の手を絡めた。
凪は頬を膨らませて拗ねているようだった。
「……り、律希さんの意地悪……」
「そういうこと言うんだ〜。意地悪なおれ、いや?」
律希はわざとらしく、眉を下げて凪を見つめた。
見つめられた凪は、グッと喉に言葉を詰まらせた後、ゆっくりと大きく息を吐いた。
そして、か細い声で呟く。
「……、……今の律希さんじゃなきゃ、律希さんじゃなくなるので。嫌じゃ……、ないです……」
「そっかそっか。本当におれのこと大好きだね〜」
律希は満足気に笑って、歩き出した。
凪はそんな律希の袖を引っ張り、耳元で囁く。
「大好きです」
そう言われた律希は、凪の方を目を丸くして見つめた。そして照れ臭そうに頬を僅かに染めて、微笑んだ。
「……君も大概、意地悪だね」
「お互い様です」
二人は幸せそうに笑いながら、会場の中に入っていった。
観客席に入ると、多くの人で溢れかえっていて、かなり賑やかだった。
二人はチケットに記載されている席に移動する。
「思ったよりも人多いね。対戦校の関係者以外の人も来てる気がする」
「やっぱり決勝だからじゃないですか?」
「すごい人気だね〜。あ、おれ達の席あったよ」
律希が凪の手を引いて、指定席に誘導して、二人はそのまま座る。
二人はグラウンドに目を向けた。
グラウンド脇のベンチには、選手たちがストレッチをしたり水分補給をしたりしている姿がある。
その中には、ユニフォームを着た遥人と海都が談笑している。
「あ! 遥人さんと海都いますよ! すごい!」
凪は目を輝かせて、律希の袖を引っ張りながらグラウンドを指差した。
「二人ともレギュラーだもんね。ポジションはどこか分かんないけど」
「海都はいつもFWだった気がします。いつも一番前で走ってます!」
「CFかな。一年生なのにすごいね」
律希はパラパラとパンフレットを開き、スターティングメンバーのポジションを見る。
海都は背番号十番のCFで、遥人は背番号八番のDMFと書かれていた。
海都の背番号を見た律希は、少し目を見開く。
「……十番ってことは、エース? 櫻庭くんってそんなに上手いんだ」
――……だから文化祭でおれが勝っちゃったやつ、根に持ってたのかな……。
そんなことを考えた律希は、苦笑いを浮かべた。
「……最近のおれ、色々やらかしてるよなぁ」
「何か言いました?」
凪はキョトンとした表情で律希を見つめる。
「ううん。何もないよ。……あ、そろそろ始まるよ」
* * *
――グラウンドにて。
海都と遥人が話している時、海都がふと、観客席に目を向けた。
そこには律希と凪の姿があり、海都は目を見開いて驚いた表情を浮かべる。
「…………は? なんであの二人がここに……」
「俺が呼んだ。正確には、俺が呼んだのはリツだけ」
海都はジトッとした目で遥人を見た。
「……聞いてないんですけど」
「言ってねぇからな」
そう言って、遥人はドリンクホルダーを手に取って一口飲む。
「ま、そんなんでプレーに支障が出るっつーなら、その背番号は返納するんだな」
遥人は海都の頭をくしゃくしゃと乱雑に撫でて、ピッチの中に入った。
そんな遥人の背中を、海都は口を尖らせて拗ねた表情をして見つめる。
「……千蔭さんのくせに……」
海都ははぁ、とため息をついて遥人の後ろをついていった。
ピッチに入った海都は遥人の隣に並ぶ。
そして横にいる遥人の方を向いて、真剣な表情をして言う。
「……ボール、俺にください。全部決めますから」
「あ゙ぁ゙? 調子乗ってんじゃねーぞ、海都。誰にボールを渡すかは俺が決める。舐めた口きいてんなよ」
「今のはかっこつけさせてくださいよ」
「お前には十年早ぇわ。馬鹿」
「口わっる」
海都がため息をつく。
そして、遥人はチラリと海都の方を見て海都の背中を軽く叩いた。
「……決めなきゃ、ぶっ飛ばす」
「――っ、ツンデレにも程があるだろ……」
海都はフッと笑って、相手チームと向き合う。
* * *
――試合終了後。
海都や遥人たちの控え室では、嬉しそうな声で溢れかえっていた。
その中で、飲み物を一口飲む遥人に、三年のキャプテンが肩を組む。
「あそこでパスカットするの、流石だな〜! 遥人!!」
「……ありがとうございます。先輩が退路を塞いでたおかげで、コースを絞れたんです」
「そんな謙遜すんなよ。お前は海都ぐらい堂々とした方がいいぞ〜」
そう言われた遥人は、座っている海都をチラリと見てため息をついた。
「……あれと一緒は嫌です」
「お――い! 千蔭さん、聞こえてっから!」
海都は、持っていたタオルを思いきり遥人に投げつけた。
そのタオルを遥人は、ヒョイっと軽く避ける。そして、ギロリと海都を睨んだ。
「お前が気持ち良くシュート打てたのは誰のおかげだ?」
海都はグッと喉を詰まらせた後、冷めた目で遥人を見る。
「………………千蔭遥人様です」
「次、舐めた口きいたらその口縫い付けんぞ」
「え……、千蔭さん……。俺のこと……」
海都は自身の口を両手で塞いで、ふざけたようにニヤニヤとした表情で遥人を見る。
大きく息を吐いた遥人は、海都が投げたタオルを拾い、海都に歩み寄る。
そして後ろに回って、首元にタオルを巻き付けた。
「今ここで首を絞めてもいいんだぞ」
「すっ、すみませんでした……! 本当に死ぬってっ……!!」
海都は涙目で遥人の手を軽く叩いた。
「分かったら、二度と気持ち悪りぃこと言うなよ」
「分かった! 分かりました……!!」
ジッと海都の後頭部を見つめていた遥人だったが、小さくため息をついてタオルから手を離した。
海都は首元を押さえて、ジロリとハルトを睨む。
「……、……二割ぐらい私怨入ってません?」
「八割だ。馬鹿野郎」
「八つ当たりにも程がある!」
海都が涙目でギャンッと叫んだ。
そんなやり取りを見ていたキャプテンが、「そう言えば……」と遥人に話し掛ける。
「お前の親友いたじゃん。えっーと……、リツ、……だったけ?」
「その呼び方しないでください。先輩でも怒りますよ」
「だって名前分かんねーもん」
キャプテンは口を尖らせて拗ねた表情を浮かべた。
そんなキャプテンを見た遥人は、小さくため息をついて呟く。
「…………園田律希です。俺が呼びました」
「そうそう、園田くん! 隣に可愛い子連れてたじゃん! あの子誰なん? 知ってんの?」
キャプテンのキラキラした目を向けられた遥人は、ジトッとした目でキャプテンを見る。
「……海都に聞いたらいいんじゃないですかね。海都の幼馴染だし」
そう言って、遥人はめんどくさそうに欠伸をしながら自分の荷物の整理をし始めた。
「……はぁ――!? 海都、お前! あんな可愛い幼馴染いるとか聞いてねーぞ! 紹介しろ!」
キャプテンは海都の両肩を掴んで、鬼の形相で思いきり揺さぶる。
海都は目を見開いて驚き、首を横に振った。
「こうなるから言いたくなかったんですよ! 凪のことは紹介しません!!」
「凪ちゃんっていうんだな! 俺、これから学校で探すわ」
「探すな!」
海都はキャプテンを止めながら、我関せずといった顔でいる遥人を睨む。
「千蔭さんのせいでこうなったんですけど! 責任取ってください!」
「は? なんで俺が。事実言っただけだろ」
「本当この先輩やだ!」
半泣きの海都の叫び声が控え室に響き渡った。
そんな海都を見て、遥人は密かに「ざまぁみろ」と思い、ニヤリとしていた。
ひとしきり騒いだキャプテンは、真面目な顔で海都に問いただす。
「……真面目な話、名前教えて。俺、一目惚れだわ」
「言ったとして意味ないですよ。……彼氏……、いるから……」
――……いや、自分で言ってて、悲しくなってきた。いやもう気にしてないけど。気にしてないけど……。
海都の表情は、どことなく悲しそうな苦しそうなものを浮かべていた。
そしてキャプテンもガックリと肩を落とす。
「一瞬で玉砕したんだけど……」
「お疲れ様でしたー」
そう言って、遥人は荷物を持って控え室の扉を開けた。
「先、帰らねーよな!?」
「え、ミーティング終わりましたよね? 順次解散でしょ」
「この後、祝勝会するって監督言ってただろーが! ホールのベンチで待ってろよ!」
キャプテンは遥人の頭を軽く叩いた。
顔を歪ませた遥人は、ガシガシと頭を掻いて「分かりました」と言った。
そして、海都の方を振り返る。
「……海都。今からリツのところ行くけど」
遥人の言葉に、海都は目を見開いた。
――……律希センパイのところってことは、凪も……。
「――っ、行きます!」
海都はバババッと勢いよく、荷物をまとめて遥人の後ろをついていった。




