第三十八話
――夕方。凪の家付近にて。
律希が凪を送るということで、二人は並んで凪の家方面に向かって歩いていた。
凪は何度も律希に送らなくて良い旨を伝えていたのだが、律希が「彼氏なんだから送らせて」と半ば強引だったそう。
凪は内心、母親は出てきませんように、ついでに海都も、などと考えていた。
神妙な面持ちの凪を見て、律希は申し訳なさそうに眉を下げた。
「……迷惑だったかな?」
「い、いえ! 迷惑というより、母親に見られるのが嫌というか恥ずかしいというか……」
そう言って、恥ずかしそうに目を逸らす凪。
律希は凪を見た後、凪周辺の人間関係を考えて苦笑いを浮かべ、呟く。
「……おれ、割と軽率な行動したかも」
「え? 何か言いました?」
「ううん、何も。独り言」
――……蓮實さんのお母様なら、櫻庭くんとどうこうなってると思ってるだろうし。流石に浮かれすぎてたか……。
律希は拳を強く握って、万が一のことを脳内で想定した。
それから他愛無い話をしながら歩いていると、凪が二つの家を指差した。
「こっちが私、その隣が海都の家です。送ってくれてありがとうございます」
凪は律希にお辞儀をする。
律希は小さく首を横に振って笑った。
「大丈夫だよ。じゃあまた学校でね」
そう言って別れようとした時、海都の家の扉がガチャリと開いた。
「あ、凪。やっと帰ってきたのね〜。今年は初詣一緒に行かないって言ってたから何事……」
出てきたのは、凪の母親。
その瞬間、凪と律希は分かりやすく表情を強張らせ、凪の母親を見た。
沈黙が流れる。
律希がふぅ、と一息ついてニッコリと笑う。
「初めまして、おれは園田律希といいます。蓮實凪さんとお付き合いしています」
「……え、凪と……?」
凪の母親は目を丸くして、二人の顔を交互に見た。
そして凪の肩に手を置いて、神妙な面持ちでヒソヒソと凪に耳打ちをする。
「……凪、あんた正気? どうやったらこんなイケメンと付き合える訳?」
「が、頑張ったの! てかそれ律希さんにも失礼だし!」
凪は顔を赤くして、母親の身体をグググッと軽く押した。
そんなやり取りを見ていた律希は、困ったように眉を下げる。
「……今日は送っただけですので、これで……」
律希が会釈をして立ち去ろうとした時、凪の母親が「ちょっと待って!」と律希のことを引き留めた。
律希は目を丸くして、凪の母親を見る。
「えっと、何か……?」
「良かったら、ゆっくりしていかない? 色々と話を聞きたくて!」
「……………………え?」
律希は予想していなかった言葉に、間抜けな声を上げた。
そんな様子の律希に、凪の母親は慌てたように両手をパタパタとさせる。
「あ、でも今日はご家族と集まる日だものね! また今度でも……」
「い、いえ。家族の予定はないので構わないのですが……」
「それなら――」
* * *
――海都の家にて。
居間の机で、海都が不機嫌そうな表情を浮かべて頬杖をついていた。
その反対側には、気まずそうに視線を逸らす凪と律希が座っている。
「……で、何でこうなってんだよ」
「そ、それは私のお母さんが律希さんを半ば強制的に家に……」
「断れよ。俺がいるって分かってんだろーが」
「言い出したら聞かないの、知ってるでしょ! てか、初対面で断るような非人道的なことを律希さんがする訳ないじゃん!」
「選択の自由って知ってる?」
海都はため息をついて、怪訝そうに律希を見る。
目が合った律希は、苦笑いを浮かべた。
「……、……ごめん。本当に」
「何してんですか。この状況、気まずい以外のなにものでもないでしょ」
「こうなったら腹を括るべきだよね」
「それ、俺の台詞ですよね。あんたが言ってんの意味分かんねーし」
海都は更に大きなため息をついて、机に突っ伏した。
そんな海都の頭を、居間に入ってきた海都の母親が小突く。
「律希くんは先輩でしょうが! なんて口の聞き方してるのよ! ごめんね、律希くん。この馬鹿息子が」
「大丈夫です。学校で仲良くさせていただいてるので、気にしてないです」
笑顔でそう言う律希に、海都の母親はため息をついて見惚れる。
「クリスマスでも思ったけど、ほんっとうにイケメンね〜。良かったら、うちで働かない?」
「……この面食いが」
海都がつまらなさそうに、ケッと言ってそっぽを向く。
そんな海都をギロリと睨む母親。
「海都は後で片付け手伝いね」
「はぁ!? なんっで俺だけ!!」
海都は机を叩き、その場に立ち上がった。
そのやり取りを見ていた律希は、クスクスと笑っていた。
「……お誘い、ありがとうございます。またの機会ということで」
「あら、残念〜」
そう言いながら海都の母親は、机にグラスとケーキの乗った皿を三人の目の前に置いた。
真新しいケーキを見た凪は、嬉しそうに目を輝かせる。
「これ! 見たことないやつ! 新作ですか!?」
「そうよ〜。まだ試作段階だけどね。感想教えてね〜」
そう言って、海都の母親は居間から出ていった。
固まったままケーキを見つめる律希に、海都はニヤリと笑ってフォークを差し出した。
「凪の好きなもの、知っといた方がいいんじゃないですか?」
「――っ、そ、うだね。いただきます」
律希はフォークを受け取って、一口食べる。そして目を見開いて、呟いた。
「…………、美味しい……」
律希の言葉に、海都は目を細めた。
「……でしょ? 隣の人見てみてくださいよ。とんでもなく幸せそうに食べてるから」
律希は隣の凪の方を向く。
律希の視界に入った凪の表情は、今まで見た中で一番幸せそうな表情をしていた。
――……おれの、知らない蓮實さん……。いや、当たり前か。おれは知り合ってまだ数ヶ月。対して櫻庭くんは……。
律希はチラリと海都を見る。
その時の海都はニヤニヤしながら、自身のケーキを凪に差し出していた。
凪は顔を赤くして、首を横に振っていた。
その光景を目の当たりにして、律希の中にモヤモヤとしたものが渦巻く。
律希はグッと唇に力を入れ、更に一口食べた。
「……時間は、一生かかっても敵いそうにないな……」
律希は自嘲気味に微笑み、最後の一口を食べた。
三人が居間で話している時、凪の母親が様子を伺うように顔を覗かせる。
「今、大丈夫?」
いきなり声を掛けられた三人は、驚いてビクリと身体を振るわせた。
「――っうわ、お母さん! 普通に入ってきてよ!」
「ごめんなさいね〜。余りにも仲良さそうに話してるから入りづらくて」
そう言って、凪の母親はサササッと居間に入り、ちょこんと座る。
「私、律希くんとお話してみたくって! 学校での凪の様子とか!」
「ちょ、お母さん!」
凪は慌てたように、母親の袖を掴む。
そんな凪に、凪の母親は頬を膨らませて拗ねた表情を浮かべた。
「だって凪本人は愚か、海都くんですら教えてくれないんですもの。お母さん、寂しい〜」
凪の母親の言葉を聞いて、律希はチラリと海都を見る。
律希と目が合った海都は、気まずそうにフイッと視線を逸らす。
――……櫻庭くんも蓮實さんに告白しました、なんて言えないもんな……。
律希がそんなことを考えていると、机の下で海都が自身の足で律希の足を軽く小突く。
律希は海都を見ると、海都の表情は「余計なことを言うなよ」とでも言いたげな険しい表情をしていた。
律希は小さく息を吐いて、口を開いた。
「……蓮實さ……、……凪さんは明るくて、おれにとっては太陽みたいな存在です。初めて会った時も、元気いっぱいで面白かったですよ」
「――っ、り、りりり、律希さん……! 何言って……、しかも名前……!」
凪は頬を赤く染め、身体をプルプルと震わせている。
律希の話を聞いて、凪の母親は目を輝かせた。
「まぁ、そうなの! 家では何言っても落ち着いてるから、海都くん以外の友だちいるのかなって心配だったの! 初めて会った時はどんな感じだったの?」
律希は顎に手を当てて、初めて出会った時のことを思い出す。
――……。
『そういうことならオレ、まだ勝機ありますよね!? 律希さんが男だろうが女だろうが関係ないです! オレは律希さんの顔に惚れたんで!』
……――。
その時のことを思い出し、律希は思わずクスッと笑った。
「……初めて会った時のことは、多分これからも忘れることはないと思います。凪さんに出会ってなかったら、今のおれはいませんから」
そう言って律希は顔を上げて、優しく微笑んだ。
「凪さんに、おれは救われています。これからも一緒にいたいと思っています」
その場に沈黙が流れる。
凪の母親が安心したような表情を浮かべて、ゆっくりと口を開いた。
「……良かった。律希くんと出会えて」
そして凪の母親は、優しく微笑んで律希を見る。
「これからも、凪のことをよろしくね」
「……、……はい」
律希は拳を強く握り、力強く頷いた。
それから凪の母親が出ていった後、三人だけになり、誰も口を開こうとしなかった。
律希と凪の母親のやり取りを見ていた海都は、目を逸らして大きなため息をついた。
――……親公認なら、もう入る隙ねーじゃん……。
律希はそんな海都の様子を横目で見て、机の下で思いきり海都の足を蹴った。
「……っ、なっ――!」
海都がすぐに文句の一つを言おうとした時、律希は人差し指を口元に当てていた。
そしてニヤリとした笑みを浮かべている。
その表情はまるで、海都を挑発しているようなものだった。
海都は目を見開いて律希を見た後、喉で小さく笑った。
「……っ、はぁ……、腹立つ先輩……」
「聞こえてるよ〜。もう一発欲しい?」
「結構です。サッカー部のレギュラーの足を蹴るとかやばいでしょ」
「やっぱりもう一発いる?」
「なんでだよ! いらないって言ってるでしょうが!」
ケラケラと笑っていた律希は、一息ついてその場に立ち上がった。
「……じゃあそろそろお暇するよ。これから夕食でしょ?」
「はいはい。早よ帰れ」
開き直ったのか、海都は顰めっ面のまま手でシッシッとした。
律希は海都を見て、思わず吹き出して笑い出す。
「遥人より当たり強くない?」
「千蔭さんは尊敬する先輩なんでね」
「えー、おれは?」
「……、……ムカつく」
「さっきから酷くない?」
律希はわざとらしく、眉を下げてしょんぼりする。
そんな律希に、海都は顔を逸らしてか細い声で呟いた。
「……ムカつくけど、信頼できる先輩」
律希は目を見開いて、驚いた表情を見せた。
「――っ、君って遥人に負けず劣らずのツンデレだね」
「貴方だけです。こんな態度取れる人」
海都をよく見ると、耳が僅かに赤くなっていた。
それに気づいた律希は目を丸くした後、クスクスと笑い出す。
「……ふふっ、櫻庭くんって、案外可愛いところあるんだね」
「――っ! だ――!! うっさい!! 早よ帰れ!!」
海都は真っ赤な顔で立ち上がって、律希の背中を無理矢理押して歩かせた。
律希はケラケラと笑っていたが、スッと凪の方を見て手を振る。
「じゃあね、蓮實さん。また学校で」
「……は、はい!」
海都と律希が出ていった後、凪は大きく息を吐きながらその場に倒れ込んだ。
そして、顔を両手で覆いながら唸り始める。
「……り、律希さんの口から、名前……! それに……」
――……。
『凪さんに、おれは救われています。これからも一緒にいたいと思っています』
……――。
律希のその言葉を思い出すと、凪の目に翳りが宿った。
「……律希さんが真剣に向き合ってるのに、私が男装する理由を話さないのは、ダメだよね……」
凪は大きくため息をついて、起き上がり、食器を片付け始めた。




