第三十一話
――文化祭の翌日の朝。
凪はいつもよりも緊張した朝を迎えていた。
理由は二つある。
一つ目、多くの人に女の姿を見られたこと。
二つ目、海都との関係を修復したはいいものの、どうやって関わっていいか、未だに分からないこと。
洗面所の前で、ウィッグの毛先を整えながら険しい顔をする凪。
「………………どうしよう……」
その時玄関のインターホンが鳴り、凪は思わず飛び上がった。
なかなか出ない凪に見かねた母親が、洗面所の外から顔を出す。
「凪〜? 海都くん来たんじゃない? 行っといで〜」
「う、うん。今行くから」
凪は玄関に行って靴を履く。
そして手をドアノブにかけた後、再度ため息をついた。
そんな様子の凪に、母親は後ろでクスクスと笑っていた。
「何をそんな百面相してるの。らしくないじゃない。海都くんと喧嘩でもした?」
「してないけど。ただ、色々あって気まずいなって……」
凪がそう言うと、母親はニヤニヤして「ふーん……」と言って口元を手で押さえた。
「告白でもされた?」
その一言で、凪は顔を真っ赤にして、バッと母親の方を振り返る。
「――っ、さ、されてない!! いってきます!!」
「はーい。いってらっしゃい〜」
凪は勢いよく扉をバタン!と閉めた。
インターホンの前で待っていた海都は、凪が出てきた音を聞いて顔を上げた。
「おはよう、凪……、……って、何だその顔」
「うるさい。何でもねーよ」
「いつにも増して悪いぞ、目つき」
「ほっとけ」
凪はそのままスタスタと歩き始めた。
海都も先に行った凪の後ろを追いかけ、隣で歩く。
凪は海都の方をチラリと見て、海都にしか聞こえないぐらいの声でボソボソと呟いた。
「……き、昨日の、もう大丈夫なのか」
「……は? 昨日の? 何言ってんだ?」
「…………ま、いいや」
「いや、本当になんだよ。勝手に自己完結すんな」
海都はムッとした表情を浮かべて、凪の頭を軽くチョップする。
「言っとくけどな、別に気持ちが消えた訳じゃねーから。俺はずっと凪のことを好きでいるから」
その言葉を聞いて、凪はバッと勢いよく海都の方を向く。
海都は目を細めて、凪の方を見て優しく微笑んでいた。
「……凪は凪らしくいてくれたらそれでいいんだよ。分かったら変なこと考えんな、馬鹿」
そう言うと、海都は前を向いて歩き始めた。
凪はその場に立ち止まって、海都の後ろ姿を眺める。
――……あぁ、海都も前を向いて進んでる……。
その時、凪の頬を撫でるように少し肌寒い風が吹く。
凪は小さく息を吐いた。
「……私も、前を向いて歩けるのかな……」
凪は海都の背中を追うように、歩き始めた。
――高校の昇降口前にて。
凪と海都が並んで昇降口まで歩いていくと、その二人に向かって手を振る人が一人。
「……あ、律希さんだ」
「おはよう、二人とも。その感じなら、仲直り出来たんだね」
律希は二人の顔を交互に見て、ニッコリと笑った。
そして、海都の方を向く。
「……ちゃんと、向き合えた?」
海都は律希の顔を見て、眉を下げて笑う。
「おかげさまで。……ありがとうございました」
そんな海都の様子に、律希は驚いたように目を丸くする。
「そっかそっか。それならよかった。……じゃあ」
そう言って、律希は凪の手を握って、自身の身体に引き寄せた。
状況を理解しきれていない凪は、瞬きを何回もしている。
「本気、出してもいいよね。わたしも、やっと自分の気持ちに向き合えたから」
「どうぞ〜。俺は凪の隣で見守ることに決めたんで」
律希は、真剣な目で海都を見据える。
そんな律希とは対照的に、海都はヘラヘラと笑って手を振っていた。
「舞台から、降りるの?」
「そういう訳じゃないですけど。……まぁ、貴方が泣かせるようなことするなら、話は別ですね」
そう言って、海都は律希のことを意味ありげに見つめ、凪の肩に手を置いた。
「俺は凪の大切な幼馴染なんで。俺が守るんですよ」
「……そりゃ随分と、愛が重いことで」
「それは貴方もでしょ。お互い様ですよ」
凪の頭の上でそんな会話を繰り返す二人。
凪は徐々に頬を赤く染めて、慌てて二人の間から抜け出した。
「オ、オレの分かんねー話ばっかすんな! ……です!! オレは先に行ってるんでごゆっくり!!」
そう言って、凪は逃げるようにその場を去った。
その凪の姿を見た二人は目を合わせて、吹き出して笑い出した。
* * *
――凪の教室にて。
凪は二人から逃げるように慌てて、教室の扉を開け、中に入る。
すると、教室内の視線が凪に集中した。
「……、……お、おはよう……?」
凪がそう言うと、クラスメイトたちが目を輝かせて凪を取り囲んだ。
「ね、ねぇねぇ! オーロラ姫役、本当にすごかった!」
「同じ男なのに、あの完成度はあり得ねぇだろ!」
「そういえば二年の先輩と文化祭回ってた時、女の子の格好してたよね!? めーっちゃ可愛かったって評判だよ!?」
数々のクラスメイトの言葉に、凪は目を回した。
「あ、あの……。そんな一気に言われても……」
凪がフラフラと後ろに後ずさると、ドンと誰かの身体に当たった。
凪は上を見上げると、海都が「何してんだこいつ」とでも言うような目で見下ろしていた。
「……あ、櫻庭じゃん! 王子役決まってたぞ!」
「そりゃよかったわ。……で、こんな入口に集まって何してんの?」
海都がそう言うと、クラスメイトたちは輝く目で凪に視線を向ける。
「蓮實にオーロラ姫すげーって話してたんだよ! お前ら、本当にすごかった!」
「私めっちゃドキドキしちゃったもん! 二人って仲良いけど、あの距離感はドキドキしちゃうよ!」
「あー……、あれは俺が役に入りすぎて近づき過ぎたんだよ。後で凪に怒られた」
海都は眉を下げて、ヘラリと笑う。
「蓮實って怒んの? いつも静かだからイメージなかったけど」
クラスメイトの言葉に、海都は凪を指差す。
「こいつ俺以外には猫被ってんの。どうにかしろって言ってんだけどな」
「ちょ、海都……!!」
凪は海都の方を向いて、キッと海都のことを睨む。
しかし海都にはまるで効いていない。舌を出して、両手を上げて肩をすくめていた。
「俺、海都と仲良くなれたし、蓮實とも仲良くなりてーんだけど!」
そう言って、一人の男子生徒が凪の肩を組む。
そこで近くにいた女子生徒が「ちょっと!」と声をかけた。
「蓮實くん、華奢なんだからあんたが乗ったら潰れるでしょ!」
「は――? 男同士なんだからこれぐらいいだろ?」
「蓮實くんは女の子でしょ! 馬鹿なの!?」
その瞬間、教室内に静寂が流れる。
そのクラスメイトの言葉を聞いた凪は、時が止まったように口を開いたまま固まった。
「…………え、な、……え?」
「え、嘘……。みんな薄々気づいてるもんだと……」
その女子生徒は目を丸くして、クラスメイトたちを見た。
クラスメイトたちの中でも、特に男子生徒は口をポカーンと開けて固まっていた。
そんな中、凪は彼女の前まで出てくる。
「い、いやいや! オレ、何も言ってなかったし体育も男の方でやってただろ!? なんで!?」
「え、だって明らかに女の子じゃん。目元とか、体型とか。……あとは……」
彼女はニヤリと笑って、人差し指を口に当てた。
「……女の勘、かな?」
「怖いんですけど」
凪は身震いをして、海都の後ろにサッと隠れた。
そして顔だけひょっこり出して、顔を真っ青にさせて震えた声で言う。
「…………お、お願いが、あるんですけど……」
「……? いいけどなんで敬語?」
「………………オ、オレが、女だってこと、誰にも言わないで欲しい。オレは平和に生きたいから……」
凪がそう言うと、彼女はニッコリ笑う。
「もちろんだよ! 蓮實くんがそれを望んでるならそうする! ……ってか、凪ちゃん? いや隠すなら蓮實くんのままがいいか」
彼女はうーんと悩んでいると、近くにいた別の女子生徒も言う。
「蓮實くんがいいなら、そのままがいいんじゃない? というか、私めっちゃ話してみたかったの! 今日、一緒にご飯食べない?」
「あ、私も私も!」
そう言って、多くの女子生徒が目を輝かせて凪の近くにやってくる。
空気を読んだ海都がため息をついて、後ろにいた凪を引き剥がして自身の前に移動させた。
「ほい。コミュニケーションだ。頑張れ〜」
それだけ言って、海都は自分の席に移動した。
「………………え!? 嘘!? おい、海都!!」
凪は海都に助けを求めるも、海都は何も言わず、片手を上げただけだった。
逆に、凪から離れた海都の周りにも、男子生徒たちが集まってくる。
「俺、今まで蓮實が女だって知らんかったんだけど、大丈夫かな。変なことしてねーよな」
「気づかねえよ、あれは。てか、海都は知ってたってことだろ?」
「……まぁ、幼馴染だし」
海都は荷物を机に置いて、席に座る。
そんな海都に、小さい声で耳打ちするクラスメイト。
「…………付き合ってんのか、お前ら」
海都はその言葉を聞いて、目を見開く。
一呼吸置いた後、そのクラスメイトの方を向いて目を細めた。
「……もう、振られてるよ。俺の片想いだ」
――その瞬間、場に沈黙が流れた。
海都に聞いたクラスメイトが焦ったように、両手をパタパタと振る。
「え、わ、悪い! まさかそうだとは思わなくて……」
「いいっていいって! 前の俺ならその言葉で喜んでただろうけど、今はちゃんと客観視出来てるから」
そう言って、海都は凪の姿を見る。
視線の先の凪は、戸惑いながらもクラスメイトたちと楽しそうに話していた。
そんな凪を見て、海都は優しい表情で微笑む。
「ああして凪が幸せに笑っているなら、俺はそれでいいって思うからさ」
「………………櫻庭、お前……」
海都はパッと、クラスメイトの方を見た。
「重くね?」
「うるせぇ。自覚してんだよ。……だからさ、お前ら」
そこで海都はニッコリと微笑んだが、その目は一切笑っていなかった。
「凪に変なことしたら許さねぇからな」
「怖っ!! ほん怖より怖えーよ!!」
凪、海都を中心に、新たな輪が広がった瞬間。
凪がほんの少しだけ一歩前に進めた日。
外の木々は茶色から、葉無しの枝へと移り変わりかけていた。




