第三十話
――三年生の教室の廊下にて。
凪と律希は手を繋いだまま、堂々と上級生の廊下を歩いていた。
凪は、恐る恐る律希を見上げる。
「……あ、あの〜……。堂々と歩き過ぎじゃありませんかね……」
凪がそう言うと、律希は振り返って目をパチパチとさせる。
そしてすぐにニッコリと笑った。
「何か問題でも?」
「いいえ、何もございません」
「だよね。もう少しで着くからね〜」
律希はそのまま笑顔で進む。
「……って、一体どこに……。……、……は?」
凪は辿り着いたクラスの看板を見て驚愕する。
そしてギギギと、ロボットのようにぎこちない動きで律希の方を見る。
「あ、あの、ここって……?」
「ん〜? お化け屋敷だけど?」
律希は何でもない顔で微笑む。
凪の顔色が段々と白くなり、看板と律希の顔を交互に見た。
「まさかここが目的地とか言いますか?」
「そのまさかだけど?」
「ここじゃなくて別のところが行きたいなぁ。あっち行きません?」
凪は冷や汗を流しながら、律希の腕を掴んで反対方向に歩き始めようとする。
律希はそんな凪の腰に手を回し、軽々と身体を持ち上げた。
「こら、勝手に逃げないの〜。おれと文化祭楽しむんでしょ?」
「そ、そうですけど……。べ、別のとこでも、楽しめるかと……」
凪はプルプルと震えて涙目でそう言う。
しかし律希には効かず、律希は凪を上目遣いで見ながら、首を傾げる。
「おれがここに行きたい。……ダメ?」
「……うぐぅ……。何この人……、あざと……」
「はい決定〜。そんなに怖いならこのままでもいいけど」
そう言って、律希はニヤニヤしたまま凪を見つめる。
凪は自分の状況と周りからの視線で、律希に抱き上げられていることに気づく。
「――――っ!? じ、自分で歩けますから――――!!」
お化け屋敷内を、二人はゆっくりと歩いている。
凪は律希の腕に捕まりながら、頬を膨らませて拗ねた表情を浮かべている。
そんな凪とは反対に、律希はクスクスと笑っていた。
「…………なんでピンポイントでここなんですか……。まさか海都に……」
「聞いてないよ。おれが好きなの、こういうの」
そう言いながら、律希は教室内の装飾をまじまじと見つめる。
凪は薄目で、なるべく怖いものを視界に入れないようにしているようだった。
しかし、そんな凪の足首に誰かの手が当たった。
「――っ、ひぇっ!! 手――!?」
驚いた凪は、律希の腕をより強く掴み、無意識に身体を律希に近づけた。
その瞬間、律希は身体をビクリとさせる。
――……っ、ち、近い……。自分から近づく分にはいいけど、向こうからだと予測できないから……。
律希は凪の姿を見下ろす。
女の子の格好で、いつもよりも髪の毛も可愛くしてもらって、涙目でこちらを頼る姿。
いつもよりも変な動悸を感じて、少し頬を赤く染め、口元を片手で隠す。
――……ちょっと怖がる姿が見れたらいいなぁとか思ってたけど、これはちょっと……。
「……やばいかも」
「えっ、何がやばい!? もしかして本物いました!?」
律希の呟きを別の意味で受け取った凪は、顔を真っ青にしてキョロキョロと辺りを見渡す。
律希は凪から視線を逸らし、口をつぐんだ。
出口付近に着き、外の明かりが見えた。
凪は目を輝かせて出口を指差しながら、律希の方を向く。
「……あぁ、出口……! 律希さん、やっと出口!! 呪われなかった!!」
「呪われる訳ないじゃん。学生が作ったやつなんだし」
「そ、そんなの分かんな――」
その瞬間、二人の後ろにいきなり人影が現れて、二人を脅かした。
「ぎゃぁあ――――――!!??」
「うわっ、ビックリした」
流石の律希も驚いたのか、目を丸くして後ろを振り返った。
言わずもがな、凪は大声を上げて律希に思いきり抱きついていた。
そんな二人の様子に、目の前にいる脅かし役の生徒が笑い出した。
「……ふ、あははは……、ははは!! そこの一年の子、脅かし甲斐があって楽しかったぜ。また来てくれよな〜」
そう言って、その生徒は手を振りながら暗幕の奥に入っていった。
律希は凪の方を見て、ニヤリとする。
「……だって。もっかい行く?」
凪は目に涙を溜めたまま、口をワナワナと震わせる。
「――っ、い、行きません!!!!」
そんな凪の叫び声が、教室内に響き渡った。
* * *
――後夜祭、開始三十分前。
律希と凪は、空き教室の椅子に座って休憩をしていた。
文化祭を満喫した律希は、満足そうに笑っている。
「……律希さん、楽しかったですか?」
「うん。文化祭を楽しいって思えたの初めてだよ」
律希がそう言うと、心なしか律希の周りに花が、ぽぽぽと咲いたように見えた。
凪は目を丸くして律希を見る。
――……い、いつもより幼く見えて、なんか……。
「律希さん、可愛いですね」
「――っは、はぁ!? 何言って……」
律希は凪の言葉に、少し頬を赤らめる。
それを見て、凪はここぞとばかりにニヤニヤとして律希に詰め寄った。
「律希さんって、こんな感じではしゃぐんですね? へぇ〜……、可愛いところあるじゃないですか」
律希は凪から距離を取るように、身体を後ろにのけぞった。
その表情は、恥ずかしさからか頬を赤く染めて、口をつぐんでいる。
律希は小さく息を吐くと、ニヤニヤしている凪の両頬を片手で掴む。
そして、頬を染めながらも口角を上げて凪を見た。
「……そんなに蓮實さんは、おれのこと困らせたいの? じゃあおれも君のこと、困らせていいよね?」
「……ひぇ、やりすぎました……!」
凪の顔色は一気に真っ青になり、冷や汗を流す。
律希が面白そうな目で凪を見て、距離を縮めようとした時――。
――ピコンッ。
律希の携帯から通知音が鳴った。
律希は携帯の画面を見ると、海都からのメッセージだった。
「……今日はもう、おしまいかな」
そう呟いて、凪の頬から手を離した。
そして、凪に見られないように携帯を素早く操作して海都にメッセージを送った。
「おれの教室の隣。着替えた部屋は覚えてる?」
「……え? あ、はい。覚えてますけど……」
「そこに行ってごらん。君がいま一番欲しいものがあるから」
そう言って、律希は凪の手を取って、教室の扉まで引っ張る。
何が何だか分からない凪は目を丸くする。
「え? い、いやいや、これから後夜祭……」
「おれはここで見てるから。君もその部屋から見るといいよ」
律希は目を細めて微笑み、凪の頭を優しく撫でる。
「…………頑張ってね」
「だ、だから何を……」
「さぁ、いってらっしゃ――い!」
律希は有無を言わさず、凪の背中を押して教室から出した。
そのまま扉を閉めて、大きく息を吐きながら扉にもたれかかる。
「……また、いつもみたいに告白しに来てね。待ってるよ……」
* * *
律希に無理矢理、教室の外に出された凪は、目的地まで歩いていた。
「……一体何がどうして……」
凪は不服そうにブツブツと文句を言いながらも、目的地に辿り着いた。
扉を開けると、窓際に人影が見える。
目を細めて見ると、そこには今一番、二人で会うには気まずい人間がそこに立っていた。
「――っ、な……、か、……海都っ!?」
「うぉっ、すっげ、本当に来た。あの人すごすぎんか……?」
海都は、凪の姿を見て目を見開いて驚いていた。
二人はお互いを見つめ合う。
――その場に沈黙が流れた。
凪は目の光を無くし、スンッと感情を顔から消す。
そしてそのまま静かに扉を閉めた。
「…………おいおいおいお――い!! 閉めんな、帰んな!!」
海都が思わずツッコミをして、凪が恐る恐る扉をまた開ける。
「……本当に、なんで……?」
「律希センパイがここに来たら凪来るよって教えてくれたから、来た」
「……いつの間に連絡先を」
「お前らが俺の部活の出し物を見に来た時」
凪は大きくため息をついて、頭を抱えた。
――……律希さんが言ってたのはそういうことかぁ〜……。いやでも話は昨日終わってるし……。
そこで、凪はチラリと海都の方を見る。
どことなくソワソワしていて、いつもとは様子が違うように見えた。
凪は決心したように、海都に近づいた。
「…………で、なに?」
「いきなりですか」
「先延ばしにする方が気まずくない?」
「今、それぐらいの逞しさが欲しいよ」
海都は視線を下に向け長く息を吐いて、拳を強く握り締める。
そしてゆっくり口を開いた。
「………………劇のこと、本当にごめん。凪は俺のことを信じてくれていたのに、俺は凪のことを裏切るようなことをした」
凪は黙って、海都の方を見て話を聞いている。
「俺は凪の優しさに甘えてたんだ。凪が隣にいてもいいって言ってくれた、その言葉を利用した。……その結果が、あれだ……」
海都は下唇を噛み締め、律希とのやり取りを思い出す。
――……。
『自分の大事な人を悲しませてんの、誰だって言ってんの。おれは君と話が出来たから、彼女の気持ちに向き合えることが出来てる。……でも、君はどうなの?』
……――。
海都は肩を小さく震わせて、声も少しずつ震え始めていた。
「……凪を悲しませて、昨日みたいな顔をさせた。そんな奴が隣にいる資格はないと思う。けど……」
そこで海都は、顔を上げて凪の顔を見た。
「例え、パートナーじゃなくてもいい。俺は昔も今も、これからも凪の隣で一緒に笑っていたいんだ。もう二度と、凪が嫌だと思うことは絶対にしないと誓う」
海都は震える手を凪に差し出した。
「……俺が隣にいることを、許して欲しい……」
校庭から楽しそうな生徒たちの声が聞こえてくる。
教室内に響くのは、時計の針の音と、二人の息遣いのみ。
凪は差し出された海都の手を見つめる。
――……ここで、この手を受け入れることが正解だと分かる。分かるけど、それでいいの……?
凪は自身の手を出したり引っ込めたり、何かに葛藤する様子を見せる。
その様子を海都は黙って見守っていた。
すると、凪が口を開いた。
「……海都は、いいの?」
凪の言葉を聞いた海都は、瞬きを数回した後、目を細めて凪を見た。
「…………いいんだよ。俺にとっては凪と付き合えないことよりも、凪と離れることの方が嫌だから」
その瞬間、ざぁと、外で風が吹く音が響く。
凪は目を見開き、そして段々と凪の目に涙が溜まっていった。
「……っ、わた、私……! 私の、我儘で……、隣にいてくれてたのに……。海都に"距離取ろう"って……、冷たい、……っ、こと、言ったのに……!」
凪の両目からボロボロと涙が流れて、凪は手で溢れ出る涙を拭う。
「海都のこと、大切だから……っ、……こんなことで、離れたくないけど……。……っ、海都の気持ち考えたら……って、私、酷いこと――」
「そんなことない」
海都はバッサリと凪の言葉を遮った。
目を丸くした凪は、「……え?」と言って海都を見る。
「凪は何も酷いことしてない。……俺は凪のことが好き。凪は律希センパイが好き。それだけだ」
「――っ、……でもっ……!!」
「凪は、昔みたいに俺と話してくれたらそれでいいんだよ。俺は、俺と対等に話してくれる凪のことを好きになったんだから」
凪は海都の言葉を聞いて、余計に大粒の涙を流し始めた。
海都は涙を拭おうと、無意識に凪の頬に手を伸ばす。
しかし寸前のところで止めて、その手を下ろした。
「……こういうとこだよな。気をつける」
海都は気まずそうに凪から目を逸らして、口元を手で押さえる。
そんな海都の様子を見た凪は、瞬きをした後、小さく笑った。
「……っふ、ふふ……。うん、気をつけないとね」
笑っている凪を見て、海都は安心したように肩をなで下ろす。
そしてポケットからハンカチを出して凪に差し出した。
「そのまま手で擦ってたら腫れるから、これ使えよ」
「……ありがと」
凪がそのハンカチを受け取った瞬間、窓の外に花火が上がった。
――……ドーン……!!
その時、電気のついていない教室内が明るくなり、また暗くなった。
凪と海都は、窓の近くに行って夜空を見上げる。
「……後夜祭、始まったな」
「うん。……こんな真っ赤な目じゃ、律希さんに会いに行けないや」
凪は眉毛を下げて、困ったように笑った。
そんな凪の様子を見た海都は、目を丸くした後、優しく微笑んだ。
「……じゃあ、俺と行くか。後夜祭」
「……え?」
凪はパッと顔を上げて、海都を見る。
「あっ、変な意味じゃねーからな! 普通に楽しもうと思って誘ってるだけで! ……いや、凪と行きたいとは、ほんのちょっと少しだけ思ってたけどさ……」
海都は両手を振って慌てながら弁明する。
その瞬間、凪は吹き出した後、腹を抱えて笑い出した。
「……っふ、あはははは!! そ、そんな必死に言い訳しなくてもいいじゃん……! 変なの〜」
「う、うるせぇ! こっちはこっちで気遣ってんのに!!」
海都は顔を真っ赤にして、そっぽを向く。
そして凪から目を逸らしたまま、口を尖らせて言う。
「……で、行くの? 行かないの?」
「――行く!」
そう言って、凪は教室の扉に向かって駆け出した。
「あ、おい! 何で先に行くんだよ!」
「だって昔みたいにって言ったの海都でしょ〜!」
凪は入口で振り返って、悪戯っ子のように舌を出して笑った。
海都も駆け足で凪についていく。
「だからって置いてくか、普通!」
「どうせ海都なら追いつくでしょ!」
そんな掛け合いをしながら、後夜祭会場まで走る二人は小学生の時のように公園で遊ぶ、子どものような笑顔をしていた。




