第二十八話
――次の日。文化祭二日目。
凪はソワソワしながら、二年生の教室の前で律希を待っていた。
前髪を確認したり、身なりを整えたりなど、まるでデート前の彼女のような行動をしている。
――……学校だから男装にしたけど、律希さんも女装だよね……。
そんな凪の後ろから、律希が慌てた様子で教室の扉に手をかけながら話し掛けた。
「――っ、ごめん、お待たせ」
凪は肩をビクリと震わせて、勢いよく振り返った。
「い、いえ!! 大丈夫です!! 今来たばかりなんで!!」
「嘘だよね? ちょっと前からクラスの人が一年生がいるって話してたよ」
「……、それ、オレじゃないですよ?」
「今ここにいるのは蓮實くんだけだよ?」
そう言って、律希はクスクスと笑う。
「……? あれ、髪の毛……」
その時に、凪は律希の髪型が、いつものセミロングのウィッグではないことに気づいた。
よく見ると、律希は男子生徒の制服を身に纏い、ウィッグを外した状態だった。
その姿を見た凪は、声にならない悲鳴を上げる。
「――っ!? な、な、ななな、何で……!?」
凪は律希の上から下までを指差しながら、目を見開いて驚いた表情を見せる。
そんな凪に、律希は吹き出して笑った。
「……っ、ふふ……。やっぱりその反応すると思った。クラスの宣伝も兼ねてこの格好で行ってきてって言われたんだ。……だからほら」
そう言って、律希は自分のクラスのチラシを何枚か持っていた。
それを知ってもなお、凪は動揺したように口をパクパクとさせている。
「……い、いやいや。昨日は執事服、今日は制服。これ以上の情報は処理出来ないです……」
「相変わらず君は面白いね。じゃあ行こうか。おれ、昨日は何も回れてないから」
律希は心なしか、いつもよりもテンションが三割り増しぐらいに高くなっていた。
そのためか少し頬を紅潮させ、口角も上がっている。
凪は律希の姿を見て、目を丸くする。
――……あの律希さんが、テンション高い……? もしかして浮かれてる? 文化祭に?
凪がそんなことを考えて立ち止まっていると、律希は凪の手を取る。
そして有無を言わさず、そのまま進み始めた。
「……わ、ちょ……! 律希さん……!?」
「今、余計なこと考えてたでしょ?」
そう言って、律希は凪の方を見た。
凪はその瞬間、口をポカーンと開けたまま、律希を見つめた。
「…………え?」
間抜け面の凪の頬を、律希は片手で優しく掴んだ。
「……君と一緒だから、かもね」
それだけ言って、凪の頬からパッと手を離した。そして、律希は凪の手を優しく掴んで歩き出した。
その時、凪は昨日のことを思い出す。
――……。
『どうせ誰も見てねーよ。それともただの幼馴染と手を繋ぐのが、そんなに恥ずかしいかよ?』
……――。
律希に繋がれた手をギュッと掴んで、凪は視線を下に向けた。
――……海都。今日は、来るのかな……。
その凪の表情を、律希は見逃してはいなかった。
* * *
――サッカー部のグラウンドにて。
海都はリフティングをしながら、ボーッと空を見上げていた。
「…………おい、海都」
見かねた遥人が軽く声を掛けるが、何も反応はない。
ブチっと遥人の中で何かが切れて、海都の後頭部に思いきりボールをぶつけた。
「……おいっつってんだろうが、この野郎!!」
「いって――!! 暴力反対!! パワハラで訴えますよ!!」
海都は後頭部を押さえて、涙目で遥人に訴えた。
「一回で返事しろ。馬鹿」
「この先輩やだー」
いつも通りの軽口を叩く海都の様子を見た遥人は、眉間に皺を寄せる。
そして大きくため息をついて腰に手を当てた。
「……強がるのはいいけど、店番の時に見せんな。不幸オーラ漂ってんぞ」
「――っ、え、え〜? なんですかそれ〜? 俺はいつも通り元気ですよ?」
そう言って、海都はニッコリ笑って頭の上でピースサインをする。
「……そのポーズ、うぜぇから二度とすんな」
「え、理不尽」
手を下ろして、口を尖らせる海都。
そんな海都に、遥人は首を横に振った。
「……お前が変なのは分かってんだよ。だからといって気抜いてんじゃねーぞ。来たからには真面目にやれ、以上」
それだけ言って、遥人は海都にボールを手渡して自分の持ち場に移動した。
その遥人の背中を見て、海都は目を丸くする。
「………………あの、千蔭さんが? それぐらいやばい顔してた? 俺」
海都はその場にしゃがんで、両手を顔で覆った。
――……そりゃそうだよな。昨日の今日で、メンタル持ち直す方が無理な話か……。
ボーッと頭の中を整理しながら、海都は大きく深呼吸をする。
「……今頃、律希センパイと楽しく回ってんのかな?」
海都は地面にボールを置いて、コロコロと転がす。
その時に上から海都に話しかける声が一つ。
「こんにちは」
「あ、いらっしゃ……、……」
声のする方を向いて立ち上がった海都は、その姿を見て固まる。
そこにはニコニコと笑って海都に手を振っている律希と、気まずそうに目を逸らしている凪が立っていた。
海都はワナワナと唇を震わせる。
「……な、なんでいるんだよ!!」
そんな海都の悲痛な叫び声がグラウンドに響き渡る。
律希がその声に驚き、肩をビクリと震わせて、目を丸くする。
「うわっ、ビックリした。急に大きい声出さないでよ」
「大声も出ますよ、そりゃ!! 来るなんて思ってないですもん!」
そう言って、海都はツカツカと律希に詰め寄った。そして凪には聞こえないぐらいの声量で言う。
「……なんでこいつも連れてきたんですか。今ちょっと喧嘩してて気まずいんですけど」
「やっぱりそうだったんだ。ちなみにどっちが原因?」
律希は確信を持っていなかったのか、首を傾げて海都に聞く。
「俺ですよ!! てか知らんかったんかい!! 自爆じゃん!!」
海都は「あぁぁ……」と唸り声を上げながら、頭を抱えてその場に座り込んだ。
そんな愉快な様子の海都を見ていた凪は、思わずクスクス笑い出す。
凪が笑っているのに気づいた海都は、ジトっとした目で凪を見上げる。
「……笑ってんじゃねぇぞ。分かってんだろ」
その瞬間、凪はスゥと真顔になり、海都を見据える。
「そもそも誰のせいだっけ?」
「俺です」
「君たち本当に喧嘩してるの?」
二人のやり取りを見て、律希は怪訝そうな表情をした。
凪は律希の方を向いて、海都を指差した。
「喧嘩というか、お互いのために距離取ることにしたんです。前みたいな距離感にはならないように」
「よく分からないけど……。……ふーん……」
凪の話を聞いて、律希は目を細めて海都を見る。
「………………なんですか、その目は」
海都が眉を顰めて律希を見ると、律希はなんともない顔で微笑んだ。
「別に? ……ところで、サッカー部は何してるの?」
海都は腑に落ちない様子で、大きく息を吐きながら立ち上がった。
そして、ボールを律希に手渡す。
「俺たちサッカー部員から、一本でもゴールを決めれたら任意の景品が貰えます」
「対戦する部員はこっちが指定するの?」
「そこは何でも。指定してもいいですし、名前が分からなかったらこちらが決めます」
「……なるほどね」
海都の言葉を聞いて、律希はボールを見つめて地面に置いた。
そして海都の方をジッと見つめる。
「…………じゃあ相手は櫻庭くんにお願いしようかな。おれが勝ったら……」
律希は首を傾げながら微笑む。
「おれのお願いを聞いてもらう」
「――っ! 逆に俺が勝ったら?」
海都の問いかけに、律希は「うーん……」と顎に手を当てて考える。
少しした後、思いついたのか、パッと手を広げた。
「君が望むことをするよ。例えば、そうだな……。……蓮實さんから手を引くこと、とかね」
――……ドクンッ……。
海都はその言葉を聞いて、目を見開く。
そして、顔を思いきり顰めて、不機嫌そうに律希を見据えた。
「……前言撤回。やっぱり貴方のこと、信用できない」
「君がどう思おうが関係ないよ。勝つのはおれだもの」
険しい表情の海都とは対照的に、余裕そうな笑みを浮かべる律希。
その様子を少し遠くから心配そうに見る凪。
「……海都……。律希さん……」
ざぁと風が吹き、グラウンドの砂が舞い上がる。
二人はお互いの目をしっかりと見つめていた。
「……三本勝負です。三本以内に決めれれば、律希センパイの勝ちです」
「分かった。じゃあ、やろうか」
そう言って、律希はボールを軽く蹴りながらグラウンドの中に入る。
それに続く海都。
二人は見合って構える。
「……いつでもいいですよ」
「…………そ。なら早速……」
律希は正面突破で、海都の横をスピードで抜こうとする。
抜けたと思った矢先、海都は一歩先に足を入れ、華麗に律希からボールを奪った。
律希は目を丸くして驚く。
「……思ったよりも速いな。流石一年レギュラーだね」
律希は振り向いて、スタート地点に戻る。
そんな律希に、海都は冷たい目をしたままボールを返した。
「俺のこと、舐めてます? そんなショボいドリブルで、よくもまぁ勝てると思いましたね」
「……舐めてないよ。サッカー経験者じゃないから、そんな余裕ないよ。ただ、君の実力を見定めたかっただけ」
「…………そうですか。見えましたか、俺の実力」
海都の言葉を聞いて、律希はフッと笑う。
「見えたよ。君はまだ、牙剥き出しの野生動物だってことがね」
「あ゙ぁ゙? あんまり変なこと言ってると、律希センパイでも容赦しないですよ」
海都は思いきり顔を顰める。
しかし、律希は依然として余裕の笑みを浮かべている。
「……いいよ。本気の君が見たいから」
そう言って、律希はボールを蹴って海都に向かう。
先ほどとは違い、海都の重心の動きを見て、抜こうとしている。
だが、サッカー未経験の影響か、駆け引きの一瞬に僅かの迷いが律希に生じた。
その一瞬を海都は逃さずクリアする。
律希は肩で息をしながら、顎に垂れた汗を軽く拭った。
「……やっぱり未経験者を簡単には勝たせてくれないよね」
「それもありますけど。貴方には負ける訳にはいかないんです、絶対に」
そう言って、海都はボールを律希の足元に蹴る。
そのボールを受け取った律希は、海都を見てフッと笑った。
「…………それは、蓮實さんが天秤にかかっているから?」
律希の言葉に、海都は思いきり律希を睨む。
「それ以上凪を馬鹿にするなら、あんたでも許さねぇぞ」
「……でもさ。蓮實さんにあんな表情させたのは、どこの誰?」
律希は、グラウンドの外にいる凪の方に視線を向ける。
海都も同じように見て、目を見開いた。
二人の様子を見ていた凪の表情は、今にも泣き出しそうなほどに苦しそうな表情を浮かべていた。
その表情を見た海都は、唇を震わせる。
「……な、……な、ぎ……」
「自分の大事な人を悲しませてんの、誰だって言ってんの。おれは君と話が出来たから、彼女の気持ちに向き合えることが出来てる。……でも、君はどうなの?」
「お、俺……は……」
海都は下唇を噛み、視線を下に向けた。
――……凪の気持ちを考えずに、後先のことを何も考えずに、自分のことばかり考えてたのは……。
「………………俺だろ……」
肩を小さく震わせている海都に、律希は肩をすくませる。
そして大きく息を吐いて、海都を見据える。
「……最後の一本だよ。諦める?」
律希の言葉に肩をピクリとさせた海都。
ゆっくりと顔を上げて、涙を溜めた目で律希のことをしっかりと見つめる。
「――っ、……絶対、諦めねぇ……! 俺は、もう、目を逸らさない……!」
そう言って律希を見る海都の目は、前よりも輝いていて強い光が見えた。
律希はそれを見て、嬉しそうに笑う。
「……、やれば出来るじゃん。今の君なら、心置きなく蓮實さんの隣にいられそうだよ」
律希はそのまま、海都に向かってドリブルする。
一本目とほぼ同じ動きだったためか、海都は一歩先に足を出してボールを奪おうとする。
海都の足がボールに触れる、その瞬間だった。
海都の足がボールに当たるより先に、律希はヒールリフトをして海都の足を躱す。
「……っ、な――!? 嘘だろ……!?」
「ごめんね。おれも天才なんだ」
律希は悪戯っ子のように、舌を出して笑った。
そして、そのままゴールに向かってシュートを決める。
ホイッスルが鳴り、グラウンドにいた生徒たちの歓声がその場を包み込んだ。
「……すっ……げ――!! あいつ、一年レギュラーの海都から一本取ったぞ!?」
「あいつって二年のあの園田律希だろ? あんな運動出来たのかよ!」
「ね、ねぇねぇ! あの二年生の先輩、超カッコよくなかった!?」
海都は肩で息をして座り込んだまま、ゴールに入ったボールを見つめる。
――……俺、負けたんだ……。サッカーも、凪のことも……。
そんな海都に、差し出された手が一つ。
海都が見上げると、優しく微笑んでいる律希が立っていた。
「……この世の終わりみたいな顔しないでよ。おれとの賭けに負けただけでしょ」
「それが問題なんですけど……」
海都はその手を取って、その場に立ち上がる。
そして眉を顰め口を尖らせて、か細い声でボソボソと呟いた。
「…………、……お願いって……なんですか」
「…………え? お願い?」
律希はキョトンとして首を傾げる。
そんな律希の様子に、海都は「はぁ!?」と大声を上げた。
「言ってたじゃないですか!! "おれのお願いを聞いてもらう"って!!」
海都の言葉を聞いて、合点がいったのか、律希はポンと手を叩いた。
「……あぁ、それか。……嘘だよ。君を勝負に誘うための口実」
「……………………は、嘘…………?」
海都は口をポカーンと開けたまま、気の抜けた表情で律希を見つめる。
律希はクスクスと笑う。
「君と本気でぶつかるためさ。ああでもしないと、君って腹の底を見せてくれなさそうだったから」
「……あ、あんたって人は……」
海都は両手を強く握り締め、プルプルと肩を震わせる。
律希はフッと笑って、近くにあったボールを海都に手渡す。
そして耳元でボソリと呟いた。
「……ちゃんと、蓮實さんと話してね。今の蓮實さん、元気なくて揶揄い甲斐がないから」
そう言って、律希はニヤリと笑う。
「――っ! ……貴方には、一生敵わない気がします」
「え――? そのまま諦める? いいよ? おれは蓮實さんの隣にいたいから」
「……っ、諦めませんってば!」
ケラケラ笑う律希の額に、海都は軽く投げてボールを当てる。
律希は額をさすりながら、海都をジトっとした目で見る。
「酷くない? 先輩に対しての礼儀がなってないんじゃない?」
「じゃあ貴方は、後輩に対しての配慮が欠けてますね」
二人は見合って、吹き出して笑い出した。
そして海都は、眩しいものを見るように目を細めて律希を見た。
――……あぁ、本当に。この人には、敵わない……。
海都は俯いて、小さく微笑み、誰も聞こえないぐらいの声で呟いた。
「………………ありがとう、ございました……」
「……? 何か言った?」
律希は何も聞こえず、海都の顔を覗き込む。
「……何でもないです。景品、何がいいですか?」
海都は顔を上げて、受付の方を指差す。
景品の山を見て、律希は悩んだ素ぶりを見せたが、首を横に振った。
「……いらないや。今の君の顔が景品ってことで。……あと……」
そう言って、律希は携帯を取り出し、メッセージアプリを開く。
「頑張った君に景品をあげるよ。今日の夕方、後夜祭前に蓮實さんと話す時間」
「――っ、な、なんで……」
律希の言葉に、海都は目を見開いて驚く。
「言ったでしょ。元気のない蓮實さんを見てるのは、おれも嫌だから」
海都は大きく息を吐いて、携帯を取り出して律希の画面を読み取った。
そして、目を細めて笑う。
「…………ありがとうございます。部活の出し物が終わったら、連絡します」
「うん。よろしく」
そう言って、二人はグラウンドの外に向かって歩き出した。
「…………やっぱり景品欲しい。飲み物とかない?」
「いるんかーい」
二人を見下ろす空は、雲一つない晴天だった。




