客が、商品
噂が本当になる街で、呪いの噂に「一行」書き足して無害にする男の話です。
「出品者、割れたよ。三日と言ったけど二日で済んだ。僕は優秀だからね」
乾さんは指を二本立てて、それから机に一枚の紙を滑らせた。住所と、地図のコピー。市内だった。自転車で行ける距離に、あの店はあった。
「発送元は個人宅。差出人名は毎回ばらばらの偽名だけど、集荷の記録は正直だ。……で、行く前にひとつ、僕からも宿題の答え合わせをしたいんだけどね」
乾さんは椅子の背にもたれて、天井に向かって言った。
「なんで犯人は、わざわざ売るんだと思う?」
それは、この三日間、わたしの頭にも刺さりっぱなしの棘だった。
「……お金、じゃないんですか。六百個も売れてるし」
「金なら真っ当に商売した方が儲かるよ。仕入れゼロで縁を刈り取る腕があるなら、もっと直接的な稼ぎ方が山ほどある。それにこの出品者、値段を一度も上げてない。千二百円のまま十一か月。売れ筋商品で値上げしない人間はね、金が目的じゃないんだ」
「なら、何のために」
「常盤くんはどう思う?」
湊さんは窓の外を見たまま、しばらく黙っていた。それから、低く言った。
「……最初は、実験だと思った。第一章――篠宮の件は、文面を一枚配って、街の反応を観察する試験だった。『合格』って返信が何よりの証拠だ。なら今回も規模を上げた実験か、とな。レビュー欄を見て、確信に変わったよ。あれは実験ログだ。考えてみろ。被験者が金を払って参加して、結果を星の数つきで自己申告して、経過報告まで書き込んでくれる。……研究者からすれば、夢のような装置だろ」
「悪趣味な言い方をすれば、ね」乾さんが薄く笑った。「でも僕は、もう半分あると思うな」
「ああ。売るという行為そのものが、仕掛けだ」
湊さんはこちらを向いた。講義の目だった。
「篠宮。噂が器になる条件を言ってみろ」
「えっと……大勢が、同じ形で、繰り返し想像すること」
「そうだ。じゃあ訊くが――金を払って買った人間は、その商品をどう想像する?」
「……効いてほしい、って」
「そうだ。疑いながら買う奴はいない。千二百円払った瞬間から、客は『効く』と信じたがる。届いた日も、鞄につけた日も、恋の行方に一喜一憂する日も、毎日毎日、同じ形で想像する。レビューを読んで買った客は、なおさらだ。最初から揃った想像を持って参加してくる」
背中が、すっと冷えた。
「つまり、あいつは御守りを売ってるんじゃない。販売という形で、揃った想像を調達してる。器を硬くする反復を、客が金を払って引き受けてくれる。……客が、商品なんだよ。あの店で売り買いされてるのは、六百二十三人分の想像だ」
「宣伝も配送もプラットフォームがやってくれる。レビュー欄という反復装置も標準装備。現代のフリマアプリってのはね」乾さんは心底愉快そうだった。「呪いの流通網として見ると、完璧すぎるんだよ」
実験ログで、想像の調達装置。答えは二つ出た。でも、と、わたしは思った。まだ足りない。
「……切れた縁は、どこに行くんですか」
二人が、同時にこちらを見た。
「材料にする、って言いましたよね。新しい縁を一本編む材料。でも、切れた縁の全部が新しい恋に使われてるとは限らない。もし、余りが出てるなら――余りは、誰の手元に溜まってるんですか」
湊さんは答えなかった。答えないことが、答えだった。
地図の家は、拍子抜けするほど普通の家だった。
二階建ての建売住宅。花の枯れたプランター。夕方の五時なのに、家全体がどこか、留守みたいに静かだった。
そして、表札。
「……湊さん。これ、読めますか」
表札は、ある。木の板に、確かに文字が彫ってある。彫ってあるのに――目が滑る。読もうとすると、視線が文字の上を、氷の上を滑るみたいに、通り過ぎてしまう。
「読めん」湊さんの声が硬くなった。「三十年この仕事をやってるが、名前が読めない家は初めてだ」
インターホンを押す前に、玄関が開いた。
女の子が立っていた。わたしと同じ歳くらい。細くて、色が薄くて、輪郭のあたりが夕方の光に少し溶けているような子。その顔を見た瞬間、わたしは、あ、と声を上げそうになった。
文化祭の、買い出しの子だ。一緒にアイスを食べた。よく笑う子だった。
名前だけが、今も、出てこない。
「……わたしのこと」その子は、わたしを見て、掠れた声で言った。「覚えて、ますか」
覚えてる。覚えてるよ。喉まで出かかって、名前の入るべき場所で、言葉が空白に呑まれた。その半端な沈黙を、彼女は慣れた顔で受け止めた。何十回も、同じ沈黙を受け止めてきた顔だった。
「……いいんです。みんな、そうだから。どうぞ。散らかってますけど」
通された部屋を見て、わたしは息を呑んだ。
発送用の封筒の山。梱包材。宛名のラベル。そして机の上に、小さな錦の袋が、整然と何十個も並んでいた。あの、縁結びのお守りが。
「am_04」湊さんが静かに言った。「最初の購入者で――今の、発送係だな」
彼女は、こくりと頷いた。
「十一か月前、お試しで買ったんです。ほんとに好きな人と、付き合えました。でも親友と喧嘩して……戻したくて、もう一個買って。そしたら今度はお姉ちゃんと。それも戻したくて、また買って……」
買うたびに、一番太い縁から順に、刈り取られていく。恋はとっくにどうでもよくなって、失った縁を買い戻すために買い続け、最後には――何も、残らなかった。
「全部なくなった日に、DMが来たんです。出品者さんから。……『在庫を預けます。あなたが売った分だけ、縁を返してあげます』って」
だから彼女は、この部屋で、毎日お守りを梱包している。見知らぬ誰かの一番大切な縁が刈り取られる装置を、自分の縁を取り戻すために、発送し続けている。
「……それで」湊さんの声は、怖いくらい平坦だった。「十一か月で、返ってきた縁は、いくつある」
長い沈黙のあと、彼女は首を横に振った。
ゼロ。六百二十三個を売って、ゼロ。
「最後に確認だ。あんた、自分の名前を言えるか」
彼女は口を開いた。音は、出た。確かに何かを発音した。なのに、その音は耳に入った端から砂みたいに崩れて、意味として残らなかった。彼女は机の隅の紙に、ペンで自分の名前を書いた。書いた文字は、表札と同じように、目の上を滑った。
「……鋳型ってのは、名前が芯だ」湊さんが呟いた。「その芯から、溶けてる。――正直に言う。かなり、まずい段階だ」
彼女は、それでも少しだけ笑って、言った。
「でも、まだ大丈夫なんです。縁、最後のひとつだけ、残ってるから」
「……誰との縁だ」
「出品者さん、です」
彼女は、宝物の場所を教えるみたいに、スマホのDM画面をそっと差し出した。
「この人だけが、毎日、わたしに連絡をくれるんです。名前で、呼んでくれるんです」
途中から読んでくださった方へ。
以下1話のリンクになります。
https://ncode.syosetu.com/n7029mv/1/




