↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
怪異は文章通りにしか動かない〜噂が現実になる街で、怪異を解く〜  作者: パリトン
界隈法廷

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
36/41

動機の王

噂が本当になる街で、呪いの噂に「一行」書き足して無害にする男の話です。


沈黙は、長かった。


 嘘のつけない堂で、答えられない被告。傍聴席の誰も、咳ひとつしなかった。閻のおばあさんだけが、湯呑みに新しいお茶を注いで、静かに言った。


「待ちますよ。急がなくていいの。……この堂はね、嘘は抜くけれど、沈黙は裁かないの」


 湊さんは、たっぷり湯呑み一杯分の時間をかけて、それから、口を開いた。


「――分からない」


 砂は、鳴らなかった。


「……三十年、考えなかった日はない。感謝してるのかと訊かれれば、してる。あの冬、俺は死ぬはずだった。生きて、店を持って、湯呑みが四つになった。全部あいつの一枚のおかげだ。……なら恨んでないのかと訊かれれば、恨んでる。俺の三十年を、俺の同意なしに書き換えた。俺の死ぬ権利ごと、勝手に預かった。……この二つが、俺の中で、分離できない。赦す、と言えばたぶん砂になる。恨んでいる、と言っても、砂になる。……三十年あいつを探してたのは、殴るためでも礼を言うためでもなく——答えを出すのを、保留するためだったのかもしれん」


 最後の一文まで、砂は一粒も、鳴らなかった。


 閻のおばあさんは、綴りに何かを書き込んだ。


「……記録します。『被害者の被害感情は、未決』。……いいのよ、それで。四十年この座卓に座ってるけどね、赦したか恨んでるか、綺麗に答えられた被害者なんて、片手で足りるの。あなたの『分からない』は、ここ数年でいちばん、正直な証言でした」


「では、二件目に入ります」


 おばあさんは、綴りの新しい頁を開いた。


「ただ今の証言により、この堂は認定します。三十年前、常盤湊を、同意なく杭に打った者は——存在する。被害者が実在し、被害が実在する以上、加害者も実在する。名は、なくてもね」


 そして、筆を執った。


「よって本廷は、被告二名目を、以下の呼称で指定します。——被告、『常盤湊を書いた者』」


 名前の代わりに、一意の記述で宛先を打つ。


 ……それは、あの夜、湊さんがおかえりちゃんに使った手と、同じだった。閻のおばあさんは、老眼鏡越しに、ちらりと被告席を見た。


「あなたが先日お使いになった手ですよ、被告。いい手は、法廷でも使うの」


 湊さんが、渋い顔をした。自分の外道の儀が、判例になった瞬間だった。


「開廷に先立ち、意見陳述の申し出が一件。……楢井(ならい)さん。どうぞ」


 立ち上がったのは、傍聴席の、あの数珠の老人だった。


 小柄で、背筋が伸びていて、歩き方に、長く務めた人の静けさがあった。証言台に立ち、数珠を握った手を、一度だけ、押しいただくようにしてから、老人は話し始めた。


「楢井と申します。元、調停者。四十四年前に引退しました。……理由は、妻です」


 声は穏やかで、堂の空気に、よく通った。


「妻は、婿に来た私と、村を出る計画を立てておりました。それを知った妻の母親が——娘を、家に打ったのです。『あの家の一人娘は、生涯、村の外で眠れない』。姑が半年かけて村中に信じさせた、小さな小さな噂でした。……妻は村を出られないまま、四十年、あの家の縁側で年を取り、一昨年、あの家の畳の上で死にました。姑は最期まで言い続けましたよ。おまえのためだった、と。……その言葉はね、皆さん。姑の臨終の床で、一度も、砂になりませんでした。あれは、本心だったのです」


 堂が、静まり返った。


「私は今日、二人の被告のために来たのではありません。この堂が、これから量刑を考えるにあたって、一つの言葉を退けていただくために、参りました。——愛、という言葉です」


 老人は、被告席の湊さんを見て、それから、誰もいない、もう一つの被告席を見た。


「聞けば二件目の被告は、死にゆく友を救うために打ったそうですな。美しい。実に美しい。……ですが皆さん、私は四十四年、この堂の砂の音を聞いてきた。志願なき錨打ちの弁明で、砂にならなかった言葉を、私は一つしか知らない。加害者たちは皆、口を揃えて言うのです。愛していたから、と。そして、それは砂にならない。娘を打った母も。妻を縛った夫も。子を家に繋いだ親も。全員、本当に、愛していたのです」


 数珠が、微かに鳴った。


「愛は、情状ではありません。——動機の王です。この罪において、愛は例外的な言い訳ではなく、最も標準的な凶器なのです。もし本廷が『愛ゆえに』の一言で刃を鈍らせるなら、この国のすべての善意の檻が、明日から胸を張る。私の妻を四十年縁側に縛った姑が、墓の下で、正しかったことになる。……どうか。愛の量ではなく、奪った同意の量で、裁いてください。以上です」


 砂は、最初から最後まで、一粒も鳴らなかった。


 全部が、本心で。全部が、正論だった。わたしは気づけば、半分、頷いてしまっていた。頷きながら、胸のどこかが、何かが違う、と小さく言っていた。何が違うのかは、まだ、言葉にならなかった。


 昼休廷。


 わたしと結は、息継ぎをしに堂の外へ出た。門前町の通りは、のどかな昼だった。のどかな、はずだった。


 乾さんは、参道の茶屋の縁台にいた。「嘘のつけない部屋なんて、僕は商売柄、入るだけで破産するからね」と、朝から堂には近寄りもしなかった人が——珍しく、笑っていなかった。


「……ちょうどよかった。二人とも、ちょっと、そこの土産物屋を見ておいで」


 言われた店先で、店主のおじさんが、饅頭の箱を掲げて、観光客に声を張っていた。


「うちの饅頭は、この町いちばんの、めいぶ——」


 ざり。


 「名物」の三文字が、店先で、砂になった。おじさんは、きょとんとして、言い直した。「めい……」ざり。もう一度。ざり。観光客が、気味悪そうに離れていく。


 通りの向こうでは、転んだ男の子が、駆け寄る母親に「いたくな——」ざり、と崩れて、崩れた途端、火がついたように泣き出した。痛くない、という強がりごと、抜かれて。


 そして、茶屋の隣のベンチ。喪服の帰りらしいおばあさん二人。片方が、片方の手を握って、言った。


「……きっと、天国で見てて、くれます——」


 ざり。


 慰めの言葉が、砂になった。言った方も、言われた方も、真っ白な顔で、固まっていた。


「……ね?」乾さんが、湯呑みを置いた。「朝からずっと、こうだ。範囲は、堂を中心に広がってる。——この町、堂の外まで、正直になり始めてるよ」

途中から読んでくださった方へ。

以下1話のリンクになります。

https://ncode.syosetu.com/n7029mv/1/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。