↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
怪異は文章通りにしか動かない〜噂が現実になる街で、怪異を解く〜  作者: パリトン
老けたな

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
29/41

盗まれた死

噂が本当になる街で、呪いの噂に「一行」書き足して無害にする男の話です。


「二つ目の取り立てだ。――誓いの話をしよう」


 湊さんは、机の箱には触れないまま、言った。


「思い出したぞ、ハカセ。あの噂は、お前が一方的に書いたんじゃない。『それまで、そのままでいて』『ああ、待ってる』。……誓いだ。二人で作った文面だ。なら訊く。あの誓いの終わりを、十七のお前は、どう想像してた」


 ハカセは、組んだ手の上から、ゆっくりと顔を上げた。


「……その質問に答える前に、常盤さん。一つ、訂正させてください。あなたは今、誓いの『終わり』を訊いた。ですが、あなたはそもそも――誓いの『始まり』を、誤解している」


「……何?」


「あなたは、こう思っている。『近所の噂に、たまたま自分が囚われた。ハカセの無邪気な一言と、自分の頷きが、引き金になった』と。……不運な事故。子どもの遊びの、暴発。そうでしょう?」


 ハカセは、首を、横に振った。


「違います。あの文面に、無邪気な一字は、ありません。あれは、設計です。半年かけて、わたしが書いた。目的も、対象も、最初から一つでした」


 部屋の空気が、変わった。


「常盤さん。……あなたは、覚えていない。ご両親が、必死で隠したから。ですが、わたしは聞いてしまった。あの年の秋、あなたの家の廊下で。医者の言葉を、ご両親の泣き声を」


 ハカセは、一度、目を閉じた。三十年前の廊下の寒さを、思い出す顔だった。


「――十七歳の常盤湊は、死にかけていた。冬を越せない、と言われていた」


 誰も、声を出せなかった。湊さん本人が、一番、動けなかった。


「思い当たる節が、あるはずです。あの年、あなたはよく眠った。よく熱を出した。医者に行くたび、ご両親は病名を教えてくれなかった。……あなたは『失くして困るものが何もない』ガキだったんじゃない。失くす予定のものしか、なかったんです」


「……待て」湊さんの声が、掠れた。「待て。じゃあ、あの噂は」


「『朝四時四十七分の始発を見送った子は、その日のまま、歳を取らない』――歳を取らない、ということはですね、常盤さん。その日のまま、ということは」


 ハカセの声は、静かで、正確で、三十年分、震えていた。


「病も、その日のまま、進まない。……延命装置です。わたしが、あなたのために書いた、世界で最初の。文面は近所の子ども百人に、半年かけて信じ込ませた。ですが器を、あなた一人に確実に投錨するには、儀式が要った。文面の中の場面を、現実に、演じる儀式が。――『始発を、見送る子』。誰かが見送るためには、誰かが、発たなければならない」


 あ、と、わたしは声を漏らしていた。


 鏡の底の、あの朝。旅立つ理由を語った少年。『ここにいたら、僕は、僕の研究ができない』。


「……嘘だったんですね。あの、旅立ちの理由」


「半分は」ハカセは、わたしの方を見て、薄く笑った。「研究がしたかったのは本当です。ですが順番が逆だ。発つ必要があったから、発つ理由を作った。あの噂の起動条件は、見送りだった。わたしは、装置の部品として、自分をあの始発に乗せたんです。……十七年住んだ町と、たった一人の友人を、装置の起動と引き換えに」


 それまで、そのままでいて。


 あの無邪気な別れの言葉は、別れの言葉じゃなかった。処方箋だった。泣きそうな顔で笑っていた少年は、友達の命を止めるために、自分の人生から、友達を切り離していた。


「――証明が要りますか」


 ハカセは、詩の方を、見た。


「三代目の詩さん。お宅の帳簿の、常盤湊の台帳。一枚目の、依頼主の欄。……読めましたか、一度でも」


 詩の顔から、血の気が引いていった。手帳を開く手が、震えていた。ページを繰って、一番古い一枚に辿り着いて――詩は、そこで固まった。


「……砂に、なってる。依頼主の名前だけ。……ずっと、経年の掠れだと思ってた。先代も、そう言ってた。古すぎて読めないだけだ、って」


「わたしです」


 ハカセは、事もなげに言った。


「三十年前、始発を降りたその足で、わたしは保管の家を訪ねた。十七の子どもが、生きた原本を一枚持って。……『友人に延命の文面を打ちました。原本を、預かってください。彼を、見ていてください。毎月の経過を、報せてください』と。対価は、わたしの生涯の労働で払う契約でした。――お宅の家が三十年やってきた所有とは、常盤さん。あなたの命の、委託管理です。依頼主は、わたし。……詩さん。あなたの家は三十年、何も知らずに、立派に仕事をしてくれた。毎月の報告書は、一通も欠けたことがない」


 毎月の、報告書。


 傘を一人でささない律儀さ。荷札を読むときの目つき。あの男が知っているはずのない、湊さんの三十年の細部。出所は、鏡じゃなかった。詩の家の、月例報告だった。


「うちが……」詩の声は、聞いたことのない音をしていた。「うちが、三十年。あんたの、観測装置……」


「人聞きの悪い。看護記録です」


 湊さんは、その間、一言も発していなかった。机の上の、小さな木の箱を、ずっと見ていた。三十年、恋い焦がれた箱を。


「……つまり」


 やっと出てきた声は、自分の足元を、一歩ずつ確かめる声だった。


「この箱を開けたら、三十年が、いちどきに返ってくる。……三十年だけじゃ、ないんだな。あの冬から止まってる、俺の――」


「はい」


 ハカセは、頷いた。合理の男は、ここで嘘をつくことの無駄を、誰よりも知っていた。


「中断された死も、続きから、返ってきます。開ければ、あなたは四十七歳になり、そして、おそらく数日で――三十年前の冬の、続きを迎える。……常盤さん。あなたが三十年探し続けた『出口』の正体は、それです。わたしは三十年前、あなたの死を、一度盗みました。この箱は、盗品の返却口です」


 三十年、開けることだけを夢見た箱が。


 ちゃんと終わるための、たった一つの出口だと信じた箱が。


 中断された処刑の、再開ボタンだった。


「……なんで」湊さんの声が、初めて、割れた。「なんで、言わなかった。三十年前に。一言、病気のことを言えば、俺は――」


「言えば、あなたは断ったからです」


 ハカセは、即答した。三十年前に答えを用意していた即答だった。


「十七のあなたは、そういう男だった。『俺のために、お前が町を出るのか』と言って、装置ごと、蹴ったでしょう。……だから、黙って打ちました。あなたの同意は、『待ってる』の一言だけ、貰いました。それが、志願なき錨打ちというなら――」


 ハカセは、そこで初めて、部屋の隅の執行人を、真っ直ぐに見た。


「――ええ。界隈で最初にその罪を犯したのは、三十年前の、わたしです」


途中から読んでくださった方へ。

以下1話のリンクになります。

https://ncode.syosetu.com/n7029mv/1/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。