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怪異は文章通りにしか動かない〜噂が現実になる街で、怪異を解く〜  作者: パリトン
老けたな

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契約と妖刀

噂が本当になる街で、呪いの噂に「一行」書き足して無害にする男の話です。


出発の朝、湊さんは、みんなに全部話した。


 鏡の底のこと。幼馴染のこと。名前が砂になったこと。そして――噂が、二人で作った誓いだったこと。隠さなかった。「言うと手伝うと言い出すからだ」と黙っていた男が、今回は、洗いざらい話した。それが鏡を覗いた男の、一番の変化だった。


「……つまり、あなたの三十年は」詩が、低い声で言った。「被害届じゃなくて、契約書だったってこと」


「そういうことになるな」


「うちの蔵の原本は、誰の手で書かれてたの」


「さあな。……だが、確かめる価値はある。帰ったら見せてもらうぞ、所有者殿」


 詩は、答えなかった。答えない横顔が、何かを計算し始めていた。三十年前、あの原本を蔵に納めたのは、先々代だ。誰から、受け取って。この娘の家は、思っていたより深く、この話の根に絡んでいる。


 電車で、二時間半の距離だった。乾さんの精査した地図は、糸の方角と綺麗に一致していた。海沿いの、古い町。


「一つだけ、決まりごとを言っておく」改札の前で、湊さんは足を止めた。「始発には、乗らない。何時に着こうが、どんなに急ごうが、だ」


「……維持費、ですか」結が訊いた。


「いや」湊さんは、少しだけ笑った。「ただの、験担ぎだ。三十年前、俺は始発を見送る側だった。今度あのホームに立つときは――見送りも、置いていかれもしない。全員で乗って、全員で降りる。それだけだ」


 九時十二分発の、なんでもない各駅停車に、わたしたちは乗った。


 車内で、わたしは、ずっと考えていたことを口にした。


「湊さん。……噂が『誓い』なら、話が変わりませんか。だって、箱を開けなくても――誓いは、果たせば終わるんじゃ」


 湊さんの目が、こちらを向いた。


「『必ず戻る。それまで、そのままでいて』『ああ、待ってる』。……この文面、もう、半分果たされてますよね。あの人は、戻ってきた。湊さんの前に、姿を見せた。なら、残ってるのは」


「――『待ってる』の、終わらせ方だけ、か」


 湊さんは、窓の外を流れる海を、長いこと見ていた。


「考えなかったわけじゃない。だがな、篠宮。誓いってのは、破るのは一瞬だが、果たし終えるのは難しい。『待つ』は、いつ完了する? 再会した瞬間か? それとも、待ってた用件――『続きを持って戻る』の、続きとやらを受け取った瞬間か? 文面ってのは、こういうとき、書いた奴らの想像に依る。そして書いたのは、十七のガキ二人だ。十七の俺たちが、この誓いの終わりをどう想像してたか――正直、思い出せん」


「……じゃあ、確かめることが、また一個増えましたね」


「ああ。箱と、誓いと、あいつの顔。取り立てる物が、三つになった」


 言い方が、少しだけ、軽くなっていた。三十年逃げていた記憶と正面から向き合った男は、絶望するかと思いきや、逆だった。敵が「幼馴染」になり、呪いが「契約」になったことで、この人の中で何かが、交渉可能なものに変わったのだ。


 乗り換えの駅で、それは待っていた。


 ホームの端。柱の陰。黒い学生服みたいな詰め襟の、若い男が立っていた。わたしたちより少し上――十八か、十九。感情の乗っていない顔で、真っ直ぐに、こちらを見ていた。そして、その手に。


 布で巻かれた、細長いものを、提げていた。長さも形も、どう見ても、一つしかない。


 湊さんが、わたしたちの前に、すっと出た。


「……随分な出迎えだな。律(りつ)の家か」


 律。詩の顔色が、変わった。知っている名前の、変わり方だった。


「常盤湊」若い男の声は、平坦だった。必要な音だけで出来ていた。「界隈法廷より、出頭命令。咎は一つ。――志願なき、錨打ち」


 やっぱり、来た。乾さんの忠告が、最悪の時機に、現実になった。


「執行人が直々に、ご苦労なことだ。……なあ、取り込み中なんだ。出頭には応じる。三日待て。三日で戻る」


「待たない」


 即答だった。交渉の余地を探す間すら、なかった。


「志願なき錨打ちは、人を杭に打つ罪。三十年前、俺の先代は、その罪に家族を杭にされて死んだ。……あの儀を打った人間を、俺は一分たりとも、野に置かない」


 男は、布の結び目に、指を掛けた。布が、はらりと落ちる。


 現れたのは、一振りの刀だった。ただし、鞘が見えなかった。鞘のあるべき場所は、何十枚もの荷札で、鱗みたいにびっしりと覆われていた。大小の、古びた、色の違う荷札たち。一枚一枚に、細かい字。あれ全部が、文面。あれ全部が、小さな噂。歩く武器庫だ――燃えて消えた、うちの棚の、刀の形をした同類。


 そして柄の根本に、一枚だけ、他と格の違う、黒ずんだ古い荷札が結ばれていた。遠目にも、一行だけ読めた。


『妖刀は、抜かれたら、鞘に戻らない』


 ……お伽級。


「湊さん、あれ――」


「動くな、全員」湊さんの声から、軽さが消えていた。「……厄介なのが来た。あの黒い荷札は、この国の刀の地層だ。抜かせるな、が正解の相手だよ」


 執行人・律は、柄に手を掛けたまま、最後通告を、平坦に言った。


「常盤湊。歩いて来るか。――斬られて、運ばれるか」


途中から読んでくださった方へ。

以下1話のリンクになります。

https://ncode.syosetu.com/n7029mv/1/

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