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怪異は文章通りにしか動かない〜噂が現実になる街で、怪異を解く〜  作者: パリトン
老けたな

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読めない文字

噂が本当になる街で、呪いの噂に「一行」書き足して無害にする男の話です。


「整理しよう。僕らは今、どうやっても負けない相手と戦おうとしている」


 翌日の会議には、乾さんも呼ばれた。地図代の振込は、本当にあったらしい。「気味が悪いから倍額返しておいたよ」と言いながら、乾さんはホワイトボード代わりの段ボールに、二本の矢印を書いた。


「湊くんが箱を開ける→あいつは『終わりを選んだ標本』の完全な記録を手に入れる。開けない→『保存に同意した標本』が手に入る。……分かるかい、この試験の完成度が。答案用紙のどこに丸をつけても、採点者が満点になる。白紙で出しても、たぶん満点だ。『選択を保留した標本』としてね」


「じゃあ、どうしろって言うんですか」


「普通なら、詰みだね。……ただ、一個だけ、原理的な穴がある」乾さんは、段ボールを指で叩いた。「この試験はね、あいつが観測して、初めて成立するんだよ。開けた瞬間を見て、記憶して、毎朝想像する――全部、観測者がいる前提だ。つまり崩し方は一つ。答案を、採点者に読めない文字で書くことだ」


「読めない文字って、具体的には」


「さあね。それを考えるのが、道中の宿題だよ」


 会議が本題に入る前に、湊さんが、机に荷札を置いた。蔵に残されていた、あの荷札を。


「先に、こいつの正体を言っておく。……昨日一晩、検分した。紐の切り口を見ろ。根本から、儀式的に切られてる。乱暴に毟ったんじゃない。作法通りに、解錨されてるんだ」


「解錨……って、じゃあ」結が、目を見開いた。「荷札を切られた道具は――」


「そうだ。眠る。俺の棚の連中と同じだ。文面と器物は、紐で結ばれて初めて道具になる。切れば、ただの箱と、ただの紙だ。……つまり今、あいつの手元にある玉手箱は、開けても何も起きない、木の箱だ」


 部屋が、静まり返った。


「あいつは箱を盗んで、魂の方を、俺たちに寄越した。……分かるか、この意味が。箱を機能させるには、荷札を箱まで運んで、結び直す必要がある。運べるのは、俺たちだけだ。俺は、自分の棺桶の鍵を、自分で届けに行くわけだ」


 合理の男の、合理の設計だった。奪い合いは無し。強制も無し。選択の全部を、こちらの手に握らせる。握らせることで、逃げ道を全部埋める。


「――なら、行かなければいい」


 言ったのは、詩だった。会議の間、ずっと黙っていた詩が、初めて口を開いた。


「荷札はうちの蔵で封印する。箱は向こうで、永久にただの木の箱。あの男の試験は、永久に採点できない。……それが一番、堅い」


「お前の依頼は『探せ』だったはずだがな」


「見つかったじゃない。在り処も、状態も。依頼は完了よ」詩は、真っ直ぐに湊さんを見た。「常盤湊。うちはあなたの所有者として、命じることもできるのよ。行くな、と」


「……なら、命じてみろ」


 長い、長い沈黙があった。


 詩は、命じなかった。命じられるのに、命じなかった。手帳の角を握る指が、白くなって、それから、ゆっくりと解けた。


「……命令しても、あなたは行く。三十年、そういう男だった。なら、命令を無駄にする方が――もったいない」


 その言い方が誰の口癖と同じか、気づいて、詩は苦い顔をした。


「行くわ。わたしも。荷札は、うちの管理財産だもの。運搬には管理者が同行する。それだけよ」


「湊さん。……一個だけ、訊いていいですか」


 解散間際、わたしは訊いた。ずっと、誰も訊けなかったことを。


「箱の前に立ったら――開けるんですか」


 結が、湯呑みを持つ手を止めた。詩が、帳簿から顔を上げなかった。顔を上げないことで、聞いていることを隠せていなかった。


 湊さんは、少し考えて、それから、正直に言った。


「……分からん」


 誤魔化しでも、格好つけでもなかった。三十年探した男の、剥き出しの本音だった。


「三十年、開ける日のことだけ考えて生きてきた。だがな、篠宮。三十年前の俺には、失くして困るものが、何も無かったんだ。……今は、湯呑みが四つある」


 それだけ言って、湊さんは、茶を淹れに立った。四つの湯呑みに、順番に。詩は自分の分が当然のように出てくることに、一瞬だけ、瞬きをした。


 出発は、明朝と決まった。


 その夜、寝付けなくて水を飲みに降りたわたしは、事務所の明かりに気づいた。


 覗いた隙間の向こうで、湊さんが、鏡の前に立っていた。布は、掛かったままだった。掛かったままの布に、手が、伸びかけては、下りる。伸びかけては、下りる。三十年、触らなかった男の手が、何度も。


「……行く前に、確かめておくことが、あるんだよ」


 こちらに気づいているのかいないのか、湊さんは、独り言みたいに言った。


「あの朝、本当は何があったのか。俺は、当事者のくせに、覚えてることが少なすぎる。三十年、思い出そうとしなかった。怖かったからだ。……だが、あいつの前に立つなら、丸腰の記憶じゃ駄目だ。原風景は、こいつの中に、全部残ってる」


 湊さんの手が、今度は、下りなかった。


 布を、掴んだ。


「――付き合え、篠宮。証人が要る」

途中から読んでくださった方へ。

以下1話のリンクになります。

https://ncode.syosetu.com/n7029mv/1/

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