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怪異は文章通りにしか動かない〜噂が現実になる街で、怪異を解く〜  作者: パリトン
老けたな

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蔵と目録

噂が本当になる街で、呪いの噂に「一行」書き足して無害にする男の話です。


詩は、宣言通りに来た。


 それも、毎日。放課後にわたしが顔を出すと、湊さんの椅子には当たり前のように詩が座っていて、湊さんは丸椅子に追いやられている。結の淹れたお茶に「渋い」と文句をつけ、空っぽの棚を見ては嫌味を言い、帳簿を勝手にめくる。


「ねえ。あなた、篠宮澪よね。目が合うと失くす子」


「……もう、失くしません。ほどいてもらったので」


「知ってる。目録に載ってるもの。第三百十二号案件・篠宮澪、第三百十三号・仮名『結』、第三百十四号・藤井航平」詩は指を折った。「あなたたちの事件、全部うちの帳簿に写しがあるの。この男の仕事は、全部わたしの管轄だから」


 結が、湯呑みを持ったまま固まった。自分の名前が、他人の家の帳簿に、仮名つきで載っている。その気味の悪さに、詩はまるで頓着しなかった。持ち主というのは、そういう生き物らしかった。


「――で、本題。玉手箱の話をするわよ」


 詩は、鞄から薄い手帳を出した。表紙に何も書いていない、古い手帳だった。


「まず基礎から。浦島太郎は知ってるわね。亀を助けて、竜宮城で遊んで、帰ったら何百年も経っていて、開けるなと言われた箱を開けたら、お爺さんになりました。――お伽級の中でも、最古で最深の地層のひとつよ。この国で『開けてはいけない箱』と聞いて、あの白い煙を思い浮かべない人間は、いない」


「その地層に投錨した箱が、実在する」湊さんが、静かに引き取った。声が少しだけ、掠れていた。「……噂だけは、三十年前から追ってた。どこかの誰かが、いつかの時代に、あの昔話を箱に投錨した。開けた者に――過ごさなかった時間が、返ってくる箱だ」


 過ごさなかった時間が、返ってくる。


 止まった人にとって、それが何を意味するか。三十年ぶんの歳月が、返ってくる。この人は四十七歳になれる。歳を取って、老いて、いつか――ちゃんと、終われる。航平くんの、あの無邪気なナイフの一言が、耳の奥で蘇った。


「三十年、探したよ」湊さんは、空っぽの棚を見た。「怪異を調べ尽くして、道具を集めて、同業の噂を買い漁った。箱の影も踏めなかった。……で? お前の依頼は『探せ』だ。つまりお前は、俺が三十年掴めなかった何かを、掴んでるってことだな。在り処か。持ち主か」


 詩は、手帳を開いた。開く前に、一度だけ、目を伏せた。それは彼女がこの店に来てから初めて見せる、高慢でも帳簿でもない仕草だった。


「――うちの蔵よ」


 時間が、止まった。


「玉手箱は、うちの蔵にあった。三十年前から、ずっと」


 湊さんは、動かなかった。動かないことが、どれだけの音を立てているか、部屋の全員に聞こえていた。


「……あった、と言ったな。過去形だ」


「一年前に、消えた。蔵から。――盗まれたの」


「順番に、聞かせてもらおうか」


 湊さんの声は、静かだった。静かで、平たくて、19話の朝よりも、ずっと怖かった。


「俺が三十年、血眼で探してた箱が。俺の原本を握って、俺の仕事を全部帳簿につけて、月に一度俺の顔を検分してきたお前の家の、蔵の中に。三十年、あった。……お前は、それを知ってて、黙ってた。先代も。先々代も」


「そうよ」


 詩は、目を逸らさなかった。逸らさないために、力を使っているのが、同い歳のわたしには分かった。


「言う理由が、なかったもの。あなたは、うちの管理財産よ。歳を取らない調停者――この国に二人といない、うちの一番の資産。その資産が、箱を開けて、四十七歳のおじさんに戻って、そのうち死ぬ。……家にとって、何の得があるの」


 帳簿の言葉だった。完璧に、帳簿の言葉だった。だからこそ、わたしは見てしまった。それを言い切ったあと、詩の指が手帳の角を、白くなるほど握り込んでいるのを。


「……ああ、そうかよ」湊さんは、長い長い息を吐いた。「で、その大事な資産管理のご一家が、蔵から箱を盗まれた、と。間抜けな話だな」


「言ってなさい。……盗まれ方が、問題なの」


 詩は手帳から、一枚の紙を抜いて、机に置いた。古い、変色した荷札だった。紐が、根本から綺麗に切られている。


「蔵は無傷。錠も、守りの文面も、全部無傷。消えたのは箱だけ。――そして犯人は、これだけを置いていった。箱に付いていた、箱の荷札を。紐を切って、蔵の床の真ん中に、まるで領収書みたいに」


 箱は持っていくが、文面は置いていく。荷札を読み解くことに三十年を費やした男への、これ以上ない挨拶だった。誰の仕業か、名乗っているのと同じだった。


 湊さんは、荷札を摘み上げた。三十年探した宝物の、値札を。指が、少しだけ震えていた。読み上げる声は、震えていなかった。


「『玉手箱を開けた者には、留守にした年月が、いちどきに、返される』」


 いちどきに。


 三十年が、一度に。それは「ちゃんと終われる」なのか、それとも――ただの、処刑なのか。


「……いい文面だ」湊さんは、笑った。笑い方が、ひどく乾いていた。「三十年恋い焦がれた女の顔を、初めて拝んだよ。思ってたより、人相が悪い」


途中から読んでくださった方へ。

以下1話のリンクになります。

https://ncode.syosetu.com/n7029mv/1/

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