噂の性質
噂が本当になる街で、呪いの噂に「一行」書き足して無害にする男の話です。
「講義をする。十五分で終わる。金は乾に払った分に含まれてるから安心しろ」
翌日の放課後。潰れた時計屋の二階で、常盤湊はホワイトボードの代わりに、その辺の段ボールをマジックで叩いた。
「あんたの敵は噂だ。なら、噂という生き物の性質を知らないまま戦うのは、ルールを知らずに将棋を指すのと同じだ。──性質は、三つ」
段ボールに、大きく「一」と書かれる。
「性質一。噂は、文面が全てだ。」
「文面……でも、噂って書くものじゃなくて、言うものですよね」
「書き込みから始まろうが、口から始まろうが同じだ。人から人へ渡るうちに、噂はひとつの決まった言い回しに削れていく。その言い回しを、俺は文面と呼んでる」
「『篠宮澪と目が合うと、大事なものをひとつ失くす』。噂はこの言い回しの通りにしか働けない。言われた通りに、言われた範囲で、言われた数だけ。──だから訊く。目が合って、二つ失くした奴はいるか?」
「……いない、と思います」
「目が合ってないのに失くした奴は」
「いません。みんな、目さえ合わせなければ大丈夫だって」
「そうだ。あんたを避ければ発動しない。噂は融通が利かない。条件、範囲、数──文面が檻であり、同時に急所だ。ここは後で効いてくるから覚えておけ」
マジックが「二」を書く。
「性質二。噂は、信じられた分だけ動く。」
湊さんは棚から古い補聴器を取ってきて、机に置いた。昨日も見た、値札くらいの茶色い厚紙の札が、紐で結びつけてある。札には細かい字がびっしり書かれていた。
「その札が荷札だ。書いてあるのは、この補聴器にまつわる噂の文面。ここの棚の物は全部、噂を一本ずつ背負ってる。そして荷札に書かれたことだけは、本当にできる」
値段の代わりに、その物に何ができるかが書いてある札。そう思えば、少しだけ分かる気がした。
「こいつは、街に落ちてる"噂を信じる声"を拾う道具だ。昨日あんたに耳を貸したら、あんたの噂はもう街の外れまで聞こえた。……だがな、篠宮。噂ってのは、生まれた瞬間から力を持つわけじゃない。信じる人間が一定の数を超えるまでは、ただの悪口だ。一行の書き込みが現実を曲げるまでには、必ず助走がいる」
「助走……」
「時系列を書き出すぞ」
段ボールの余白に、湊さんは横線を引いた。
「書き込みが二か月前。三日後、隣の席の消しゴム。一週間後、先輩の家の鍵。──この時点で、噂を本気で信じてた奴は何人いた?」
「……ほとんど、いなかったと思います。笑い話でした」
「だろうな。じゃあ、おかしいと思わないか」
マジックの先が、時系列の頭を二度、叩いた。
「**信じられていない噂は、働けない。性質二だ。なのに"的中"している。**──つまり最初の消しゴムと鍵は、噂の仕業じゃない。人間が、手で、盗んだんだ」
教室の空気が、二か月分まとめて裏返った気がした。
「じ、じゃあ、あれは……」
「出来レースだ。的中の実績を積んで、信じる人間を増やすための撒き餌。……勘違いするなよ。犯人は、噂が本当になるなんて思っちゃいない。欲しかったのは呪いじゃなく、"篠宮には近づかない方がいい"って空気の方だ。消しゴムや鍵なんて、失くしても誰も『盗まれた』とは思わない。疑われる危険はほとんどないのに、噂だけは一気に本当らしくなる。割のいい手品だよ。最初の種さえ仕込めば、あとは観客が勝手に信じて、勝手に噂を本物にしてくれる。……そして考えろ。隣の席の消しゴムと、先輩の家の鍵。あんたの周りの人間が『大事なもの』と呼ぶ物を選んで、盗める距離にいた人間──犯人は、あんたの日常の中にいる」
わたしは黙った。顔が、次々に浮かんでは消えた。それが一番、嫌だった。
「最後だ」
マジックが「三」を書いた。心なしか、線が重くなった。
「性質三。噂は、消せない。」
「……消せない? ほどくのが仕事だって、昨日」
「『ほどく』と『消す』は違う。いいか、噂は殺せない。忘れられるまで死なない。そして──無理に宿主から引き剥がせば、溜まった信じる力は行き場を失う。行き場を失った力は、形を取る」
「形……」
「怪異になる、ってことだ。あんたから噂だけ毟り取れたとして、二か月分の"信じられた恐怖"が消えてなくなるわけじゃない。あれは質量だ。捨て場のない質量は、この街では歩き出す。──だから力ずくの解決は最初から選択肢にない。正攻法は一つだけ」
湊さんは「一」を丸で囲んだ。
「性質一に戻る。文面が檻なら、檻を書き足す。噂は消せないが、同じ噂の続きなら接げる。元の文面の後ろに、『ただし──』で始まる例外を一文だけ書き足す。それが但し書きだ。たとえば『ただし、こうした人は失くさない』。そいつを元の噂と同じ経路で流して、元の文面とくっつけて、一つの文面に育てる。元の恐怖を燃料にしたまま、ルールの出口だけ書き換える。……これが『ほどく』だ」
「そんなこと、できるんですか」
「できる。ただし但し書きは、元の文面と喧嘩しない条件じゃないと接がらない。だから犯人を先に特定する。元の噂がどういう設計思想で書かれたかを知らないまま接ぎ木すると、失敗して──性質三のお世話になる」
つまり、と湊さんは指を三本立てた。昨日と同じ仕草で。
「手順はこうだ。一、犯人を特定する。二、但し書きを設計して流す。三、剥がれかけた信じる力が暴れたら──まあ、それは俺の仕事だ。傘は多めに持っていく」
傘立ての、荷札だらけのビニール傘を顎で示された。何がどう傘なのかは、怖くて訊けなかった。
「……あの。ひとつ、わからないことが」
「言ってみろ」
「消しゴムと鍵が、人間の仕業だとして。……水島くんの声は? 声は、盗めません」
訊いた瞬間、湊さんの目が細くなった。褒められたのだと、少し遅れて気づいた。
「そうだ。それが今回の案件で、唯一まともに不気味な点だ。消しゴムと鍵は手品で説明がつく。だが声だけは──信じる人間がまだ少ないうちに、盗めないものが盗まれている」
湊さんは補聴器を耳に掛け、上着を掴んだ。
「順番に潰す。まずは会いに行くぞ」
「え、誰にですか」
「決まってるだろ」
ドアを開けると、夕方の街の音が流れ込んできた。どこにでもある、なんでもない音。
「──声を失くした男だ。声が出ない人間ってのはな、篠宮。嘘が下手になるんだよ」
途中から読んでくださった方へ。
以下1話のリンクになります。
https://ncode.syosetu.com/n7029mv/1/




