今日も空がきれいだよ
噂が本当になる街で、呪いの噂に「一行」書き足して無害にする男の話です。
三週間後の朝、わたしはまた、悪い癖を出した。
怖いものほど、確かめたくなる。
通学電車の中で、おもいで箱を開いた。藤井航平のページ。偲ぶ会のあと、投稿はぴたりと止まっていた。二週間、更新なし。母親は千夏ちゃんいわく「よく寝るようになった」。仏壇に手を合わせて、朝ごはんを二人分ちゃんと作って、生きてる方の子どもの話を聞くようになった。終わったのだと、思っていた。
今朝、六時十二分。新着が、一件。
『今日も空がきれいだよ』
テンプレだった。一字一句、あの定型文のままだった。
アプリは投稿と同時に、フォロワー二百人に通知を飛ばす。「藤井航平さんのページが更新されました」。放課後までに、いいねが四十七件ついていた。『久しぶりの更新うれしいです』『航平くん、みんな忘れてないよ』。
みんな、忘れてないよ。
その一行が、この世で一番やさしい呪いの文面に見えて、わたしはアプリを閉じた。
「……知ってた、って顔ですね」
放課後の事務所で画面を見せると、湊さんは頷きもしなかった。それが頷きだった。
「言っただろ。噂は消せない。俺たちがほどいたのは結び目一個だ。編み機の方は、無事だ」
「でも、お母さん、ちゃんと蓋を開けて、ちゃんとお別れして……」
「したさ。あの日のあの人は本物だった。……だがな、篠宮。悲しみってのは、一回泣けば終わる水たまりじゃない。毎朝また溜まる。そして枕元のスマホは、毎朝六時に訊いてくるんだ。『今日、航平くんに伝えたいことはありますか?』ってな。二週間は耐えた。三週目のどこかの朝、耐えるより指を動かす方が楽な朝が、一回だけあった。――一回あれば、いい。反復ってのは、そういう生き物だ」
結が、湯呑みを持ったまま、下を向いた。
「じゃあ……また、編まれるんですか。航平くんの鋳型」
「編まれる。前より少しゆっくり、前より少し遠くな。今度の像には、千夏の悪口の砂も、偲ぶ会の記憶も混ざってる分、マシではある。だが投稿の九割はテンプレに戻る。テンプレは、揃えるための道具だからだ。……一年後か、二年後か。濃くなったら、また誰かがうちの階段を、音を立てずに上ってくる。そいつは航平の顔をして、航平より礼儀正しくて、航平を知らない」
湊さんは、窓の外を見た。
「そのたびに、ほどく。うちはそういう店だ。……治療じゃない。対症療法だよ。病巣はアプリの向こうだ。乾に調べさせたがな、おもいで箱の運営はペーパーが三枚重なってて、その先は海の向こうだ。利用者は全国で数十万。レビュー四・九。遺族会が推薦して、自治体が終活セミナーで配ってる。……もう、学校一つ分の話じゃない。国一つ分の編み機が、善意で回ってる」
誰も悪くない、が一番たちが悪い。縁結びのお守りの件で覚えたはずのことを、わたしはまた、一段深いところで覚え直した。
夕方、意外な客が来た。千夏ちゃんだった。紙袋を提げて、階段をちゃんと軋ませて。
「これ。お礼」
紙袋の中身は、プリンが四つ。「四つなの」と彼女は言った。それ以上は説明しなかったし、誰も訊かなかった。
「ママ、また書いてるよ。『箱』に」お茶を出した結に、千夏ちゃんは先回りして言った。「知ってる。朝、通知来るもん。……いいの。昼間のママは、ちゃんとこっちにいるから。夜だけだから。……夜くらい、いいよ、もう」
小六の子どもが、夜くらいいいよ、と言うまでに飲み込んだものの量を思って、わたしは何も言えなかった。
「あのね。私、決めたことがあって」
千夏ちゃんはプリンの蓋を丁寧に剥がしながら、宣言した。
「私は、『箱』には一生書かない。私のお兄ちゃんは、ここで覚えてるから」
自分のこめかみを、スプーンの柄で、こつんと突いた。
「テンプレじゃなくて、プリン泥棒のまま。私が覚えてる限りは、お兄ちゃん、あっちの綺麗なやつに全部は乗っ取られない。……でしょ? 仕組み的に」
「……ああ」湊さんは、真面目に答えた。子ども扱いをしない声だった。「一粒の砂だ。効くよ。あんたが覚えてる限りはな」
私が覚えてる限りは。
その言葉の期限のことを、この場の全員が考えて、全員が口にしなかった。砂は、いつか尽きる。編み機は、尽きない。
千夏ちゃんが帰ったあと、郵便受けに、それは入っていた。
切手のない、白い封筒。宛名は万年筆の綺麗な字で、一行。『常盤湊様』。
中身は、カードが一枚。
『不合格です。
遺された方々の心の支えを、あなたは解体してしまった。正直、意外でした。あなたなら、ほどかない方を選ぶと思っていたのです。
――保たれ続ける像の価値を、この世界であなたほど正確にご存知の方は、いないはずですから。』
湊さんは、それを二度読んだ。表情は、動かなかった。動かないように、しているのが分かった。
保たれ続ける像。三十年、忘れられていないのに、本人を知る者がいない男。この文面は、湊さんの三十年を、正面から名指ししていた。
カードには、続きがあった。裏面に、同じ綺麗な字で、一行だけ。
『次の商品は、試供品をお送りします。――今度は、こちらから伺いますね。』
湊さんはカードを荷札の箱の一番奥にしまい、鍵をかけた。燃やさなかった。それが何を意味するのか、わたしにはまだ分からなかった。
窓の外で、夕方のチャイムが鳴る。この街のどこにでもある、なんでもない音。
そして今夜もどこかで、誰かの枕元のスマホが、やさしく訊くのだ。
――今日、大切なあの人に、伝えたいことはありますか?
途中から読んでくださった方へ。
以下1話のリンクになります。
https://ncode.syosetu.com/n7029mv/1/




