最初の投稿
噂が本当になる街で、呪いの噂に「一行」書き足して無害にする男の話です。
「昨日、見せなかったものを見せる」
翌日の放課後、事務所の机に、湊さんはスマホを置いた。おもいで箱の、航平のページ。半年分の綺麗な思い出の、一番下。一番古い、最初の投稿。
テンプレが導入される前の、たった一件の、生の声。
『ごめんね』
投稿者は、母親。日付は、葬儀の三日後。それだけだった。三文字だけだった。空がきれいだとも、好きだった曲を聴いたとも、書いていなかった。
「……この三文字が、あんたの鋳型の最初の一針だ」湊さんは静かに言った。「他の二百人は、この投稿を見ていない。半年分の綺麗な報告の下に埋まってるからな。だが母親の中では、今もこれが全部の土台にある。――航平。あんたの記憶から消えてる『前の日』に、母親が謝らなきゃいけない何かがあった。ほぼ確定だ」
航平は、湯気の立たない湯呑みの前で、長いこと黙っていた。
「……調べる方法、あるんですか。家族には、僕のことは見えないし、聞けないし」
「一人だけ、いる」湊さんは指を立てた。「あんたのページに、三か月前から一度も投稿してない家族が」
妹の千夏ちゃんは、週に二回、塾の帰りに遠回りをするらしい。行き先は、あの交差点だった。
夕方の交差点に、小さな花束はなかった。花を供えるのは母親の役目で、千夏ちゃんは手ぶらで、ガードレールの前に立つだけだ。わたしと結は少し離れて待った。声をかける段取りだったのに、かけられなかった。
千夏ちゃんが、喋り始めたからだ。誰もいない交差点に向かって。
「……おはよ。じゃなくて、こんにちは、か」
隣で、航平が固まるのが分かった。彼はついてきていた。妹に会うのは、死んでから初めてだと言っていた。家には、近づけなかったのだと。
「今日ね、ママ、また『箱』に書いてた。空がきれいだって。……バッカみたい。お兄ちゃん、空とか一回も見たことなかったじゃん。ずっと下向いてゲームしてたじゃん」
航平の顔が、揺れた。
「みんなさ、お兄ちゃんのこと、優しかったとか、爽やかだったとか書くの。誰のこと書いてんだろって思う。お兄ちゃん、サボり魔で、ゲーマーで、私のプリン勝手に食べて冷蔵庫に空の容器戻すやつだったじゃん。……最悪だったじゃん」
千夏ちゃんは、笑おうとして、失敗した。
「あの日もさ。塾サボってゲームの大会出たのバレて、ママと大喧嘩してさ。お兄ちゃん、ひどいこと言ってさ。ママも、ひどいこと言い返してさ。次の朝、誰も『いってらっしゃい』言わなくてさ。……そのまま、これだもん」
ガードレールを、小さな手が、こつんと叩いた。
「バカじゃないの。……うち、めちゃくちゃだよ。ママは『箱』の中の綺麗なお兄ちゃんとばっかり喋ってる。パパは何も言わない。私があの日のこと言おうとすると、みんな、耳が壊れたみたいになる。……だから私、ここでしか、本物のお兄ちゃんの話ができないんだよ」
帰り道、航平はずっと無言だった。事務所に戻って、湯呑みの前に座って、ようやく口を開いた。
「……変な気分でした。妹が話してた『お兄ちゃん』、僕、全然知らないんです。プリンのことも、ゲームの大会のことも、覚えてない。他人の話を聞いてるみたいだった。……でも」
彼は、透けた自分の手を、握ったり開いたりした。
「聞きながら、ずっと思ってました。そっちが本物なんですねって。……僕より、そっちの方が、ずっと生きてるみたいだった」
「整理する。あんたの鋳型のカルテだ」
湊さんは段ボールに、三行書いた。
「一、原文。『優しくて爽やかだった藤井航平』。テンプレ二百人分の合作だ。二、成立の経緯。起点は母親の『ごめんね』――罪悪感が、思い出したくない一日を切り落として、残りを綺麗に磨き上げた。アプリの通知とテンプレが、その綺麗な像を毎朝、二百人分揃え直してる。三、歪み。前日の空白と、進行する綺麗化。……ここまではいい。問題は、なんであんたが『自分は綺麗すぎる』と気づけたかだ」
「……どういうことですか?」
「鋳型は平均値だ。二百人が綺麗な航平しか想像してないなら、あんたは疑うことすら出来ないはずなんだよ。疑うための材料が、像の中に無いんだから。――だが、一人だけいた。毎週二回、交差点で、本物のあんたを声に出して反復してる奴が」
あ、と結が小さく声を上げた。
「千夏ちゃんの独り言が……」
「そうだ。あの子の本音が、鋳型に混ざってる一粒の砂だ。二百人の綺麗な想像に、週二回、サボり魔でプリン泥棒の航平が上書きされる。比率で言えば誤差だ。だがその誤差が、あんたの中の違和感になってる。あんたが自分を疑えるのは、妹のおかげだよ。……皮肉な話だがな。家族で一番あんたに怒ってる奴が、家族で一番、あんたを本物のまま覚えてる」
航平は、しばらく俯いて、それから顔を上げた。
「ほどく方法、あるんですか。僕が僕のまま――じゃないな。本物の航平のまま、終われる方法」
「ある。だが穏便じゃない。……鋳型をほどくには、編んでる連中の想像を、揃え直す必要がある。綺麗な嘘から、不細工な本物へ。テンプレじゃなく、生の記憶で。――要するに、な」
湊さんは、段ボールの余白に、四文字書いた。
「偲ぶ会をやる。あんたの、本物の方の。プリン泥棒で、サボり魔で、母親と大喧嘩した藤井航平の偲ぶ会だ。笑い話と、悪口と、後悔をまとめて出させる。坊主が法事でやってることの、乱暴な短縮版だよ。……ただし急所が一個ある。母親だ。あの人の中の『前の日』の蓋が開かない限り、この鋳型はほどけない。そして蓋を開けるってことは――」
「母さんに、あの日を思い出させる、ってことですよね」
航平の声は、落ち着いていた。落ち着いていて、それが逆に、痛かった。
その夜、帰り支度をしているとき、航平がぽつりと言った。
「……澪さん。僕、少しだけ、思い出したんです。前の日のこと」
「え……いつの間に」
「たぶん、千夏の話を聞いてから。空白に、色が戻ってきてて。……全部じゃないんです。一個だけ。僕が最後に母さんに言った言葉だけ」
彼は、初めて、顔を歪めた。綺麗な思い出で出来た顔を、初めて、綺麗じゃない形に。
「――『母さんなんか、いなければいいのに』って。僕、そう言ったんです。それが最後で、次の朝、僕の方が、いなくなったんです」
途中から読んでくださった方へ。
以下1話のリンクになります。
https://ncode.syosetu.com/n7029mv/1/




