綺麗すぎる思い出
噂が本当になる街で、呪いの噂に「一行」書き足して無害にする男の話です。
お茶は、四つ淹れた。一つは、湯気を眺めるだけの客のために。
「すみません。……いい匂いは、分かるんです」
藤井航平は、掴めない湯呑みの前で律儀に頭を下げた。結がそっと、湯呑みの向きを彼の方へ直した。意味なんてない。ないけど、そういうことをする子なのだ、結は。
本題の前に、結が昨日の続きを蒸し返した。空気を柔らかくするためだと、後で分かった。
「そういえば湊さん。お伽級って、外国にもあるんですか。昔話って日本だけじゃないですよね」
「ある。当たり前だ」湊さんは茶を啜った。「地層はどこの国にもある。向こうじゃグリムが一番深い。シンデレラの左の靴だけを持ってる同業者がヨーロッパにいる。履ける人間を、大陸の端からでも探し当てる靴だ。あとはパン屑。撒くと家までの道が消えない。……言っておくが『お伽級』ってのは俺の勝手な呼び名だからな。がらんどうと同じだ。向こうの連中は別の名で呼んでる。地層に国境はないが、呼び名には国境がある」
「へえ……」と、感心したのは、航平だった。「なんか、いいですね。世界中の子供が聞いたお話が、一番硬いって」
いい子だ、と思った。そして、その「いい子」さが、この後、一番痛い場所になる。
「聞かせてもらう。最初から、順番に」
航平の話は、整理されていた。何度も、一人で反芻してきた話し方だった。
死んだのは半年前。自転車の事故。気づいたら、家の近くの交差点に立っていた。最初のうちは自分でも「薄い」のが分かった。景色の一部みたいなものだった。それが、ここ二、三か月で急に「濃く」なった。足音はまだ無いが、輪郭がはっきりして、考えることが増えて――先週、台所の母親が、誰もいないはずの廊下を、振り向いた。
「先に、こっちの見立てを言う。残酷な話になるが、いいか」
「はい。そのために来ました」
「幽霊ってのは、死んだ本人の魂じゃない。残された人間の頭の中の、故人の像だ。家族が、友達が、毎日思い出す『藤井航平』の像が揃って、器になって、中身が注がれた。……つまり、あんたは」
「僕じゃない」
航平は、静かに引き取った。取り乱しもしなかった。
「……知ってました。ずっと、変だと思ってたんです。あの、笑わないで聞いてほしいんですけど――僕の記憶、綺麗すぎるんです」
「綺麗すぎる?」
「思い出せる記憶が、全部、いい思い出なんです。家族で花火を見た。母さんの誕生日にケーキを買いに行った。妹に自転車を教えた。……全部、本当に、いい思い出で。でも」
彼は、自分の透けた手のひらを見た。
「僕、記憶の中で、一度も怒ってないんです。反抗期のはずなんです、中二なんだから。母さんと喧嘩した記憶が、一個もない。妹に意地悪した記憶も、テストを隠した記憶も、ない。……そんな中学生、いますか? いませんよね。生きてる人間は、そんなに綺麗じゃない」
誰も、何も言えなかった。
「だから、たぶん僕は、本物の航平じゃなくて――家族が覚えていたい航平なんです。都合の悪いところを消した、平均値なんです」
自分の存在の種明かしを、こんなに礼儀正しくする人を、わたしは初めて見た。
「濃くなった時期に、何かあったはずだ。二、三か月前。家で、変わったことは」
「あります。それも話そうと思ってました。――母さんが、アプリを始めたんです」
航平の言うアプリを、結がすぐに検索した。
『おもいで箱』。オンライン追悼サービス。故人のページを作り、家族や友人が日々の報告を投稿する。命日や誕生日には通知が届く。合言葉は――「大切な人に、今日も、ただいまを」。
レビュー、四・九。「毎日続けられます」「気持ちの置き場ができました」「家族で共有できるのが素敵」。
「母さん、毎朝投稿するんです。仏壇に手を合わせるみたいに。父さんも、週末に。妹も、クラスの友達も、部活のみんなも。僕のページ、フォロワーが二百人いるんです。……死んでから、友達が増えました」
冗談のつもりで言ったのだろう。誰も笑えなかった。
結がスマホの画面を湊さんに向けた。その顔が、強張っていた。
「湊さん。これ……テンプレ機能があります。『今日の報告』を書くときに、定型文が選べるんです。『今日も空がきれいだよ』『あなたの好きだった曲を聴きました』『そっちは元気ですか』――投稿の半分以上が、テンプレそのままです。二百人が、毎日、同じ文面で」
同じものを、同じ形で、繰り返し。
湊さんは長いことスマホの画面を見つめて、それから、聞いたことのない低さで言った。
「……反復の自動化だ。通知が投稿を促して、テンプレが想像を揃える。喪服を着た、完璧な培養装置だよ。遺族の善意と悲しみを燃料にして、鋳型を太らせ続ける。……この設計の趣味、嫌になるほど見覚えがある」
良すぎる文面には、書いた奴がいる。
「それで、あの、相談というのは」
航平は、座り直した。折り目正しく、両手を膝に置いて。ここからが本題なのだと、背筋が言っていた。
「僕を、ほどいてください」
結の肩が、跳ねた。
「このままだと、僕、どんどん濃くなります。そして濃くなるほど、たぶん、本物の航平から遠くなる。だってみんな、いい思い出しか投稿しないから。僕はどんどん綺麗になっていく。……それに、母さんが。最近、僕のページにばっかり話しかけて、妹の話を聞かないんです。生きてる方の子どもより、綺麗な方の息子を見てるんです。……僕がいたら、駄目なんです」
自分をほどいてくれという依頼を、家族のために出す。それはこの子が家族の「覚えていたい像」だからなのか、本物の航平も、こういう子だったのか。
もう、誰にも分からないのだ。それが、この事件の一番静かで、一番残酷なところだった。
「……仕事として受けるかどうかは、調べてから決める」
湊さんはそう言って、おもいで箱のページを、一番古い投稿まで遡り始めた。半年分の、綺麗な思い出の記録を。その指が、ある日付で、止まった。
「航平。ひとつ確認だ。――あんた、死んだ日の、前の日のことを覚えてるか」
航平は記憶を辿る顔をして、それから、初めて、返事に詰まった。
「……いえ。……変だな。その日だけ、真っ白です。前の週のことは覚えてるのに、前の日だけが、ない」
「そうか」
湊さんはスマホを伏せて、わたしたちには見せなかった。
見せなかったことが、何よりも、答えだった。
途中から読んでくださった方へ。
以下1話のリンクになります。
https://ncode.syosetu.com/n7029mv/1/




