失ったもの、残されたもの
調査は、その後も続いた。デメトリオは、騎士としての職務に関する規定に違反し、虚偽を含む証言によって他者の名誉を傷つけようとした責任を問われた。調査の結果、彼が意図的に証言を歪め、職務上知り得た情報を私的な目的に利用しようとしたことが確認された。彼は騎士見習いとしての任務を解かれ、騎士団への正式な採用は認められなかった。更に、今後、王宮の機密情報を扱う職務に就くことも制限された。
子爵家にとっても、決して小さな問題ではなかった。家名そのものが取り潰されるような処分ではなかったが、三男の不祥事によって、家門の信用は傷ついた。デメトリオは、父から厳しく叱責され、家の後援を受けて出世する道も失った。彼は、自分の力で未来を切り開くしかなくなった。
それは、かつて彼が当然のことだと考えていた生き方だった。しかし、今となっては、その道がどれほど険しいものかを、以前よりも深く理解していた。エルミラとの関係があれば、自分の努力を短縮できる。そう考えたことが、そもそもの間違いだった。彼女が自分を好きだったことは、確かだったのかもしれない。けれど、その気持ちを利用しようとした瞬間、自分は彼女が信頼してくれた理由そのものを裏切ったのだ。
デメトリオは、何度もエルミラに謝罪の手紙を書こうとした。だが、結局、一通も送らなかった。許してほしいと願うことさえ、今の自分には身勝手な望みに思えたからだ。いつか、彼女が自分のことを思い出しても、嫌悪だけを抱かずに済む日が来るかもしれない。その可能性にすがることは、もうしなかった。
彼女の未来は、彼女のものだった。自分が望んだ地位も、自分が描いた将来も、彼女が与えてくれるものではなかった。
デメトリオは、初めてその事実を受け入れた。
イネスの処遇についても、正式な決定が下された。
調査によって、彼女がエルミラへの嫉妬から告発の内容を誇張し、デメトリオと協力して婚約の解消を促そうとしていたことが認定された。また、特待生という立場を利用して得た機会を、私的な目的のために使おうとした点も問題視された。王立学園は、彼女の特待生資格を取り消した。ただし、それまでに得た学業上の成果まで否定されたわけではない。学園側は、彼女の成績と学力を認めたうえで、今回の行為に対する処分を決定したのである。
イネスは、卒業を目前にして、学費の免除と宮廷での進路支援を失った。ロレンシオからの個人的な援助も、そこで終わった。
彼は、彼女に対して必要以上の報復を求めなかった。しかし、彼女を特別扱いすることもなかった。それは、イネスにとって何よりもつらいことだった。彼は、まだ自分を憎んでいるわけではない。けれど、以前のように会いに来ることはなくなった。贈り物も、何気ない手紙も届かない。彼女のために時間を作ることも、なくなった。
ある日、イネスはロレンシオに最後の面会を申し込んだ。短い時間だけならば、と許可が下りた。彼女は、王宮の応接室で彼を待っていた。やがて扉が開き、ロレンシオが入ってきた。
「お久しぶりです、殿下」
「ああ」
ロレンシオは、向かいの椅子に腰を下ろした。以前なら、彼はもっと気軽に話しかけてくれただろう。彼女が緊張していれば、冗談を言って笑わせてくれたかもしれない。しかし、今の彼は王太子としての礼節を保ち、静かに彼女の言葉を待っていた。
「……殿下は、もう、わたくしを愛していらっしゃらないのですか?」
イネスは、どうしても尋ねずにはいられなかった。ロレンシオは、暫く考えた。
「君と過ごした時間を、偽りだったとは思っていない」
「それは……」
「君に惹かれたことも、君の努力を尊敬していたことも、本当だ。だが、今の私には、君と以前のような関係を続けることは出来ない」
イネスは俯いた。
「わたくしが、過ちを犯したからですか?」
「それだけではない」
ロレンシオは、静かに答えた。
「君が何を望んでいたのか、今なら解る。君は、私を愛していた。同時に、私の隣に立つことで得られる地位や未来も望んでいたのだろう」
イネスは否定できなかった。
「そのこと自体を、全て否定するつもりはない。誰もが、自分の未来を望む権利を持っているからだ。だが、君はその未来を手に入れるために、エルミラの名誉を傷つけることを選んだ」
「……はい」
「私は、その選択を許すことは出来ない」
イネスの目から、涙が零れた。
「わたくしは、殿下のことが好きでした。本当に、好きだったのです」
「解っている」
「それでも……」
「それでも、君の望みが叶うとは限らない」
ロレンシオは、優しくも厳しい声で告げた。
「君が私を愛していたことと、私が君を伴侶として選ぶことは別の問題だ。そして、私が君を愛していたことと、君の過ちを許すことも別の問題なんだ」
イネスは、顔を覆った。
彼女が欲しかったのは、愛情の証明だった。自分を選んでくれること。自分を特別扱いしてくれること。自分が望めば、その望みを叶えてくれること。そうしたものを、彼女は愛されている証拠だと考えていた。
しかし、ロレンシオは違った。彼は、彼女を愛していても、彼女の望みを全て叶えることはしなかった。彼女が間違えたときには、間違いだと告げた。
そのことが、彼女には理解できなかった。理解できないまま、彼女は彼の愛情を失った。
「……わたくしは、これからどうすればよいのでしょうか」
涙に濡れた声で、イネスは尋ねた。
ロレンシオは、暫く彼女を見つめていた。
「自分で考えるんだ」
「殿下……」
「君には能力がある。努力できる人間でもある。それは、今回のことで全て失われたわけではない」
彼は立ち上がった。
「だが、次に進む前に、自分が何をしたのかを考えてほしい。身分が低かったから失敗したのでも、エルミラがいたから失敗したのでもない。君自身が選んだ行動によって、今の結果が生まれたんだ」
ロレンシオは、扉の前で足を止めた。
「君がいつか、自分の力で新しい道を見つけることを願っている。それは、君を再び特別扱いするという意味ではない」
それが、彼の最後の言葉だった。
扉が閉じた後、イネスは一人で泣いた。自分の努力が無意味だったとは思わない。平民として生まれたことを、今でも不公平だと感じることはある。
けれど、彼女は初めて考えた。自分が手に入れようとしていたものは、本当に自分の努力に見合うものだったのだろうか。そして、自分はそれを手に入れるために、何を失ってしまったのだろうか。その問いに、今すぐ答えを出すことは出来なかった。
それでも、答えを出すのは自分自身なのだと、彼女は漸く気づき始めていた。




