公爵令嬢の答え
「デメトリオ・ファリアス」
国王の声が響いた。
「あなたは、職務上知り得た情報を不適切に利用し、虚偽を含む証言によって王太子の婚約者の名誉を損なおうとした疑いがある。騎士団による正式な調査を行い、その結果が出るまで、宮廷での任務を停止する」
「陛下、お待ちください!」
デメトリオは膝をついた。
「私は、エルミラ様を愛していたのです! 彼女の将来を守りたいと思っただけなのです!」
その言葉を聞いて、エルミラは目を伏せた。
愛していた。その言葉を、彼女は何度も頭の中で繰り返した。彼は自分を愛していたという。
しかし、彼が守ろうとしたのは、本当に自分だったのだろうか。自分が王太子の婚約者でなくなった後、彼は公爵家の後援を得られると考えた。自分の気持ちを確かめることなく、結婚の可能性を計算していた。そして、その未来を実現するために、自分の名誉を傷つけることを選んだ。
エルミラは、ゆっくりと顔を上げた。
「デメトリオ様」
「エルミラ様……!」
「わたくしは、あなたと話す時間が好きでした」
デメトリオの顔に、期待が浮かんだ。
「あなたといるときだけは、王太子の婚約者という立場を忘れ、一人の人間として話すことが出来たのです。あなたの話を聞き、あなたの努力を知り、あなたが騎士として成長していくことを嬉しく思っていました」
「ならば……!」
「けれど、わたくしはあなたと結婚する約束をしたことはありません」
エルミラは、静かに続けた。
「あなたが騎士として努力していたことを尊敬していました。あなたが身分の制約を抱えながら、自分の道を切り開こうとしていることも知っていました。だからこそ、あなたなら、わたくしが公爵令嬢であることを利用するのではなく、一人の人間として向き合ってくれると信じていたのです」
デメトリオは俯いた。
「……私は、本当にあなたを愛していました」
「そうかもしれません」
エルミラは否定しなかった。
「あなたがわたくしに好意を抱いていたことまで、嘘だったとは思いません。ですが、愛情があれば、相手の意思を無視してよいのでしょうか」
「……」
「あなたは、わたくしがあなたを選ぶと考えました。そして、わたくしが選ぶかどうかを確かめる前に、その可能性を利用しようとした」
彼女の声は、少しだけ震えていた。
「わたくしがあなたを好きだったことは、あなたの出世を保証する契約ではありません」
その言葉に、デメトリオは顔を上げられなかった。
「わたくしは、あなたを好きでした。けれど、あなたがわたくしをどう扱っても許すほど、あなたに執着していたわけではありません」
エルミラは、最後に告げた。
「あなたが騎士として努力する姿を、もう一度信頼して見られる日が来るかどうかは、あなた自身のこれからの行動次第でしょう。ですが、わたくしの気持ちを利用して名誉を傷つけたことは、決して忘れません」
デメトリオの肩が震えた。
彼は漸く理解した。エルミラは、自分を救うために婚約を解消してほしいと願っていたわけではない。自分を選んでくれることを約束していたわけでもない。彼女は、ただ自分と話す時間を大切にしていただけだった。
その小さな幸福を、自分は欲張って壊してしまったのだ。
公式の場での確認が終わった後、エルミラは父とともに王宮の控え室へ移った。
扉が閉じると、公爵は娘の顔を見つめた。
「……つらかったな」
その一言で、エルミラの張り詰めていたものが緩んだ。
「父上」
「うむ」
「わたくしは、愚かだったのでしょうか」
「何がだ?」
「彼を好きになったことです」
公爵は、すぐには答えなかった。
やがて、娘の隣に腰を下ろした。
「誰かを好きになることと、その相手が信頼に値する人間かどうかは、別の問題だ」
「……はい」
「お前は、彼と話す時間が好きだった。それは事実なのだろう。ならば、その気持ちまで否定する必要はない」
エルミラは、膝の上で手を握りしめた。
「けれど、彼は……」
「彼がお前の気持ちを利用したことも、また事実だ」
公爵は、娘の肩に手を置いた。
「大切なのは、相手を好きだったという理由で、相手の過ちまで正当化しないことだ。お前は、それをよく理解していると思っていたがな」
「……理解しているつもりでした」
「人は、自分が理解していると思っていることほど、実際にその場面に直面したとき、判断を誤るものだ」
公爵は、苦笑した。
「お前が私の娘だからといって、全ての判断が正しいわけではない。私も同じだ。だからこそ、間違いを認め、次に生かすことが必要なのだろう」
エルミラは、父の言葉を聞きながら、静かに涙を流した。
デメトリオを好きだった気持ちは、今すぐ消えるわけではない。彼と過ごした時間が楽しかったことも、彼の笑顔を好ましく思ったことも、全て本当だった。
だが、その思い出が本物だからといって、これから先も彼を信じ続けなければならないわけではない。
恋をしたことは、間違いではなかった。その恋を理由に、自分自身を犠牲にする必要もなかった。
「父上」
「何だ?」
「わたくしは、これからも王妃となるための勉強を続けます」
公爵は娘を見つめた。
「……そうか」
「ロレンシオ殿下を支えるために必要なことを、もっと学びたいのです。今回のことがあったからではありません。わたくしが、そうしたいと思うからです」
公爵は、ゆっくりと頷いた。
「ならば、そうしなさい。だが、無理をする必要はない。王妃となるための努力も、お前自身の人生を犠牲にするためのものではないのだからな」
エルミラは、涙を拭って微笑んだ。
「はい」
その笑顔は、いつものように穏やかだった。ただ、以前よりも少しだけ、大人びていた。




