正義の名を借りた欲望
王宮の大広間には、王族と上位貴族、王立学園の関係者、そして今回の告発に関わった者たちが集められていた。公式行事に先立ち、王太子の婚約者に対する疑惑について、関係者立ち会いのもとで事実を確認することになったのである。
イネスは、広間の中央に立っていた。
いつもなら緊張するはずの場所だったが、今日に限っては、不思議なほど落ち着いていた。自分の主張は正しい。エルミラがいなくなれば、ロレンシオは自分を選んでくれるかもしれない。そう信じていたからだ。
隣にはデメトリオが立っている。彼もまた、平静を装っていた。エルミラとの婚約が解消されれば、公爵家は娘の将来を守るために新たな縁談を探すだろう。そこへ自分が名乗り出ればいい。娘を傷つけた男だと知られさえしなければ、彼女の好意を利用して関係を築くことも出来る。彼の計画は、まだ破綻していない。少なくとも、本人はそう考えていた。
「では、告発の内容を確認する」
国王の声が広間に響いた。
ロレンシオが一歩前へ出る。
「イネス嬢は、エルミラ・ビジャレホ公爵令嬢から、茶会での侮辱、衣装に関する嫌がらせ、行事の連絡における不当な扱いを受けたと訴えている。また、デメトリオ・ファリアス騎士見習いは、エルミラが私と共謀してイネス嬢を遠ざけようとしていたと証言した」
ロレンシオは二人を見た。
「これらの訴えについて、調査結果を報告する」
記録官が前へ進み、書類を開いた。
まず、行事の連絡について。特待生に送付された通知の記録が確認された。イネスへの通知は、他の学生と同じ日に、同じ手順で送られていた。担当者の証言も一致している。
次に、衣装について。同席していた仕立師と侍女たちの証言によれば、エルミラがイネスを侮辱した事実はなかった。衣装の価格について質問したイネスに対し、エルミラは職人の雇用や工房の維持について説明しただけだったという。
茶会についても同様だった。イネスが参加した茶会の記録と出席者の証言から、エルミラが彼女を侮辱した事実は確認できなかった。
報告が進むにつれ、イネスの表情から少しずつ余裕が消えていった。
「お待ちください!」
ついに彼女は声を上げた。
「皆様は、証言だけで判断なさっているのですか? わたくしが傷ついたことは事実です!」
「君が傷ついたことを否定しているのではない」
ロレンシオは静かに答えた。
「問題にしているのは、エルミラが君に不当な扱いをしたかどうかだ。君が不快に感じたことと、彼女が嫌がらせをしたことは、同じではない」
「ですが……!」
「君が望んだ対応を彼女がしなかったからといって、それを嫌がらせと呼ぶことは出来ない」
イネスは唇を噛んだ。
ロレンシオの言葉は、かつて学園の庭園で聞いたものと同じだった。愛していることと、何でも許すことは違う。あのとき、彼女はその言葉を受け入れられなかった。そして今も、受け入れられずにいた。
「続いて、デメトリオ・ファリアスの証言について報告する」
記録官が新たな書類を開いた。
デメトリオは、無意識に背筋を伸ばした。
「デメトリオ殿は、王太子殿下とエルミラ公爵令嬢が、イネス嬢を遠ざけるための相談をしていたと証言した。しかし、証言の日時と場所には複数の矛盾が認められた」
彼の喉が動いた。
「また、証言の一部については、当該の場所にデメトリオ殿が立ち入る権限を有していなかったことが確認されている」
「それは……」
デメトリオが口を開いた。
「私は、偶然通りかかったのです」
「では、どこを通ったのか。誰の許可を得たのか。具体的に説明していただきたい」
記録官は淡々と告げた。
デメトリオは答えられなかった。彼が証言した場所は、王族の執務区域に近い通路だった。騎士見習いが任務なく立ち入ることは許されていない。彼はそのことを知っていたからこそ、目撃した場所を曖昧にしていたのだ。
更に、ロレンシオは一通の書類を差し出した。
「これは、デメトリオ殿が同僚に話していた内容についての証言記録だ」
そこには、エルミラとの婚約が解消された場合、公爵家の後援を得て爵位を手に入れられるのではないかと、デメトリオが語っていたことが記されていた。彼の顔から血の気が引いた。
「この証言は、私の婚約者を陥れるための告発が、純粋にイネス嬢を守る目的で行われたものではない可能性を示している」
「違います!」
デメトリオは叫んだ。
「私は、エルミラ様をお守りするつもりだったのです!」
その言葉に、広間の空気が変わった。エルミラが初めて口を開いた。
「わたくしを?」
彼女の声は、驚くほど静かだった。
「あなたは、わたくしを守るために、わたくしの名誉を傷つけたというのですか?」
「それは……違うのです、エルミラ様。私は、あなたの将来を考えて……」
「わたくしの将来を?」
エルミラは、デメトリオを見つめた。
彼と話した時間が脳裏をよぎる。疲れたときに声をかけてくれたこと。何気ない冗談に笑ったこと。自分が王太子の婚約者であることを忘れ、ただの一人の人間として話せたこと。その時間は、彼女にとって大切なものだった。だからこそ、今の言葉が理解できなかった。
「あなたは、わたくしの婚約が解消された後、公爵家があなたに地位を与えると考えていたのですか?」
デメトリオは沈黙した。
「答えてください」
「……可能性として、考えたことはあります」
「では、わたくしがあなたを選ぶと?」
「エルミラ様は、私に好意を寄せてくださっていた。だから……」
「だから、わたくしがあなたの望みを叶えると考えたのですね」
エルミラは目を伏せた。涙は出なかった。ただ、胸の奥で何かが静かに崩れていくのを感じた。
彼女は、デメトリオを好きだった。しかし、彼と結婚したいと願ったことはない。自分の立場を捨ててまで彼を選ぼうとしたこともない。彼と話す時間が好きだった。それだけだった。
「デメトリオ様」
エルミラは顔を上げた。
「わたくしがあなたに好意を抱いていたことは、事実です。けれど、それはあなたの望みを何でも叶えるという約束ではありません」
「私は、あなたを愛しています!」
「愛しているから、わたくしの名誉を傷つけたのですか?」
デメトリオは言葉を失った。
「愛しているから、わたくしの意思を確かめることなく、わたくしの将来を決めたのですか?」
「それは……」
「愛しているから、わたくしの父があなたに爵位を与えると考えたのですか?」
返す言葉はなかった。エルミラは、ゆっくりと息を吐いた。
「わたくしは、あなたと結ばれることを望んだことはありませんでした。あなたと話す時間が楽しかった。それだけです」
その言葉は、デメトリオが積み上げてきた未来を、一瞬で崩した。彼が手に入れようとしていたものは、最初から彼のものではなかったのだ。愛情も、爵位も、公爵家の後援も。何一つ、約束されてはいなかった。




