第九章:燃える夜
目を覚ますと、俺はこの土地の民族様式で建てられた木造の家の中にいた。
低い天井には見慣れない模様が彫られ、あたりには干し草と囲炉裏の煙の匂いが漂っている。柔らかい敷物の上に寝かされていた。体はまだ、どこもかしこも痛んだ。
そしてダリウスは、隣で酒をちびちびと舐めるように飲みながら、ご機嫌な様子で座っていた。
俺が目を開けると、彼はにっこり笑って手を振った。
「おう、起きたか。よお、ガキ。」
腹の底から怒りが湧き上がってきた。俺は勢いよく立ち上がり、ダリウスに殴りかかろうとした。拳を振り上げ、思い切り叩きつけようとした。
だが、拳が彼の体に触れるより先に、彼の体から強烈な風が吹き出した。俺はその風に吹き飛ばされ、背中から木の壁に叩きつけられた。
「ドンッ!」
壁を滑り落ち、肩を押さえながら、痛みに顔を歪めた。
ダリウスはグラスを置き、首をかしげて俺を見た。実に楽しそうな顔だった。
「どうした、ガキ? 俺に腹を立ててるのか? 忘れんなよ、俺はお前の師匠だ。お前の腕じゃ、まだ俺には勝てねえよ。」
俺は歯を食いしばった。
「だったら、なんであの連中の中に俺一人を残したんだ! 俺、本当に死ぬかと思ったんだぞ!」
ダリウスは肩をすくめ、酒を継ぎ足した。
「考えてみろ。この先、俺がいなくなったら、お前は本当に死ぬつもりか? ずっと俺に頼るつもりか? 俺は、いつまでもお前の親代わりじゃねえんだ。戦いってのはな、毎回、自分の命を賭けるんだよ。でも、お前はまだ生きてる。ちゃんと、のうのうと生きてるだろ。」
俺は返す言葉を失った。
このクソ親父に何を言っても無駄だ。
ダリウスはまた笑った。
「まあ、いいじゃねえか。俺は治癒魔法を使える。この世界で一番難しい魔法だ。お前も知ってるだろ? だから、お前の傷もすぐに良くなる。人生、楽しまなきゃ損だぜ。今日は飲みに行こう。」
俺は少し迷った。
なにせ、この世界では俺はもう十五歳。ここでは大人と見なされる年だ。いや、別にいい。前世では四十二歳の男だったんだ。酒を飲むことくらい、何をためらうことがある。
「いいっすよ。行きます。」
二人で家を出て、村の酒場へと向かった。
酒場は、想像以上に賑やかだった。煙草の煙が立ち込め、笑い声が響き渡っている。ダリウスはずかずかと中に入り、この土地の言葉で酒を注文した。
このオッサン、本当にすごい。この国の言葉まで話せるのか。流暢に店員とやりとりしている。まるで、この土地に何年も住んでいるかのようだ。
俺は、このオッサンと一緒にいると、自分がどんどん不良になっていく気がした。
でも、まあいい。どうせ前世では、いい人をやっても、報われなかった。こっちで不良になって、最後にいい結末を掴めば、それでいいんだ。
飲もう。
ここは、大人の酒場だった。給仕の女の子たちは、ウサギの耳をつけたり、網タイツを履いたり、やたらと扇情的な格好をしている。セクシーな女たちが、酒を飲みに来ている。汗と酒と、どこかむせ返るような匂いが、空気中に充満していた。
ダリウスと並んで酒を飲んでいると、セクシーな服を着た女が近づいてきて、彼の隣に座り、なにか甘い言葉を囁き始めた。ダリウスは、まんざらでもない顔で、その女とともに席を立った。ほろ酔いの彼は、俺の方を振り返って言った。
「なあ、お前も今夜は誰か選べよ。楽しめよ。あんまり優等生ぶってんなよ。」
俺は、その言葉に少し気恥ずかしくなった。
ダリウスは気前よく、俺に大量の金貨を残していった。まあ、これだけあれば、女の子たちが放っておくわけがない。案の定、すぐに数人の女の子が俺に目をつけ、今夜、俺と「楽しみたい」と近づいてきた。
しかし、俺は全員、断った。
どうせ、女たちは俺の金貨の袋に目がくらんでいるだけだ。そう思うと、前世の妻のことを思い出した。そして、むしろ腹が立ってきた。俺は証明したくなった。あの女がいなくても、俺はもっと上手く生きていけると。
だから、俺は今夜の相手を、自分で選ぶことにした。
俺は立ち上がり、千鳥足で歩き出した。酔いで視界がぼやけていた。酒場の中を見渡し、誰かを探した。
そして、彼女を見つけた。
作業着を着て、黙々と便所を掃除している女の子だった。店の給仕の女の子たちとは、まったく違っていた。地味で、質素だった。しかし、顔立ちはとても綺麗だった。肌は白く、清楚な雰囲気があった。うつむいて掃除をしていても、ひとりだけ違う空気をまとっていた。
俺は、店の主人の方を向いた。
「なあ、親父さん。あそこの子、いいな。」
主人はぎょっとして、俺の指さす方を見て、慌てて手を振った。
「お客様、あの子はただの清掃係です。接客係ではございません。あの子には、性的な仕事はさせないと約束しております。」
俺は、なるほど、と頷いた。
それから、ふらふらと、彼女が掃除をしている便所の方へと歩いていった。
洗面台の前まで来たところで、こみ上げてきたものに耐えられず、俺はえずき、吐いた。胃の中の酒が逆流し、足元がふらついた。
掃除をしていた彼女が、それに気づき、慌てて駆け寄ってきた。
「お客様、大丈夫ですか?」
俺はふらつきながらも、なんとか体を起こし、彼女の方を向いた。
「大丈夫……。せっかく掃除してくれてた床を汚して、すみません。邪魔してないですか?」
彼女は、慌てて首を振った。
「いいえ、とんでもないです。これが私の仕事ですから。」
俺は懐から金貨を一枚取り出し、彼女に差し出した。
「本当に、すみません。これ、受け取ってください。」
彼女は、両手を振って拒んだ。
「そんな、受け取れません……!」
俺は、無理やり彼女の手に金貨を握らせた。
「いいから、受け取って。俺の謝罪の気持ちです。」
彼女はしばらく迷っていたが、やがて、おずおずと受け取った。
「ありがとうございます……。」
俺は壁にもたれかかり、彼女を見つめた。見れば見るほど、可愛い。化粧っ気もなく、派手な服でもない。なのに、自然で、清らかな美しさがあった。
俺は彼女に、仕事のことや、生活のこと、家族のことを尋ねた。彼女はぎこちなく答えていたが、少しずつ心を開いてくれた。
彼女は、家で弟や妹を養わなければならず、自分の学費も自分で払おうと必死だと話してくれた。
俺は彼女を見つめながら、あることを考えていた。
「なあ、今夜、俺と飯に行かないか? 奢るよ。店の主人には、俺が金を払って、君を早く帰らせてやる。」
彼女は迷っていた。
俺は続けた。
「君の家の弟や妹の分の食料も買ってやる。それに、君の学費も助けてやる。」
彼女は、大きく目を見開いて、俺を見つめた。驚きと、戸惑いが入り混じった目だった。
だが、やがて、こくりと頷いた。
その夜、俺は彼女と店を出て、道端の小さな食堂で夕食をとった。
二人で、たくさん話をした。彼女は自分の生い立ちを話した。俺も、自分の旅のことを話した(もちろん、でっち上げの部分もあるが)。一緒に食べ、一緒に笑った。
俺は彼女に酒を勧めた。最初は恥ずかしがっていたが、何杯か飲むうちに、彼女もだいぶリラックスしてきた。
そして、夜も更けた頃、俺は言った。
「俺、家がないんだ。だから、宿を借りる。……悪いんだけど、部屋まで俺を連れて行ってくれないか? もう、あんまり歩けそうにない。」
彼女は、少し顔を赤くして俺を見たが、やがて、こくりと頷いた。
彼女は俺の肩を支え、部屋まで連れて行ってくれた。俺はふらつきながら、彼女の肩にしがみついた。彼女の体温が、じんわりと伝わってくる。
部屋に入ると、俺は後ろ手に鍵をかけた。
彼女は、その場に立ったまま、潤んだ目で俺を見ていた。
そして、その夜、俺たちは激しく燃えた。




