第37話 名を唱えろ①
(マシにはなったが)
鱗から外を見ていたマキアは脱出する機会を伺っていた。どうやら母親は眠っているようであり、幼体もまた一部を残して眠っている。だが起きている個体がいる以上、見つければそのまま母親が起きるかもしれない。
ただ母親や幼体が眠っている今が絶好の機会だ。
今この瞬間を逃せば後がどうなるか分からない。やはり行くしかない。
ただミスを一つで最悪の未来が現実のものとなる。
(行くか)
割った鱗の隙間からマキアが半身を出す。
(二分の一か)
顔を出して巣を見渡すと母親が作ったトンネルが二つほど合った。
この二択を間違えれば一生地下都市に戻れない可能性がある。
だが判断する要素はない。
強いて言えば、母親の尻尾が向いている方だろうか。
(間違ってたら終わりだな)
馬鹿馬鹿しい二択だと笑い飛ばして地面に降りる。
「……」
幼体に気が付かれていない。
第一関門突破。
ただ、決して状況が好転したわけではない。
幼体の糞で柔らかくなった地面を踏み越えて、静かに歩いていく。
極限まで注意を研ぎ澄ませ、幼体が動けば一瞬で対処できるよう準備をしておく。
息遣い、足音、視線、足取り、五体から発せられるすべての情報に気を配る。
特に、グルーワームは目が無いため聴覚にすべてを頼っている。マキアが一つでも物音を立てればその時点で終わりだ。
(さて……)
半分ほど進み、通路まであと少しという場所に来た。
問題はトンネルまで続く道を幼体が塞いでいることだ。
遠回りをしてもよいが、それだと幼体が寝転がっている隙間を縫って歩くことになる。
それに長居したくはない。
かといってこの決断に時間もかけていられない。
(乗り越えるか)
道を塞ぐ幼体の脇に出来た僅かな隙間を通り抜けるのは不可能。
最短距離で行くには乗り越えるしかない。
幸いにも幼体は踏み越えられる程度の大きさだ。
無理をしなくても大丈夫。
(こえぇ)
内心で弱音を吐きつつどうにか踏み越える。
もし踏めば、もし今起きれば、様々な最悪の未来を回避した安堵から気が緩む。
踏み出した一歩が幼体の糞を踏んだ時、僅かに音が鳴った。
マキアでも聞こえるか聞こえないか、という僅かな音。
しかし視界のすべてを聴覚に頼っている幼体ならばどうだか分からない。
(……)
心臓の音すらも掴んでしまいたいほどの緊張だった。
(だ、だいじょうぶ、か?)
幼体が起きることは無かった。
代わりに別のところで寝ていた幼体が動き出しただけだ。
「……ッ!!」
グルーワームに目は無い。
しかし動いた幼体とマキアは確かに目が合っていた。
幾つもの歯が連なる、あの咥内がマキアを見ている。
サイレンのような泣き声が響き渡る――前に、咄嗟の判断で解体斧を振り降ろし、首を切り落とした。
解体斧は風の音すらも、肉が切れる音すらも鳴らさずに幼体を殺す。
(もう無理だ)
手際よく仕留めたおかげで他の幼体に気が付かれていない。
しかしマキアの精神はすでに限界を迎えていた。
気がつけば早足でトンネルの方へと駆け出していた。
「ッチ、やっぱ気が付かれてんじゃねぇか」
駆け出し、トンネルに入った瞬間に後ろから幼体の叫び声が聞こえる。
マキアが殺した仲間の死骸を見たためであろう。
(どうする)
母親が動き出せばマキアはまず勝てない。
(いや、まだ)
マキアの存在に気が付いた幼体がトンネルに押し寄せている。
狩りの一環として放置しているのか、それとも母親の巨体がトンネルを通ろうとすると幼体を踏みつぶすからか、母親が動く気配はない。気が付いてはいるだろうが、攻撃してこないというのならば好都合。
巣の中で数百を超える幼体を相手にすればまず対処できない。しかし一本道のトンネルで背後からしか来ないと分かっていれば、逃げながらでも死ぬ気で踏ん張れば対処できる。
「キッツい」
対処ができる、というだけで簡単なわけではない。
逃げながら後ろから押し寄せる幼体の大群を斬り殺していく。一歩でも間違えれば幼体の雪崩に飲み込まれて肉片の一つすら残らない。
すでに体は傷だらけの上にロクな食事も取れていない。
万全の状態でも対処できるか分からない程度には危機的な状況だ。であるというのに武器も装備も足りていない。
「――ぁああ!」
やけくそになって叫びながら両手斧を振り回す。
体を動かすのでさえ億劫だというのに、重い両手斧を振り回すのは重労働だ。
本当ならば、軽い解体斧の状態で戦いたい。
しかし一体ずつ殺していたら間に合わず、一気に薙ぎ払わなければ逃げる時間が稼げない。
「死ねや! この糞共!」
喋ることさえ疲れる。
だが口汚く叫ばないと精神が保てない。
前に向かって走って逃げ、幼体が飛びかかってきたら振り向いて両手斧を振り下ろす。複数体来ていれば立ち止まっての対処を求められる。
「ッッいてぇな!」
対処が遅れれば一瞬で負傷する。
直前で避けはしたものの肩が抉れた。防護服があればまた変わっただろうが、母親の体内に飛び込んだ時にボロボロになり使い物にならない。
果たして今進んでいる道が正解なのか、帰路に乗れているのか、脳内を様々な最悪駆け巡る。だがそれらに対して深く考える時間はない。前へと進み、ひたすらに対処するのみ。
雪崩のようにして襲い掛かる幼体の中から四匹が飛び出す。
前を向いて走っていたマキアは振り返りざまに両手斧をふるい、二匹をまとめて切り伏せる。残った二匹のうち一匹を殴り殺し、もう一匹は一旦よけてから両手斧でたたき伏せた。
「ったく」
これだけやっても敵が減る気配は見えない。
減っているような気もするが、果たしてどうだか。
確認している暇はない。
「あぁあ! しゃらくさい!」
逃げて殺して逃げて殺して、これを繰り返すのは不可能だ。
マキアは立ち止まり、うまく力の入らない体を強張らせ両手斧を握りしめる。
これ以上は退かない。
母親が動かないというのならば好都合だ。
今ここで押し寄せる幼体を駆逐する。
両手斧を振り上げて、振り下ろし、振り回し、雪崩のようにして目の前を埋め尽くす幼体を駆逐する。両手斧だけで足りないというのならば、両腕、両足を使えばいい。
それでも足りないのならば噛みつけばいい、体当たりすればいい、避ければいい。
幼体の肉を切るたびに両手斧から火花が散っているような気がする。
幻覚か、それとも現実に起きているのか。
詳細を確認している暇はない。
火花と血液をまき散らし、肉塊の山を築く。
踏みつける地面はすべて血塗られている、肉片だけが散っている。
臓物を踏みつぶし、両手斧を振り回す。
花火のように火花が散っていく。
両手斧の刃は摩擦熱のせいか熱せられ赤くともっていた。
幼体と刃が触れ合えば肉が焼ける臭いと共に煙が立つ。
「……あ?」
一心不乱に両手斧を振り続けていると、」いつの間にか幼体がいなくなっていた。
代わりに母親が動き始める。
今までは幼体が通路にいたため動くことができなかった。
しかしマキアが全滅させたせいで通路に入れるようになってしまった。
加えて我が子を殺された母親はマキアを逃がすことはない。
地の果てまで追ってくる。
「おいおい」
通路全体が揺れる。
巨大な口が真正面から向かってきていた。
「ふざけんなよ……」
もう体は動かない。
力が入らない。
頭も回らない。
出血多量で命すら危うい。
この状態で、万全であったとしても討伐不可能な母親を相手にする。
ムリゲーが過ぎる。
「くそがよ……」
悪態をつきながら対処を試みる。
とはいってもやれることは一つだけ。
両手斧を振るだけだ。
刃は熱せられ赤みかがっている。
煙や蒸気を発生させていた。
「んだこれ」
禍具には意思が宿る。
一部の禍具には扱うために『契約』と『宝名』を必要とするものがある。
禍具は『宝名』を唱えることで内包する力を顕現させる。
灼熱を刃を見たマキアの中に、言葉が浮かんでいた。
何の言葉なのか、どのような繫がりがあるのかは一切わからない。
『その言葉を唱えろ』と急かされているような気がした。
「……」
すでにグルーワームは目前にまで迫ってきている。
悠長なことをしている場合ではない。
しかし衝動を抑えることはできなかった。
己が禍具に宿る名を唱えろ。
「……灼乞」
両手斧に込められていたのは、あらゆるものを焼き尽くす烈火の灼熱であった。




