#13 終わりの放課後
井岡くんが泣くことおよそ五分。ティッシュペーパーをひと箱使い切って、彼はようやく泣き止んだ。
「……って! お前、なんで『転移』できてんの!?」
「そこ、よくわからないんだけど、誰にも言わないでください!」
「いやいやいやいや! オーストラルのこと思い出したら、お前やべーんだって!」
「うーん。思い出してはいないけど、知ってはいるから」
掻い摘んで、委員長と岡野さんのことを説明する。もちろん、加納くんのことは、話から差っ引いておいた。
「みんなの気持ちはうれしいけど、そろそろ帰って欲しいんだ」
「……」
「もう四か月、冬休みだよ。みんなの家族とか友人とか、元の世界の人たちめちゃくちゃ心配してる。もちろん委員長と岡野さんも。あとルルディ姫やクウム様?だっけ」
「………」
「井岡くん?」
押し黙った井岡くんの前で、手を振ってみる。けれど、彼は口を開くことも、手足を動かすことも、目蓋を開け閉めすることもない。
――なんか、よくわかんないけど、背中がゾワゾワする。
ふたたび声をあげようとしたその時だった。井岡くんの目から、また涙があふれ出す。
「わ、わりぃ。なんか、なんかさ、止まらないんだよ。お前が死んでからずっとさ。
俺、ほら。じーちゃんもばーちゃんもまだすげー元気なの。
曾ばあちゃんは俺が生まれる前に死んでて、だから、誰の葬式にも行ったことなくってさ。だけど、そう……そうなんだよな。やめなくちゃ……」
井岡くんは、震えている。まるで冬の寒さに耐えるかのような、小さくて大きな震えだ。そんな風にカタカタと震える手がゆっくりと伸びてきて、ぺたりと私の頬に触れる。
「生きてるみたいだ」
「……ま、そうみたい」
「ごめん」
「君が謝ることなんて一つもないよ。私がやらなくても、きっと他の誰かがそうしてた」
「……ごめん」
文句を言う前に、また背筋がゾワゾワする。端的に言うと違和感。なんの違和感というと、井岡くんが殊勝なのである。
宇都宮くんやみっちゃんみたいに、自分の意思を伝えてこない。ただ、謝っている。私に悪いと思って、謝っている。
――そっか。だから、違和感なんだ。千回以上も同じ時間を繰り返していながら、井岡くんは別に好き好んでこの時間に居たわけじゃない。
ただ、死んだから。自分の代わりに、死んだクラスメイトがいたから。
「井岡くんは、自分が封印すればよかったと思ってる?」
投げやりの捨て鉢といった風に、井岡くんは答えた。
「……そーだよ。今までずっと俺みたいな「勇者」能力持ちがやってきたって、言ってたじゃん。それってさ、前に封印の儀をしたのは、きっと「勇者」能力の奴だったんだ。……俺、分かったんだ。なんか、分かんないけど、分かったんだよ」
ぐずぐずと鼻をすすり、井岡くんはぐしゃぐしゃに顔をゆがめた。
「だっ、だったら、俺がするしかないじゃん。勇者なんだから、やるしかねーべ。俺は勇者だから、みんなを守る勇者だから。――俺が、お前の代わりに死ぬはずだったのに……」
君の所為じゃない。ちっとも君のせいなんかじゃない。私が死んだのは、誰の所為でもない。私の選んだことだ。
けれど、井岡くんの中では、そうじゃなくて……私は、何かとんでもない間違いをおかしたわけでもなくて……。
バカ、もうほんとバカ! ルルディ姫とかクウム様のバーカ! よっくも、私たちをオーストラルに喚んでくれて……!
「でも、お前の言う通りだ。止めなきゃな、こんなこと」
そう言いながら、井岡くんは笑って見せた。特に親しくない私でもすぐに分かる、引きつった嘘の笑顔だった。
「私はそう思う。けど井岡くんは? 君はこのループを続けたい? それとも終わらせたい?」
ぽろっと零れた涙を拭って、井岡くんは言った。
「終わらせたいよ。だってもう千回越えてんだぜ? てかクリスマスも終わってね?」
「ヤバイよ。今のままだとお正月もヤバイ」
「ヤベー。2017年が迎えられねェ」
「大丈夫。2018年があるから!」
「オリンピックまであと2年!」
顔を見合わせて、息ピッタリに笑い合う。コレ、なんか楽しいぞ。
しばらく他愛ない未来の話をしてから、私は保健室を出た。井岡くんはまだ保健室に残るらしい。私は、そうだな。次は――
「……っく……ぅぅ……」
耐えるような、うめくような。そんな微かな泣き声が聞こえる。
私は走った。微かな声は、どんどん遠ざかっていく。
――どうにか、できなかったのかな。
――なにか言葉を。声を。かけられなかったのかな。励ましとか、謝罪とか……
けれど、ぜんぶ無責任だ。私、もう何も、何も。何も。
一緒に笑ったり、結末を見届けたり、悲しいことがあっても寄り添えないのに!
「あ――! ちょ――!」
2年2組の扉をガラッと開く。
「ご、」
全員の注目が集まる中、私はみっちゃんの前に。
「めん」
ローリングジャンピング土下座をした。
「なさ――い!!」
「へ? え? り、りつ?」
びったんと額を床になすりつける。見えないけどきっといい土下座!
「いろいろ言葉が足りなくてごめん。けど言い訳させてもらえるなら、私もきっと怖かった、時間もなかったんだと思う。先に報告連絡相談しておけ、水臭いって話だけど!」
みっちゃんは何も言わない。宇都宮くんが動く様子もない。武藤さんや、宮本くんはどうだろう? ――分かんないけど、多分、私の話を聞いてくれていると思う。
「みっちゃん、宇都宮くん、武藤さん、宮本くん。井岡くん、加納くんに、浜田くん、佐伯さん、戸田さん。いっぱいいっぱいごめん。嘘つかせてごめん。傷つけてごめん、苦しませてごめん!」
「律、なんの話、」
取り繕おうと笑ったみっちゃんの目から、ポロッと涙がこぼれる。あれ?あれ?て言いながら、みっちゃんは手の甲でごしごしと涙を拭った。それでも、止まらない。
「律」
「うん」
「りつ、なんで死んじゃったん」
「ごめん」
「他に、方法なかったかも知れない。でも、やだ。あたし、律が居なくなるの、やだし!つらいし、こわいし、かなしいし、ぐっちゃぐちゃだし!」
「うん」
ひっく、ひっく。何度もしゃっくりを上げるみっちゃんを、ただ見上げる。
今の私には、7月11日までの記憶しかない。オーストラルでのことは、まだどこか他人事だ。でも、この放課後でのみっちゃんはずっと笑っていてくれた。
それに、みんなだったそうだ。この放課後に居る全員、「異世界に来る前の日常」を、大事にしてくれて……。
胸がキュッと苦しくなる。ああ、これはさびしいな。暗い夜道を一人で歩いてるみたいに、心もとない……。
「みっちゃん、ループを止めて」
「や、やだ!」
ぱっと両手で耳を塞ぎ、みっちゃんがギュウと目を瞑る。けれどこの距離なら、聞こえているはずだ。みっちゃんにも、宇都宮くんにも、武藤さんや宮本くんにも。
「――みっちゃん、家に帰ろう。クリスマス、颯太くんの誕生日だし」
「聞こえない、聞こえないし! あたしはずっと律と一緒に居るし!」
「みっちゃん」
伸ばした手の、温度が、彩度が消えていく。武藤さんがヒュッと息を飲む音がした。
「みんなの気持ちは、すごく嬉しい。永遠の学園生活、最高だよ。でも、私きっと耐えられない。
自分の体がもうないことも、みんなだけが年老いていくことも、みんなが残してきたすべてを犠牲にした時間だってことも」
笑いたい。笑いたいのに、頬の筋肉がうまく動いてくれない。井岡くんと話している時から、ずっと笑顔で凝り固まってるから、いいのかな。
「だから、お願い。このループを止めて、元の世界に戻って欲しいんだ」
ワッと武藤さんが泣きだした。泰然自若が常の宮本くんが、ソワソワと武藤さんの方を見ている。
みっちゃんは、泣いて、泣いて、泣きわめいて。瞳が溶けてしまうんじゃないかってくらい、泣いて。
それから私の姿をジッと見て、ちいさく頷いた。




