幕間「嘘を本当に、本当を嘘に ――宇都宮有住の場合」
あれから、五日が過ぎた。
機械的に体を動かして、見苦しくない程度の恰好を整えて部屋を出た。シルワ国の王宮は、石でできている。カツンカツンと自分の革靴が音を立てる度に、嫌でもここに一人なのだと思い出す。
――何、考えてんだか。
オーストラルで、そこそこ豊かな国であるシルワ国の庭園は、現代で見たものとはまったく違っていた。美しいのは当たり前、並べるのではなく飾ることを意識した配置、見たいと思った時に、見たい色の花がある……。
そんな庭の一つ。七色の薔薇が植えられた庭を、俺はぼんやりと眺めていた。
「……い、かがでしょうか」
急に訪ねてきた「勇者」の沈黙に耐えかねたのだろう。俺より一つか二つ年下の若い庭師が声を上げ、隣で膝をつき顔を伏せていた年かさの庭師が、顔を引きつらせる。使用人は、声をかけられるまで自分の存在を主張してはいけない。シルワ国――いや、オーストラルの貴族と使用人の常識は、そういったものらしい。
「綺麗ですね」
「あ、ありがとうございます!」
「たっ、例えば、どんなところが……」
「もうお前は黙っとけ!」
どこの世界でも若者は無鉄砲で果敢。老人は保守的で冷静。似たり寄ったりだ。
「そうですね。例えば、あの白バラの――」
若い庭師の顔色が変わる。
白薔薇の茂みに薄汚れた白い袋みたいなものが落ちている。若者の動揺に気づいた老人が、すぐさま頭を下げた。
「い、いま、片づけますので……!」
「いや、別に気になったわけでは」
二人とも顔を青くして、平身低頭している。これは、普通に言い張っても駄目だな。
「……お願いできますか?」
苦笑いで取り繕うと、若者が素早く駆け出した。薔薇の花を散らさぬよう、葉や茎を痛めてしまわないよう、ゆっくりとしかし瞬く間に青年はソレを摘み上げた。
かさりと葉っぱが音を立てる。白い花びらが、一片地面に落ちた。
俺たちは、オーストラルの言語を話すことはできても、文字を読むことはできない。テストで学年一位をとることもある武藤が便利だからと各国の文字を丸暗記していたが、そこまで意欲のある生徒は稀だった。
――し。
俺が分かるのは、簡単な単語くらいだ。
――しゅく。
「これ、昨日打ち上げられてた……」
風に乗って庭師の声が届く。
――祝、魔王封印。
――ありがとう、勇者リツ様!勇者さまたち!
小さな子供が覚えたての文字を書いたような、大きくてぐちゃぐちゃの文字だった。おそらく昨日、魔王封印を祝って打ち上げられた紙風船の一つだろう。
「……こ、これ、その」
「可愛らしいですね。子供が書いたのかな?」
「そ、そうですね」
まるで、傍若無人の貴族に相対しているかのような反応だ。まったく、失礼な。
「それ、俺が頂いてもいいですか?」
笑顔で言うと、二人の庭師は滝汗を流しながら、何度も頷いた。
――死。
という事象は、誰にだって身近なものだろう。
俺たちは、毎日、野菜の死体を切り分ける。豚の死体を焼いて、魚の死体を揚げる。生きるなんて、自分の中に死体を積み上げていくようなものだ。
それにこの年になれば、自分の祖父か祖母、親戚の一人や二人が亡くなって、葬式で「人間」の死体も見る。
花に埋もれ、棺の中に納まる祖母の遺体を見て、こう思ったものだ。
ああ。遅いか、早いかだけなんだ、と。生も死も、たったそれだけのことだ。
「……たったそれだけのことだよ」
それなのにどうして、五日過ぎても誰一人立ち直れないんだろう。
昼過ぎに訪れた林檎の間には、俺以外の全員が集まっていた。
ただし、会話はない。みんな幽鬼のような表情で、沈黙している。
その中でも最も酷いのが、井岡と宮島だ。起きている間中、宮島は林檎の間のソファに座って、ずっと「魂」の入った小箱を眺めている。
時折、仲の良いメイドとか、勇気を振り絞った武藤や戸田が話しかけるが、答えはいつも生返事だ。
『うん』『大丈夫』『食べるよ』
最低限の食事しか摂っていないのだろう。宮島の金髪はしなびた牛蒡のように萎れ、この五日で一気にやつれた。
「……」
井岡は、もっと酷い。林檎の間には、大きな窓があり、そこにはオーストラルでも珍しいガラスがはめ込まれている。俺たちの知るガラスからすれば、随分と分厚く磨りガラスのように向こうが見えなくても、最高級品だった。
そんなガラス窓にはカーテンがかかっており、井岡はそのカーテンに包まっていた。
「……者、特権……が……だろ……」
ぶつぶつ呟き、時折声を殺してすすり泣く。宮島と違って、誰の言葉にも反応しない。ただ、誰かが自分を林檎の間から連れ出そうとすると酷く暴れた。
『俺が勇者だから! 皆を守るんだ!』
と言って。
林檎の間は、勇者たちのための部屋だ。でも、ここに集まることは義務でも約束でもない。
ただ、暇があれば何となくここに集まってきた。もっとも一月前くらいから、一匹狼であるあの浜田でさえ、休日はフラリとここを訪れるくらい……勇者たち馴染みの場所になっていたが。
だが、今は違う。そんな微温湯みたいな場所じゃない。
悲しい、苦しい。井岡と宮島を置いていけない。どうして? これからどうすればいいの?
そんな誰かの問いが、悲嘆が、空気の中に渦巻いているかのように、重く息苦しい場所だ。
昨日、シルワ王国の王都で打ち上げられた紙風船。アレと同じようなものが、オーストラル中で打ちあがっているんだろうに、林檎の間だけが暗く沈んでいる。
「……俺、王様に呼ばれてるから、ちょっと話してくるね」
加賀見が立ち上がると、岡野も立ち上がった。
「一緒に、行っていい?」
岡野と戸田は、不便なことにいまだ一人では自由に出歩けない。加賀見は快く頷き、俺たちの誰もが、ちらりと二人を見る。
「いってらっしゃいっス」
だが、二人に声をかけたのは壁に寄りかかっていた浜田だけだった。ぶっきらぼうな浜田の見送りに、加賀見は手を振り、岡野はぎこちなく頷き、二人は部屋を出て行った。
この三か月で着なれたロープの内側から、黒いカードケースを取り出す。
後から、思った。俺は、この時まで何も考えていなかった。
ケースを開けて、一番上のカードを見る。ハートの二だ。
そういえば、このカードは――。
『ふんふん、ふふん』
『宇都宮くん!? えーと、うそつきと正直者の準備』
『これ、よかったらどーぞ。え? いらない? ……っているのかーい!』
ケースに手がぶつかって、思ったより大きな音を立てる。
「……、ありすさん?」
ぼんやりとした戸田の声が遠くに聞こえた。
俺は、馬鹿だ。井岡や宮島の悲しみようのほうが、ずっともっとまともだ。
「――一つ、提案がある」
部屋の中の八人の視線が、自分に集まっているのが分かる。
「坂川律を、取り戻そう」
俺の能力は「嘘」。例えば、砂を黄金だと嘘をついたとする。すると砂は、同じ重さの金になる。木の杭を屈強な兵士だと嘯けば、地面に刺さった杭はたちまち鎧を着た兵士として歩き出す。効果時間はいろんな条件に左右されるが、魔力があればなんだってできる。
ただし。それが嘘だと指摘されて、俺が嘘だと認めなければ、だ。
「俺が、みんなを騙すんじゃない。……既に封印に使われた坂川の肉体を、取り戻すこともできない。だけど坂川の魂はここにあるから……それを騙す」
「つまり坂川律に、別の身体を用意するということか?」
加納が、目を瞑ったまま顔を上げた。目くらい開ければいーのに。
「そう」
カードケースから、ジョーカーのカードを取り出す。例えば、これが「坂川律」だと彼女自身に誤認させられれば、魂はこれを身体と思って入り込む。
武藤が三つ編みをプルプルと震わせて、ぐっと両手を握った。いかにも勇気を出してといった風だ。
「でも、そんなことは、うまく、行くのですか? ……私たちの能力は、元の世界に、帰ればなくなってしまうのに」
「そうだね。それに、ただ坂川に体を与えるだけじゃだめだ。坂川の魂は、自分の死を覚えている。だからすぐに違和感に気づいて……自壊が始まる」
全員が、テーブルの上の小さな箱を見た。両手で包める小さな箱。この箱に閉じ込めておけば、魂の自壊は始まらない。だが、箱に力が宿るのはオーストラルだけ。
「この三か月の記憶を消して、七月くらいだと思わせる。そうすると、また別の違和感だ。七月の坂川律は、学校に通っていなくちゃいけない。魔王城みたいな、異空間を作ってそこで学校を再現する。時間は放課後がいいだろう。七月の授業なんてもう覚えてないけど、坂川が覚えていたら困る」
「有住が七人居ても、魔力が足りないぞ」
「知ってるよ、バーカ」
「それに、……そんなこと、いつまで、続けるんですか」
「そんなの、決まってる」
悲しみが癒えるまで?
坂川のことを忘れられるまで?
ジョーカーのカードを見る。これが坂川になって、魂が入って動きだしたら。
――どうか、してる。ほんとうに、どうかしてるよ。
好きだったわけじゃない。嫌いだったわけでもない。人よりほんの少し長く過ごした。人よりほんの少しだけ近かった。特別なわけでもない。友人なわけでもない。
……ただ、あの時思ってしまった。
2016年7月11日。なんてことのないありふれた日常。
「ずっとだよ。俺は、……ずっと繰り返す」
深い海の底に届くように、俺はハッキリと言った。
――キーンコーンカーンコーン……
20回目までは、大変だった。
坂川が目を開けると誰かが泣き、それに坂川が慌てて駆けよると別の誰かが泣き、果てには記憶のない彼女に詰めより始める。その度に記憶を消して、時間をループさせ、それぞれの立場を決めた。
俺と宮島の二人が坂川を起こす。クラスに居るメンバーは、5回から10回ごとに変える。クラスに居ない間は、自由に過ごして良い。
「わたくしたちの食料や飲料水はどうしますの? 律は、もう……何も飲み食いできませんけど……」
「そっちは僕に任せて。物質作成は、委員長だけの十八番じゃないから」
「あなたの能力、ほんっとうに! なんでもありすぎではございませんこと?」
ジト目の佐伯に、加納がダブルピースを決める。バッチリ目を閉じたままだ。
加納幸。こいつの能力はシンプル。魔力さえあれば何でもできる。飛行に爆発、土建に食糧生産……究極的にこいつ一人でいい。そんなレベルの能力だ。ただ他のクラスメイトと同じく、「魔力」がなければ身体能力は一般人と変わらない。オーストラルの魔術でできないことは、こいつもできないっていう制限もある。
――まあ。いくらこいつが凄くても、魔力供給ラインが繋がっている限り、規模の大きいコトをやればすぐに分かる。
「有住、どうかしたか?」
「オマエのこと、嫌いだなって」
「僕は好きだよ、心から」
機嫌よさそうに、加納がニコニコ笑う。……外部への接触だけは、警戒しとくか。
――キーンコーンカーンコーン……
加納の能力は、ループ生活のインフラかつ流行の起点になった。何せ拍手一つで、ピザやパフェにラーメンを同時に出せるのだ。2年2組では、何かと理由をつけて教室で飲み食いした。
もちろん流行ったものは、他にもたくさんある。仮想大会もやったし、夏だからとプールで泳いだ。女子組にせがまれて、校庭に夏祭りの屋台を出したこともある。彼女たちは浴衣だ制服だと言い合って、結局、一回きりだったはずのお祭りは計8回も開催された。
夏休み前に学校でキャンプをするのだということにして、キャンプの準備を楽しんだ。家庭科室でカレーを作り、教室の椅子や机を片づけて、マットレスを敷いて……
そういうことを、何百回もやった。飽きるほど笑ったし、嫌になるほど楽しんだ。
――キーンコーンカーンコーン……
819回。925回。……956回……999回……。
1000回目。
ぱちりと、目蓋が開く。俺はソレを眺めてる。今回は何をしようか。誰を誘おうか。そんなことを考えながら……
俺と宮島の顔を見て、坂川は気の抜けたコーラみたいに笑った。
「……夏祭り、楽しかったな~」
俺はとっさに、彼女の手を掴んでループした。
「なんで律の記憶を消したん!?」
「なぜ消してはいけなかったんだ?」
宮島の痛罵をやり過ごし、2年2組に集まったクラスメイトたちを見回す。宮本、浜田のあたりは、特に動じていない。武藤はオロオロしていて、戸田はたぬきに顔を埋めている。そんな二人を守るかのように佐伯が彼女らの前に立ち、井岡はガタガタ震えているだけで……加納は俺の側にくっついていた。
「邪魔」
「人数的に、僕が居た方がいいよ?」
「ゆーきー! こっち!」
ぐいぐいと宮島に手を引っ張られ、加納は僅かに抵抗したあと彼女の側に行った。
「露骨」
「アリスが先にやったんじゃん」
「俺は必要な措置をしただけ。……坂川の記憶、誰か心当たりは?」
もちろん、誰も手を上げない。佐伯の方を見ると、彼女はきつくこっちを睨んできた。
「能力は、使いませんわよ」
「使って貰おうとは思ってない。人間関係、これでも大事にしてるんで」
白い頬がカッと赤く染まる。佐伯涼香の能力は、心が読むこともできた。異世界での戦いにおいて有用な能力の一つではあるが、佐伯は能力をあまり使いたがらない。もっとはっきり言うと忌避していた。
……これ以上は何を言っても藪蛇だろうな。
武藤と戸田。佐伯に庇われていた二人の少女が、パッと彼女の前に飛び出してきた。
「すずかを、いじめないでください」
「あ、あちょー!! あちょー!?」
「……さよこは、ちょっと黙って」
「ごめんなさい申し訳ありません謝罪の嵐です!」
深々と下がる三つ編みと、たぬきを前に突き出す少女。俺の方が悪役だな、これは。
「別に誰を責めるつもりもない。自然発生的な現象かもしれないし」
「……もし、次があったら?」
宮本に静かに問われて、俺は首を竦めた。次、次かぁ。
夏祭りだかプールだか出前のことを坂川が覚えていて、それでまた――
教室を見回す。ここは2年3組だ。坂川は一人ぽつねんと2組で眠っている。
……ああ、面倒だな。
……何が一番面倒かって、こういう仲間割れじみたことが起るのは分かっていたことだからだ。俺たちには理由はあるけど、理念や希望は何もない。いつか誰かが、飽きて、倦んで……
――いっそ全員の記憶を消して、全部自動化してしまうか?
「次があっても、校舎の外に出ない限り、坂川の記憶は消さない」
「で、でも、それじゃ……っ」
武藤の心配を、視線で制す。
1000回。1000時間。まだたった41日だ。こんなところで、誰も潰れさせはしない。
「なんであれ、変化は坂川のものだ。俺は……坂川の得たものを奪いたいわけじゃない。得られなかった夢を、みんなと一緒に見たいだけだ」
宮島。加納。佐伯。戸田。武藤。宮本。井岡。全員を順繰りに見回して、疑いを捨てる。……捨てる。
「坂川の記憶の処理に関してはこれまで通り、ループの終わりに消す。それでも消えなかった場合は、保留。校舎の外に出ようとしたら消す」
「律が気付いた時は?」
「宮島は自分のカードがトランプだって思う?」
「……思わない。でも」
「その場合は、すぐに消す。矛盾してるけど……」
続けたいんだよ。まだ。
足りないんだよ。まだ。
分かっている。全員が同じ気持ちじゃない。破たんはもう、目の前かも――
1001回目。
2年2組の教室で、坂川律が目を覚ます。ぱちぱちと瞬いた彼女は、やがて横の親友と目の前の俺を見つけて――
「うわあ!? 宇都宮く……」
「どうして」
「宇都宮くん?」
「どうして、何も言ってくれなかったんだよ」
「え? え? ごめん?」
顔を俯けて、頭を振る。
何度も何度も、頭を振る。
坂川は困ったように首を傾げて、何度もおーいと呼びかけてきた。
どうして、何も言ってくれなかったんだ。
――一人で行かせたくなかった。
どうして、何も言ってくれなかったんだ。
――止めるに決まってるだろ、バカ。
どうして。
どうして。
どうして。どうして。どうして。
どうして、君は、死んでいるんだ。




