↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
15/20

幕間「世界を救った勇者の物語 ――坂川律の場合」

※本日は2話投稿しています。



「闇が深まり、世界を覆わんとする時。常世から勇ましき者、力を携えこの世界に降りたたん。その者、闇を照らす勇者なり――」


 カン!

 前巫女長の老女……クウム様の声が、神殿の一室に朗々と響く。クウム様は、シルワ国――いいや、オーストラルで唯一、託宣ができる巫女だ。御年七十二歳の高齢に加えて、幾度の気絶で痛めた腰の所為でうまく立てずに、現巫女長のルルディ姫の手を借りて……しゃんと背を伸ばし、右手に持った長い俸で床を叩く。

 あれは、クアルソ・ジュムチーク。知恵を司る神へ言葉が届きやすくするようにするものなんだとか。


 しっかし、……長いって聞いてたけど、長いなぁ……。

 冷たい大理石の床に膝をついた、いわゆる膝立ちの体勢で早三十分。そろそろ腰が痛い。張り切って一番前に並んだ井岡くんが、こっくりこっくり舟をこぎ、その横の委員長こと加賀見くんがこっそりと彼の脇腹を突く。隣のみっちゃんが、小麦色の髪をぷるぷると震わせていた。眠いんだね、みっちゃん。けれど、みっちゃんは眠気に耐え、井岡くんも眠気まなこを擦りながら、あくびをした。


 クウム様の託宣。

 この世界、オーストラルを作った神々からの助言。魔王を封印するための鍵。

 私たちが、オーストラルに来てから三か月。魔族と人間の戦争は、当初の有利から一転。自分の血液から、魔族を増やす魔王の能力によって人間側の劣勢に陥っていた。


 カン!カン!カン!

 クアルソ・ジュムチークが強く叩かれる。すぅっとクウム様の体から力が抜けた。


『異世界の子らよ』


 それは不思議な声だった。若い男のような、成人した女性のような。少女のような、老人のような……そんな声が、クウム様の口から漏れる。肌が粟立った。加賀見くんが井岡くんの脇腹をつついた体勢で固まる。


「はい、異世界の人間ですが」


 誰も口が利けない中で、神様に言葉を返したのは、やっぱり加納くんだった。


『魔王封印の法はある。千年前、異界の勇者が魔王を封印したように』


 私たちは人数の都合上、四人ずつ三列に並んでいる。私と加納くんは、同じ二番目の列だ。だから、少し視線を動かせば加納くんの顔が見える。加納くん、ちっとも、表情、変わってない!――まるで、担任の市子先生に配られたプリントの不備を尋ねるときのよう。


『……肉体だ。異世界人の肉体を持って、魔王は封印される』


 いつもどおりの加納くんの表情が、わずかに崩れた。


『封印が解けたのは、肉体が朽ちた故に』

「朽ちた、とは?」

『骨も砕け、土に還ったという意味だ』

「サヘラントロプスだって、七百万年は持つという話ですよ」


 たしか、地球最古の人類だ。横のみっちゃんがボソリと呟いた。


「加納、めっちゃ混乱してる……」


 そうなのだ。冷静沈着を旨とする加納くんが、よりにもよって神様に口答えするなんて、よっぽどのことだ。ごくりと唾を飲む。

 異世界の人間の、肉体。つまり、それは私たちの誰かが……。


『魔王を封印するのだ。……オーストラルの人族であれば、一日も持たぬ。魔族は、三日。混血は、二日しか持たぬであろう』


 クウム様を支えるルルディ姫が、きゅっと眉を寄せる。


「他に方法は」

『千の日が落ち、月が昇る時。新たな賢者が生まれる』


 加納くんの問いに、厳かに、重々しく、神様は言った。



「従う必要なんてねーよ! な、そうだろ?」


 林檎の間に戻った途端、井岡くんが明るく言った。武藤さんが井岡くんの言葉に後押しされたようにパッと顔を上げる。


「そ、そうです。神様だって、知らないことがあるかも知れませんよ! それを見つけるのが、私たちの本当の役目なのかも」

「……でも、……どうやって、見つけるの?」


 岡野さんの隠れていない方の目に見つめられて、二人は口を噤む。魔王は、魔族を支配する。それは、魔王の「声」が、いつも頭に響くようなものだという。その声は、魔族の意思を無視して、「人間を殺せ」と命令する。

 武器を捨て殺してくれと静かに私たちを見る魔族が居た。逆に魔王の所為だからと開き直り、嬉々として人間を襲う魔族も居た。

 魔族との戦争を止める為には、絶対に魔王を封印しなければならない。けれど、ずっとその方法が分からなかった。ルルディ姫の父親、シルワ国王に頼み、オーストラル中の国々に探してもらって、引退したクウム様にも出てきてもらって……。


「……今日はもう休もう」


 加賀見くんの言葉に、誰も反対しなかった。



 夜半。私はこっそりと神殿のクウム様の部屋を訪ねた。

 絢爛豪華で有名なシルワ国の王宮の中にありながら、神殿は外観も内装もシンプルなものだ。それは、先代の巫女長のクウム様の部屋も一緒だ。心地のいいソファも、美しい絵画もなく、ガランとした部屋には身だしなみを整えるための化粧台と、ベッド、簡素な書き物机しかない。書き物机の前に座り、目を細めて本を読んでいたクウム様が振り返る。


「リツ様。いったいどうなされたのじゃ」

「いきなりすみません。ちょっと、クウム様に聞きたいことがあって」


 そう言うとクウム様は、自分が座っているものと同じ椅子を用意してくれた。書き物机に乗せられた燭台は四つ。それでも随分暗く、自分の手元とクウム様の顔が見えるくらいだ。


「クウム様は、……クウム様なら、どうされますか」

「封印のことですかの?」

「はい。クウム様なら、何と引き換えにしたら自分の命を失くしてもいいと思いますか」

「私は、もう老い先短いですからのぅ……」


 むにゃむにゃ。寝言のように言って、クウム様は続けた。


「でも、やっぱり嫌じゃと思ってしまう。嫌じゃ。どうして自分が死なねばならん。誰か代わってたも、代わってたも、と泣いてしまいそうですじゃ」

「それは、よく、分かります」


 どうして魔王の封印は、肉体なのか。

 神様はクウム様の口を借りて、教えてくれた。今は若くても、いずれ老い、死んで骨になってしまう肉体のことを、私たちは儚いと思いがちだ。でも、七百万年前の人類の骨が残っているように。私たちの肉体は、きっと私たちが死んだ後も残っていく。

 反対に、魂はひどく脆いだという。死とともに身体から抜け、生きていては見えず感じられない場所を彷徨い……そのうち、風に溶けてしまう。

 だから、封印には肉体が必要なのだと、神様は言った。

 正確には、骨。何百万年も後も、地に残る異世界人の骨が必要なのだ。

 それなら、誰かひとりこっちの世界に残るだけでいいんじゃないと思うのだが、封印の儀式を肉体に施すと、「魂が体から抜け出て」しまうらしい。それって、いまいちピンとこないけど――やっぱり「死」なのだ。


「じゃが、ルルディ姫が代わりに死ぬと言ったら、自分が行きます……と言うじゃろうなぁと思いますのじゃ」

「大事な人の、代わりに?」


 クウム様が笑った。辛くて、辛くて今にも逃げ出したい。悲しくて、苦しくて、頭がどうにかなってしまいそう。そんな顔をしているのに笑顔を浮かべて、皺だらけの手で私の右手を包む。


「一週間後に、帰還の儀をいたしまする。どうか、十二人でお帰り下され。リツ様のお力なら、どんな魔族、どんな人間からも逃げ切れましょう」

「クウム様……」

「託宣の巫女は、子供を産めんのですじゃ。だから、ルルディ姫が孫のように可愛かった。姫が言うのですじゃ。カノコ様と居ると元気になれる、サヨコ様の物語が楽しい、スズカ様は優しくて、トオル様はちょっとおっかない。マサシ様と会えて良かった……リツ様と、友達になれて嬉しかったと」


 クウム様の薔薇色の瞳から、すぅっと涙がこぼれていく。


「孫の友達を、どうかこの老いぼれに助けさせてくだされ」


 その時、なんとなく分かってしまった。

 クウム様は、私たちを逃がした後、自分が魔王を封印するつもりだ。託宣の巫女であるクウム様なら、もしかしたら、魔族よりずっと長い間、封印できるかもしれない。


 ひょっとしたら、その間に、別な方法が……

 見つからなかったら、どうなる?


 魔族は三日、と神は言った。シルワ国の牢に囚われている魔族も居る。

 混血は二日、と神は言った。ルルディ姫は、エルフと人間のハーフだ。

 人間は一日、と神は言った。オーストラルの総人口は、三千万。


 動物は? 植物は? 魚や昆虫、爬虫類は……?

 この世界の生きる者すべては、どうなってしまうのだろう。


「……クウム様」


 クウム様の名前を呼ぶ私の声は、意外に静かだった。

 だって、みんなと家に帰りたい。三か月で、私たちは随分「仲間」になったと思う。

 あの佐伯さんとも「涼香」「律」と名前で呼び合うほどに、仲良くなれた。今まで一回も話したことのなかった浜田くんと、何回も話をした。武藤さんとも、友達になれると思った。

 魔族のところに戸田さんと岡野さんが行ってしまった時は、みっちゃんと涼香と一緒に泣いた。

 加納くんの魔術の実験に付き合った。鞄泥棒を井岡くんと捕まえてハイタッチもした。加賀見くんとルルディ姫の恋を、武藤さんとこっそり応援した。

 宮本くんに頼まれて、誰にも内緒で外国へ行ったこともある。

 宇都宮くんとも、少し……ほんの少しだけ、前より仲良くなれたと思う。お祭りの夜、打ち上げられた星を見上げて、笑った姿を思い出す。


『凄いね』


 いつもみたいなからかいの笑顔でも、抑えきれない笑いを堪えた顔でもない。


『きっと、まだ知らないことがたくさんある。……そんな単純なことが、こんなにわくわくするなんて思わなかった』


 宝物の地図を渡された子供みたいな、笑顔だった。

 ねえ、みんな。私は思うんだ。神様は肉体が頑丈で、魂は儚いっていったけれど。

 七百万年も残るのは、肉体だけじゃない。魂も同じくらい残るはずだ。

 だから帰ろう。十二人で、帰ろう。


「――封印の、仕方を教えてください」


 クウム様の目が、見開かれる。その瞳にふっと安堵が過ぎって、クウム様は悔しげに顔を歪めた。


「すまぬ……すまぬ……すまぬ……!」


 背を縮こまらせ、謝罪を繰り返すクウム様の体を抱きしめる。クウム様とルルディ姫は、ちょっと似てるなあって能天気に思いながら。



 林檎の間に集められた異界の勇者たちは、テーブルの上に置かれた小箱を凝視した。

 それから、バラバラに一脚のソファを見る。いつも、坂川律が座っていたところだけが、ぽっかりと開いている。昨晩、彼女は彼らの部屋を訪れた。こんこんと扉をノックして、眠気まなこを擦って出たことを思い出す。


『ばいばい』『大丈夫』『元気で』『行ってくる!』


 転移の能力を持つ彼女は、止める間もなく去って行ってしまった。


「……夢じゃ、なかったの?」


 宮島鹿乃子が、ぽつりと呟いた。


「帰還の儀は、少々お時間を頂くことになるのですじゃ。ですが、一月の内に必ず」


 託宣の巫女クウムは、固い表情のまま続けた。


「リツ様は、御遺言で――」

「今、なんと言いまして!?」


 佐伯涼香が、荒々しく立ち上がった。普段、優雅のコートと礼儀のスリッパを手放さないと自称する彼女には珍しく怒りに頬を染めている。


「リツ様は、封印の儀をなされました」


 時間が凍りついたようだった。それでもクウムは、説明は続けなければならない。これは、律の遺志だ。


「……この箱には、リツ様の魂が閉じ込めてあるのですじゃ。一緒に、元の世界に連れて行ってくれと、リツ様は仰られて――」

「クウム殿」


 宮本辰貴が、クウムの言葉を遮る。彼は、ピンと背を伸ばしテーブルに両手を置いた。


「坂川に無理強いしたのか」

「……」

「お答えいただきたい」

「……してはおりませぬ。ですが、したも同然ですじゃ」

「何ゆえ」

「すべて、私の責任ですじゃ。リツ様に封印の方法をお教えしたのはこの私。どうか、どうか、私を御恨み下され」


 深々と頭を下げたクウムに、誰も何も言わなかった。

 律の能力は「転移」。手を戒めても、足を縛られても、彼女は一瞬で別の場所に逃げられる。……だから、律が自分の意思で魔王を封印したことは、この場に居る誰もが分かっていた。


「なんで」


 律と一番仲が良かった、鹿乃子が呻く。それに応えるように、加納幸が呟いた。


「……犠牲の数」

「だから、なんで!」

「人族なら一年で三百六十人。千年で、計三十六万人」


 魔族と人族を合わせ、異世界オーストラルの総人口は三千万。賄えない数ではない。囚人の魔族も、戦争で死にかけた同類も居る。クウムもそう冷静に計算して、律に言った。

 魔王さえ封印できれば、魔族との戦争は終わるのだ。

 だが、勇者たちの力を借りず、どうやって魔王を封印できただろう? 魔王を封印するためには、魔王の半径百メートル以内に入る必要がある。勇者たちのような特殊な力を持つ魔族と違って、人族には何もない。夢物語だと思いながらも、クウムは目を瞑った。

 律が封印を選ばずにいたら、おそらくは数年で、オーストラルの地図から三つか四つの国が消えていた。


「でも、でも……!」


 駄々っ子のように、鹿乃子が繰り返す。シルワ国で一等、豪奢な林檎の間には、重く暗い沈黙と誰かのすすり泣きで満たされた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。