007 モツ煮込み定食
オウカ寮の近くの居酒屋、楽屋の店内、二人がけの卓にチンピラ風の男と金髪ポニーテールの女が座っている。
男は紙煙草を吸いながら、猪口で華酒を飲んでいる。
女の前にはモツ煮込み定食が配膳されているが、手をつける前に女は頭を下げた。
「私はセイルといいます。改めて、昨夜はありがとうございました」
「ティブルです。あー、礼はこれで十分だよ、チャラだチャラ」
ティブルは追加注文された華酒、雪どけの入った酒器を揺らして答える。
「食べなよ、それ絶対うまいやつやん」
「そうですね。では、遠慮なく、いただきます」
昼過ぎにひとまずの治療を終えたセイルは、昨夜の件を上司に報告し、今後の方針を確認、次の任務を与えられた。
マルマットの作った昼食を食べてはいたが、それっきり、今になるまで何も食べてこなかった。遅い時間の食事はあまり好ましくないが、携行食を口にする程切羽詰まっているわけでもない。食べられる時に美味しいものを食べるようにとは、上司からも同僚からも助言されていた。
セイルは煮込まれて柔らかくなったモツをつまむ。甘辛い味付けが空腹を加速させる。美味しいが噛んでもなくならないモツは、一口目は失敗だったかもしれない。とにかく何か腹に入れたくなる。
たまらず飲み込み、続けてツヤが出てよい色をしている大根をつまみ、口に運ぶ。サクリとやわらかい味が染みて、幸せを感じる。
「怪我は災難だったな」
「未熟だったわ、もっと慎重に動くべきでした」
「あんなとこにいたってことは、なんだ、セイルちゃんもパラストさんとこのアルバイト?」
「アルバイト? ああ、いいえ、私の雇い先というか上司は別で、パラスト先生は協力者というか依頼先ですね」
一口大に切られた白ネギをつまむ。清涼感のある歯ごたえを残しつつ、加熱によって増した甘みが口に広がる。
「ふーん、そっか。で、診療所出て、それからずっと俺を探していたの?」
「ううん、昨夜のことを上司に報告しに行ってたんです。それで次の仕事っていうかあれの行方を探すことになったから、またこのあたりをうろちょろすることになったんです。ティブルさんがここだろうっていうのはマルちゃんに聞きました」
再びモツを食べる。先よりは落ち着いてその味と歯ごたえを楽しめる。
「なるほどね、あー、呼び捨てでいいよ。歳は一緒くらいだろ」
「そうなんです?」
「俺、十八歳」
「うそ……タメなの……」
セイルは動揺しながら汁椀を口に運ぶ。赤味噌の塩辛さはモツ煮込みの甘さに慣れた舌をリセットする。茶碗に盛られた白米を一口食べる。出てきた時は女性向けには少々量が多い気がしたが、甘辛いモツ煮込みと塩辛い味噌汁を相手にすれば箸は問題なく進んだ。
「というか、あの怪我をして、あれ探すんか。タフだね」
「捜査にはあまり支障はない、わ。人手もないしね……私が相対するわけでもないし」
パラストの元へは学徒時代の伝手という形で妙な、どちらかといえば危ない依頼がやってくる。先代から継いで、ここ一年パラストの実働としてティブルは使われてきた。
ティブル自身は望むところがあって関わっているが、目の前でモツ煮込み定食を食べる女もまた、そうした身の上のようであることには驚くところだ。さらには怪我をしてもなお、あれを追おうとする気概にティブルは感心する。
「……なにか?」
「いやあ、芯があるなって」
「芯?」
「意志だよ、折れない意志。この程度じゃへこたれないって感じが伝わる」
「……ティブル、にそれを言われると妙な感じですけど。目標があってやってますからね」
「何したいの?」
器の縁に盛られた練りからしを少し取り、モツ肉に乗せて口に運ぶ。甘さと辛さを舌で不規則に感じながら、続けて白米を食べる。
堪能したセイルはティブルの問いに答える。
「外交官になりたいの。外の国に行って、いろんなものを見たり、聞いたりして、それをまたこの国に持ち帰りたいの」
「外交官? まったく想像もしなかった答えだわ」
「憧れてたところに縁あって外交官の先生の目に留まってね、今秘書見習いみたいなことをしているの。先生はたまにゲントレーに戻ってくるから、その時は先生に付いていろいろ回るわ」
小鉢の酢の物をつまむ。輪切りの胡瓜とワカメというシンプルなものだが、他二品が濃い味であるため、さっぱりした酢の物は嬉しい。
「この仕事もか?」
「これはちょっと違うわ。先生がこっちにいない間は先生の知り合いに預けられてて、そっちの仕事ね。外交官には広い視野とかコネとか情報収集の技量とかいるから、そういうのを磨くんだって」
「なるほどなあ、聞いてる分には面白いね」
割とがっついてモツ煮込み定食を消化しているセイルだが、眼の前のチンピラ風の男は特に気にせず、悠々と紙煙草を吸い、華酒をちびりと飲んでいた。
■
「ティブルは? どうしてこんなことしているの?」
「こんなことって?」
空腹が落ち着いたセイルは一旦箸を止め、対面のチンピラ、ティブルに話しかける。
「こっちの仕事をする前に色々訓練を受けたわ。それにはモンスターと戦うようなのもあった。あの時は怖かったし、昨夜だって怖かった。モンスターなんて国の中じゃまず出会わないし、外でも未開とか、未踏の地でもない限りそうそう見ないものじゃない?」
数百年前は当たり前のように野にモンスターが溢れており、武器を取れる者の生業としてモンスター討伐が成り立っていた。
だが応具の普及がヒトの生存圏を大きく広げた。モンスター討伐は容易になり、見えるところのモンスターは減り、ヒトはヒト同士で殺し合う時代になった。
安全な塀の内側ではモンスターを見ることはまずない。警察や軍など国家組織が整ったフォーストン帝国のような国ではなおさらだ。
おとぎ話の時代が終わり始めている。
「私が言うことでもないけれど、そんな時代じゃないでしょう」
モンスターに真っ向から立ち向かう時代は終わったのだ。セイルの言葉にティブルも頷く。ティブルの地元はまだモンスターが多かったが、ゲントレーに来てからはパラストの仕事でもない限り、モンスターに出会うことはない。
それにもかかわらず、ティブルはパラストを経由した依頼として、いくらかモンスターを殴り飛ばしてきた。その依頼主側にいるセイルも、積極的か結果的かはわからないが、そういった時代遅れと対峙する組織に身をおいている。
「なぜ?」
そう問うたセイルの目は、何かを期待するようにティブルを見ていた。それは昨夜、自分の前に現れた勇者に対する感情。
おとぎ話を信じる歳ではない。巫女の危機に駆けつける竜騎士に憧れ、恋するような乙女でもない。
けれど絶命の危機に現れ、自らを救ったこの勇者に、セイルは何か、尊いものを期待してしまった。
酒に酔ったティブルは、セイルの視線には気づかない。だからかティブルはセイルの疑問に、
「俺は別に、モンスターを殴りたくて殴ってるわけじゃなくて」
存外素直に答えてしまった。
「聖母様を煩わせる輩に腹が立つから殴ってるだけなんだ」
ティブルの恥ずかしい告白を聞いたセイルは、思っても見なかった想定外の答えに、続く言葉を失ってしまった。
創世の六客人の一人、聖母。知らないヒトはいないだろう、伝説上の人物。
木火土金水のアトマ系統のうち、水の由来であり、生と死を司る。創世の時代に水を生み出し、その流れは死したアトマを運ぶという。
北大陸大森林地帯に広がる湖、死霊の湖を聖地とする聖母教の崇拝の対象。
彼女の作った創具、聖母の杖は世界各地に存在し、水源となり、ヒトや獣、植物などあらゆる命の営みを支えている。
聖母教の信徒か、僧兵なのかとセイルはティブルを見る。モンスターを積極的に殴りに行くということは修行僧かもしれない。聖母教徒に特徴的な祭具――木の珠をつないだ腕輪とか首飾りとか――身につけているようではないが、そういえばスカジャンに背負った亀は聖母由来の獣だった。
ずいぶん傾いた、型破りな僧兵だと思うが、これも時代なのかもしれない。聖母教に詳しくないセイルはそれで納得することにした。
ティブルは紙煙草を吸い、落ち着くようにゆっくりと煙を吸い、吐いている。
顔が赤いのは華酒に酔ったからだろうか。
■
モツ煮込み定食を食べ終え、茶を飲んで一服したセイルは仕事の話に話題を変える。
「もう報告してしまっているけれど、あれはモンスターなのよね?」
昨夜、パラストの診療所で張り込んでいたセイルの前に現れた男。緩慢な動きからは想像できない速度で掴まれた腕は、押しても引いても引っ叩いても殴っても外れなかった。単なる怪力とは違うと感じた。まるでそこから鉄の拘束具が生えているかのような、どうしようもなさを感じた。
「ああ、あれはもう手遅れだ。結局身体の中に潜り込んだ狂神の創具も取り出せていない。川に運ばれるか沈むかはわからんけど、そう簡単に死ぬとも思えない。上がってくる頃にはまた一段とタガが外れているだろう」
タガが外れたという言葉にセイルは頷く。
もがくたびに鉄指がこちらの腕に食い込み、鬱血し、その圧力は骨まで届いた。パラストの治療で多少回復したが、袖の下の左腕には痣がまだ残っており、指を動かせば僅かだが痛みもある。パラストは、完治にはもう幾らか治療が必要と言っていた。
「倒せるの? というか、怖くないの?」
ティブルはあの隻腕を撃退した。
パラストに保護され、診療所内に避難したため、セイルは戦闘の始めのほうしか見ていなかったが、ティブルは鉄の拘束からセイルを解放し、自らに敵意を引きつけた。
水術と体術の巧みな連打は、鉄塊と化したあのモンスターを後方に飛ばすほどであった。多少戦闘訓練を受けただけの、素人に毛が生えた程度のセイルでもティブルの技量が並ではないことは分かる。
けれどモンスターは倒せず、雪どけで水量が増した川へと落とすことで撃退とした。
「恐怖は、あんまりないな。モンスターを相手にするのは初めてでもないし」
ティブルは自身を確かめるように言った。
「モンスターのタネはわかった。カプーとマルマット、あー、友達? 仲間か? が、篭手も直してくれるし、対策も考えてくれる。戦闘については不安要素はないな」
ティブルは次戦は勝てると自信を持って答える。
「奴の意志も少し見えたからな。次はちゃんと向き合えるさ」
昨夜の戦闘では倒せず、篭手を破壊され、川に落とすしかなかったというのに、ティブルからは再戦への不安や焦りなどは感じられない。
怪我を負ったセイルも心が折れたわけではないが、あのモンスターと対面するのは少し躊躇する。
ティブルからはそういった尻込みするような様子は感じられない。脅威や理解不能なものから逃げず、向き合って対処する冷静さがそこにあった。
「そういう、ものなの?」
「そういうもんさ。まあ、初戦で制すれば面倒は少ないけどさ、五体無事で生き残って、情報持ち帰って対策して、危なげなく再戦で勝てるならそっちがいいだろ」
「そう、なのね。なんというか、ひどく現実的なのね」
セイルは少しがっかりしたようにつぶやいた。
セイルにとって目の前のチンピラは勇者だった。混乱と恐怖で潰されそうになった瞬間、ティブルは現れ、そして助けてくれた。モンスターの間に割って入り、セイルを守ってくれた背中。背負った大きな亀の刺繍、両腕に纏った紺青の光と安心感は記憶に鮮明に焼き付いている。
その勇者は、しかしセイルと同じ時代を生きるヒトであり、現実的で、彼我の戦闘力を分析し、仲間を頼り、冷静に再戦の時を待っている。
おとぎ話の勇者とは違い、ズタボロになりながら相打ち覚悟で肉薄して敵を倒すわけではなく、民衆の歓声に応え、勝鬨を上げるようでもない。強敵に負けて見逃されて、悔しさに歯を食いしばりながら修行するわけでもない。
それを感じ取ったのか、ティブルは苦笑して恥ずかしそうに言う。
「確かになあ。俺だって勇者に憧れたこともあったし、ちょっと周りより強くなった時はやんちゃしたりもしたよ」
今の風貌も十分やんちゃだと思うが、セイルは黙って聞いた。
「でも、そういうのは俺には必要なかった。俺が本当に憧れたのは英雄じゃなくて聖母様だしな」
そう言ってティブルは華酒をちびりと飲んだ。
「聖母様の仕事は迷えるアトマを世界に還すことだ。残念、無念、怨み、辛み、鬼哭、慟哭、恩讐、妄執。あの湖は死してなお彷徨う極彩色の意志で埋め尽くされていた。死霊の湖なんて大仰な名前だとヒトは言うだろう。実際見えないやつが見れば、あそこはきれいで静かな湖だからな。だがあそこは狂いなく、世界に戻れない死霊たちがたどり着く、最果ての地なんだ。そこで聖母様は、一人湖に立ち、無念共を導いていく。紺青の軌跡が標になって、湖一面から立ち上る何千何万もの光の粒を惹きつけていく。優しくて、悲しくて、美しい。そんなものを見たんだ。憧れるなってほうが無理だろう」
苦笑して、また、ティブルはちびりと華酒を飲んだ。
「こんな、初恋相手に未練たらたらな情けない話、聞かせて悪かったな」
少し酔ったのか、ティブルは赤ら顔でバツの悪そうに謝った。
セイルは困惑する。
平時であれば話半分で聞き流すだろう。場所も悪い。居酒屋で、酒飲みの酔っ払った口から出た話だ。信憑性など考慮するまでもなく、はいはいと手で払う程度の話のはずだ。女を口説くための話でもなければ、宗教勧誘の話でもない。偉ぶった親父の武勇伝でも、流行りの服の話でもない。
それは、おとぎ話のようだった。伝説を見て、聞いて、感じた者の言葉。荒唐無稽で夢物語で、誰に聞かせても誰も真実とは思わない。
けれどそこには憧れが輝いている。
「……その、聖母のこと、好きなの?」
妙な聞き方になっていると、セイルは自覚する。けれどティブルの顔を見て、話を聞いて、ティブルの中の聖母が、おとぎ話の聖母ではないことだけは解った。
「憧れだ。もう会えないことなんてわかっているし、それを受け入れられる程度に時間も経ったよ。今の俺は、ただの聖母狂信者だ」




