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006 目覚めと喧騒

 目の覚めたセイルは、自分が見知らぬベッドに寝ていることに気づいた。左腕には包帯が巻かれ、固定されている。指は動く。右手で身体を支えながら、身を起こす。

 小さな部屋には空のベッドがもうひとつと洗面台、小さな机と椅子があるだけだった。壁にはセイルのものだろう、グレーのスーツジャケットが掛けられている。窓の外からは川音が聞こえる。白いレースカーテンが揺れ、春のやわらかな光が差し込む。


 ぼうっと眺めていると、パタパタと足音が近づく。扉が開き、小柄な少女が現れた。

 薄い赤の髪は肩より少し長めに伸ばされている。白の簡素なワンピースに、こげ茶のカーディガンを羽織っている。素朴だが可愛らしい、小鳥のような少女だ。手にはタオルや服の山を抱えている。


「あ、起きた? 起きられた? おはよー。大丈夫? 痛くない?」

「ええと、少し痛いのかしら」

「痛み止めの時間てどうなんだろ、先生呼んでくるね。ご飯も持ってくるよ、着替えは、診察の後かな。何か欲しいものあったら言ってね」


 次々に喋りながら少女はパタパタと動き回る。水差しから水を注いだコップと濡れタオルを袖机に置いて、少女はパラストの名を大声で呼びながら部屋を出ていった。


 パラストの名前で、ここが彼の診療所であることを知る。赤髪の少女に呼ばれたパラストが部屋に入ってくる。見知った顔は少し疲れた様子だ。


「マルマットはよお、よう働くんはいいんやけど、もちっと静かに出来んもんかな」

「マルさんは無理っすよ。一人で騒いでバタついて、上げて下がって、結局自分で解決するヒトだから」

「見てる分にはおもろいんやけどなあ、巻き込まれると気苦労するわ」


 パラストに続いて、診療所に不似合いな男が入ってくる。パラストより頭ひとつ小さい背で坊主頭、目は鋭く、こめかみには傷が入っている。細い身体にスカジャンを羽織っている。手に巻かれた包帯は拳を保護するバンテージだろうか。

 一見してチンピラ風な男だ。真っ当に生きていたらまず関わり合いにならない類の外見だ。街で見かけたら率先して視線を外す程度にはおっかない。

 だが、その姿に、セイルは見覚えがあった。だから声をかけた。


「あなた……」

「おう」


 蘇る光景は夜。上司の命令で診療所に張り込んでいたところに現れた影、伸ばされた腕がこちらの腕を千切るかのように掴んできた。

 激痛と悲鳴、混乱の中で現れたスカジャンの柄は亀だった。現実味が薄く、夢のような出来事で、しかし左腕には痛みがある。


「あれは、いつ? 昨夜のこと?」

「そや、昨夜うちの前でモンスターに襲われて、腕をやられて、気を失ったところやね」

「っ!? あれはやっぱりモンスター!? 本当に……今どこに!?」

「ティブルがそこの川に落としてどんぶらこや」


 パラストが窓から見える川を指差す。川の流れは穏やかで、春の陽気は眠気を誘うようだった。


「そう、ですか」

「まあ、詳しい話は後でするから、ちょっと腕見せてな」


 パラストはベッド脇の椅子に腰掛け、腕の固定を外し、包帯を外していく。薬剤が塗られた布を取ると、左腕には痣がくっきりと残っていた。痣はちょうどヒトの手のような形をしていて、セイルは息を飲んだ。


「こんくらいは術法で消えるから大丈夫や」

「そうですか」


 パラストの言葉に、セイルはあからさまに安堵してしまう。やはり痕が残るのは嫌なものだ。


「怪我はまあ、骨折や。術法で治すけど、君のことはそんな知らんし、今回では治しきれんやろ。後で痛みで熱が出るかもしれんから解熱剤出すね。んで、ティブル」


 そうしてパラストはチンピラ男、ティブルに声をかける。離れて見ていたティブルが失礼、と断ってこちらの腕に軽く触れる。

 ティブルの指から紺青の光が粒子となって散っていく。そのアトマの光は昨夜見た光景と同じ色だった。やはり、昨夜助けてくれたのはこのティブルに違いないらしい。

 ティブルは軽く頷き、指を離した。


「残滓はないね。何もなしにこっちが狙われることはないですよ」


 何をしたのか、ティブルはそう言うとパラストはうむうむと頷いた。


「ということで他に悪いとこもないし、治療したら退院やな。ああ、別に続きは他の診療所でも構わんよ。はいこれ飲んで」

「あ、はい」


 パラストは白衣のポケットから茶色の小瓶を取り出し、栓を開け、セイルに渡す。言われるがままに飲むと、やたらと甘い液体が流れ込んでくる。活力剤のようで身体の奥から熱が湧いてくる。空腹の身体はもっとよこせと訴えてくるが、今は治療が先だ。


「君もやることあると思うけど、あんま無茶はせんようにな」


 そういうパラストの目は鋭い。ニヤついた顔の印象があるため、ギャップを感じる。


「そんじゃあ、はい、目閉じて。左腕に集中して。腹に落ちた熱いのを意識して、それを腕に移すようイメージして」


 治療が始まる。セイルは素直に従い、身体の内のアトマを感じる。活力剤のおかげで集中しやすい。


「パラストさん、俺は?」

「ああ、もういいで。動きがあったら連絡するわ」

「ういーっす」


 そう返事をするとティブルは部屋から出ていく。セイルは慌てて目を開け、声をかける。


「あ、あの、昨夜はありがとうございました」


 立ち止まり、振り返ってじっとこちらを見たティブルは、


「お、おう。あー……お気をつけてお帰りください?」


と曖昧な返事をして部屋を出ていった。


「なんや、照れてんのか、ありゃあ」


 パラストは面白そうにニヤついていた。


 ■


「てめえ、ヒトの女に何手ぇ出してんだよ!」

「プリンがいながら女を買うような野郎に言われたくねぇよ」

「てめぇには関係ねぇだろ!俺は俺の稼ぎで好きにやっただけだ!」


 居酒屋では珍しくもない、だが周りの目を引くには十分な怒号が飛ぶ。


 夜、ティブルはオウカ寮近くの居酒屋、楽屋(らくや)で食事と酒を取っていた。普段はカプーを誘うが、朝から篭手の修理で手を離せない。修理を頼んで自分は酒かと、いい身分だなとティブルは自嘲する。

 寝込むような怪我もなく、こうして酒を飲んでいられるのは篭手のおかげであることはティブルも、カプーもマルマットも十分理解している。マルマットも家地や固定紐、革周りの術法発現式の修繕と改良をやっている。彼女は金を使いたがらず、外食もしないので、始めから誘わなかった。


「錦屋(にしきや)はそんなに良かったか? 歓楽街の最高級娼館だからな! お前は夢心地で今日まで余韻に浸っていたんだろうが、プリンは泣き続けていたんだぞ。彼女の目の腫れにも気づかなかったか?」

「っ! そ、それで口説いて寝取ったってわけか? とんだ間男野郎だな!」


 奥の四人がけの卓で、向かい合って座る男二人が白熱している。それぞれの隣に女もいるが、どちらも厳しめの表情で一人の男を睨んでいる。睨まれているのが彼氏、いや、もう元彼だろうか。


 店のマスターやアルバイトの女の子は不安そうに怒鳴り合う男たちを見ている。幸か不幸か、客は彼らとティブルしかいないため、言い争いはひとまず静観されている。マスターたちが心配しているのは高級酒の酒瓶が割られないかということだろう。ティブルは喧騒を眺めながら煙草を吸う。


 間男――というか結婚しているようではないため今彼が正しいだろう――の隣に座っているのがプリンちゃんだろうか。今は恐ろしい視線で元彼を睨みつけているが、ふっくらした頬が愛らしい外見である。両親に大切に育てられた、良いところのお嬢様の気配もある。

 良さげな彼女がいながらも行きたくなる錦屋ってのはすごいんだなと、ヒトの欲望の向こう見ずさを噛み締めながら、ティブルは猪口で華酒を飲む。


「お前の短絡さに呆れるよ。下半身で物事を考えるケダモノが!」

「てめぇえええ!」


 二人の口論は加熱し、元彼が今彼の胸ぐらを掴む。開戦のようだ。

 元彼の右拳が今彼の横っ面を殴り飛ばす。今彼はプリンちゃんに倒れ込む。卓の上の料理や酒がひっくり返り、マスターは眉をひそめる。プリンちゃんは悲鳴を上げながらも今彼を抱きとめ、先程とは比較にならないほどの殺意を込めて元彼を睨む。怖い。

 視線に怯んだ元彼の腹に、今彼は倒れた姿勢のまま蹴りを突き込む。今度は元彼が蹴り飛ばされるが、残念ながら彼を抱きとめるものはなく、隣の卓と椅子へ突っ込む。卓上の取り皿や箸がティブルの足元まで飛び散ってくる。


「ちょっとちょっと止めなさいよ! 喧嘩なら外でやって!」


 被害の拡大を防ぐためにカウンターの向こうからマスターが出てくるが、元彼は逆上しており、聞く耳を持たない。悪態をつきながら立ち上がり、直蹴り(ケンカキック)を繰り出す。狭い店内、卓や椅子で身動きの取りにくい状況では回避が難しく、今彼にヒットする。

 今彼は倒れずに踏ん張り、すかさず押し込みながらの蹴りを放つ。元彼は再度飛ばされ、隣の卓に突っ込む。


「ちょっと、もう! ティブル止めてよぉっ!」

「え、俺?」

「他にいないでしょ! お願い!」

「ほら、俺、今日怪我してるし」

「えー、困ったねどうしよう、脚は?」

「脚は大丈夫」

「なら脚で! お願い! お店は壊さないでね!」


 元彼今彼は互いに胸ぐらを掴み合い、拳や頭突きを繰り出し合っている。ティブルはのっそりと近づき、警告もなしに元彼の太腿にローキックを打ち込む。


「ごあっ!?」


 小さいモーションから繰り出される蹴りは速く、周囲には突然元彼が崩れ落ちたように見える。倒れる元彼に引っ張られ、胸ぐらを掴み掴まれている今彼もバランスを崩す。ティブルは今彼の太腿にも平等にローキックを打ち込む。


「があっ!?」


 床に倒れ込む二人の太腿に、ティブルは踏みつけ(フットスタンプ)で追撃する。


「「あがあっ!!」」


 二人は悲鳴を上げ、床を転がりまわる。突然の乱入者にプリンちゃんとその友人らしい女が立ち上がり、抗議する。


「ちょ、ちょっと、何するんですか!?」

「あなた誰ですか!?」

「あ?」


 ティブルは元彼の太腿を踏みつけ、ねじりを加えながら視線を向ける。元彼の絶叫が響き、チンピラにガンを飛ばされ、プリンちゃんとお友達は恐怖でへたり込む。


「マスターから頼まれたんだよ。どうにかしろって。これはマスターの依頼だからな。仕事だ仕事。最初に言っておくがこれは仕事だからな」


 ティブルの前置きにマスターは微妙な顔をしながら頷く。了解が取れたのでティブルは早速仕事を始める。


「で、なんだよ、喧嘩か? 喧嘩なら外でやれよ。え? おい、聞いてんのか? マスターは喧嘩なら外でやれっつってんだよ。何寝てんだよ、おいこら、さっさと外出て行けやおい、マスターが困ってんだろ? 誰の店だと思ってんだ? マスターの店だろ? お前らんちじゃねえだろ? 寝てんじゃねぇよ、おい」


 ティブルは執拗に太腿を蹴り飛ばしながら、退店を促す。

 太腿を集中して狙うが、それを防ごうとしたり、こちらを掴もうとしてくる手は容赦なく踏み潰し、蹴り払う。太腿にダメージが蓄積し、二人は立とうとしても力が入らず、転んでしまう。床には二人の争いで落ちた食器や料理が散らばっている。その上に転がしながらティブルは丁寧に店の被害を伝える。


「大のオトナが迷惑かけてんじゃねえよ。卓とか皿とか壊れちまってるじゃねえか。迷惑だなあ。ああ、迷惑だ。マスターは店をやっていけねえかもな。店潰す気かよ、ひでえことしやがる。謝って許してもらえると思うなよ。弁償だぞ弁償」


 被害は出ているが、店が潰れるほどではないとマスターは顔をしかめる。

 皿や卓の角が当たり、二人は身を捩らせる。二人の不意な動きを予測できず、意図せず背中や腹にティブルの蹴りがヒットしてしまうが、不可抗力だろう。よろめき転がる二人の男を器用に蹴りながら、ティブルはアルバイトの女の子が開けた扉から店外へと追いやっていく。


「手間かけさせやがって。俺は疲れてんだよ。ゆっくり酒飲んで煙草吸ってるだけだったのに、ああ、迷惑だ。俺にも迷惑がかかった。ああ、なんて日だ、ちくしょう」


 感情の籠もっていない、しかし恐怖を刻む声とともに、丁寧に太腿へ蹴りが入る。通りの石畳の上でのたうち回りながら、元彼今彼は悲鳴と静止の声を上げるが、ティブルはそれを無視する。


「てめえら働いてんだろ?立派な社会人だろ?ヒトサマに迷惑かけたら謝罪が必要だよな。誠意を見せる必要があるよな。ごめんなさいなんてガキでも言えるからな。オトナが迷惑かけたらちゃんとそれ相応を示さねえといけねえよな、おいこら、なんとか言えよ」


 痛みと諦めと恐怖で頭が飽和し、二人が動かなくなったことを確認すると、ティブルはとても自然な動きで彼らの背広の内ポケットに手を突っ込む。財布を取り出し、金と名刺を抜き取る。


「テルハ応具(おうぐ)と、その子会社のテーリックシステムか。いいとこ勤めてんのに何やってんだよ」


 空になった財布はきちんと顔にぶつけて返却する。ついでにもう一発ずつ蹴りを打ち込む。「ぐっ」とか「げぇっ」とか音がする。

 一仕事を終え、スカジャンの前を開ける。酒と適度な運動で少し熱を持った身体に、夜の冷たい風を感じる。視線を感じて振り返ると、金髪にグレーのパンツスーツを着た美女が立っていた。

 スラリと長い脚に細い腰は平均より高い身長を、さらに高く見せていた。少し疲れた表情だが、腕は固定していない。パラストの治療は効いているようだ。


「よお」

「ええと……カツアゲ?」

「いや、仕事だ」

「そ、そう。仕事なの……ね」

「終わったし、店に来たの? 入りなよ」

「え、ええ」


 スーツの女、セイルは太腿を押さえてしくしくと泣いている男二人を横目で見ながら、ティブルに続いて店に入る。

 ティブルはマスターに巻き上げた金と名刺を渡す。プリンちゃんたちは怯えている。


「割れた皿とか、これで足りる? 足りなかったらこいつらから貰ってくださいね」

「「ひいっ」」

「ちゃ、ちゃんと手加減……足加減? したよね? 死んでないよね?」

「生きてますよ。術法も使ってないし、有情だろ」

「頼んだ私がいうのもなんだけど、おっかないねぇ。やっぱりどう見てもチンピラだよねぇ」

「喧嘩慣れしてるだけありますよね。チンピラ注意って張り紙作りますか?」

「いいね。チンピラ立寄居酒屋とか」

「それ、お客は来るんですか?」


 散らかった店内を見てなんとなく一部始終を把握したセイルからのツッコミが入る。まあ!とマスターが声を上げる。


「なになに、ティブルの知り合い? 寮生? ずいぶん可愛い子ね」

「いや、昨夜ちょっと」

「昨夜!? あらー、なーにー、ついに春がきたのー?」

「違うって、怪我してたからパラストさんとこに連れてったんすよ」

「あそう、そっかーふーん、つまんない」

「……とりあえず座ろう」


 プリンちゃんたちは半泣きで退店していき、アルバイトの女の子は片付けを始める。ティブルは自分の席に戻り、紙煙草に火をつける。


「なんか用事?」

「あ、はい、お礼をちゃんと言ってませんでしたから」

「あー、んじゃ一杯おごってよ」


 ティブルはまだ少し残っている華酒の酒器を揺らす。


「ティブル、おまえ最低だなー。女の子にたかるなよー」

「いえ、そんな。私は助けてもらったのですから」

「一杯だけだよ、ほら、座りなよ」

「お、お邪魔します」


 セイルはティブルの対面に座る。ティブルはメニュー表を渡す。


「何か飲む?別に酒以外もあるし。飯は?」

「あ、ご飯まだ。ここ食べられるんです?」

「いいよー」

「それじゃあ、食べようかな」

「いいよ、先に決めて。話はそれからでいいよ。ああ、マスター、華酒、この雪どけをもう一本」


 セイルが注文を決めるまで、ティブルは一服する。


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