003 隻腕
言葉にならない悲鳴が夜の街に響く。ティブルは即座に走り出す。
応具ランプの街灯が照らす夜道、パラストの診療所のすぐ先、灯りに浮かぶ人影が見える。
一人は少女。ひとつに束ねた長い髪は時折跳ねるように宙を泳ぐ。
一人は男。少女の左腕を掴んでいる。
「おい、何してる」
ティブルは駆け寄り、少女を掴む男の腕を外そうとして
「ぬ、硬い!?」
まるでそこから鉄骨が生えているかのように腕は硬く、万力のように少女の細腕を掴み、指は一本も剥がれない。ぎりぎりと締め上げられた少女の掌には血管がはっきりと浮き上がり、赤黒く染め上がっている。
「おい、離せって!」
涙を流す少女の表情は美しくも激痛に歪んでいる。対する男の顔は陰になって表情は見えない。だがランプの明かりで、左側面を何か光沢のあるもので覆っていることが分かる。目が赤と白の光を放っている。
赤、それは火のアトマの光。
白、それは金のアトマの光。
虚ろな視線だ。焦点が定かでなく、少なくともティブルの存在を認識していない。
(尋常ではない)
ティブルはそう判断し、外れない鉄骨腕に、上段からは肘打ちを、下段からは膝蹴りを同時に叩き込む。生身であれば肉を潰す勢いの挟み殺しだが、
「っ!? 硬ぇっ」
上下より一点に打ち込んだが、まさしく鉄塊を殴ったように重い反発が返り、ティブルは顔を歪める。一応通じたようで、少女の腕から鉄骨腕が外れる。ティブルは肩から突進し、男を押し離す。
ティブルは少女をかばうように間に割り立ち、街灯の下に押し出された影の姿を見る。
大柄な男だ。服は赤色のラインで複雑な模様が刺繍された、黒地の貫頭衣。一般的な術士の服装、それも術法学院や研究院に所属するような術士が身につけている印象が強い。
ゆったりとした服の上からでも多少分かる程度に肥満といえる体型だ。一見では万力のように強固な力にも、鋼のように強靭な筋肉にも結びつかない。鍛えているようではなく、ティブルのように体術を扱うものではなく、典型的な術士なのだろう。
だが、それは今は些末なことだ。男の貫頭衣は、千切れたように左肩から先がない。そして服の下にも、あるべきであろう腕がなかった。
「隻腕……」
さしてダメージを受けた様子のない男の表情は虚ろなまま、右腕を虚空にさまよわせている。それは剥がれた少女の腕を求めているように見えた。
伸ばした手、首、顔の左側面が鈍く街灯の明かりを反射している。ミミズ腫れのように無秩序に伸びた金属侵食だ。一面を均一に覆っていないのは静止の意志によるものだろう。生身と金属侵食の境界が、ところどころ赤黒く変色している。
左肩から伸びたものなのか、狂神の意志に操られるかのように、捜し物を探すように、右腕を伸ばしてくる。
動きは鈍重。ティブルは伸びてくる隻腕を躱し、懐に滑り込む。がら空きの腹に向かって、右左と拳打を放つ。
「硬いっ」
打撃強化のために篭手の手甲部分は鉄板で厳重に覆われているが、それでも単純な拳打では有効打にならない。こちらを掴もうと伸びてくる隻腕を払い除け、ティブルはバックステップで一旦距離を空ける。
「これはっ、もはやヒトの硬さじゃないな」
木火土金水に分けられるアトマの系統。金のアトマは狂神に由来し、狂神の意志に染められたアトマには金属の性質が現れる。このモンスターの身体のどこかにあるだろう狂神の創具、そこから発せられる意志が、モンスターを構成するアトマを侵食し、こうして鉄塊の如き硬さと重さをもたらしているのだ。
そして侵食を留めているであろう静止の意志からは火のアトマを感じる。隻腕自身の資質も火であり、相性がいいのか悪いのか、持ち主のアトマを燃料にして、身を焼きながら狂神の意志に抗っている。
「これが、これは、生きているのか?」
もはやヒトの理性など吹き飛び、探索と静止の嵐の中をさまよう亡霊ではないか。
「……うぅっ」
背後から呻く声が聞こえる。ティブルは背後の少女を見る。うずくまる少女は左腕を抑えている。出血か、街灯の微かな光に反射したように見える。
「パラストさんっ!!おい、パラストさんっ!!早くっ!怪我人だ!」
ティブルは診療所に向かって大声で叫び、しかしその声に何の反応も示さないモンスターを見据える。
「モンスター、か」
スカジャンの袖の下、篭手で覆った腕の力を抜き、そして改めて気合を入れる。ティブルは左の拳を顎の前に、右の拳を軽く前に出し、敵を観察する。
相手はモンスター、視線は虚ろ、呼吸は喘ぐように早く、だが時折止まる。モンスターは残った右腕をこちらに伸ばし、向かってくる。早くはない、よろよろと、鈍重な動きだ。しかし、このまま進めては背後の少女へ向かってしまう。
ティブルは動く。伸ばされたモンスターの隻腕に、こちらの右腕を乗せる。
(重い)
その腕にヒトの柔らかさはなく、突き出された鉄棒のようで下がりも曲がりもしない。
触れた途端、モンスターの動きが変わった。まるで探し求めたものを見つけたかのように、蛇のような鋭さで、虚空を彷徨っていた手指がティブルの右腕に食らいついてくる。暴れ出した鉄腕を半身で避け、がら空きの脇腹にティブルは左拳を叩き込む。
(鈍い)
鉄の塊を殴ったような重い音が返る。原型がやや肥満体であったモンスターの体重は、金属侵食により外見以上の重さになっているようだ。
こちらの方が弾かれてしまい、他方モンスターは少しよろめいただけ。打撃が通っている様子も薄い。
「さすが狂神ってかあっ、おいっ!」
ティブルは執拗に腕を狙ってくるモンスターの怪腕をいなす。顎に一撃放つが、うめきものけぞりもしない。
いなした怪腕が戻ってくる。もはやこれは腕ではなく鉄棒、鉄塊の類だ。子供が駄々をこねるように、腕は縦にも横にも振り回わされる。躱しても流しても弾いても、すぐに戻され、絶え間なく襲ってくる。
それはヒトの腕の動きをし、ヒトの腕の速さで伸ばされ、畳まれ、振るわれる。だが、その硬さ、重さが段違いに上がっている。ティブルは避けきれず、右腕を立てて顔面を保護する。打ち込まれた打撃の強烈さに、篭手の家地に刻まれた防護の術法が自動発現する。
「よもやこれほどとはっ」
右腕に痺れを残しながら距離を取ると、ようやくパラストが診療所から出てくる。
「誰や!? どうしたっ!? 大丈夫か!?」
「パラストさん、こっち! 怪我人! そっちそっち!」
「ティブルか!? そっちか!っ ておおう!?」
無精髭に白衣を引っ掛けたパラストはモンスターを見つけて驚く。そして左腕を押さえてうずくまる少女へ駆け寄っていく。
「まじか、こいつがあの腕の持ち主か!?」
「おうさ、こっちはこれから術法も使う! その子、診療所ん中に入れて!」
「わーった、おい、君、大丈夫か?」
パラストが少女に向かったことを確認し、ティブルはスカジャンを脱ぎ、遠くへ放り投げる。
「っっっしゃあっ!!」
気合を入れ直したティブルは、己の内のアトマを練り始める。ティブルのアトマの資質は水。紺青の光が両腕を覆い、篭手の術法発現支援機構が稼働する。
左手を掲げ、水球を作り出す。一つ、二つ、三つを作り上げ、右腕を振りかぶり、モンスター目掛けて撃ち抜く。
「水弾三打。聖母の涙、止まぬ雨に打たれ沈め! ウォーターショット、トリプルタップ!」
篭手に仕組まれたアトマ結晶体を介して、応具級の術法が発現する。右拳で殴った刹那、水球にアトマ結晶体を通して拡大された意志が伝わる。
ヒトの頭部大の水球三発は狙い過たず、弾丸となってモンスターの顔面、右肩、腹に突き刺さる。衝突の勢いでモンスターの身体が確かによろめき、破裂した水球がその身体をずぶ濡れにする。水はそのまま重石となってモンスターの動きを鈍らせる枷となる。術法ゆえに短時間で世界に修正され、揮発してしまうが、それまで金属腕の動きも多少鈍くなるだろう。
よろめくモンスターに、すかさずティブルは距離を詰める。
懐まで入り、腹に構えた右腕を振り上げ、顎を殴りつける。濡れた顔面から飛沫が飛び散るほどのアッパーカットだ。水球と合わせて四発、それだけ撃ってようやくモンスターは一歩後退する。
射程距離の短さを利用し、距離を詰めたままティブルは連撃へ入る。
右腕を戻し、踏み込み、さらにもう一撃、顎を突き上げる。左足を大きく踏み込み、がら空きの胴に右拳を突き刺す。溜めた左の掌で鉄塊をさらに上へ打ち上げる。
連撃の勢いが蓄積し、ついに四倍以上の体重差があるモンスターの身体が浮いた。
「っ!」
ティブルは更に追撃する。右手甲で胸を撃ち、続けて顎を撃つ。速度を重ねた拳が打ち込まれる度にモンスターの身体が大きく揺れる。
ティブルは見る。眼前の、宙に浮いた鉄塊を凝視する。
モンスターの発する意志に染められたアトマが光る。光って見えるその先。モンスターを構成しているアトマが見える。薄い赤と濃い赤、そしてそれを侵食する白の光が見える。
溢れる極彩色の光の中、赤と白の境界にティブルは狙いを定める。解像度が上がるように、赤と白の光の先が見えてくる。球状の群体が列を成し、帯を成し、積み重なって蠢き、衝突を繰り返している。
それは探し求める意志と、それに劣らぬ静止の意志。そしてその奥にひっそりと、しかし確かに残り続ける怒りの意志。
ティブルは左腕に意志を込める。
家地から縛り紐、革、鉄板を通じ、篭手の機構が稼働する。
紺青の光が粒子となって、加速する左腕から散るように尾を引くように後ろへ流れる。
拳に纏うアトマの発光は無色へ変わり、空間が歪むように見える。
すべてを殴り飛ばす。
確かな意志が込められた左拳を発射する。
「アトマ体術、灯火!!」
ティブルの拳がモンスターの水月に着弾する。触れた端から赤と白の光が弾け、光の粒になって崩壊、飛散していく。金属侵食などなかったかのように拳はモンスターのみぞおちに深く突き刺さり、食い込む。連撃で蓄積されたエネルギーに、ティブルは更に力を重ねる。
もはや大地に留めるものなどなく、モンスターは大きく宙を飛ぶ。赤と白の光が尾を引き、消えていく様子を見ながら、油断なくティブルは残心をとる。
「おおぅ! さすがやな」
少女を抱え、玄関へ向かうパラストが感嘆の声を挙げる。
ティブルは止まっていた呼吸を再開させる。油断はない。相手はタダビトではなく既にモンスター。これだけ攻めてようやくの有効打。最後の左突きは通したが、それまでの拳打は大したダメージになっていないだろう。
ティブルはモンスターを構成するアトマを見る。打ち込んだ水月周りは光が薄れているが、まだ消えてはいない。アトマに定着する意志へ干渉するアトマ制御法、それを元に生まれた秘奥、アトマ体術で殴り飛ばしたが、やはり創具とそれに拮抗する意志というやつは強固だ。
(世界に還すには、まだいくらか殴り飛ばさないと)
そうティブルが思った瞬間、轟と音を上げて、モンスターの身体が燃え上がる。金属侵食されていない、生身の部分から火炎が吹き出す。水剋火の相性などないかのように、大気を焼くほどの熱が振りまかれる。
■
TIPS
応具
アトマ結晶体を核とした機構を内蔵する、量産可能な術法媒介の名称。南大陸で数百年前に発明された。
凡人にも術法媒介として最上位である創具級の術法発現を可能とし、世界中に応具戦争を引き起こした。
アトマ結晶体
無色透明なアトマが高純度で含まれる結晶体。
意志に感応しやすく、容易く術法を発現するため取り扱いが難しい。
鉱石としては脆く、砕けやすい。応具発明以前はアトマ感応石と呼ばれた。
木火土金水
万物が持つアトマの系統。
六客人に由来し、水のアトマは聖母、木のアトマは竜王がその系統の物質、現象、文化などに大きな影響を及ぼしている。
術法士においては本人の資質でもあり、術法の発現成否や精度、威力、規模、持続時間に影響する。複数の資質を持つものもいる。
アトマ制御法
アトマを意志で染め上げることなく制御する方法。
既に定着している意志や世界を作っている強く普遍的な意志である世界意志を無視し、要素であるアトマに直接働きかける。
これにより例えば、形のないものを殴り飛ばしたり、金属塊を素手で殴り砕くことができる。




