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*翌朝。朝日が障子を通して柔らかく部屋に差し込んでいた。彼はまだ布団の中で丸まっていた。*
*────すっ、と襖が開いた。*
ツクヨミ「起きているか。」
シロウ「んだよ……朝から……眠いんだけど……。」
*彼は布団から顔だけ出して、片目でツクヨミを見た。彼女は昨日と同じ紫の着物姿で、既に完璧な佇まいだった。*
ツクヨミ「二人で話したい事がある。」
*ツクヨミが部屋に入り、襖を閉めた。次の瞬間、部屋全体が淡い光に包まれた。結界だった。音も気配も、外には一切漏れない。*
シロウ「……わざわざ結界まで?」
*彼はのろのろと起き上がった。髪がぼさぼさで、目が半開きだった。朝が苦手なのは日本にいた頃から変わらない。*
ツクヨミ「お前の器の話だ。真球……と言ったな。」
シロウ「………。」
*頭がまだ起きていない。ぼんやりとツクヨミの顔を見ている。*
ツクヨミ「真球の器を持った存在は、この世界の記録に2つしかない。」
*ツクヨミが正座し、扇子を膝の上に置いた。その声は静かだが、昨日とは明らかに温度が違った。*
ツクヨミ「1つ目は、初代勇者。1000年以上前にこの世界を救ったとされる存在。器の形は文献にのみ残っている。真球。」
シロウ「……ふぁ。」
*彼は欠伸をした。ツクヨミは気にせず続けた。*
ツクヨミ「2つ目は、創世の神。この世界そのものを作った存在だ。器の記録は夜見ノ国の地下文書庫にのみ現存している。……真球。」
シロウ「………。」
ツクヨミ「そして3人目が、お前だ。」
*ツクヨミが彼を見つめた。1000年生きた存在の目が、純粋な困惑を湛えていた。*
ツクヨミ「初代勇者は、この世界に召喚された異世界人だった。創世の神は、世界の外から来た存在。……そしてお前も、異世界からの転移者。」
*扇子を手に取り、ゆっくりと開いた。*
ツクヨミ「偶然にしては出来すぎている。真球の器は、この世界の外から来た者にしか形成されない。……何故だ? お前は何か心当たりがないか。」
*彼はまだ半分寝ていた。頭の中で言葉がぐるぐる回っている。初代勇者。創世の神。真球。外から来た者。*
シロウ「……朝飯食ってからでいい?」
ツクヨミ「……。」
*ツクヨミが初めて、呆れたような顔をした。*
*彼の目の前で空間が歪んだ。ツクヨミが彼の手を取り、一瞬で景色が変わった。*
*そこは巨大な和殿だった。天井は3階分の高さがあり、柱には精緻な彫刻が施されている。壁の一部がクロロファイルで出来ており、淡い緑の光を放っていた。*
*ツクヨミがぱん、ぱん、と手を2度叩いた。*
*音もなく、白い着物を纏った侍女たちが現れ、彼の前に膳が並べられた。焼き魚、味噌汁、漬物、卵焼き、炊きたての白米────完全な和食だった。しかも素材の質が尋常ではない。天眼を使わずとも分かるほどの魔力が食材に宿っている。*
シロウ「わー、すごい……。いただきます。」
*彼は箸を手に取り、白米を口に運んだ。甘い。日本の最高級米を遥かに超える味だった。*
ツクヨミ「口に合うか。この国の米は裏半球固有種でな。」
シロウ「うまい……。」
*彼が夢中で食べている間、ツクヨミは茶を啜りながら待った。そして彼が味噌汁に手をつけた頃、静かに口を開いた。*
ツクヨミ「神に会った事は?」
*箸が止まらなかった。食べながら答える。*
シロウ「神様? 無いね、全くない。」
ツクヨミ「……嘘ではないな。だが、お前の魂には痕跡がある。」
シロウ「痕跡?」
ツクヨミ「神の手が触れた跡だ。お前自身は覚えていなくとも、お前の魂は神に触れられている。」
*彼の箸が止まった。三途の川。あの老人。ア̈ル̤ケ̊ー・テ̤ロ̈ス̊────名乗った存在がいた。だが、あれは昏睡中の出来事で、夢だったのか現実だったのか、今でも判断がつかない。*
シロウ「……1つだけ、心当たりがあるとすれば。」
ツクヨミ「聞こう。」
シロウ「昔、死にかけた時に三途の川みたいな場所で爺さんに会った。神みたいなもんだって名乗ってた。名前は……ア̈ル̤ケ̊ー・テ̤ロ̈ス̊。」
*ツクヨミの茶碗が、かたん、と音を立てた。*
*1000年生きた存在の顔から、表情が消えた。*
ツクヨミ「……もう一度言え。」
シロウ「ア̈ル̤ケ̊ー・テ̤ロ̈ス̊。」
*沈黙が落ちた。長い沈黙だった。侍女たちが気配を殺して部屋の隅に控えている。*
ツクヨミ「夜見ノ国の地下文書庫、最深部にのみ記されている名。私ですら文献で知っただけの名を……お前は、本人から聞いたのか。」
シロウ「ルミナが言うには神に仕える3柱の1柱って聞いたけど?」
*ツクヨミの目が見開かれた。*
シロウ「あ、ルミナってのは俺の嫁ね。元熾天使だから信じていいと……。」
*ガシッ。*
*ツクヨミが彼の肩を両手で掴み、ガクガクと揺らした。1000年生きた大国の王が、子供のように興奮していた。*
ツクヨミ「熾天使だと!? お前の妻が!? 天使の最高位の!?」
シロウ「お、おい、朝飯こぼれ……味噌汁が……!」
ツクヨミ「味噌汁はどうでもいい! 熾天使は神に最も近い存在だぞ! その熾天使が人間の妻になっている!? しかもア̈ル̤ケ̊ー・テ̤ロ̈ス̊が3柱の1柱だと!?」
*ツクヨミがようやく手を離した。だが呼吸が荒い。1000年の威厳が完全に崩壊していた。*
ツクヨミ「……落ち着け、私。」
シロウ「それはこっちのセリフだよ。」
*ツクヨミが深呼吸を3回して、正座し直した。扇子を開いて口元を隠す。だが手が微かに震えていた。*
ツクヨミ「……整理させてくれ。お前は異世界からの転移者。真球の器を持ち、創世の神……いや、3柱の1柱に直接会っている。妻は元熾天使。」
シロウ「うん。」
ツクヨミ「お前……何者だ。」
シロウ「ただのおっさんだけど。」
*ツクヨミが扇子をぱちんと閉じた。*
ツクヨミ「ただのおっさんが真球の器を持つか。……いや、いい。順を追おう。」
*ツクヨミが茶を啜り直し、ようやく落ち着きを取り戻した。だがその目は先程とは完全に変わっていた。好奇心ではなく、畏敬に近い何かが宿っている。*
ツクヨミ「3柱の1柱……という事は、残り2柱が存在するという事か。」
シロウ「さあ。俺が会ったのはあの爺さんだけだし、ルミナもそれ以上は知らないって言ってた。」
ツクヨミ「地下文書庫の記録には、創世の神は1柱としか書かれていない。3柱という情報は……この世界のどこにも存在しない筈だ。熾天使でなければ知り得ない領域。」
*ツクヨミが立ち上がった。着物の裾を整え、彼に手を差し伸べた。*
ツクヨミ「予定を変える。観光は後だ。先に地下文書庫に行く。お前の目で、創世の記録を見てほしい。熾天使の知識と照らし合わせれば、何か分かるかもしれん。」
シロウ「……飯、食い終わってからでいい?」
ツクヨミ「……。」
*ツクヨミが再び、呆れたような顔をした。だが今度は、その顔に微かな笑みが混じっていた。*
ツクヨミ「……食え。待つ。」
*彼は地下文書庫の奥深くにいた。空気は冷たく乾燥しており、壁面に埋め込まれたルミナイトの結晶が青白い光を放っている。棚には数千年分の巻物と石板が整然と並んでいた。*
*ツクヨミが最深部の封印を解き、1枚の石板を彼の前に置いた。古代文字で書かれているが、天眼が自動的に翻訳してくれる。*
*彼は石板の一節に目を止めた。*
────『真球の器を有する者、その血脈より生まれし子は稀に神の子となるか、もしくは覚醒に至りて神となる。これは器の形が世界の法則と完全に共鳴する為であり、真球の持ち主の生命力は世界そのものの創造に近しい力を宿す。』────
シロウ「……。」
*箸を持っていた手が、今度は石板の縁を強く握っていた。*
*カイの顔が浮かんだ。精霊神として完全覚醒した息子。*
*ルクスの顔が浮かんだ。光の神ルクシオンの生まれ変わり。*
*偶然か? 2人とも、彼の子だ。*
シロウ「……信憑性が無いこともないな。」
ツクヨミ「何か心当たりがあるのか。」
シロウ「息子が精霊神に覚醒した。もう1人の息子は、光の神の生まれ変わりだ。」
*ツクヨミの扇子が、ぴたりと止まった。*
ツクヨミ「……お前の子が、2柱も?」
シロウ「ああ。カイは26歳で精霊神に完全覚醒。ルクスはまだ3歳だけど、前世は光の神ルクシオン。」
*ツクヨミがゆっくりと石板に視線を落とした。その表情は、もはや驚きを通り越して諦めに近かった。*
ツクヨミ「……石板の記述が正しかったという事か。いや、正しいどころか、お前の場合は"稀に"ではなく"確実に"ではないか。」
シロウ「俺だって驚いてるよ。」
ツクヨミ「ならば聞く。お前の子は全部で何人いる。」
シロウ「えーと……カイ、ルーナ、ルクス、ステラ、ゼノ、セレスの6人。」
*ツクヨミが指を折った。*
ツクヨミ「6人中2人が神。残り4人も……可能性がある、という事だな。」
シロウ「いや、他は普通の……。」
*彼は言いかけて、口を閉じた。ルーナは始祖竜を孵化させた。ステラはまだ14歳。何が起こるか分からない。*
ツクヨミ「普通の、何だ?」
シロウ「……分からん。」
*ツクヨミが石板の次の行を指差した。*
────『故に、真球の器を持つ者は世界にとって祝福であると同時に災厄でもある。神を生む者は、神を殺す者にもなり得る。』────
*地下文書庫に沈黙が落ちた。ルミナイトの光だけが、2人の顔を青白く照らしていた。*
ツクヨミ「……お前、自分がどれだけ危険な存在か理解しているか。」
シロウ「……最近、薄々な。」




