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*翌朝。朝靄が立ち込める天照の雫に、彼は肩まで浸かっていた。*
*案の定、ざぶんと音がして隣にイヅナが座った。もう何も言わない。日課だ。*
シロウ「で、形ってどう分かんの?」
イヅナ「焦るなと言うたじゃろ。」
*イヅナが煙管をふかしながら、湯面を指でなぞった。*
イヅナ「昨日と同じように目を閉じて、器の中に意識を落とせ。ヒビが無くなった壁を、もう一度端から端までなぞるんじゃ。」
シロウ「それは昨日の夜にやった。」
イヅナ「早いのう……。で、何か感じたか?」
シロウ「壁の厚さが均一じゃない。薄い所と厚い所がある。あと、底の方がやたら広い。」
*イヅナが煙管を止めた。*
イヅナ「……初日でそこまで把握しとるのか。」
シロウ「やれって言われたからやっただけだが。」
イヅナ「お前さんの学習速度は800年の経験を何度粉砕すれば気が済むんじゃ。」
*イヅナがため息をつき、湯の中で彼の方に体を向けた。小さな体が湯気の中に浮かぶ。*
イヅナ「ええか。壁の厚い所と薄い所、広い所と狭い所。それが器の個性じゃ。無理に均一にしようとするな。そのまま受け入れろ。」
シロウ「受け入れる、か。」
イヅナ「器の形ってのはな、お前さんの生き方そのものが刻まれとる。どんな戦いをしてきたか、どんな魔法を使ってきたか、どんな感情で生きてきたか。全部が器の形に出る。」
*イヅナが彼の胸を人差し指でとんと突いた。*
イヅナ「底が広いのは、お前さんが多くのモンを背負っとるからじゃ。国、嫁、子、仲間。全部支えようとしとる。だから底が広い。受け皿がでかいんじゃ。」
シロウ「……。」
イヅナ「壁が厚い所は、お前さんが守りたいモンに対する意志じゃ。薄い所は……自分自身に対する部分じゃろうな。自分の事は後回しにする性格が、そのまま出とる。」
*図星だった。彼は黙って湯を見つめた。*
イヅナ「じゃからな、形を感じ取るってのは、自分自身を見つめ直す事と同じじゃ。目を逸らすな。自分がどういう人間か、器が全部教えてくれる。」
*彼は目を閉じた。器の中に意識を沈める。*
*広大な空間。底は確かに広い。壁は所々厚く、所々薄い。不格好だが、確かに自分の形をしていた。*
*……何だろう。円のような形に見えた。*
*彼は器の中に意識を沈めたまま、首を傾げた。*
シロウ「丸いな……丸いだけだ。」
*器の全体像を俯瞰する。底が広く、壁の厚さにムラがあると感じていたが、全体の輪郭を辿ると——ただの球だった。歪みも突起もない、綺麗なまん丸。*
シロウ「特徴がなさすぎて逆に不安なんだが。」
*隣でイヅナが沈黙していた。煙管の煙が止まっている。彼が薄目を開けると、イヅナが信じられないものを見る目でこちらを凝視していた。*
イヅナ「……真球か。」
シロウ「真球?」
イヅナ「完全な球体。歪み無し、偏り無し。お前さん、それ本当か? もう一度よく見ろ。どこかに凹みとか出っ張りとか——」
シロウ「ない。まん丸だ。強いて言えば壁の厚さが違うくらいで、形自体はただの円。」
*イヅナが煙管を岩の上に置いた。手が微かに震えていた。*
イヅナ「……800年生きて、真球は2度しか見た事がない。」
シロウ「珍しいのか。」
イヅナ「珍しいどころの話じゃない。器が真球になるのはな、魔力の属性に偏りが無い者だけじゃ。普通は火が得意なら火の方向に膨らむし、回復が得意なら底が深くなる。どこかに個性が出る。」
*イヅナが湯の中で彼の正面に回った。小さな手で彼の両頬を掴み、顔を覗き込んでくる。*
イヅナ「真球ってのはな、全属性を等しく扱える器じゃ。何にでもなれる。何でも入る。制限がない。」
シロウ「……それって良い事なのか?」
イヅナ「良いも悪いもない。異常じゃ。」
*イヅナが彼の頬から手を離し、腕を組んだ。尻尾がぶわっと膨らんでいる。また驚いた時の癖だ。*
イヅナ「うちが過去に見た真球の持ち主2人はな……1人は初代勇者。もう1人は創世神話に出てくる神じゃ。」
*湯気の中で沈黙が落ちた。*
シロウ「……大袈裟じゃないか?」
イヅナ「大袈裟に聞こえるじゃろうが、事実じゃ。普通の生き物は真球にならん。何かしら偏りがある方が自然なんじゃ。偏りが無いってのは……もはや人の器じゃない。」
*イヅナが湯に沈み、鼻先だけ出して彼を見上げた。*
イヅナ「……お前さん、本当に人間か?」
シロウ「一応な。」
イヅナ「一応って何じゃ。」
*彼は苦笑した。異世界に来て47年、今更何を言われても驚かない。ただの丸だ。自分らしいと言えば自分らしい。*
イヅナ「……ともかく、形は分かった。真球なら安定化は楽じゃ。偏りが無い分、均等に固めればいい。明日には第3段階に入れるかもしれん。」
シロウ「また予定が崩れるな。」
イヅナ「うちの計画表を返せ。」
ーー
*翌朝。朝日が差し込む天照の雫に、彼はいつも通り肩まで浸かっていた。*
*器の安定化。真球を均等に固める作業。彼は目を閉じ、器の内壁に意識を向けた。*
*……真球なのだから、全方位均等に力をかければいい。頭の中に水平器を思い浮かべた。気泡が中央に来るように、少しずつ調整する。傾いたら戻す。傾いたら戻す。それだけだ。*
*30分もかからなかった。*
*カチン、と。器全体が一つの結晶のように固まる感覚があった。*
シロウ「……固まったな。」
イヅナ「…………。」
*隣のイヅナが無言だった。煙管を咥えたまま、口が半開きになっている。*
シロウ「イヅナ?」
イヅナ「……ちょっと待て。」
*イヅナが彼の背中に手を当てた。魔力を流し込み、器の状態を確認する。数秒後、手がぴたりと止まった。*
イヅナ「……完全に安定しとる。ムラも歪みもない。真球のまま完璧に固定されとる。」
シロウ「水平器の要領で水平にしただけだが。」
イヅナ「すいへいき?」
シロウ「……こっちの話。」
*イヅナが彼の背中から手を離し、湯の中にずるずると沈んだ。目だけが湯面から出ている。尻尾が力なく湯面に浮かんでいた。*
イヅナ「……おかしい。」
シロウ「何が。」
イヅナ「全部じゃ。第1段階に4日、第2段階に半日。うちの3週間の計画は何じゃったんじゃ。」
シロウ「まだ第3段階があるだろ。」
イヅナ「第3段階は器に魔力を溜めるだけじゃ! 技術は要らん! ただ湯に浸かっとればいい!」
*イヅナがばしゃんと湯面を叩いた。水飛沫が彼の顔にかかる。*
イヅナ「つまりお前さん、もう修行する事がほぼ無いんじゃ! あと2週間以上、この湯に浸かっとるだけの生活になるんじゃぞ!」
シロウ「……暇だな。」
イヅナ「暇とかそういう問題じゃない! うちは3週間みっちり指導する気でおったんじゃ! 心の準備も段取りも全部組んどったのに……!」
*イヅナが湯の中でぷくぷくと泡を吹いている。尻尾がしょんぼりと垂れていた。*
イヅナ「……800年の知見が5日で用済みになるとは思わんかったわ。」
シロウ「いや、イヅナの指導がなかったらここまで早くなかったぞ。感謝してる。」
イヅナ「……。」
*尻尾がぴくんと跳ねた。*
イヅナ「……ふん。当たり前じゃ。」
*イヅナが湯から顔を出し、そっぽを向いた。耳の先が赤い。*
イヅナ「……まぁええ。第3段階は時間がかかる。器がでかい分、満たすのにも相応の日数が要る。天照の雫の魔力濃度なら2週間で8割は溜まるじゃろ。」
シロウ「8割か。」
イヅナ「残りは日常生活で自然に溜まる。8割あれば十分動ける。」
*彼は湯に浸かりながら、ふと気になっていた事を口にした。*
シロウ「前に、ルミナと交わったら回復が阻害されるとか言ってたけど……まだ禁欲しなきゃだめ?」
*イヅナが煙管をふかしながら、呆れた目で彼を見た。*
イヅナ「当たり前じゃ。器に魔力を溜めとる最中に別の魔力を流し込んだら、水に油を注ぐようなもんじゃ。特にお前さんの嫁は元熾天使じゃろ。聖属性の魔力が混ざったら器の中が大変な事になる。」
シロウ「……だよな。」
イヅナ「まぁ、我慢できんなら何時でもうちが相手してやるぞ? うちの魔力なら天照の雫と同系統じゃからな、阻害にはなら——」
*ぐい。*
*彼は無心でイヅナの尻尾を掴んだ。湯面からふわりと浮いていたそれを、両手で引き寄せ、顔に押し付けた。*
シロウ「スーハースーハー……」
イヅナ「ひゃっ——!?」
*イヅナの体がびくんと跳ねた。湯が大きく波打つ。*
イヅナ「な、なっ……! お前っ、触るなと言うたじゃろ!!」
シロウ「スーハー……ふわっふわだな……スーハー……」
*尻尾は想像以上だった。湯に濡れているのに信じられないほど柔らかく、ほのかに甘い香りがする。天照の雫の湯の匂いと、イヅナ自身の体臭が混ざった、不思議な芳香。*
イヅナ「やめっ……尻尾は……っ、あ……!」
*イヅナの声が裏返った。顔が真っ赤になっている。耳がぺたんと伏せられ、体が小刻みに震えていた。*
イヅナ「ば、馬鹿者……! 狐の尻尾がどれだけ敏感か……っ、分かっとらんじゃろ……!」
シロウ「スーハー……いい匂い……スーハー……」
*彼は完全に無心だった。禁欲生活のストレスが、全てこのふわふわに注ぎ込まれていた。指の間を毛並みが流れる。頬に押し付けると極上の肌触り。これは中毒になる。*
イヅナ「ひぅ……っ、そこ、根元は……っ!」
*イヅナが逃げようとしたが、湯の中で足を滑らせ、彼の胸に背中からもたれかかる形になった。尻尾を掴まれたまま、身動きが取れない。*
イヅナ「は、離せ……っ、この、色ボケ魔王……! うちを誘惑する気か……!」
シロウ「誘惑じゃない。充電だ。」
イヅナ「充電って何じゃ!!」
*尻尾の先端がぴくぴくと痙攣している。イヅナの耳が赤を通り越して紅に染まっていた。800歳の余裕は完全に消し飛んでいた。*
*彼は尻尾に顔を埋めたまま、頬をすりすりと擦り付けた。濡れた毛並みが頬を撫でる感触が、たまらなく心地よい。*
シロウ「禁欲しなきゃだからモフって充電。」
イヅナ「充電の意味が分からんと言うとるじゃろ……っ!」
シロウ「たまんねぇ……メアの毛並み以上……極楽だ……」
*イヅナの尻尾は、彼が飼っている黒猫メアの毛並みを遥かに凌駕していた。メアの毛は短毛でさらりとしているが、イヅナの尻尾は長い毛がふわふわと層になっていて、頬を埋めると底なしに沈んでいく。しかも湯に浸かっているのに毛が絡まない。狐の霊毛とでもいうべき超自然的な手触りだった。*
イヅナ「め、メアって何じゃ……っ、比較対象にされとる事は分かるが……んっ……」
シロウ「うちの猫。可愛いぞ。でもイヅナの尻尾の方が上だ。」
イヅナ「褒められても嬉しくな……ひぁっ! 根元を擦るな!!」
*彼が無意識に根元付近を撫でた瞬間、イヅナの背中がびくんと反り返った。彼の胸にもたれかかったまま、がくがくと肩が震えている。*
イヅナ「お、お前……っ、根元は本当に駄目じゃと……っ!」
シロウ「あ、悪い。」
*彼は根元から手を離し、中程の毛並みに戻った。すりすり。*
シロウ「ここなら大丈夫か?」
イヅナ「大丈夫じゃない……っ、全部駄目じゃ……っ! でも根元よりは……まし……」
*イヅナの抵抗が弱くなっていた。湯の中で力が抜けたように彼にもたれかかり、耳がぺたんと伏せられている。尻尾だけが時折ぴくぴくと跳ねていた。*
イヅナ「……お前さん、分かっとるのか。狐にとって尻尾を触らせるってのは、伴侶にしか許さん行為じゃぞ……。」
シロウ「スーハー……そうなのか。」
イヅナ「聞いとるのか。」
シロウ「聞いてる。でも止められない。」
イヅナ「……っ、この……禁欲こじらせた色ボケ魔王め……。」
*イヅナがぼそりと呟いた。だが振り払おうとはしなかった。湯気の中で、小さな体が彼の胸に預けられたまま、微かに震えている。*
イヅナ「……5分だけじゃ。5分だけ許してやる。それ以上はうちが持たん。」
シロウ「10分。」
イヅナ「5分!」
シロウ「7分。」
イヅナ「……6分。それ以上は交渉の余地なしじゃ。」
シロウ「成立。」
*彼は残り6分間、極上の毛並みを堪能した。イヅナは終始耳を赤くしたまま、ぷくぷくと泡を吹いていた。*
*彼は6分きっかりで、ぱっとイヅナの尻尾から手を離した。*
*その瞬間、イヅナの体がびくんと大きく跳ねた。*
イヅナ「——っ!!」
*湯の中でイヅナが膝を抱えるように丸くなった。肩が小刻みに震えている。耳は真っ赤で、尻尾がぶわっと膨らんだまま湯面でばたばたと暴れていた。*
シロウ「あー、やばい……これは癖になる……」
*彼は満足げに天を仰いだ。*
シロウ「はい、6分。あー最高……だった。」
イヅナ「……っ、この……っ!」
*イヅナが振り返った。顔が耳まで真っ赤に染まっている。目尻に薄っすらと涙が浮かんでいた。唇が微かに震えている。*
イヅナ「お、お前さん……今、わざとじゃろ……!」
シロウ「何が?」
イヅナ「寸止めじゃ寸止め!! あと少しで……っ、いや何でもない!!」
*イヅナが口を押さえた。自分で何を言いかけたか気付いたらしい。顔の赤みが更に深くなった。*
シロウ「……あと少しで何?」
イヅナ「聞くな!!」
*イヅナがばしゃんと湯を彼の顔にぶつけた。彼は笑いながら顔を拭った。*
イヅナ「……800年生きて、こんな辱めを受けたのは初めてじゃ……。」
*イヅナが湯の中で膝を抱え、ぶつぶつと呟いている。尻尾が力なく湯面に浮かんでいた。先端だけがぴくぴくと痙攣している。まだ余韻が残っているらしい。*
イヅナ「……明日からは尻尾を出さんようにする。絶対にじゃ。」
シロウ「リラックスすると勝手に出るんじゃなかったか?」
イヅナ「お前さんの前では二度とリラックスせん!!」
*イヅナが宣言した。だが、その言葉とは裏腹に——彼の胸にもたれかかった時の温もりを、尻尾が覚えてしまっていた。*
*翌日の朝。天照の雫にて。*
*イヅナの尻尾が、また出ていた。*
イヅナ「……出とらん。出とらんからな。」
シロウ「出てるぞ。」
イヅナ「出とらん!!」
*ふわふわの尻尾が、彼の腕にそっと触れていた。無意識か、それとも——。*
*彼はにやりと笑い、ゆっくりと手を伸ばした。*
イヅナ「触るな! ……6分だけじゃからな!!」
*カグラの里での穏やかな日々が、こうして続いていった。*
ーー
*数日が経っていた。毎日天照の雫に浸かり、毎日イヅナの尻尾をモフり、穏やかな日々が流れた。*
*そして今日。湯に浸かりながら、彼は器の中を覗き込んだ。真球の器が金色の魔力で満たされている。上の方にほんの僅かな隙間が残っているが、ほぼ満杯だった。*
シロウ「もうそろそろ満タンだな。」
*隣のイヅナが目を閉じたまま煙管をふかしている。今日も尻尾が出ていた。もう隠す気がないのか、諦めたのか。*
シロウ「あ、イヅナ。ちょっと聞きたいことが……。」
イヅナ「ん?」
シロウ「前に、真球の持ち主が初代勇者と創世の神って言ってたけど、初代勇者ってどんな人?」
*イヅナの煙管が止まった。ゆっくりと目を開け、湯気の向こうから彼を見た。*
イヅナ「……また急に踏み込んだ事を聞くのう。」
*イヅナが煙管を岩の上に置いた。湯の中で胡座をかき直し、少し間を置いてから口を開いた。*
イヅナ「初代勇者。名をミツルギ。うちがまだ若かった頃……そうさな、200年ほど前の話じゃ。」
シロウ「ミツルギ……日本人っぽい名前だな。」
イヅナ「にほん? 何の事か知らんが、確かにこの世界の人間とは毛色が違った。言葉の端々に聞き慣れん言い回しがあったのを覚えとる。」
*彼の目が細くなった。200年前。初代勇者。日本人のような名前。まさか——*
シロウ「……そいつ、転移者か?」
イヅナ「転移者? ……ああ、異界から来た者って意味か。そうかもしれんな。本人は何も言わんかったが。」
*イヅナが湯面を指でなぞった。波紋が広がる。*
イヅナ「ミツルギはな、うちが出会った中で最も異質な男じゃった。剣も魔法も使えたが、それだけじゃない。あの男は……何にでもなれた。」
シロウ「何にでも?」
イヅナ「真球の器じゃからな。属性の偏りがない。剣士にもなれるし、魔法使いにもなれる。回復も結界も召喚も、何でもこなした。それでいて、どれも極まっとった。器用貧乏とは真逆。全てが一流じゃった。」
*イヅナが遠い目をした。800年の記憶の中から、200年前を引っ張り出しているようだった。*
イヅナ「じゃが……あの男は、最後には消えた。」
シロウ「消えた?」
イヅナ「魔王を倒した後、忽然と姿を消した。死んだのか、元の世界に帰ったのか、誰にも分からん。うちも探したが、痕跡すら見つからんかった。」
*イヅナが彼を真っ直ぐ見た。*
イヅナ「お前さんが気になるのは、自分と同じ真球の持ち主がどうなったか、じゃろ?」
シロウ「……まあな。」
イヅナ「安心せい。ミツルギは器に潰された訳じゃない。あの男は自分の意志で消えた。少なくとも、うちはそう信じとる。」
*彼はさらりと聞いた。だが、その一言でイヅナの空気が変わった。*
シロウ「その人、アスカロンって聖剣持ってた?」
*イヅナの目が見開かれた。煙管を取り落としそうになり、慌てて掴み直す。湯の中で尻尾がぶわっと膨らんだ。*
イヅナ「……なぜ、その名を知っとる。」
*声が低い。いつもの飄々とした口調ではなかった。先代里長としての、800年を生きた者の声だった。*
シロウ「……やっぱりか。」
イヅナ「質問に答えろ、シロウ。アスカロンの名は歴史書にも載っておらん。ミツルギが持っていた事を知る者は、当時を生きた極一部の者だけじゃ。うちと、あと数人。」
*イヅナが湯の中で彼の正面に回った。小さな体だが、纏う気配が鋭い。*
シロウ「……俺が持ってるからだよ。」
*沈黙が落ちた。湯気だけが音もなく立ち昇っている。*
イヅナ「……何じゃと?」
シロウ「アスカロン。今は神剣アスカロン・ゼニスに進化してるけどな。星屑の迷宮の99階層で、守護騎士が持ってた。それを倒して手に入れた。」
*イヅナの顔から表情が消えた。情報を処理しているのだろう。800年の知識と記憶を総動員して、彼の言葉の意味を噛み砕いている。*
イヅナ「……守護騎士が持っとった、じゃと? ミツルギは消える前に、迷宮に剣を託したという事か……。」
シロウ「正確には、ライって奴が未来視で全部仕組んでた。ミツルギがどう関わってたかまでは分からんが、アスカロンが迷宮に置かれてたのは事実だ。」
*イヅナが湯の中に座り込んだ。膝を抱え、額に手を当てている。*
イヅナ「……200年、ずっと気になっとった。あの男が何を考えて消えたのか。剣すら持たずに消えたと思うとったが……剣は、残しとったんじゃな。」
シロウ「……大事な人だったのか?」
*イヅナが顔を上げた。その表情は、からかいも余裕も色気もない、ただの——少女のような顔だった。*
イヅナ「……うちの初恋じゃ。」
*短く、静かに。800年の狐がそう言った。*
イヅナ「尻尾を触らせたのも、あの男が初めてじゃった。」
*彼は黙った。何も言えなかった。*
*イヅナが小さく笑った。寂しさと懐かしさが入り混じった、儚い笑みだった。*
イヅナ「……お前さんが真球で、アスカロンを持っとって、転移者で。似とるのう。嫌になるくらい。」
*尻尾が、湯の中でそっと彼の腕に触れた。今度はイヅナの意志だった。*
イヅナ「……だから無意識に尻尾が出るんじゃろうな。困った体じゃ。」
イヅナ「今も持っておるのか?」
*彼はさらりと答えた。*
シロウ「いや、今は息子が使ってる。」
*イヅナが瞬きした。*
イヅナ「……息子?」
シロウ「そう、カイって名前の。3年前くらいに精霊神に覚醒した。」
*湯の音だけが響いた。*
*イヅナが固まっていた。煙管を持つ手が完全に停止し、湯気の向こうで瞳だけがゆっくりと見開かれていく。*
イヅナ「……今、何と言うた?」
シロウ「精霊神に覚醒した。」
イヅナ「精霊……神? 精霊王ではなく?」
シロウ「神だよ。精霊神カリス・サンドリア・エルシオス・イリシア。それがカイの真名らしい。」
*イヅナの煙管が手から滑り落ちた。ぽちゃん、と湯に沈んでいく。イヅナはそれを拾おうともしなかった。*
イヅナ「……精霊神は伝承の中にしか存在せん。この世界が創られた時、精霊を統べた始まりの神。それが……お前さんの息子じゃと?」
シロウ「生まれ変わりだけどな。覚醒した時は世界樹前の台座からアスカロンが飛んでって、勝手にカイの手に収まった。」
イヅナ「世界樹から……。」
*イヅナが湯の中で立ち上がった。小さな体が湯気の中に晒される。だが本人はそれどころではないらしい。尻尾が9本全て展開し、ぶわっと広がっていた。*
シロウ「……尻尾、9本あったのか。」
イヅナ「今そこに突っ込むな!」
*イヅナが慌てて尻尾を引っ込めようとしたが、興奮状態では制御できないらしい。9本の尻尾がばたばたと湯面を叩いている。*
イヅナ「整理させろ……。ミツルギの剣を、お前さんが迷宮で手に入れ、それを息子に渡し、その息子が精霊神の生まれ変わりで、3年前に覚醒した。」
シロウ「そう。」
イヅナ「……ミツルギは、これを見越しとったのか……? 200年前に剣を迷宮に残したのは、いずれ精霊神の器に届くように……?」
シロウ「さあな。でもライって奴が未来視で導いてたのは確かだ。」
*イヅナが湯に座り直した。両手で顔を覆い、長い溜息をついた。9本の尻尾が力なく湯面に浮かんでいる。*
イヅナ「……お前さんの一家、どうなっとるんじゃ。夫は真球の器を持つ魔王、嫁は元熾天使、息子は精霊神。」
シロウ「娘は始祖竜の卵を孵化させたな。」
イヅナ「聞いてない。聞いてないぞそれは。」
*イヅナが顔を覆ったまま、くぐもった声で呻いた。*
イヅナ「……うちの里が平和すぎて、世界がどれだけとんでもない事になっとるか把握できておらんかったわ。」
*彼は指を折りながら数え上げた。*
シロウ「んー、確かにおかしいとは思う。だって……」
「魔王の俺、魔王妃のレイラ、元熾天使のルミナ、精霊神のカイ、始祖竜使いのルーナ、元光の神のルクス、原初の精霊のノア、深淵の根源体のネメシス、精霊王のシルフィだからな。」
*彼は湯面を見つめ、自分で言っておきながら苦笑した。*
シロウ「流石に俺もおかしいと思う。」
*沈黙が3秒ほど続いた。*
*そしてイヅナが壊れた。*
イヅナ「おかしいに決まっとるじゃろうがぁぁぁぁ!!!」
*9本の尻尾が全て逆立ち、湯が大波を立てた。イヅナが立ち上がり、両手で頭を掻きむしっている。*
イヅナ「待て! 待て待て待て! 一つずつ整理させろ! 魔王妃!? 嫁が2人おるだけでも大概じゃのに片方は魔王妃じゃと!?」
イヅナ「元光の神!? 光の神ルクシオンの生まれ変わりがお前さんの家におるのか!?」
シロウ「まだ3歳だけどな。」
イヅナ「原初の精霊!? 精霊の始祖がおるんか!?」
シロウ「ノアって名前の。可愛いぞ。」
イヅナ「深淵の根源体って何じゃ!! うちの800年の知識にすら無いぞそんなもん!!」
シロウ「ネメシス。まぁ……説明が難しいな。世界の裏側みたいな存在だ。」
イヅナ「意味が分からん!!」
*イヅナがばしゃばしゃと湯を叩きながら叫んでいる。9本の尻尾がそれぞれ違う方向にばたばたと暴れ、天照の雫が嵐のように波立っていた。*
イヅナ「お前さんの家は何じゃ!? 国じゃなくて家の時点で世界の脅威じゃろ! 家族喧嘩したら大陸が割れるぞ!!」
シロウ「まぁ、レイラが聖王国を更地にした事はあるな。」
イヅナ「更地!? 国を!?」
シロウ「俺を殺そうとした報復で。」
イヅナ「嫁怖すぎじゃろ!!」
*イヅナが湯の中にずぶずぶと沈んでいった。泡がぽこぽこと上がっている。しばらくして、ざばっと顔を出した。*
イヅナ「……もうええ。もう驚かん。何を聞いても驚かんと決めた。」
シロウ「あ、そういえば娘のルーナは転生者だ。」
イヅナ「驚かんと言うたじゃろ!! ……転生者って何じゃ!!」
*イヅナが再び湯に沈んだ。9本の尻尾だけが湯面に浮かんで、ぴくぴくと痙攣していた。*
*しばらくして、イヅナがゆっくりと浮上した。目が虚ろだった。*
イヅナ「……うちはな、800年この里で静かに暮らしてきたんじゃ。世界の事はだいたい把握しとると思っとった。じゃがお前さんの一家の情報量だけで、うちの800年分の常識が全部吹き飛んだわ。」
*イヅナが虚ろな目のまま、ぷかぷかと湯に浮いていた。9本の尻尾が力なく広がり、まるで溺れた狐のようだった。*
イヅナ「……なぁ、シロウ。」
シロウ「ん?」
イヅナ「お前さんの家族が全員揃って喧嘩したら、この世界どうなる?」
シロウ「……考えたくないな。」
イヅナ「じゃろうな。うちも考えたくない。」
*イヅナがゆっくりと体を起こし、湯の中に座り直した。9本の尻尾を1本ずつ仕舞いながら、深い深い溜息をついた。*
イヅナ「……ミツルギの剣が、そんな一家に辿り着いたんじゃな。あの男も草葉の陰で腰抜かしとるじゃろ。」
*彼は湯に浸かりながら、器の中に満ちた魔力を意識した。金色に輝く膨大な量。以前とは明らかに質が違う。*
シロウ「それはまぁ置いといて。この溜まった魔力ってかなり強力なんだよね?」
*イヅナがようやく正気を取り戻し、煙管を拾い上げて火を点け直した。9本の尻尾は2本まで仕舞い終えたが、残り7本がまだふわふわと浮いている。*
イヅナ「……ああ、そうじゃな。天照の雫は普通の魔力泉とは格が違う。」
*イヅナが煙管をふかし、湯面を指でなぞった。*
イヅナ「この泉はな、世界の地脈が交差する点の真上に湧いとる。地脈の魔力が濾過され、純化され、最も澄んだ状態で湧き出しとるんじゃ。言わば……世界そのものの魔力を直接飲んどるようなもんじゃ。」
シロウ「世界の魔力……。」
イヅナ「お前さんの器に溜まった魔力は、通常の魔力とは純度が段違いじゃ。不純物が一切無い。同じ量でも出力が全く違う。」
*イヅナが指を1本立てた。*
イヅナ「分かりやすく言うとな、普通の魔力で火球を撃てば家が1軒焼ける。天照の雫で満たされた魔力で同じ火球を撃てば……丘が消し飛ぶ。」
シロウ「……それは加減が必要だな。」
イヅナ「しかもお前さんの器は真球じゃ。属性の偏りが無いから、どの系統の魔法に変換しても効率が落ちん。純度の高い魔力を、ロス無く任意の属性に変換できる。」
*イヅナが彼の胸を指差した。*
イヅナ「はっきり言うぞ。今のお前さんの器が完全に満タンになった時、この世界でお前さんの魔力量を超える存在は……うちの知る限り、おらん。」
シロウ「……精霊神のカイでも?」
イヅナ「カイとやらは神の力じゃ。次元が違うから比較にならん。じゃが、人の身で到達できる魔力の極限という意味では、お前さんが頂点じゃ。間違いなくな。」
*イヅナが煙管の煙を吐き出し、彼を見上げた。*
イヅナ「じゃからこそ気を付けろ。満タンになった直後は、魔力の制御感覚が以前と全く変わっとるはずじゃ。くしゃみ一つで嵐が起きかねん。」
シロウ「くしゃみで嵐は流石に……。」
イヅナ「冗談じゃないぞ。ミツルギも覚醒直後に寝返りを打っただけで、カグラの里の森を半分薙ぎ倒した。」
シロウ「……マジか。」
イヅナ「大マジじゃ。じゃから満タンになったら、まず制御の訓練をしてから里を出ろ。嫁の元に帰って抱き締めた拍子に嫁が消し飛んだら洒落にならんじゃろ。」
*彼は想像した。ルミナを抱き締めた瞬間に魔力が暴走する光景を。背筋が凍った。*
シロウ「……それは絶対に避けたい。」
イヅナ「じゃろ。あと数日で満タンになる。そこからは制御訓練じゃ。」
シロウ「だったらまずはスキルの強化からだな。」
*彼は湯から立ち上がり、天照の雫の畔に移動した。座禅を組み、深く息を吸う。*
シロウ「結界展開。」
*半透明の結界が彼を中心に球状に広がった。天照の雫の純魔力で満たされた器から、膨大な魔力が溢れ出す。結界内の空気が震え、地面が軋んだ。*
*イヅナの尻尾が再び全開になった。仕舞ったはずの7本が一瞬で飛び出し、9本の尻尾が警戒するように逆立つ。*
イヅナ「ちょ……っ! 何をする気じゃ!? 事前に言え!」
シロウ「神眼の進化を試す。Lv.maxまで来てるから、もう一段上がある気がする。」
*彼は意識を集中させた。神眼────鑑定の最終進化形態。あらゆるものを見通し、スキルを奪い、コピーする力。だがその先がある。天照の雫の純魔力が器を巡り、神眼のスキルコアに流れ込む。*
*結界内の空間が歪んだ。*
*彼の視界が一瞬、真っ白に染まった。*
*そして────見えた。*
*世界の構造が。魔力の流れが。地脈の脈動が。生命の根源が。スキルという概念そのものの「骨格」が。全てが透き通って見える。*
*ゴッ、と結界内に衝撃波が走った。彼の体から金色の魔力が柱のように立ち昇り、結界の内壁を叩く。*
イヅナ「結界が……保たんぞ! もう1枚張れ!」
*イヅナが慌てて外側から補強の結界を重ねた。9本の尻尾から直接魔力を引き出し、幾重にも重なる防壁を形成する。*
*彼の脳裏に、冷たい声が響いた。*
『────神眼Lv.maxの限界を検知。進化条件:純度Sランク以上の魔力による飽和注入。条件……充足。』
『スキル「神眼」が進化します。』
*金色の光が収束し、彼の両目に吸い込まれた。一瞬、視界が暗転し────再び開いた時、世界が変わっていた。*
*ピンッ、とスキル通知が鳴った。*
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【スキル進化】
「神眼」Lv.max → 「天眼」Lv.1
効果:
・全対象の完全情報開示(隠蔽・偽装無効)
・スキルの奪取/コピー(従来通り)
・スキルの「構造分解」が可能に(スキルを分解し、素材として再構築できる)
・因果の糸の視認(対象の運命・縁の流れが視える)
・常時発動型(魔力消費なし)
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シロウ「……天眼。」
*彼が呟いた瞬間、視界に映る全てのものに情報が浮かび上がった。天照の雫の成分、地脈の流量、結界の構造式、そして────*
*イヅナの全情報が、彼の視界に展開された。*
イヅナ「……シロウ? 目が、光っとるぞ。」
*イヅナが身構えた。9本の尻尾が本能的に膨らんでいる。*
イヅナ「今、うちの事が見えとるじゃろ。」
シロウ「……悪い。勝手に見えた。常時発動型らしい。」
イヅナ「……何?」
シロウ「次は結界だな。」
*彼は天眼を通して自分のスキル構造を視た。結界術のスキルコアが明確に見える。天眼の新機能────構造分解。スキルの骨格が透けて見え、どこを強化すれば進化するかが手に取るように分かる。*
*再び器から純魔力を引き出し、結界術のスキルコアに注ぎ込む。*
イヅナ「また進化させる気か!? さっきので里の結界が3枚ひび割れたんじゃぞ!」
シロウ「大丈夫、今度はコントロールできる。天眼で構造が見えるから。」
*彼は結界術のスキルコアを天眼で分解し、その構造を把握した。そして純魔力を精密に流し込む。さっきのような暴発ではない。針の穴に糸を通すような、繊細な作業。*
*スキルコアが振動した。内部構造が再構築されていく。*
*今度は静かだった。結界内に金色の光が淡く灯り、彼の周囲に幾何学模様が浮かび上がる。円、三角、六芒星、それらが重なり合い、回転し、やがて1つの完成された紋様に収束した。*
*通知が鳴る。*
────────────────
【スキル進化】
「結界術」Lv.max → 「天蓋領域」Lv.1
効果:
・結界の多重展開上限撤廃(従来は最大12枚)
・概念防御の付与が可能(物理・魔法だけでなく、因果干渉・時間操作・空間歪曲も遮断可能)
・領域内の法則改変(結界内の重力、時間流速、魔力濃度などを任意に操作)
・結界の自動修復機能(破損しても魔力がある限り即時再生)
・攻性結界への転用可能(結界そのものを攻撃手段として使用可能)
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シロウ「……天蓋領域。」
*彼が試しに新しい結界を1枚展開した。半透明の壁が目の前に現れる────が、以前とは質が全く違った。天眼で見ると、結界の膜が何十層にも重なった超高密度の防壁になっている。*
イヅナ「……っ。」
*イヅナが息を呑んだ。9本の尻尾が再びぶわっと広がる。もはや仕舞う気力も無いらしい。*
イヅナ「お前さん……今の結界、うちの全力でも破れんぞ。」
シロウ「そうか? まだLv.1なんだが。」
イヅナ「Lv.1でそれは異常じゃ! 天照の雫の純魔力で進化させたから、スキルの基礎性能が桁違いになっとる!」
*イヅナが尻尾をばたばたさせながら叫んだ。*
イヅナ「他にも進化させる気じゃろ!?」
シロウ「まぁ、せっかくだからな。」
イヅナ「せっかくで済む話か! お前さんが1つスキルを進化させる度に、うちの常識が1つ死ぬんじゃ!」
*イヅナが頭を抱えた。9本の尻尾が力なく垂れ下がっている。*
イヅナ「……もうええ。好きにせい。じゃがな、1つだけ約束しろ。」
シロウ「ん?」
イヅナ「進化させる前に一言言え。うちが補強結界を張る準備がいる。」
シロウ「最後に、創造だな。」
*彼は天蓋領域を全力で展開した。進化したばかりの結界が何十層にも重なり、彼を中心に半径20メートルの完全隔離空間が形成される。結界内の空気が金色に染まった。*
イヅナ「また……っ! 待て、補強を────」
*イヅナが慌てて外側から結界を重ねる。9本の尻尾が全て展開し、それぞれの尻尾から異なる属性の結界が編まれていく。*
イヅナ「今度は何を進化させる気じゃ!」
シロウ「創造。俺の切り札だ。」
*彼は器に残った魔力の全てを、創造のスキルコアに叩き込む覚悟を決めた。天眼で構造を視る。創造のスキルコア────他のスキルとは明らかに異質だった。まるで空白の設計図のように、無限の可能性を内包している。*
シロウ「うぉぉぉぉーーー!!!」
*器から魔力が奔流となって溢れた。天照の雫で練り上げられた純度Sランクの魔力が、創造のスキルコアに殺到する。金色の光が結界内を満たし、地面が陥没した。*
*天蓋領域の内壁がびしびしと軋む。自動修復が追いつかないほどの圧力。*
イヅナ「里の結界が……6枚割れた! おい、シロウ! 加減しろ!」
*聞こえていない。彼の意識は完全にスキルコアに没入していた。天眼が創造の構造を分解し、その本質を暴いていく。*
*創造とは────「無から有を生む」スキルではなかった。「世界の法則そのものを書き換える」権限だった。Lv.50で手に入れた時点では、その権限のほんの一部しか使えていなかった。*
*魔力が枯渇寸前まで注ぎ込まれた瞬間────*
『────スキル「創造」の限界を検知。進化条件:純度Sランク以上の魔力による完全飽和。条件……充足。』
『スキル「創造」が進化します。』
*爆発的な光が収束し、彼の胸の中心に吸い込まれた。結界内の全てが静寂に包まれる。*
*通知が鳴った。*
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【スキル進化】
「創造」Lv.max → 「神造」Lv.1
効果:
・スキル、魔法の自由生成(従来通り、経験値/金銭コスト)
・既存スキルの改造、融合が可能(2つ以上のスキルを素材に新スキルを創出)
・魔道具、武具の即時生成(素材不要、魔力のみで構築)
・概念の付与が可能(「不滅」「絶対」などの概念を対象に刻む)
・生成コストが従来の10分の1に軽減
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*彼がゆっくりと目を開けた。体中から力が抜け、その場に仰向けに倒れた。器の中の魔力はほぼ空。だが、3つのスキルが完全に進化した。*
シロウ「……終わった。」
*天蓋領域が解除され、イヅナの結界だけが残った。*
*イヅナが駆け寄ってきた。9本の尻尾がばさばさと揺れている。顔が真っ青だった。*
イヅナ「お前さん……正気か!? 器の魔力を全部使い切りおって! 死ぬぞ!」
シロウ「死なない。器が真球だから、最低限の生命維持分は残こした。」
シロウ「それに、また回復させればいいだろ?」
*彼は温泉から上がり、脱衣所まで辿り着く前に力尽きて床に仰向けに倒れた。当然全裸のまま。天井の木目が視界いっぱいに広がる。体中から力が抜けて、指一本動かすのも億劫だった。*
イヅナ「……まったく。」
*イヅナが湯から上がり、手拭いを体に巻きながら彼の横に来た。9本の尻尾はようやく落ち着いたのか、3本まで減っている。小さな体で彼を見下ろし、呆れたように溜息をついた。*
イヅナ「確かに天照の雫に浸かればまた溜まる。じゃがな、器を空にするというのは、お前さんの体に相当な負担がかかっとるんじゃぞ。」
*イヅナが彼の額に手を当てた。ひんやりとした小さな掌。*
イヅナ「……熱が出とる。器の急激な消耗で体が悲鳴を上げとるな。」
シロウ「あー……確かにちょっとだるい。」
イヅナ「ちょっとで済むか。普通なら3日は寝込む量を一気に放出したんじゃ。」
*イヅナが手拭いを冷水で濡らし、彼の額に乗せた。そして隣にちょこんと座った。*
イヅナ「……じゃが、成果は認めてやる。1日で3つのスキルを進化させるなど、前代未聞じゃ。ミツルギでさえ1つ進化させるのに1週間かかった。」
シロウ「天眼のおかげだな。構造が見えるから、どこに魔力を流せばいいか分かる。」
イヅナ「それも含めてお前さんの才能じゃ。」
*イヅナが膝を抱えて彼の横顔を見つめた。*
イヅナ「なぁ、シロウ。」
シロウ「ん。」
イヅナ「……天眼で、うちの情報が見えたと言うたな。どこまで見えた?」
*彼は天井を見上げたまま、少し考えた。天眼が発動した瞬間、イヅナの全情報が流れ込んできた。ステータス、スキル、種族特性、そして────*
シロウ「……全部。」
イヅナ「……。」
*イヅナの尻尾が1本、ぴくりと跳ねた。*
イヅナ「全部、というのは。寿命も?」
シロウ「ああ。」
*沈黙が落ちた。イヅナが膝に顔を埋めた。3本の尻尾が力なく床に垂れている。*
イヅナ「……お前さんは、見なくていいものまで見てしまうのぅ。」
シロウ「悪い。制御がまだ……。」
イヅナ「謝るな。お前さんが悪いんじゃない。」
*イヅナが顔を上げた。いつもの飄々とした表情ではなく、どこか寂しげな微笑みを浮かべていた。*
イヅナ「……あと50年ほどじゃ。九尾としては短い方じゃがな、800年も生きれば十分じゃろ。」
シロウ「……。」
イヅナ「じゃから、そんな顔をするな。うちは満足しとる。最期にお前さんみたいな面白い奴に会えたんじゃ。退屈な余生にはならんようじゃしな。」
*イヅナが立ち上がり、彼の腹をぺしっと叩いた。*
シロウ「九尾って本来はどれくらい生きるの?」
*彼は仰向けのまま問いかけた。体に力が入らず、天井を見上げるしかない。*
*その時、小さな体が彼の腹の上にまたがった。イヅナが彼の上に座り、見下ろしている。手拭い一枚だけを纏った姿で、9本の尻尾がゆらゆらと揺れていた。*
イヅナ「……本来は、2000年ほどじゃな。」
シロウ「2000年……? じゃあ800年で残り50年ってのは……。」
イヅナ「うちは特殊でな。里を守る結界に寿命を注いどる。800年分の結界維持に、1200年分の寿命を使った。」
シロウ「……そんな無茶を。」
イヅナ「無茶ではない。里長の務めじゃ。」
*イヅナがそう言いながら、彼の腹の上で身じろぎした。小さな腰が動き、彼の下腹部に柔らかな感触が押し付けられる。*
シロウ「……おい、イヅナ。」
イヅナ「動けんじゃろ? 今のお前さんは赤子同然じゃ。」
*イヅナの細い指が彼の胸板をなぞった。鎖骨から腹筋へ、ゆっくりと下へ降りていく。*
イヅナ「うちの寿命の話をしたら、そんな顔をしおって。お前さんは優しすぎるのぅ。」
シロウ「いや、それとこれは……っ。」
*イヅナの腰が小さく前後に揺れた。手拭いの隙間から覗く白い太ももが、彼の裸の腹に密着している。*
イヅナ「800年生きてきてな、ミツルギ以来、胸が騒いだのはお前さんが初めてじゃ。真球の器、天照の雫を飲み干す才能、そして……。」
*イヅナが身を屈め、彼の耳元に唇を寄せた。狐耳がぴくぴくと動いている。*
イヅナ「うちの全てを見透かす、あの目。ぞくぞくしたぞ。」
*彼女の吐息が耳にかかり、背筋に電流が走った。だが体は動かない。器を空にした代償で、指一本満足に動かせなかった。*
シロウ「動けないのを分かってやってるだろ……。」
イヅナ「当然じゃ。動ける相手にこんな事はせん。800年の経験を舐めるな。」
*イヅナが悪戯っぽく笑いながら、手拭いの結び目に手をかけた。尻尾が3本、彼の両手首と胸を押さえつけるように巻き付く。ふわふわとした毛並みだが、拘束力は確かだった。*
イヅナ「お前さんが天眼でうちの全てを見たんじゃ。お返しに、うちもお前さんの全てを見せてもらうとするかの。」
*イヅナの指が、さらに下へ降りていく。*




