377
377
*彼はサルーナを久しぶりに訪れていた。列車の開通以来、砂の都は活気に満ちている。以前は閑散としていた市場通りには、アストライアからの商品を扱う店が並び、人の往来が絶えない。*
*市場を歩いていると、見覚えのある大柄な男が声をかけてきた。*
ハシム「おお! シロウ殿! 久しいな!」
*サルーナの使者であり、今や外交顧問となったハシムだった。日焼けした肌に白い歯を見せて笑っている。その隣には、護衛の兵士が数人控えていた。*
シロウ「ハシムか。元気そうだな。」
ハシム「列車のおかげで交易が潤っておる。国王陛下も大変お喜びだ。……ところで、これから南の港へ向かうのだが、ご一緒されぬか?」
シロウ「南の港? 砂漠の下は海だったのか……。」
ハシム「はっはっは! 砂漠の南端は断崖になっておってな。その下に広大な海が広がっておるのだ。砂漠と同じか、それ以上の大海原よ。」
*彼の隣では、レイがチョコレートをもぐもぐと食べていた。彼が出発前に渡した試作品だ。*
レイ「シロー、このチョコおいしい! もう1個ある?」
シロウ「あるけど食べすぎるなよ。」
レイ「大丈夫♪ ボク、レイラと違って太らないから!」
シロウ「同じ体だろ……。」
レイ「でもレイラは今、ルーナとルミナの特訓中だよ、すっごい怒鳴り声が聞こえてた。」
シロウ(レイラに鍛えられるルーナとルミナ……生きて帰ってこれるかな……。)
*ハシムが用意した砂駱駝の隊列に乗り込み、一行は南へ向かった。砂漠の景色が延々と続く中、2時間ほど揺られると、潮の匂いが鼻をついた。*
*砂丘を越えた瞬間、視界が一気に開けた。*
*断崖の下に、見渡す限りの青い海が広がっていた。太陽の光を反射して水面がきらきらと輝いている。断崖を削って作られた港には、数十隻の船が停泊し、漁師や商人が忙しく働いていた。*
シロウ「……これは。」
ハシム「サルーナ南港。我が国唯一の港だ。砂竜の脅威が去ってから、ようやく本格的に整備が進んでおる。」
レイ「わぁ……海だ…すっごい広いね。」
*レイが断崖の縁から身を乗り出して海を覗き込んだ。彼が慌ててレイの襟首を掴んだ。*
シロウ「落ちるぞ。」
レイ「えへへ♪」
ハシム「この海の向こうには、まだ未知の大陸があると言われておる。漁師たちが時折、見たこともない漂流物を引き上げるのだ。」
シロウ「未知の大陸……。」
*彼が海の向こうを見据えた。水平線の彼方には何も見えないが、その先に何かがある。地図にも載っていない未踏の地。*
ハシム「シロウ殿。実はお誘いしたのには理由がある。」
*ハシムの表情が真剣になった。*
ハシム「先月、漁船が1隻……海の向こうから流れ着いた。」
シロウ「変な物でも乗ってたのか?」
*ハシムが断崖に設けられた石造りの階段を降りながら、表情を曇らせた。*
ハシム「変なもの……というか、乗組員だな。漁船の船長が這う這うの体で帰港した。乗組員12名のうち、生き残ったのは3名だけだ。」
シロウ「海賊か。」
ハシム「ああ。だが厄介なのは、普通の海賊だということだ。」
シロウ「普通? 魔物とかじゃなく?」
ハシム「人間だ。しかし数が尋常ではない。生き残った船長の証言では、大小合わせて30隻以上の船団だったと。」
*港の桟橋に着くと、ハシムが一隻のボロボロの漁船を指差した。帆は引き裂かれ、船体には無数の矢の跡と焼け焦げた痕が残っている。*
レイ「……ひどい。」
*レイがチョコを噛む手を止めて、漁船の惨状を見つめた。*
ハシム「船長はあちらの詰所で療養しておる。話を聞いてもらえるか?」
*彼が頷くと、ハシムに案内されて港の詰所に入った。簡素なベッドの上に、包帯だらけの中年男が横たわっている。左腕が肘から先がなかった。*
ハシム「ダリル船長。客人だ。話せるか?」
*ダリルと呼ばれた男が、ゆっくりと上体を起こした。日に焼けた顔に深い疲労と恐怖が刻まれている。*
ダリル「……あんたが、魔王か。」
シロウ「そう呼ばれてる。海賊について聞きたい。」
ダリル「……あれは海賊なんてもんじゃねえ。海の上に浮かぶ軍隊だ。」
*ダリルが残った右手で水を飲み、震える声で続けた。*
ダリル「南東の海域に出た時だった。最初は3隻だけだと思った。だが、霧が晴れたら……水平線が船で埋まってやがった。旗は見たことのねえ紋章だった。赤い蛇が剣に巻き付いた紋章だ。」
シロウ「赤い蛇に剣……。」
ハシム「我々の記録にもない紋章だ。少なくともこの大陸の国家のものではない。」
ダリル「奴ら、問答無用で撃ってきた。火矢と……それから魔法だ。船に魔法使いが乗ってやがった。俺たちは逃げるので精一杯で……仲間は……。」
*ダリルの声が詰まった。*
レイ「……シロー。」
*レイが彼の袖をそっと引いた。小さな声で囁く。*
レイ「これ、ただの海賊じゃないよね。30隻以上で魔法使いもいるって……どこかの国の軍隊じゃない?」
シロウ「……ああ。」
*彼はハシムの方を向いた。*
シロウ「ハシム。この海の向こうに、国があるって認識はあったのか?」
ハシム「……噂程度だ。だが、この船団の規模が事実ならば、海の向こうに相当な規模の勢力が存在することになる。」
*ハシムが腕を組み、苦い顔をした。*
ハシム「そしてもう1つ、気がかりなことがある。」
シロウ「何だ。」
ハシム「……最近、南港周辺で小型の偵察船らしきものが目撃されている。遠くから港を観察して、すぐに消えるのだと。」
シロウ「そうか、この辺の警備を強化したらどうだ?」
ハシム「それは既に手配しておる。だが、我が国の海軍は正直なところ……漁船に武装した程度のものでな。」
*ハシムが苦笑いした。砂漠の国だけに、海戦の経験がほぼないのだろう。*
シロウ「俺は一旦帰って、ドワーフに船を作ってもらうとするか。」
ハシム「船を!? あのレールを作ったドワーフ共にか!?」
シロウ「ああ。あいつらなら、とんでもないもん作ってくれるだろ。」
*ボルグの顔が脳裏に浮かんだ。あの酒好きの親方に「船を作れ」と言えば、きっと目を輝かせるに違いない。*
シロウ「この辺で船員は集められたりするか?」
ハシム「集まるには集まるが……。」
*ハシムが言いにくそうに頬を掻いた。*
ハシム「港町だからな。荒くれ者が多い。元海賊崩れや、借金で首が回らなくなった者、流れ者……まともな船乗りもおるが、少数だ。」
*彼が港を見下ろした。確かに、桟橋沿いの酒場からは昼間から怒鳴り声と笑い声が聞こえている。上半身裸で刺青だらけの男たちが、賭博をしたり酒を煽ったりしている。*
レイ「……なんかガラ悪いね。」
シロウ「まあ、港町ってのはどこもこんなもんだ。」
レイ「シロー、詳しいの?」
シロウ「ゲームで見た。」
レイ「?」
*彼が断崖の縁に立ち、港全体を見渡した。規模はそこそこあるが、軍港としては全く機能していない。防波堤も脆く、大型船が入れる水深も限られている。*
シロウ「よし、まずは船だな。って事で一旦帰るわ。」
*彼がレイの手を取り、転移魔法を発動した。一瞬で景色が切り替わり、サルーナ王城の正門前に到着する。*
シロウ「ハシム、ここまでな。偵察船の件、引き続き情報を頼む。」
ハシム「おお……相変わらず便利な魔法だな。承知した、何かあれば列車便で報告する。」
*ハシムが砂漠の風に白いターバンをなびかせながら、城門をくぐっていった。門番たちが慌てて敬礼している。*
レイ「さ、帰ろっか♪」
*彼が再び転移を発動し、アストライアの城内に戻った。*
---
*鍛冶場に向かうと、予想通りの光景が広がっていた。ドワーフたちが鍛冶場の裏庭に樽を並べ、盛大に酒盛りをしている。鉄道完成の打ち上げがまだ続いているらしい。*
ボルグ「おーーい! 陛下じゃねえか! 飲むか!?」
*ボルグが真っ赤な顔でジョッキを掲げた。周囲のドワーフたちも「おおーっ!」と歓声を上げている。*
シロウ「悪いな、今日は仕事の話だ。」
ボルグ「……仕事?」
*ボルグの目が一瞬で変わった。酔っ払いの目から、職人の目になる。ジョッキを置き、顎髭を撫でた。*
シロウ「船を作ってほしい。」
ボルグ「……船だと?」
シロウ「ああ。戦える船だ。サルーナの南に海がある。そこに正体不明の海賊……いや、おそらく海の向こうの国の軍隊が出没してる。30隻以上の船団で、魔法使いも乗ってる。」
*ボルグが腕を組んだ。周囲のドワーフたちも酒を置いて聞き入っている。*
ボルグ「船か……。正直、ワシらは山の民だ。船の経験はねえ。」
シロウ「だが、お前らは鉄道を作った。物造りはドワーフの十八番だろ?」
ボルグ「…………。」
*ボルグの口元がにやりと歪んだ。*
シロウ「1隻でいい。中型で頼む。」
ボルグ「1隻だと? 30隻以上の船団に1隻で挑むってのか!?」
シロウ「俺が乗るんだ。数は問題じゃない。」
*ボルグが一瞬黙り、それもそうかと納得した顔をした。*
シロウ「それから衝角は一番硬く頑丈にしてくれ。後方には樽爆弾と旋回砲を、前方には船首砲を頼んだ。」
*ボルグが羊皮紙に猛然と書き込み始めた。船首に突き出す衝角、後方の旋回砲座、前方の固定砲……図面がみるみる形になっていく。*
ボルグ「衝角か……ならアダマンタイト合金だな。ミスリルじゃ足りねえ。ぶち当てて沈めるなら、衝角だけは絶対に折れちゃならん。」
*ボルグが衝角の断面図を描いた。三角形に尖った形状で、内部にミスリルの芯を入れ、外殻をアダマンタイト合金で覆う構造だ。*
ボルグ「旋回砲は左右と後方に計4門。蒸気圧縮式で、360度回転する砲架に乗せる。船首砲は固定式の大口径1門。……樽爆弾ってのは何だ?」
シロウ「火薬と魔石を詰めた樽を海面に投下して、追尾してくる敵船を吹き飛ばす。機雷みたいなもんだ。」
ボルグ「……き、らい?」
シロウ「水中爆弾だ。後方から追ってくる船の進路上にばら撒く。」
*ボルグの目が異様に輝いた。ドワーフの破壊衝動に火が付いたらしい。*
ボルグ「面白えじゃねえか!! 樽の中に圧縮魔石と火薬を混合して、水圧で起爆する信管を付けりゃ……おい、ガルド! 爆発物の調合比率を持ってこい!!」
*奥からドワーフの爆発物担当が慌てて走ってきた。*
レイ「……シロー、なんかドワーフたちすごい楽しそうだね。」
シロウ「戦争の道具を作る時が一番生き生きするんだよ、あいつらは。」
ボルグ「聞こえてるぞ陛下! ……で、工期だが。白楊樹の調達にまず1週間、船体の組み上げに2週間、砲の製造と搭載に1週間……最短で1ヶ月だ。」
シロウ「急いでくれ。偵察船が出てるってことは、向こうも動き出してる可能性がある。」
ボルグ「任せろ。鉄道の時と同じだ、ワシらドワーフの意地を見せてやる。……おい、お前ら!! 酒は終わりだ!! 仕事だぞ!!」
*酒盛りしていたドワーフたちが一斉に立ち上がった。文句を言う者は一人もいない。ジョッキを置いて、すぐに工具を手に取り始める。*
ボルグ「船の名前はどうする、陛下?」
シロウ「……。」
*彼が港で見た、あの水平線を思い出した。未知の海。未知の敵。*
レイ「ボク、名前つけたい!」
レイ「うん! 任せて!」
*レイが目をきらきらさせながら、うーんと唸り始めた。腕を組んで、首を傾げて、真剣に考えている。*
レイ「えっとね……速くて、強くて、かっこいいやつ……。」
シロウ「かっこいいのにしてくれよ?」
レイ「んー……あ!」
*レイがぱっと顔を上げた。*
レイ「『ストームブレイカー』!」
シロウ「……。」
レイ「嵐を切り裂くって意味! 速くてばーっと突っ込んで、どかーんって!」
*レイが両手を広げて船が突進する様子を再現した。効果音付きだ。*
ボルグ「ストームブレイカー……嵐を砕く者、か。悪くねえな。」
*ボルグが図面の上部に「ストームブレイカー」と大きく書き込んだ。*
シロウ「まあ、いいんじゃないか。レイにしてはセンスあるな。」
レイ「えへへ♪ でしょ?」
*レイが得意げに胸を張った。ボルグが図面を広げ直し、最終的な設計をまとめ始めた。*
ボルグ「じゃあ整理するぞ、陛下。中型木製高速艦『ストームブレイカー』。船体は白楊樹、竜骨はミスリル合金、衝角はアダマンタイト合金。船首固定砲1門、旋回砲4門、後方樽爆弾投下装置。付与は結界、重量軽減、風魔法推進を陛下が担当。……これでいいか?」
シロウ「完璧だ。」
ボルグ「材料費と工賃合わせて……白金貨50枚ってとこだな。アダマンタイトが高えんだ。」
シロウ「構わない。オルクスに請求書回してくれ。」
ボルグ「毎度! ……おい、お前ら!! 白楊樹の伐採班、今日中にエルフの森へ出発しろ!! 許可はシルフィ様に取れ!! 鋳造班はアダマンタイトの在庫を確認!! 動け動け!!」
*ドワーフたちが怒涛の勢いで散っていった。つい先程まで酒盛りしていたとは思えない切り替えの速さだ。*
レイ「ねえシロー、ボクも船乗れる?」
シロウ「乗りたいのか?」
レイ「うん! 海見たい! お魚も食べたい!」
シロウ「……結局食い物か。」
レイ「えへへ♪」
*彼がレイの頭をぽんぽんと撫でた。レイが猫のように目を細める。*
*ふと、彼の脳裏に1つの懸念がよぎった。船はできる。武装もできる。だが、船員はどうするか。ハシムの言う通り、南港の船乗りは荒くれ者ばかりだ。信頼できる人員を集める必要がある。*
シロウ(……八輝将から何人か出せるか。あとは、船酔いしない奴が必要だな。)
*彼の脳裏に、レイラの顔が浮かんだ。超船酔いする。即戦力としては最高だが、海上では役に立たない可能性が高い。*
シロウ(……レイラは無理だな。)
*彼はレイと別れ、訓練所に向かった。中庭に入ると、凄まじい光景が広がっていた。*
*ルーナがウサギ跳びで訓練所の外周を回っている。その後ろでレイラが腕を組んで仁王立ちしていた。*
レイラ「遅い! もう3周だ!」
ルーナ「ひぃっ……! 太ももが……死ぬ……!」
*その隣では、ルミナが腹筋運動をさせられている。リーシアが回数をカウントしていた。*
リーシア「87……88……89……」
ルミナ「もう……無理……お兄ちゃん助けて……。」
*彼は二人を横目にスルーし、訓練所の奥に進んだ。ベンチで水を飲んでいるリオンを見つける。*
シロウ「あ、リオン。丁度良かった、海賊になりたい?」
*リオンが水を吹き出した。*
リオン「はぁ!?」
シロウ「あ、間違えた。海賊狩りしたい?」
リオン「……言い直しても大概ですけどね。」
*リオンがジト目で彼を見た。やさぐれ具合が板についてきている。*
リオン「で、どういうことですか。」
シロウ「サルーナの南に海がある。そこに30隻以上の正体不明の船団が出没してる。偵察船も来てるらしい。今、ボルグに戦闘艦を1隻作らせてる。」
リオン「1隻で30隻に……あー、陛下が乗るからですね。はいはい。」
シロウ「話が早くて助かる。」
リオン「で、俺に何をさせたいんですか。」
シロウ「船員だ。お前と、それから他に海に出られそうな奴を集めてくれ。船酔いしない奴限定で。」
*リオンが顎に手を当てて考えた。*
リオン「……カインとドルガンは強襲向きだから使えますけど、ドルガンは体重で船が傾きそうですね。」
シロウ「重量軽減を付与するから大丈夫だ。」
リオン「ヴァイスは記録係として欲しいところですし……あ、レイラ様は?」
シロウ「超船酔いする。無理だ。」
リオン「……あの伝説の英雄が船酔いで戦力外って、なんか笑えますね。」
*背後から殺気が飛んできた。*
レイラ「聞こえておるぞリオン。」
リオン「すみませんでしたァ!!」
*リオンが即座に直立不動になった。彼は苦笑しつつ、リオンの肩を叩いた。*
シロウ「とにかく、1ヶ月以内に船が完成する。それまでに乗組員を揃えてくれ。最低でも15人は欲しい。」
リオン「了解です。……ところで陛下、あのウサギ跳びしてるルーナは何があったんですか?」
シロウ「太った。」
リオン「あー……。」
*リオンが遠い目でルーナを見た。ルーナが4周目で力尽き、地面に突っ伏している。*
ルーナ「パパぁ……チョコ……チョコくれたら頑張れる……。」
シロウ「痩せたらな。」
ルーナ「鬼ぃ……!!」
*彼が訓練所のベンチに座り、整理していると、汗だくのルーナがタオルで顔を拭きながら隣にどさっと座った。*
ルーナ「パパ、何の話してたの? 海がどうとか聞こえたけど。」
シロウ「え? ああ。『海賊(討伐)王に俺はなる』ってやつかな。」
*ルーナの目が一瞬で輝いた。疲労困憊だった体から、オタクの魂が噴き出す。*
ルーナ「え、待って待って待って!! 海!? 船!? 海賊討伐!?」
シロウ「サルーナの南に海があって、正体不明の船団が……。」
ルーナ「行く!! 私も行く!!」
シロウ「お前はまず痩せろ。」
ルーナ「痩せる!! 絶対痩せるから連れてって!! パパ、前に言ってたじゃん! 『いつか海の冒険したい』って!」
シロウ「……言ったっけ?」
ルーナ「言った!! 日本旅行の時、海見ながら『俺も大航海時代みたいなことやりてえなあ』って!!」
シロウ「記憶力だけは一級品だな……。」
*ルーナが拳をぐっと握り、立ち上がった。*
ルーナ「パパ、約束して。船が完成するまでに元の体重に戻したら、乗せてくれるって。」
シロウ「……Sランクの実力を取り戻すのが条件だ。体重だけじゃなく、戦闘力もな。」
ルーナ「やる!! レイラママ! 特訓メニュー3倍にして!!」
*レイラが腕を組んだまま、にやりと笑った。*
レイラ「ほう……自分から言うか。面白い。では今日から地獄の特訓だ。覚悟しろ。」
ルーナ「望むところ!! ……あ、でもウサギ跳びはもう勘弁して。」
レイラ「却下だ。」
ルーナ「ですよねー。」
*彼が苦笑しながら、手帳に書き込んだ。*
*——副官:リオン、カイン。船員:あと13名。候補をサルーナ南港で募集。ルーナは条件付き保留。*
*リオンが横から手帳を覗き込んだ。*
リオン「ルーナ様、保留って書かれてますよ。」
ルーナ「保留!? パパ!!」
シロウ「痩せたら正式採用だ。」
ルーナ「ぐぬぬ……。」
*ルーナが悔しそうに唇を噛み、そのまま訓練所のトラックに走り出した。さっきまでのダレた走りとは別人のような全力疾走だ。*
リオン「……モチベーションが海賊討伐って、あの姫も大概ですね。」
シロウ「分かりやすい奴だよ。」
ーー
*3週間と5日が経過した。*
*ルーナの変化は劇的だった。*
*訓練所の中庭で、ルーナがレイラと模擬戦をしていた。剣の打ち合いが甲高い音を立て、火花が散る。以前の怠けた動きは微塵もない。むしろ、3ヶ月前より切れ味が増している。*
レイラ「……ふん。」
*レイラが大きく踏み込んだ。ルーナがそれを紙一重で躱し、カウンターの斬撃を繰り出す。レイラが剣で弾いたが、その衝撃で半歩後退した。*
レイラ「……及第点だ。」
ルーナ「え、今の褒めてる? 褒めてるよね!?」
レイラ「調子に乗るな。まだ妾の3割にも満たん。」
ルーナ「レイラママの3割って、Sランク超えてるんだけど……。」
*彼が回廊からその様子を眺めていた。ルーナのお腹は完全に引っ込み、むしろ以前より腹筋がうっすらと割れている。動きにキレがあり、Sランク冒険者としての実力は完全に取り戻していた。*
*隣では、ユキがきゅいきゅいと心配そうにルーナを見つめながら、ルクスの背中に乗せて遊んでいた。*
ルクス「ゆきー、もっとはやくー!」
ユキ「きゅいっ!」
*ルーナが模擬戦を終え、タオルで汗を拭きながら彼の前に走ってきた。ジャージの裾を捲り上げ、腹を見せる。*
ルーナ「パパ! 見て! 摘めるか試して!」
*彼がルーナの腹に手を伸ばし、摘んでみた。*
*——皮しかない。*
*薄い皮膚の下に、硬い筋肉の感触がある。3週間前のぷにっとした感触は完全に消えていた。*
シロウ「……合格だ。」
ルーナ「やったぁぁぁぁ!!!」
*ルーナが両手を突き上げて飛び跳ねた。その横で、ルミナがこっそり自分の腹を摘んでいる。*
ルミナ「……まだちょっと摘める……。」
リーシア「ルミナ様、昨夜もキッチンでデーツの蜂蜜漬けを……。」
ルミナ「リーシア! それは言わないで!!」
リーシア「事実を報告するのがメイドの務めです。」
*ルミナが顔を真っ赤にしてリーシアを睨んだが、リーシアは無表情のままだ。*
*ルーナが彼の腕を掴み、きらきらした目で見上げた。*
ルーナ「パパ、約束だよ。船に乗せてくれるんでしょ?」
シロウ「ああ。正式採用だ。」
ルーナ「それと……ご褒美。」
シロウ「……ご褒美?」
ルーナ「痩せたらご褒美くれるって言ったじゃん。隠し部屋で……。」
シロウ「……声がでかい。」
*彼が周囲を見渡した。レイラがこちらをじっと見ている。聞こえていたかは分からないが、鋭い目つきだ。*
ルーナ「……今夜ね。」
*ルーナが小声で囁き、にやりと笑った。3週間の禁欲で溜まりに溜まったものがその笑みから滲み出ている。*
シロウ「その前に船が出来上がってるだろうから見に行く。」
ルーナ「え、もう!? 見たい見たい!」
シロウ「ルーナは……汗臭いぞ。」
*ルーナが自分の脇を嗅いで、顔を真っ赤にした。*
ルーナ「デリカシーなさすぎ!! パパのばか!!」
*ルーナがタオルを顔に押し付けながら、脱兎のごとく浴場に向かって走り去った。*
シロウ「……行くか。」
*彼はボルグの工房へ向かった。鍛冶場の裏手を抜けると、開けた空き地に巨大な木製の船が鎮座していた。*
*予想より立派だった。*
*全長およそ30メートル。白楊樹の白い船体が朝日を受けて輝いている。細く鋭い船首は水を切り裂くために設計されており、その先端にはアダマンタイトの衝角が黒光りしている。側面には左右各2門の旋回砲が据え付けられ、後方には樽爆弾の投下レールが見える。船首には固定式の大口径砲が1門、まるで獣の牙のように突き出していた。*
*何故かレイラがボルグの隣に立っていた。腕を組んで船を見上げている。*
シロウ「レイラ、何でここに?」
レイラ「ボルグに呼ばれた。衝角の強度試験で妾の一撃に耐えられるか確認したいと。」
シロウ「……で?」
レイラ「耐えた。なかなかやるではないか。」
ボルグ「耐えたっつーか、ギリギリだったがな!! レイラ様の全力で衝角にヒビ1つ入らんかったのは、我が鍛冶人生の誇りだ!」
*ボルグが鼻息荒く胸を張った。彼は船に近づき、船体を手で撫でた。白楊樹の木目が美しく、触れると驚くほど軽い。しかし叩くと硬い音がする。*
ボルグ「竜骨のミスリル合金が船体全体に力を分散する構造にした。白楊樹は表面だけじゃねえ、内部に樹脂を浸透させて強化してある。水も吸わねえ。」
*彼が旋回砲に近づいた。砲架を手で回すと、滑らかに360度回転する。*
ボルグ「蒸気圧縮式だ。この弁を開いて蒸気を溜め、この引き金で解放する。鉄球なら500メートル、魔石弾なら着弾時に爆発する。連射間隔は約10秒だ。」
シロウ「船首砲は?」
ボルグ「あれは特別製だ。蒸気じゃなく、魔力圧縮式にした。陛下の魔力を直接注ぎ込めば、射程は2キロを超える。ただし、反動がでかい。普通の船なら発射の衝撃で船体がバラバラになるが……。」
シロウ「結界で抑える。」
ボルグ「そういうことだ。」
*彼が甲板に上がった。操舵輪は鍛鉄製で、両手で握ると手に馴染む。マストは1本で、帆は補助用の三角帆が張られている。甲板の下には船室が3部屋、船倉、弾薬庫がコンパクトにまとめられていた。*
レイラ「……悔しいが、良い船だ。妾も乗りたいところだが……。」
シロウ「船酔いするだろ。」
レイラ「……うるさい。」
*レイラが顔を背けた。耳が少し赤い。*
ボルグ「で、陛下。あとは付与だけだ。結界、重量軽減、風魔法推進……いつやる?」
シロウ「今からやる。」
*彼が船体全体に手を当て、魔力を流し込んだ。結界、重量軽減、風魔法推進の3つの付与を順番にかけていく。白楊樹の船体が淡い光を帯び、ルーン文字が浮かび上がっては消えた。ものの10分で全ての付与が完了する。*
ボルグ「もう終わったのか!?」
シロウ「ああ。じゃ、しまうわ。」
*彼が異空間収納を展開した。30メートルの中型艦が丸ごと光に包まれ、一瞬で消えた。*
ボルグ「…………。」
*ボルグが口を開けたまま固まった。隣のドワーフたちも全員石像のように動かない。*
ボルグ「3週間かけて作った船が……一瞬で消えた……。」
シロウ「収納してるだけだ。壊してない。」
ボルグ「そういう問題じゃねえ!! あの大きさの物を丸ごと収納できる異空間って何だよ!!」
シロウ「便利だろ?」
ボルグ「便利とかの次元を超えてるわ!!」
*彼はボルグたちを残し、転移魔法を発動した。一瞬でサルーナ南港に到着する。潮風が頬を撫で、波の音が聞こえた。*
*港の一角に「サルーナ海事登録局」と書かれた石造りの建物があった。入り口には錨の紋章が掲げられている。中に入ると、日焼けした中年の男が受付カウンターの向こうで書類を整理していた。*
受付官「いらっしゃい。船の登録かい?」
シロウ「ああ。新造艦を1隻登録したい。」
*受付官がカウンターの下から登録用紙を引っ張り出した。*
受付官「名前はナジーブだ。担当させてもらうよ。……船名、所有者名、船籍港、船種、用途を記入してくれ。あと、登録料は金貨5枚だ。」
*彼が羊皮紙に書き込んでいく。*
*——船名:ストームブレイカー*
*——所有者:シロウ・ニシキ・アストライア*
*ナジーブがその名前を見て、ペンを落とした。*
ナジーブ「……アストライアの魔王陛下!?」
シロウ「静かにしてくれ。」
ナジーブ「し、失礼しました……!」
*ナジーブが慌てて声を潜め、周囲を見回した。幸い、他に客はいない。*
ナジーブ「船籍港はこちらサルーナ南港でよろしいですか?」
シロウ「ああ。」
ナジーブ「船種は……。」
シロウ「中型木製高速艦。武装あり。」
ナジーブ「用途は……商用ですか、それとも……。」
シロウ「海賊討伐だ。」
*ナジーブの手が震えた。だが、職業意識で書類を書き進めていく。*
ナジーブ「……登録完了です。こちらが船籍証明書と航行許可証になります。武装艦の場合、サルーナ王国の認可印が必要ですが……。」
シロウ「ハシムに話は通してある。」
ナジーブ「で、では後日認可印を押させていただきます。……あの、船はどちらに?」
シロウ「今は収納してる。停泊場所はどこがいい?」
ナジーブ「第3桟橋が空いております。大型船も停泊できる水深がありますので。」
シロウ「分かった。じゃあ出すか。」
*彼が異空間収納を展開し、上空に向けて船を射出した。30メートルの白い船体が空中に現れ、一瞬の静寂の後ーー。*
*ザッパァァァン!!*
*ストームブレイカーが第3桟橋の横に着水した。盛大な水柱が上がり、白い飛沫が周囲を襲う。桟橋にいた漁師たちや荷揚げ作業員たちが悲鳴を上げた。*
漁師A「うわぁぁぁ!? 何だ!? 何が落ちてきた!?」
荷揚げ人B「津波だ! 逃げろ!」
*彼とナジーブだけは結界に包まれており、一滴も濡れていない。ナジーブが胸元の書類を確認し、無事であることに安堵のため息を漏らした。*
ナジーブ「……書類が無事で何よりです。」
シロウ「すまん、もう少し離れてからにすべきだったな。」
*桟橋で頭からずぶ濡れになった老漁師が、目をこすりながらストームブレイカーを見上げた。白楊樹の船体が水面に浮かび、波紋が広がっていく。船首のアダマンタイト衝角が黒く輝き、側面の旋回砲が威圧感を放っている。*
老漁師「……おい、ありゃ何だ? 見たことねえ船だぞ。」
漁師A「軍艦か? サルーナにこんな船あったか?」
*ざわめきが広がる中、ナジーブが彼に小声で耳打ちした。*
ナジーブ「あの……陛下。あまり目立つと港の連中が騒ぎますが……。」
シロウ「もう騒いでるだろ。」
ナジーブ「……ごもっともです。」
*彼が桟橋から船に飛び乗り、係留用のロープを桟橋の柱に結んだ。ストームブレイカーは着水の揺れを残しながらも安定しており、重量軽減の付与が効いて喫水が浅い。*
*ナジーブが濡れた桟橋を慎重に歩きながら、船を見上げた。*
ナジーブ「……美しい船です。これが空から降ってきたとは、とても……。」
シロウ「さて、次は船員だな。この港で腕の立つ水夫を募集したいんだが、どこに行けばいい?」
*ナジーブが顎に手を当てて考え込んだ。*
ナジーブ「船員募集でしたら、港の南にある酒場『潮騒の錨亭』がよろしいかと。元海軍の退役者や、腕利きの水夫が集まる場所です。……ただ。」
シロウ「ただ?」
ナジーブ「最近は例の海賊の噂で、海に出たがらない者が多いのが現状です。腕の立つ者ほど、危険を知っていますから。」
シロウ「なるほどな。」
*彼は桟橋に降り、濡れた漁師たちに軽く頭を下げてから、港の南へ歩き始めた。*
シロウ「そうだなぁ……1人1枚ってところかな。」
*ガーネットが鼻で笑った。金貨1枚か、良くて白金貨1枚ーー命を賭ける報酬にしては安いと思ったのだろう。*
ガーネット「ハッ、それで海賊相手にーー」
シロウ「は? 黒に決まってんだろ?」
*彼がポケットから黒金貨を1枚取り出し、指でピンッと弾いた。黒い光沢を帯びた硬貨が宙を舞い、カウンターに落ちる。重厚な金属音が酒場に響いた。*
*一瞬の沈黙。*
*そして、爆発した。*
ガーネット「く、黒金貨……!?」
*椅子が倒れる音、グラスが割れる音、怒鳴り声が重なった。カードゲームをしていた荒くれ者たちが一斉に立ち上がり、彼の周りに殺到する。*
荒くれ者A「おい兄ちゃん! 俺も入れてくれ! 腕っぷしには自信がある!」
荒くれ者B「俺は元海軍だ! 砲撃の腕なら港一番だぞ!」
荒くれ者C「俺を雇え! 20年海に出てる!」
眼帯の男「押すな! 俺が先だ!」
*あっという間に彼の周囲が人だかりになった。酒場の全員が我先にと手を挙げている。ダリオがカウンターの奥で目を丸くしていた。*
ダリオ「おいおいおい……黒金貨を一人1枚だと? 正気かよ、兄さん。」
シロウ「正気だ。ただし、誰でもいいわけじゃない。」
*彼がカウンターに手を置き、群がる荒くれ者たちを見渡した。声を張り上げる必要はなかった。彼の視線だけで、場が静まる。*
シロウ「条件がある。操舵、砲撃、航海術、白兵戦ーーどれか1つでも一流の腕を持つ者だけだ。あと、命令に従えない奴はいらない。」
*数人が顔を見合わせた。一部の酔っ払いが引き下がる。それでも20人以上が残っていた。*
ガーネット「……あんた、何者だ? 黒金貨をポケットに入れて持ち歩く奴なんて見たことない。」
シロウ「ただの冒険者だ。」
ガーネット「嘘つけ。」
*ガーネットが鋭い目で彼を睨んだ。だが、その目には敵意ではなく好奇心が宿っている。*
ガーネット「……まあいい。船を沈めた連中に借りを返せるなら、素性なんてどうでもいい。私は航海士と白兵戦、両方いける。雇うか?」
シロウ「全員、明後日の朝、第3桟橋に来い。」
*酒場が一斉にざわめき、荒くれ者たちが出口に殺到した。ダリオが呆れた顔でグラスを磨き続けている。*
ダリオ「……ウチの客、全部持ってかれたぞ。」
ナジーブ「……報酬の力って、恐ろしいですね。」
*彼は黒金貨をポケットに戻し、酒場を出た。港の風が心地いい。*




