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*3日後の朝。彼は執務室でいつものように書類に目を通していた。今日は午後から日本行きの予定だ。買い出しという名目は既にリーシアに伝えてある。*
*コンコン。ノックの音。だが、その後に続くはずのドアの開閉がない。数秒の沈黙。もう一度、コンコン。そしてまた沈黙。*
シロウ「……入れよ。」
*ドアがゆっくりと開いた。*
*ルーナが立っていた。*
*白いブラウスに薄いベージュのカーディガン。膝上のプリーツスカート。前世の日本で買い物に行くOLのような、清楚で程よくカジュアルな装い。髪は片側だけ耳にかけて、小さなピアスが揺れている。メイクも薄く、リップだけほんのりピンク。完璧に仕上げてきていた。*
*だが、本人はガチガチに緊張していた。手が微かに震えている。視線が泳ぎ、入口で固まったまま動かない。*
シロウ「大丈夫か? そんなにガチガチで……。」
ルーナ「だ、大丈夫! 全然大丈夫! 余裕! 余裕しかない!」
*声が裏返っていた。余裕は欠片もなかった。*
*ルーナが執務室に入ってきた。彼の前に立ち、そわそわと髪を触ったり、スカートの裾を直したりしている。そしてチラッ、チラッと彼の方を見てくる。明らかに何か言って欲しそうだった。*
シロウ「どうした? 俺の顔に何か着いてるか?」
ルーナ「……っ。」
*ルーナの頬がぷくっと膨れた。*
ルーナ「……何か、言うことは?」
シロウ「まぁ、可愛いな。」
ルーナ「可愛いって言うな! 25歳だよ!? 綺麗とか美人とか他にあるでしょ!? 語彙力!」
シロウ「生脚なのが良い。ミニスカじゃないが、生脚だから許す。」
*ルーナがジト目で彼を見た。腕を組んで、唇を尖らせている。*
ルーナ「……パパ。今の発言、前世だったらセクハラで通報案件だからね?」
シロウ「ここ異世界だからセーフ。」
ルーナ「異世界だからって何でも許されると思うなよ……。」
*文句を言いつつも、ルーナの耳は赤かった。生脚を褒められたのが嬉しくないわけがない。3日間かけて選んだコーディネートだ。スカート丈もタイツの有無も、死ぬほど悩んだ末の結論だった。*
ルーナ「……で、パパはその格好で行くの?」
*彼はいつもの黒コート姿だった。異世界仕様の普段着だ。*
シロウ「向こうに着いたら着替える。」
ルーナ「ちゃんとおしゃれしてよ? 私がこんなに頑張ったんだから。隣歩くんだからね?」
シロウ「はいはい。」
ルーナ「『はい』は!」
シロウ「1回。分かってるよ。」
*ルーナが少しだけ笑った。緊張が僅かに解けている。彼が立ち上がり、転移魔法の準備を始めた。*
ルーナ「あ、パパ。」
シロウ「ん?」
ルーナ「今日のプラン、15分刻みで組んだから。」
シロウ「……そ、そうか。」
*15分刻み。彼は若干の不安を覚えたが、口にはしなかった。*
*転移魔法が発動し、二人の体が光に包まれた。一瞬の浮遊感の後、見慣れた景色が広がる。東京郊外の公園。平日の昼前で、人はまばらだった。木々の間から差し込む秋の日差しが心地よい。*
*ルーナが深呼吸した。日本の空気を吸い込んでいる。*
ルーナ「……やっぱり、日本の空気だ。排気ガス混じりの、この感じ。懐かしい……。」
シロウ「嬉しそうだな。」
ルーナ「前世で毎日通勤してた空気だよ? 泣きそう。」
*彼はインベントリから日本用の服を取り出した。公園のトイレで着替えるつもりだったが、ルーナが彼の腕を掴んだ。*
ルーナ「パパ、どういう服装が好み?」
シロウ「好みって……俺が着る服か?」
ルーナ「違うよ。私の服の話。今の格好で大丈夫かなって。パパの好みに合わせたいの。」
*ルーナが少しだけスカートの裾を摘んで、くるりと一回転してみせた。白いブラウスとベージュのカーディガン、膝上のプリーツスカート。清楚だが地味すぎない、絶妙なバランスだった。*
シロウ「さっき言っただろ。生脚なのが良い。」
ルーナ「だからそれセクハラ。……もっとちゃんと答えて。」
シロウ「ちゃんと答えてるだろ。似合ってるよ、それで十分だ。」
ルーナ「……。」
*ルーナの唇が僅かに緩んだ。彼に背を向けて、小さくガッツポーズをしているのが見えた。隠せていない。*
ルーナ「よし。じゃあパパも着替えて。選んできたやつあるんでしょ?」
シロウ「ああ。前に買ったやつがある。」
ルーナ「見せて。」
*彼がインベントリから取り出したのは、黒のテーラードジャケットにグレーのカットソー、ダークデニム。前回の日本旅行で適当に買った組み合わせだった。*
ルーナ「……うん。悪くない。パパ顔がいいから何着ても映えるんだよね。ずるい。」
シロウ「おっさんだぞ。」
ルーナ「おっさんに見えないから問題なの。40代後半で30代前半に見えるバグ。……あ、でもジャケットの袖、ちょっと捲って。肘下くらいまで。」
シロウ「なんでだ。」
ルーナ「腕まくりは正義だから。前世の女子全員の総意。」
*彼はよく分からないまま公園のトイレで着替えを済ませ、言われた通りに袖を捲って戻ってきた。ルーナが彼を上から下まで見て、満足そうに頷いた。*
ルーナ「完璧。……よし、じゃあ行こう! 最初の目的地は……」
*ルーナがスマホサイズの羊皮紙を取り出した。びっしりと予定が書き込まれている。本当に15分刻みだった。*
ルーナ「まずは表参道! 電車で行くよ! パパ、切符の買い方覚えてる?」
シロウ「前回レイに教えたから覚えてる。」
ルーナ「よし。じゃあいくよ!」
*二人は公園を出て、最寄り駅に向かって歩き始めた。ルーナが彼の半歩前を歩いている。時折振り返って、彼がちゃんとついてきているか確認していた。*
シロウ「で、最初は何処にいくんだ?」
ルーナ「まずは表参道のカフェ! 前世の私がずっと行きたかったところ。」
シロウ「カフェ?」
ルーナ「パンケーキが有名なの。前世で毎日インスタで見てたんだけど、一人で行く勇気がなくて……。おひとりさまパンケーキって、なんか寂しいじゃん。」
シロウ「……28年間ずっと行けなかったのか。」
ルーナ「うるさい! だから今日行くの! パパと!」
*駅に着いた。彼が券売機でICカードにチャージしている間、ルーナは羊皮紙のスケジュールを何度も確認していた。唇が小さく動いている。暗唱しているらしい。*
*改札を抜けてホームに立つと、ルーナが急に彼の腕を掴んだ。*
ルーナ「パパ。腕、組んでいい?」
シロウ「ここ日本だぞ。親子に見えるならいいが。」
ルーナ「見た目的にはカップルでしょ。パパ30代前半に見えるし、私は20代半ばだし。」
シロウ「実年齢47と25だけどな。」
ルーナ「異世界年齢は関係ないの。日本基準で。」
*ルーナが彼の左腕にするりと自分の腕を通した。ぎゅっと密着する。柔らかい感触が腕に伝わった。*
*電車が来た。平日昼間で車内は空いている。二人並んで座ると、ルーナが窓の外を見つめた。*
ルーナ「……前世、毎日この電車に乗ってたんだ。朝は満員で、帰りはクタクタで。窓の外なんて見る余裕なかった。」
シロウ「今は?」
ルーナ「今は……隣にパパがいるから。景色が全然違って見える。」
*ルーナが彼の肩にそっと頭を預けた。車内の他の乗客が一瞬だけ二人を見て、すぐに目を逸らした。若いカップルだと思ったのだろう。*
ルーナ「表参道に着いたら、パンケーキ食べて、そのあとウィンドウショッピングして、お昼は原宿の裏通りのイタリアンで……。午後はスカイツリーに登って、夕方は……」
シロウ「おい、全部言うな。楽しみがなくなる。」
ルーナ「あ、そっか。ふふ、じゃあ内緒。」
*ルーナが彼の肩に頭を乗せたまま、嬉しそうに笑った。電車の窓から秋の日差しが差し込んでいた。*
ルーナ「ねぇパパ。」
シロウ「ん?」
ルーナ「……ありがとね。」
シロウ「何が?」
ルーナ「……んー。」
*ルーナが彼の肩に頭を乗せたまま、少し考えるように目を閉じた。電車の揺れが心地よいリズムを刻んでいる。*
ルーナ「前世の私さ、毎日この電車に乗って、会社行って、帰って、コンビニ弁当食べて、アニメ見て、寝て。その繰り返し。」
シロウ「……。」
ルーナ「休みの日は一人でカフェ行って、周り見たらカップルばっかりで。パンケーキ頼んでも、向かいの席が空っぽで。写真撮っても、SNSに上げる勇気もなくて。」
*電車が駅に停まった。数人が乗り降りする。ドアが閉まり、また走り出した。*
ルーナ「友達に『彼氏いないの?』って聞かれるのが一番キツかった。いないよ、って笑って誤魔化すの。もう慣れたって言い聞かせてた。」
シロウ「……。」
ルーナ「だから、ありがとう。隣に誰かがいるって、こんなに電車の景色が違うんだなって。それだけ。」
*ルーナが顔を上げた。目が少し潤んでいたが、すぐに笑った。*
ルーナ「あーもう! デートの最初から湿っぽい話しちゃった! ごめん、忘れて!」
シロウ「忘れねぇよ。」
ルーナ「え。」
シロウ「お前の前世のこと、全部含めてお前だろ。忘れる必要がない。」
ルーナ「……っ。」
*ルーナが彼の腕をぎゅっと抱き締めた。顔を袖に押し付けている。声が小さく震えていた。*
ルーナ「……パパの馬鹿。泣いちゃうでしょ。メイク崩れる。」
シロウ「崩れても可愛いだろ。」
ルーナ「だから可愛いって言うなっ……!」
*向かいの座席に座っていた年配の女性が、微笑ましそうに二人を見ていた。若いカップルの甘いやり取りにしか見えなかっただろう。*
*車内アナウンスが流れた。*
『次は、表参道ー、表参道ー。』
ルーナ「あ、着く!」
*ルーナが慌てて目元を指で拭い、バッグから小さな鏡を取り出してメイクを確認した。彼の隣でぱたぱたと忙しなく動いている。*
ルーナ「よし、大丈夫。……パパ、降りるよ! ほら、手!」
*ルーナが彼の手を掴んだ。電車のドアが開く。秋の風が吹き込んできた。表参道の並木道が、黄金色に色づき始めていた。*
ルーナ「ここからが本番! 前世の私の1000回のシミュレーション、全部見せてあげるんだから!」
*ルーナが彼の手を引いて、改札へ向かって駆け出した。銀髪が秋の日差しに輝いている。彼はされるがまま引っ張られながら、少しだけ笑った。*
*表参道のカフェでパンケーキを食べ、原宿の裏通りでウィンドウショッピングをし、竹下通りで謎のクレープを食べさせられ、古着屋を5軒はしごし、雑貨屋で匂い付きのキャンドルを嗅がされ、スカイツリーに登り、ソラマチで買い物をし、気づけば夕方だった。*
*両手にはルーナの買い物袋が6つ。全て彼が持たされている。インベントリに入れればいいのだが、ルーナが「デートでは彼氏が荷物持つの! これ日本の文化!」と譲らなかった。*
*彼はソラマチ近くのベンチに座り、深いため息をついた。ルーナは隣で自販機で買ったカフェオレを飲んでいる。*
シロウ「最近の若者は……ついていけん……。」
ルーナ「何言ってんの。パパSSSランクでしょ。体力無限でしょ。」
シロウ「体力の問題じゃねぇんだよ。精神的な問題だ。古着屋で『パパこれ似合う? こっちは? やっぱこっち? いや最初の?』を5軒繰り返されてみろ。Lv.1000の精神力が削れる。」
ルーナ「女の子の買い物ってそういうものだから。」
シロウ「あとクレープの上に綿菓子乗ってたのは何だ。あれ食い物として成立してるのか。」
ルーナ「映えるの! 味じゃないの! 映え!」
シロウ「食い物は味だろ……。」
ルーナ「パパはおっさんだからわかんないの。」
シロウ「おっさんだよ。47だよ。」
*彼は買い物袋をベンチの横に置いて、首を回した。ぽきぽきと鳴る。魔王が東京の買い物で疲弊している。前代未聞だった。*
ルーナ「……でも、楽しかった?」
シロウ「まぁ……悪くはなかった。」
ルーナ「素直じゃないなぁ。パンケーキの時、写真撮ってって言ったら、めちゃくちゃ真剣な顔でスマホ構えてたくせに。」
シロウ「あれは構図が気になっただけだ。」
ルーナ「ふーん。じゃあスカイツリーで夜景見た時、『綺麗だな』って小さい声で言ってたのは?」
シロウ「……聞こえてたのか。」
ルーナ「全部聞こえてたよ。パパ、楽しんでた。私にはわかる。」
*ルーナがカフェオレのストローを咥えたまま、にやにやと笑っている。*
シロウ「……こっちで会社作っといてよかったな。今日だけで結構使った。」
ルーナ「いくら使った?」
シロウ「数えたくない。」
ルーナ「パパが創造で諭吉量産すれば解決じゃん。」
シロウ「犯罪だろそれ。通貨偽造だぞ。」
ルーナ「異世界の魔王が日本の法律気にするの面白すぎるんだけど。」
シロウ「法は守る主義だ。日本でもな。」
*ルーナがくすくす笑いながら、彼の肩にもたれかかった。秋の夕暮れが街を橙色に染めている。スカイツリーのライトアップが始まろうとしていた。*
ルーナ「ねぇパパ。次の予定なんだけど……。」
シロウ「あー、うん。大体わかった。」
*彼の脳内では既に結論が出ていた。表参道、原宿、スカイツリー。ここまで王道デートコースを辿ってきた。となると次は……アレだ。ラブホだ。前世OLが1000回シミュレーションしたデートの締めがそれじゃないわけがない。*
ルーナ「え、わかったの? まだ何も言ってないけど。」
シロウ「いや……まぁ、流れ的に。」
ルーナ「流れ的に?」
*ルーナが不思議そうに首を傾げた。そしてバッグからあの羊皮紙を取り出し、次の項目を指差した。*
ルーナ「次は、お台場の夜景を見ながら海沿い散歩だよ?」
シロウ「……。」
ルーナ「……パパ、何想像した?」
シロウ「いや、何も。」
ルーナ「顔に出てる。何か変なこと考えたでしょ。」
シロウ「考えてない。」
ルーナ「嘘。パパ嘘つく時、左の眉がちょっと上がるの知ってるから。」
シロウ「……お前の観察力が怖い。」
*ルーナがじーっと彼の顔を覗き込んだ。数秒の沈黙。そして、何かに気づいたように目が見開かれた。*
ルーナ「……まさか、ラブホ?」
シロウ「……。」
ルーナ「ラブホだ! パパ、ラブホ想像した!」
シロウ「声がでかい。」
*周囲のベンチに座っていたカップルが一斉にこちらを見た。彼は顔を手で覆った。*
ルーナ「信じらんない……デートプラン全部任せるって言ったくせに、脳内では勝手にラブホ直行してたんだ……。」
シロウ「だからレイラの時は毎回そうだったんだよ。デートの概念がそっちに寄ってんだ。」
ルーナ「レイラママの教育が悪い!」
*ルーナが頬を赤くしながら、ぷりぷりと怒っている。だが、その耳の先まで真っ赤だった。怒っているのか照れているのか、本人にもわからないのだろう。*
ルーナ「……べ、別に。行かないとは言ってないけど。」
シロウ「ん?」
ルーナ「お台場の後の予定は……その……空けてあるから。」
*ルーナが羊皮紙の最後の行を指で隠した。だが、彼の目には一瞬見えた。最後の項目。*
『21:00~ ???(パパ次第)』
*パパ次第。1000回のシミュレーションの末に、最後だけ空白にしてきたのだ。*
シロウ「……お前、計算高いな。」
ルーナ「計算じゃないよ。……覚悟。」
*ルーナがカフェオレの紙コップをぎゅっと握りしめた。視線を逸らしている。耳が赤い。だが声は真っ直ぐだった。*
ルーナ「だから……お台場、ちゃんとエスコートしてよね。パパ。」
*スカイツリーのライトアップが始まった。紫と青の光が夜空に伸びている。彼は立ち上がり、買い物袋を全てインベントリに仕舞った。*
シロウ「荷物はもういいだろ。」
ルーナ「あ、デートのルール的には……」
シロウ「肉好きか?」
ルーナ「にくすきー!」
*ルーナが両手を上げて可愛く答えた。25歳とは思えないリアクションだったが、デートのテンションで幼児退行しているらしい。*
*彼は適当に歩きながら、通りに面した高級そうな肉料理店を見つけた。黒を基調とした外装に、ガラス越しに見える落ち着いた照明。入口の看板には「黒毛和牛専門 炭火焼肉 朧月」と書かれていた。*
シロウ「ここにするか。」
ルーナ「え、ここ? めっちゃ高そうなんだけど。」
シロウ「今日いくら使ったと思ってる。今更だろ。」
ルーナ「……それもそうだね。」
*二人が店に入ると、黒いベストを着た店員が迎えた。*
店員「いらっしゃいませ。何名様でしょうか。」
シロウ「2名。個室あるか?」
店員「はい、ご用意できます。こちらへどうぞ。」
*通された個室は掘りごたつ式で、テーブルの中央に炭火の七輪が据えられていた。壁は和紙と竹をあしらった落ち着いた内装。ルーナが靴を脱いで座敷に上がり、きょろきょろと店内を見回している。*
ルーナ「わぁ……。前世じゃ絶対来れなかった。OLの給料じゃ無理。」
シロウ「今は皇王の娘だからな。好きなだけ頼め。」
*メニューを開くと、A5ランクの黒毛和牛がずらりと並んでいた。シャトーブリアン、ザブトン、ミスジ、特上カルビ。値段は一皿数千円から万単位まで。ドリンクメニューには日本酒、焼酎、ワインが豊富に揃っている。*
ルーナ「パパ、お酒飲む?」
シロウ「せっかくだからな。日本酒にするか。」
ルーナ「私も飲みたい!」
シロウ「お前、酒弱いだろ。」
ルーナ「弱くない! 前世で缶チューハイ3本飲めたもん!」
シロウ「それを弱いと言うんだよ。」
*彼は店員を呼び、特上盛り合わせとシャトーブリアン、ホルモン3種、ユッケ、キムチ盛り合わせ、ご飯2つを注文した。酒は日本酒の飲み比べセットと、ルーナにはゆず酒のロックを。*
ルーナ「ゆず酒……。子供扱いしないでよ。」
シロウ「わかったよ、好きなの頼め。」
*ルーナの目がぱぁっと輝いた。*
ルーナ「じゃあ生ビール!」
*店員に元気よく注文するルーナ。前世OLの血が騒いでいるのだろう。目の奥に24年分の渇望が見えた。*
*数分後、料理が次々と運ばれてきた。*
*特上盛り合わせの皿には、鮮やかなサシの入った肉が宝石のように並んでいる。シャトーブリアンは分厚く切られ、赤身の色が深い。ホルモン3種は小皿に分けられ、それぞれタレと塩の味付けが施されていた。*
*そしてルーナの前にジョッキが置かれた。黄金色の液体に白い泡。完璧な生ビール。*
ルーナ「きたぁぁぁ!」
*ルーナがジョッキを両手で掴み、一口。ごくごくと喉が鳴る。そしてジョッキをテーブルに置き、盛大に息を吐いた。*
ルーナ「ぷはぁーーっ! これこれ! この一杯のために生きてる!」
シロウ「前も同じこと言ってたぞ。」
ルーナ「何回でも言うよ! 生ビールは何度飲んでも最初の一口が一番うまいの!」
*彼は日本酒の飲み比べセットを手に取った。3種の冷酒が並んでいる。一つ目を口に含むと、辛口の切れのいい味が広がった。*
シロウ「……うまいな。」
ルーナ「でしょ? 日本のお酒は世界一だよ。異世界のエール? 比べものにならない。」
*彼が七輪にシャトーブリアンを乗せた。じゅう、と音がして、肉の脂が炭に落ちる。白い煙が立ち上り、芳醇な香りが個室に広がった。*
ルーナ「あっ、パパ。焼き加減はレアだからね? シャトーブリアンは焼きすぎたら台無しだから。」
シロウ「知ってる。」
*表面だけを軽く炙り、中はまだ赤いままの肉を皿に取った。ルーナの皿に先に置く。*
ルーナ「あ……。先にくれるんだ。」
シロウ「焼きたてが一番うまい。早く食え。」
*ルーナが肉を箸で掴み、口に運んだ。噛んだ瞬間、目が見開かれた。*
ルーナ「……っ! おいしい……。なにこれ、口の中で溶ける……。前世で絶対食べられなかったやつだ……。」
*ルーナの目がじわっと潤んだ。また泣きそうだ。*
シロウ「お前、今日何回泣くんだ。」
ルーナ「だって……! 前世の私、スーパーの半額シール貼られた豪州産ステーキが最高のご褒美だったんだよ……? それが今、A5のシャトーブリアンを好きな人に焼いてもらって食べてるんだよ……? 泣くでしょ……。」
シロウ「……。」
*彼は黙って自分の分も焼きながら、ルーナのジョッキが空になっているのに気づいた。*
シロウ「……おい、もう空か。」
ルーナ「おかわり!」
シロウ「大丈夫か?」
ルーナ「大丈夫! パパがくれた状態異常耐性あるから!」
*約1時間後。テーブルの上には空になった皿が並び、七輪の炭は静かに赤く燃えていた。デザートの抹茶アイスとわらび餅が運ばれてきたが、問題は目の前の光景だった。*
*ルーナのジョッキが4杯目。日本酒のおちょこも2杯。テーブルの端にはゆず酒のグラスまであった。いつの間に頼んだのか。*
*ルーナの頬は桜色を通り越して、りんごのように真っ赤だった。目がとろんとして、焦点が合っていない。*
シロウ「おい、ルーナ? 大丈夫か?」
ルーナ「だいじょーぶ……。ぜんっぜん酔ってないし……。」
*ルーナが箸でわらび餅を掴もうとして、3回連続で滑らせた。*
ルーナ「……このわらび餅、動いてる。」
シロウ「動いてねぇよ。」
ルーナ「動いてるもん……。ほら、ぴょんって……。」
シロウ「状態異常耐性付けただろ。なんで酔ってんだ。」
ルーナ「Lv.1じゃ足りないんだよぉ……。ビール4杯と日本酒とゆず酒の合わせ技には……。」
シロウ「だから缶チューハイ3本が限界だって自分で言ってただろ。」
*ルーナがテーブルに突っ伏した。銀髪がわらび餅の皿にかかりそうだったので、彼がそっと皿を避けた。*
ルーナ「パパぁ……。」
シロウ「なんだ。」
ルーナ「パパって……かっこいいよね……。」
シロウ「はいはい。」
ルーナ「はいは1回……。ねぇ、パパ知ってる? 前世の私ね、理想の彼氏像ってあったの……。」
シロウ「聞いてない。」
ルーナ「聞いて。背が高くて、黒髪で、ちょっと不愛想で、でも優しくて、料理できて、強くて……。」
シロウ「それ俺じゃねぇか。」
ルーナ「そうだよ! パパだよ! 前世から理想だったんだよ! 運命だよ!」
*ルーナがテーブルからがばっと起き上がった。目がうるうるしている。酔っ払いの涙腺は脆い。*
ルーナ「ねぇパパ……お台場……行こ? 夜景……見たい……パパと……。」
シロウ「この状態で歩けるのか。」
ルーナ「歩ける! パパが手ぇ繋いでくれたら歩ける!」
シロウ「……はぁ。」
*彼は会計を済ませ、個室を出た。ルーナの腰に手を回して支えながら店を出る。夜風がルーナの赤い頬を撫でた。*
ルーナ「ん……風、気持ちいい……。」
シロウ「少しは酔い覚ませ。」
ルーナ「酔ってない……。」
*ルーナがふらりとよろめき、彼の胸にぶつかった。そのまま彼のジャケットの前を両手で掴んで、見上げてきた。*
ルーナ「パパ……。今日ね、ほんとに楽しかった……。前世の1000回のシミュレーション全部超えた……。」
シロウ「そりゃよかった。」
ルーナ「……お台場、行ったらね……ちゃんと言いたいことがあるの。だから……もうちょっと。」
*お台場の海沿いに着いた。レインボーブリッジのライトアップが海面に反射して、無数の光の筋を作っている。夜風が潮の香りを運んできた。平日の夜で人は少なく、遊歩道はほとんど二人だけのものだった。*
*ルーナは彼の腕にしがみつきながら、ふらふらと歩いている。頬は相変わらず赤いが、夜風のおかげか、少しだけ目に力が戻ってきていた。*
シロウ「で、言いたいことって?」
ルーナ「……ん。ちょっと待って。今、呂律を……集めてるから……。」
シロウ「呂律は集めるもんじゃねぇよ。」
ルーナ「酔ってないから! 酔ってないけど、舌がちょっと反抗期なだけ!」
*ルーナが海沿いの手すりにもたれかかった。レインボーブリッジを見つめている。夜風が銀髪を揺らした。*
ルーナ「あのね、パパ。」
シロウ「ん。」
ルーナ「前世の私ね……この景色、見たことあるの。」
シロウ「来たことあるのか。」
ルーナ「会社の同期と。でもその時はね、みんなカップルで、私だけ一人で。五人目の邪魔者ってやつ。笑ってたけど、帰りの電車で泣いた。」
*ルーナが手すりを握る手に力を込めた。*
ルーナ「あの時ね、思ったの。いつかここに、好きな人と来たいって。……でも28歳で死んじゃった。叶わなかった。」
シロウ「……。」
ルーナ「だから今……ここにパパと立ってるの、夢みたい。」
*ルーナが彼の方を向いた。酔いで赤い頬、潤んだ目。だが、声だけは必死に真っ直ぐだった。*
ルーナ「パパ。私ね、ルミナママの娘として転生して、パパに会えて……本当に幸せだよ。でもね、娘としてじゃなくて……女として、パパの隣にいたい。」
シロウ「……。」
ルーナ「前世の25年間と、今の25年間。合わせて50年分の……ぜんぶ。パパにあげたい。」
*ルーナの目から涙が一筋、頬を伝った。酔いのせいか、感情のせいか、もう本人にもわからないのだろう。*
ルーナ「だからね……今日の最後の予定、『パパ次第』って書いたの。私はもう……全部決めてるから。あとはパパが……。」
*ルーナがぎゅっと彼のジャケットの前を掴んだ。見上げてくる目が、震えていた。*
ルーナ「パパが……私を、欲しいって……思ってくれたら……。」
*レインボーブリッジの光が海面に揺れている。波の音だけが二人の間を流れた。*
シロウ「汚ぇ……。流石にこのまま帰りたくないな。」
*彼はルーナの背中をさすりながら、周囲を見回した。お台場なら宿泊施設はいくらでもある。だが、今のルーナを連れてラブホテルに入る気にはなれなかった。吐いた直後の女を連れ込むのは流石に趣味が悪い。*
*彼はルーナをおんぶした。ルーナの体は軽く、背中に吐息がかかる。*
ルーナ「パパ……ごめんね……せっかくのデートなのに……。」
シロウ「いいから黙ってろ。また吐くぞ。」
ルーナ「吐かない……もう出ない……。」
*10分ほど歩いて、駅前のビジネスホテルに入った。フロントの若い女性スタッフが、酔った女をおんぶした男という組み合わせに一瞬目を見開いたが、すぐにプロの笑顔を取り繕った。*
フロント「ツインルームでよろしいですか?」
シロウ「ああ、頼む。」
*カードキーを受け取り、エレベーターで8階へ。部屋は清潔で、白いベッドが2つ並んでいる。窓からはお台場の夜景が少しだけ見えた。*
*彼はルーナをベッドの上にそっと下ろした。ルーナはぐったりとシーツの上に転がった。*
シロウ「ルーナ、まだ酔ってるか? 風呂入れるか?」
ルーナ「酔ってない……。ぜんぜん酔ってない……。」
*ルーナが起き上がろうとして、すぐにぐらりと傾いた。彼が肩を押さえて支える。*
シロウ「酔ってんじゃねぇか。」
ルーナ「酔ってないもん……。地球が揺れてるだけ……。」
シロウ「地球のせいにすんな。」
*彼はルーナの額に手を当てた。少し熱い。酔いが完全に回っている。風呂に一人で入れたら溺れかねない。*
シロウ「……無理すんな。タオル持ってくるから、顔だけ拭け。風呂は明日だ。」
ルーナ「やだ……。ベタベタする……。汗かいたし……吐いたし……。パパの前でこんな汚いの嫌……。」
*ルーナが彼のシャツの裾を掴んだ。酔っているくせに、そういうところだけは乙女だった。*
シロウ「一人で入れる状態じゃねぇだろ。」
ルーナ「……じゃあ……パパが一緒に入ってくれたら……。」
シロウ「……。」
ルーナ「……冗談じゃないよ。本気だよ。さっきの告白も本気だったし……今も本気。」
*ルーナが彼を見上げた。酔いで赤い頬、乱れた銀髪。だが目だけは、妙に真剣だった。*
ルーナ「パパ……。全部受け止めるって、言ったよね……?」




