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《R-15》異世界転移でスローライフを?  作者: THE・HENJIN・RlDER
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*夕方、少し過ぎた頃。彼は先にルーナ、カイ、ガイアを温泉街の「酒の泉 ——溺れるなかれ——」へ転移させた。カウンタースペースは既に貸切済み。店長のトビアスが気合いを入れて磨き上げたカウンターがぴかぴかに光っている。*


ルーナ「うわ、貸切じゃん! 最高!」


カイ「……落ち着け。今日は外交だぞ。」


ルーナ「分かってるって。でもハイボール……。」


ガイア「ガイアはマンゴーシャーベットなのだ。」


*3人を店に送り届けた後、彼は砂月王国の正門前に転移した。*


*——そこには、既に待ちきれない様子のサラディン王がいた。普段の豪華な王衣ではなく、砂色の簡素なローブに身を包んでいる。しかし体が前のめりで、足が地面をそわそわと踏んでいた。*


*その横でハシムが王の腕を掴んでいた。*


ハシム「陛下、まだです。まだ来ておりません。」


サラディン「分かっておる! ただ立っておるだけだ!」


ハシム「立っておるだけの方は、足踏みなどしません。」


*その後ろに2人の男が立っていた。1人は痩身で眼鏡をかけた中年の男——財務大臣ファリド・アル=ハーシミ。もう1人は巨漢で日焼けした顔に豪快な笑みを浮かべた男——軍務大臣ザフィール・イブン・タリク。*


ファリド「……陛下があれほど浮足立っておられるのは、建国祭以来ですな。」


ザフィール「酒と聞いて俺も浮足立っておるがな! がっはっは!」


*彼が姿を現すと、サラディン王が弾かれたように振り向いた。*


シロウ「あれ、もう公務終わったのか?」


サラディン「終わった! 歴代最速で終わらせた!」


ハシム「……正確には、私が半分以上を代行しました。陛下は午後3時の時点で集中力が完全に切れておりましたので。」


サラディン「細かいことを言うな、ハシム。」


ハシム「細かくありません。南方交易路の報告書に『早く酒が飲みたい』と署名欄に書かれていたのですが。」


ファリド「……陛下。」


サラディン「……書き直した。」


*彼は苦笑して4人を見渡した。全員、普段着に近い軽装。言いつけ通りだった。*


シロウ「よし、全員揃ってるな。じゃあ行くか。初めての転移は一瞬だけ浮遊感があるけど、目を開けてれば大丈夫だ。」


*彼が手を翳すと、5人の足元に魔法陣が展開した。青白い光が砂漠の夕焼けに映える。*


ザフィール「おお……これは……!」


ファリド「転移魔法の魔法陣……本で読んだことはありますが、実物は初めてです。」


シロウ「じゃ、行くぞ。」


*光が一瞬膨れ上がり——砂漠の景色が消えた。*


*次の瞬間、5人の目の前に広がったのは、湯気と提灯の明かりに包まれた温泉街だった。石畳の通り、木造の建物、漂う硫黄と出汁の匂い。*


サラディン「…………ここは。」


*彼は5人を温泉街の石畳を歩きながら案内した。提灯の暖かい光が砂月の面々の顔を照らす。サラディン王は周囲をきょろきょろと見回し、湯気の漂う街並みに目を丸くしていた。*


シロウ「うちの自慢の温泉街だ。源泉かけ流しだから健康的だぞ。でも今回はそれは置いといて……。」


サラディン「いや待て、この湯気は何だ。硫黄の匂いがするが……地下から湧いているのか?」


シロウ「そう、天然温泉。体の芯から温まって疲れが吹っ飛ぶ。今度ゆっくり案内するよ。今日はまず酒だろ。」


サラディン「……む。確かに。」


*未練がましく温泉施設を振り返る王を、ハシムが背中を押して先へ進ませた。*


*「酒の泉 ——溺れるなかれ——」の暖簾をくぐると、磨き上げられたカウンターが広がっていた。壁には各国の酒瓶がずらりと並び、間接照明が琥珀色の液体を美しく照らしている。奥にはタップが8本。生樽のサーバーだ。*


*——そしてカウンターの端では、既にルーナがジョッキ片手に枝豆をつまんでいた。*


ルーナ「あ、パパおかえりー。」


シロウ「……お前、もう飲んでるのか。」


ルーナ「ハイボール1杯だけだよ! まだ1杯!」


カイ「父さん、止めたんだが聞かなかった。」


*ガイアはカウンターの隅で既にマンゴーシャーベットの2杯目に突入していた。*


シロウ「……まあいい。紹介するよ。俺の息子のカイ、それから娘のルーナだ。」


*カイが立ち上がり、軽く頭を下げた。*


カイ「カイ・アストライアです。父がお世話になっております。」


ルーナ「ルーナでーす! よろしくお願いしまーす!」


*ルーナがジョッキを掲げて笑った。ファリドが眼鏡の奥で目を細める。*


ファリド「これはこれは……。息子殿は礼儀正しく、娘殿は……自由ですな。」


ザフィール「がっはっは! 気に入ったぞ嬢ちゃん! 俺はザフィール、軍務大臣だ!」


ルーナ「おー! いい体してますね! 飲みましょう飲みましょう!」


*サラディン王がカウンターに座ろうとした瞬間、奥からガイアがひょこりと顔を出した。口元にシャーベットが付いている。*


ガイア「あ、ハゲ散らかしたおっさん来たのだ。」


*空気が凍った。*


ハシム「…………。」


ファリド「…………。」


ザフィール「…………ぶっ。」


*ザフィールが吹き出した。必死に口を押さえている。ファリドは眼鏡を拭くふりをして顔を逸らした。ハシムだけが真顔のまま額を押さえていた。*


サラディン「……この娘は相変わらずだな。」


*王は諦めたように笑い、カウンターに腰を下ろした。*


シロウ「では、店長。客人に生を頼む。」


*カウンターの奥から店長のトラビスが姿を現した。きっちりと整えた髪に清潔な白シャツ、腰には黒のエプロン。かつて奴隷だったとは微塵も感じさせない、落ち着いた物腰と丁寧な所作だった。*


トラビス「かしこまりました。ようこそ、『酒の泉』へ。本日は貸切にてご用意しております。どうぞごゆるりとお過ごし下さいませ。」


*トラビスがメニューを5人の前に並べた。木製の品書き板に、丁寧な文字で銘柄が記されている。*


──────────

【生樽ビール】

・金麦(ゴールデンエール)……軽快な喉越し、初めての方に

・黒(ダークスタウト)……深いコクと苦み、通好み

・白(ヴァイツェン)……フルーティで飲みやすい

・赤(アンバーラガー)……麦の甘みと程よい苦み


【その他】

・ハイボール(蒸留酒+炭酸水)

・日本酒(冷/燗)

・ワイン(赤/白)

・シャンパン

・サワー

・ノンアルコール各種

──────────


シロウ「どれにする? 俺は黒で。」


*サラディン王がメニューを食い入るように見つめた。文字は翻訳魔法で読めるが、どれも未知の酒ばかりで迷っている。*


サラディン「……全部飲みたいが、まずはどれが良い?」


シロウ「初めてなら金麦がいい。一番スタンダードだ。朝飲んだ缶ビールの上位版。」


サラディン「ではそれだ!」


ハシム「私も金麦で。」


ファリド「……同じく。」


ザフィール「俺は黒とやらを試してみたい! 苦いのは大歓迎だ!」


シロウ「お、分かってるな。」


*トラビスが手際よくタップに手を伸ばした。冷えたジョッキをタップの下にセットし、レバーを引く。黄金色の液体がジョッキの内壁を滑り、きめ細かい泡が層を成していく。*


*サラディン王が身を乗り出してその光景を見つめていた。*


サラディン「……美しいな。滝のようだ。」


*4つのジョッキが並んだ。金麦3つと黒1つ。霜が浮かぶほどキンキンに冷えている。最後に彼の黒が注がれ、5つのジョッキがカウンターに並んだ。*


トラビス「お待たせいたしました。」


ルーナ「はいはーい! じゃあみんな持って! 乾杯しよ!」


*ルーナが自分のハイボールを掲げた。カイが静かにグラスを持ち上げ、ガイアはシャーベットのカップを両手で掲げている。*


シロウ「じゃ、砂月とアストライアの交易路開通を祝って——」


*全員がジョッキとグラスを掲げた。*


全員「「「乾杯!」」」


*ガシャン、とジョッキが打ち鳴らされた。サラディン王が一口目を煽る。*


サラディン「——————っ!!」


*王が目を見開いた。缶ビールとは次元の違う、きめ細かい泡の滑らかさ。喉を駆け抜ける冷たい黄金。*


サラディン「朝のとは……別物だ……!」


*つまみが次々と運ばれてくる。トラビスの手際は見事だった。枝豆、焼き鳥、唐揚げ、出汁巻き卵。砂月の面々は一品ごとに歓声を上げている。*


ザフィール「この……カラアゲとやら! 衣がサクッとして中は柔らかい! ビールに合う!」


*ザフィールは黒ビールのジョッキを豪快に傾けた。既に2杯目に突入している。*


ファリド「この卵焼き……出汁が染みていて……これは……。」


*眼鏡の奥が潤んでいた。財務大臣が卵焼きで泣きそうになっている。*


ハシム「……美味い。悔しいが、美味い。」


*ハシムは金麦を一口ずつ丁寧に飲みながら、焼き鳥の塩を上品につまんでいた。普段の鉄面皮が微かに緩んでいる。*


サラディン「おかわり! 金麦をもう1杯! いや待て、赤とやらも試したい!」


トラビス「かしこまりました。赤をお注ぎいたします。」


*サラディン王は3杯目。顔が赤くなり始めていたが、勢いは衰えない。*


*——そしてカウンターの端。*


ルーナ「トラビスさーん、ハイボールおかわりー!」


シロウ「ルーナ……大丈夫か?」


ルーナ「大丈夫大丈夫! 状態異常耐性あるから! ほら、全然酔ってないし!」


*彼女の頬は真っ赤で、目がとろんとしていた。全然大丈夫そうではない。*


カイ「父さん、耐性はあっても酒量の限界は別だと思うが……。」


シロウ「……だよな。」


ガイア「ルーナ、顔がトマトなのだ。」


ルーナ「トマトじゃないし! リンゴだし!」


ガイア「同じなのだ。」


*ザフィールが豪快に笑いながらルーナのジョッキとぶつけた。*


ザフィール「嬢ちゃん、いい飲みっぷりだ! 俺の部下に欲しいくらいだぞ!」


ルーナ「えへへ~! ザフィールさんも飲みましょー!」


*彼は横目でルーナの杯数を数えていた。ハイボール3杯。前回吐いたのは5杯目だった。あと2杯が限界ラインだ。*


*4時間が経った。カウンターには空のジョッキとグラス、食べ尽くされた皿が山のように積まれていた。*


*サラディン王は最終的に金麦3杯、赤1杯、白1杯、日本酒の冷を2杯飲み干した。ザフィールは黒ビールを5杯。ファリドはワインの赤を3杯。ハシムだけが金麦2杯で留めていたが、顔は十分に赤かった。*


*彼は4人を砂月王国のサルーナ城正門前に転移させた。*


サラディン「アストライア魔王殿……今宵は最高であった……! 鉄道が開通したら、毎月来る……!」


ザフィール「俺もだ! 黒ビールと唐揚げ……最高の組み合わせだった……!」


ファリド「……交易品目にワインの追加を提案いたします……。明日、書類を……。」


ハシム「皆様、本日はここまでです。明日は通常通り公務がございます。お部屋へどうぞ。」


*ハシムだけが辛うじてまともだった。3人の酔っ払いを城内へ押し込み、最後に彼に向き直って深々と頭を下げた。*


ハシム「本日は誠にありがとうございました。調印書は明日中に仕上げ、使者を送ります。」


*彼は手を振って見送り、温泉街に戻った。*


*「酒の泉」のカウンターでは、カイがガイアの頭を撫でており、ルーナは彼の肩にもたれかかってぐでんぐでんになっていた。*


シロウ「カイとガイアはサルーナに戻るか? それともここにいる?」


*彼はルーナに肩を貸しながら2人に尋ねた。ルーナの体重がずっしりとかかる。*


カイ「俺はここに泊まるよ。温泉街なら宿もあるだろ。ガイアも一緒でいいか?」


ガイア「ガイアはおにーさんと一緒がいいのだ。」


カイ「……父さんと、だろ?」


ガイア「おにーさんはおにーさんなのだ。」


*彼はルーナを支えながら苦笑した。ルーナが肩にしがみついたまま、ふにゃふにゃの声を出している。*


ルーナ「パパぁ……あたし酔ってないよ……。」


シロウ「完全に酔ってるだろ。」


ルーナ「酔ってないし……状態異常耐性……あるし……。」


*彼女の足がふらついて、彼の腕にしがみつく力が強くなった。*


カイ「父さん、ルーナは任せていいか? 俺はガイアと宿を取る。」


シロウ「ああ。温泉通りの『月見荘』が空いてるはずだ。トラビスに聞けば案内してくれる。」


トラビス「承知いたしました。カイ様、ガイア様、ご案内いたします。」


*カイがガイアの手を引いて立ち上がった。ガイアが振り返って彼に手を振る。*


ガイア「おにーさん、おやすみなのだ。ルーナは吐かせた方がいいのだ。」


シロウ「……やっぱりか。」


*カイとガイアが店を出た後、彼はルーナを抱え直した。完全にぐったりしている。*


ルーナ「パパ……帰る……。」


シロウ「はいはい。転移で飛ぶから目閉じてろ。」


*彼はルーナを抱えたまま転移した。着いた先は砂漠のど真ん中。見渡す限り砂丘が広がり、満天の星空が頭上に輝いている。夜風が少し肌寒いが、酒で火照った体には丁度良かった。*


シロウ「ほら、下向け。」


ルーナ「うぅ……パパ……大丈夫だって……。」


シロウ「大丈夫じゃないだろ。何杯飲んだ。」


ルーナ「……6杯……。」


シロウ「前回吐いたのが5杯だっただろうが。」


*彼はルーナの体を支え、砂の上にしゃがませた。片手で銀髪を後ろにまとめて押さえ、もう片方の指をルーナの口に入れた。*


ルーナ「んっ……やだ……指……。」


シロウ「我慢しろ。出した方が楽になる。」


*喉の奥を軽く掻き回す。ルーナの体がびくっと震え、すぐに嘔吐き始めた。*


ルーナ「おぇっ……! うぇぇぇ……!」


*胃の中身がどばっと砂の上にぶちまけられた。ハイボールの匂いと枝豆の残骸。彼は慣れた手つきでルーナの背中をさすり続けた。*


ルーナ「げほっ……ごほっ……おぇぇ……!」


*2波、3波と続く。彼は黙って髪を押さえ、背中をさすった。何度目だろう、この光景。もはや恒例行事だった。*


シロウ「……毎回これだな。」


ルーナ「うぅ……ごめん……。」


*ようやく落ち着いたルーナが、口元を袖で拭った。彼は異空間収納から水筒を取り出し、ルーナに渡した。*


シロウ「口ゆすげ。飲むなよ、吐くから。」


*ルーナがぐちゅぐちゅと口をゆすいで吐き出した。砂が水を吸い込んでいく。*


ルーナ「……パパ、いつもごめんね。」


シロウ「いつも言ってるだろ。5杯で止めろって。」


ルーナ「ザフィールさんが注いでくれるから……断れなくて……。」


シロウ「断れよ。」


*ルーナが砂の上にぺたんと座り込んだ。夜風が銀髪を揺らす。星明りに照らされた彼女の顔はまだ赤いが、さっきよりは幾分かましだった。*


ルーナ「……星、綺麗だね。」


シロウ「ああ。砂漠の星空は格別だな。」


*2人は暫く砂漠の真ん中で星空を見上げていた。冷たい風が酒で火照った肌を冷やしていく。*


ルーナ「パパ。」


シロウ「ん?」


ルーナ「……今日、リング取り戻したでしょ。」


*彼女の声が少しだけ硬くなった。彼は横目でルーナを見た。*


シロウ「ああ。なんか知らんうちに無くなってたからな。対のリングから引き寄せた。」


ルーナ「…………。」


*ルーナが何か言いかけて、口を閉じた。砂漠の風だけが2人の間を吹き抜けた。*


ルーナ「……ううん。なんでもない。帰ろ、パパ。」


シロウ「立てるか?」


ルーナ「……無理。」


シロウ「だろうな。」


*ルーナが一瞬で顔を真っ青にした。酔いが一気に醒めたかのように背筋が伸びる。*


ルーナ「ご、ごめんなさいパパ!! あのリング、その……ちょっと興味本位で使っちゃって……!! 玩具の代わりにしてたとかそういうわけじゃなくて……いや、あの、えっと……!!」


*ルーナが砂の上で土下座した。額が砂に埋まる勢いだった。*


*——同時に。*


シロウ「覗きする気だな!」


ルーナ「ピーーーにしてましたごめんなさい!!」


*2人の声が完全に被った。砂漠に響く沈黙。風だけが砂を巻き上げる。*


シロウ「…………。」


ルーナ「…………。」


*数秒の静寂。*


シロウ「……は?」


*彼の脳が一瞬フリーズした。*


シロウ「……今、なんて言った?」


ルーナ「え? パパこそなんて言った?」


シロウ「いや、俺はお前がリングの転移機能で俺の部屋を覗こうとしてたんじゃないかって……。」


ルーナ「あ……そ、そっちの心配……?」


*ルーナの顔が砂まみれのまま引きつった。自爆した。完全に自爆した。言わなくてよかったことを自分から白状してしまった。*


シロウ「……ルーナ。」


ルーナ「は、はい……。」


シロウ「アレの代わりにしてた、って……あのリング、どうやって手に入れた?」


*彼の声は怒っているというより、純粋に困惑していた。あのリングは異空間収納に入れていたはずだ。*


ルーナ「…………。」


*ルーナが砂の上に正座したまま固まった。酔いは完全に吹き飛んでいる。頭がフル回転しているのが分かる。どこまで話すべきか。ガイアのことは言えない。精気を搾り取っていたことも言えない。*


ルーナ「……その……落ちてたから……こっそり……。」


*彼は深くため息をついた。砂漠の夜空を見上げる。星が綺麗だった。綺麗なのに、娘がリングをピーーー代わりにしていたという衝撃的な告白を処理しなければならない。*


シロウ「……お前なぁ……。」


ルーナ「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!! もう絶対しないから!! だから怒らないで!!」


*ルーナが再び土下座した。砂が舞う。*


*砂漠の冷たい風が2人の間を吹き抜けた。彼は砂の上にどさっと座り込んだ。ため息が止まらない。*


シロウ「だから数日間ダルかったのか……はぁ……。」


*リングはペアリングだ。片方を通じて精気が流れる仕組みになっている。ルーナがあれを「そういう用途」で使っていたなら、彼の生命力がリングを通じて吸い取られていたことになる。数日間の原因不明の倦怠感の正体がこれだった。*


シロウ「はぁ……で、避妊は?」


ルーナ「っ……! そ、それは……!」


*ルーナが砂まみれの顔を上げた。真っ赤を通り越して紫に近い。*


ルーナ「……昔、ママに冗談っぽく教わった……。」


シロウ「ルミナが……?」


ルーナ「『女の子はいつ何があるか分からないから、避妊魔法くらいは覚えておきなさい』って……笑いながら……。」


シロウ「あいつ……。」


*彼は頭を抱えた。ルミナの顔が浮かぶ。あの天使の笑顔で娘に避妊魔法を教えている姿を想像すると、めまいがした。*


シロウ「はぁ……ルーナよ、近親相姦はダメだって……。」


*ルーナが正座のまま、きゅっと拳を握った。顔を俯かせていたが、震える声で反論した。*


ルーナ「……最初にリングで寝ぼけてしたの、パパだから。」


シロウ「……は?」


ルーナ「あの時、パパが寝ぼけてリングを起動して……寝てるあたしに……。」


シロウ「待て待て待て。」


ルーナ「あたし、最初何が起きてるか分からなくて……でも、こんなことできるのパパだけだったから、パパだって分かって……。」


シロウ「……いや、記憶に無いぞ?」


ルーナ「寝ぼけてたんだよ!! パパが先にしたんだよ!! あたしはそれから……その……目覚めちゃって……。」


*彼の脳が完全にフリーズした。砂漠の星空がぐるぐる回っている気がした。*


シロウ「……マジで?」


ルーナ「マジで。」


シロウ「…………。」


ルーナ「…………。」


*砂漠に沈黙が落ちた。風が砂を巻き上げ、2人の間を通り過ぎていく。*


シロウ「……いつの話だ。」


ルーナ「……2週間前くらい」


シロウ「2週間前……。」


*彼は両手で顔を覆った。ルーナはこの秘密をずっと抱えていた。そしてリングをこっそり持ち出して、父親の精気で——。*


シロウ「……俺が先だったのか。」


ルーナ「……うん。」


*ルーナの声が小さくなった。砂に染み込むように消えていく。*


ルーナ「……怒ってる?」


*彼は砂の上に額をつけた。完全な土下座だった。父と娘が砂漠のど真ん中で向かい合って土下座している、シュールな光景だ。*


シロウ「ご、ごめん!! 全く記憶にございません!」


ルーナ「…………ぷっ。」


*ルーナが吹き出した。そして堪えきれなくなったように笑い始めた。*


ルーナ「あはは……パパが土下座してる……あはははっ!」


シロウ「笑い事じゃないだろ!」


ルーナ「だって……あたしがずっと悩んでたのに、パパ全く覚えてないんだもん……。なんか馬鹿らしくなっちゃった……。」


*彼女は目尻に浮かんだ涙を拭いながら笑っていた。泣き笑いだった。ずっと胸に溜め込んでいたものが、砂漠の夜風と一緒に溶けていくような、そんな笑い方だった。*


シロウ「……どうしようか。」


*彼は砂まみれの顔を上げて、隣に座るルーナを見た。星明りに照らされた銀髪が風に揺れている。*


ルーナ「……どうしようもないよ。起きちゃったことだし。」


シロウ「……だよなぁ。」


ルーナ「でもね、パパ。」


*ルーナが膝を抱えて、星空を見上げた。*


ルーナ「あたし、前世の記憶あるから……血の繋がりとか、倫理観とか……日本人の感覚で分かってるつもり。だから余計にずっと苦しかった。パパの娘なのに、って。」


シロウ「……ルーナ。」


ルーナ「でも、この世界って……異種族婚も普通だし、一夫多妻も合法だし……倫理観の基準が違うじゃん。あたし、それに甘えてた部分もある。」


*彼女は膝に顔を埋めた。声がくぐもる。*


ルーナ「……ガイアにもバレちゃってるし。」


シロウ「ガイアに?」


ルーナ「……浴場で、その……リング使ってるとこ見られた。」


シロウ「…………。」


*彼は深いため息をついた。今夜で何度目だろう。砂漠の星空を仰ぎ見た。美しい星空だった。こんな話をしながら見る星空ではない。*


シロウ「……ガイアは何て?」


ルーナ「……興味津々だった。一緒にやろうって言われた。」


シロウ「あいつは……。」


*3000歳の人造生命体が快楽に目覚めたという事実が、追加ダメージとして彼の精神に突き刺さった。*


ルーナ「……パパ、怒ってる?」


シロウ「怒ってない。ただ……頭の処理が追いつかない。」


ルーナ「……だよね。」


*2人は暫く黙ったまま、砂漠の星空を見上げていた。風が砂を舞い上げ、星の光がちらちらと瞬いている。*


ルーナ「……ねぇパパ。一つだけ聞いていい?」


*ルーナが膝を抱えたまま、横目で彼を見た。*


ルーナ「……気持ちよかった?」


シロウ「えーっと……わからん。」


ルーナ「……は?」


シロウ「だから、毎回寝てる時にされてたんだろ? 全く覚えてないんだよ。」


*ルーナが口をぽかんと開けた。そしてぷるぷると震え始めた。*


ルーナ「あたしがどれだけ罪悪感で苦しんでたと思ってんの!? 毎晩ドキドキしながらリング握りしめて……朝起きたらパパが何事もなく『おはよう』って……あたしの葛藤返して!!」


シロウ「いや、寝てたんだから仕方ないだろ……。」


ルーナ「仕方なくない!! せめて『良かった』とか『覚えてる』とか言ってよ!!」


シロウ「無茶言うな。」


*ルーナが砂を掴んで投げつけた。ぱさっと彼の膝に砂がかかる。力のない抗議だった。*


ルーナ「……最悪。あたしだけ悶々としてたんだ。」


シロウ「悶々としてたのか。」


ルーナ「言葉のアヤ!!」


*彼女は顔を膝に埋めた。耳まで真っ赤だった。砂漠の夜風がひゅうと2人の間を通り抜ける。*


シロウ「……で、これからどうする。」


ルーナ「……どうするって?」


シロウ「リングはもう回収した。今後はもうしないってことでいいんだよな?」


*ルーナが膝に顔を埋めたまま黙った。長い沈黙だった。砂粒が風に転がる音だけが聞こえる。*


ルーナ「…………。」


シロウ「……ルーナ?」


ルーナ「……しない、って言ったら嘘になる。」


シロウ「おい。」


ルーナ「だってパパが悪いんだもん!! 寝ぼけて最初にしたのパパだし!! あたしはそれで目覚めちゃったんだから責任取ってよ!!」


*彼女が顔を上げた。目が潤んでいた。酔いのせいか、感情のせいか、多分両方だった。*


ルーナ「あたし……」


*そこで言葉が途切れた。ルーナが唇を噛んで、再び顔を膝に埋めた。*


ルーナ「……ごめん、やっぱなんでもない。帰ろう。」


*彼女の肩が小さく震えていた。*


シロウ「なんだよ。」


*ルーナが膝に顔を埋めたまま、くぐもった声で抵抗した。*


ルーナ「なんでもないって言ってるじゃん……。」


シロウ「気になるじゃねぇか。」


ルーナ「……気にしないで。」


シロウ「この際だし、ズバッと言っちゃえよ。どうせ今夜でここまで話したんだ。今更隠すことなんてないだろ。」


*長い沈黙。砂漠の風が砂粒を転がす音だけが響いた。ルーナの肩が小刻みに震えている。そして——堰を切ったようにぶちまけた。*


ルーナ「——前世でずっと彼氏いたことないの!!」


シロウ「……は?」


ルーナ「OL時代ずっと仕事ばっかで出会いなんてなくて!! こっちに転生してからも冒険者やってたら恋愛なんてする暇なくて!! パパ以上にすごい人なんて見つかるわけないじゃん!! SSSランクで魔王で国作って世界救って……そんな男どこにいるのよ!!」


シロウ「いや、それは……。」


ルーナ「見た目はおっさんだけど!! イケおじ感が凄いの!! 白髪混じりの黒髪とか反則だから!! あと……あっちも……おっきいし……。」


*最後の方は蚊の鳴くような声だった。*


シロウ「…………聞かなきゃ良かった。」


*彼は両手で顔を覆った。娘から父親のちんぽのサイズについてコメントされるという、人生で経験したことのない精神的ダメージを受けている。*


ルーナ「パパが言えって言ったんでしょ!! ズバッと言えって!! 言ったのに『聞かなきゃ良かった』ってなに!? あたしの気持ちどうしてくれんの!!」


シロウ「いや……。」


ルーナ「前世と合わせて50年以上の恋愛感情がパパに全振りされてんだよ!! こっちは命がけなの!! それを『聞かなきゃ良かった』!?」


*ルーナが砂を両手で掴んで投げた。今度はしっかり彼の顔に命中した。*


シロウ「ぶっ……砂が目に……!」


ルーナ「目に入れ!!」


*彼は砂を払いながら咳き込んだ。ルーナは肩で息をしている。全部吐き出したせいか、目が潤んでいるが表情はどこかすっきりしていた。*


ルーナ「……言っちゃった。」


シロウ「……言ったな。」


ルーナ「……どうすんのよ、パパ。」


*砂漠の風が2人の間を吹き抜けた。星空が変わらず美しい。50年以上の恋心を告白された父親は、砂まみれの顔のまま夜空を見上げた。*


シロウ「……50年以上か。」


ルーナ「……うん。」


シロウ「……重いな。」


ルーナ「重くて悪かったわね!!」


*また砂が飛んできた。*


*彼は砂の上に両手をついて、星空を見上げた。砂漠の夜は静かだった。*


シロウ「普通の異世界物小説やアニメならここで『倫理的に良くない』って言うんだよな……。」


*ルーナが膝を抱えたまま、横目で彼を見た。*


シロウ「ルーナはどうしたい?」


*真っ直ぐな問いかけだった。説教でも拒絶でもない。ただ、娘の意思を聞いている。*


ルーナ「…………。」


*ルーナは長い間黙っていた。砂漠の風が銀髪を揺らし、星明りが金色の瞳に映り込んでいる。*


ルーナ「……ずるいよ、パパ。」


シロウ「何が。」


ルーナ「そうやって選択権をあたしに渡すの。パパがダメって言ってくれたら、諦められたのに。」


シロウ「……。」


ルーナ「パパがどうしたいかも聞きたい。あたしだけに決めさせないで。」


*彼女の声は震えていたが、目は真っ直ぐだった。酔いはとっくに醒めている。50年分の感情を全部乗せた視線だった。*


*彼は頭を掻いた。白髪混じりの黒髪に砂が混じっている。*


シロウ「……正直に言うとな。」


ルーナ「うん。」


シロウ「お前が言った通り、この世界は異種族婚も一夫多妻も普通だ。俺はルミナとレイラと結婚してる。日本の常識はとっくに通用しない。」


ルーナ「……うん。」


シロウ「でも、お前は俺の娘だ。それは変わらない。」


ルーナ「……分かってる。」


シロウ「分かった上で聞くが。」


*彼はルーナの方を向いた。*


シロウ「お前、本気なんだな。」


*ルーナの目が見開かれた。そして、ゆっくりと頷いた。*


ルーナ「……本気。50年以上。前世と、こっちの全部合わせて、本気。」


*砂漠に沈黙が落ちた。風が止んだ。星だけが2人を見下ろしている。*


シロウ「……ルミナは多分知ってるな。避妊魔法教えた時点で。」


ルーナ「え……。」


シロウ「あいつが冗談で物事を教えると思うか? 全部見越してたんだろ。」


*ルーナの顔が固まった。母親の底知れなさを今更ながら思い知った表情だった。*


ルーナ「……ママ怖い。」


シロウ「今更だろ。」


*2人は顔を見合わせて、同時に力の抜けた笑いを漏らした。砂漠の夜空の下、砂まみれの父と娘が並んで笑っている。*


シロウ「……答えは保留だ。酔った勢いで決めることじゃない。」


ルーナ「……うん。」


シロウ「ただ——」


*彼は立ち上がって砂を払い、ルーナに手を差し伸べた。*


シロウ「お前の気持ちは、ちゃんと受け取った。」


*ルーナがその手を取った。引き上げられた拍子に、彼の胸にぶつかった。*


ルーナ「……ありがと、パパ。」


*小さな声だった。砂漠の風に溶けていきそうなほど小さかったが、確かに届いていた。*


*彼は額に手を当てた。状態異常無効化を持っているはずなのに、鈍い痛みが頭の奥で脈打っている。精神的なダメージは無効化できないらしい。*


シロウ「状態異常無効化あるのに頭痛くなってきた……。」


*ルーナは彼の胸にもたれたまま、既に半分意識が飛んでいた。酒と感情の奔流で完全にガス欠だ。*


ルーナ「パパ……あたし……眠い……。」


シロウ「はいはい。帰るぞ。」


*彼はルーナを横抱きに抱え上げた。25歳の娘だが、体重は軽い。銀髪が腕から垂れ下がり、砂漠の風に揺れた。*


*転移魔法を発動。一瞬で砂漠からアストライア城のルーナの私室に移動した。*


*暗い部屋の中、彼はルーナをベッドにそっと下ろした。靴を脱がせ、毛布を掛ける。ルーナが寝ぼけた声で何かを呟いた。*


ルーナ「……パパ……答え……待ってる……。」


シロウ「……ああ。」


*彼はルーナの銀髪を一房だけ横にどけて、額を軽く指で弾いた。*


シロウ「水、枕元に置いとくから朝飲めよ。」


*異空間収納から水差しとコップを出してサイドテーブルに置き、彼は部屋を出た。*


*廊下を歩きながら、深いため息をついた。今夜の情報量が多すぎる。リングの件、ルーナの告白、ガイアの共犯、ルミナの暗躍。どれも重い。*


*彼は再び転移魔法を発動し、砂漠大陸のサルーナにある宿に飛んだ。*


*階段を上がる。部屋に入る。*


*彼は浴衣に着替えもせず、畳の上に大の字で転がった。天井を見つめる。*


シロウ「……50年以上か。」


*ルーナの声が頭の中で反芻した。前世と合わせて50年以上。その重みを、酔いの醒めた頭で噛み締めた。*


シロウ「……ルミナに相談するか? いや、あいつは多分知ってる。レイラは……キレるな。確実にキレる。」


*彼は両腕で顔を覆った。SSSランク冒険者で魔王で国の創設者。数々の強敵を倒し、国を築き、世界を救ってきた男が、娘の恋愛問題に頭を抱えている。*


シロウ「……寝よう。考えるのは明日だ。」


*畳の上でそのまま目を閉じた。砂漠の夜は静かだった。遠くで温泉の湯が流れる音だけが聞こえている。*


*翌朝。砂漠の朝日がサルーナの宿の窓から差し込んだ。彼は畳の上で大の字のまま目を覚ました。着替えもせず寝落ちしていた。*


シロウ「……ん。」


*昨夜のルーナの告白が頭を過ったが、意識的に蓋をした。今は考えない。帰ってから整理する。*


*身支度を整えて1階に降りると、宿のロビーに八輝将が全員揃っていた。*


リオン「おはようございます、陛下。遅いっすよ。」


ルナ「……おはようございます。」


アシュトン「朝食はもう済ませました。陛下の分も取ってありますが。」


ヴァイス「サルーナの朝食、なかなか美味でしたよ。ナンとカレーのようなもの。」


カイン「で、今日はどうする。」


ドルガン「まだ依頼が残ってるなら叩くが。」


*3000体の竜討伐依頼は既に完了していた。2日間の休暇も終わった。彼はロビーを見渡した。*


シロウ「もう休暇はいいだろう、帰ろうか。」


*全員が頷いた——1人を除いて。*


リオン「えー!! まだ観光終わってないんですけど!? あとサルーナの市場も見たいし、香辛料のお土産も——」


シロウ「それなら帰りは歩いて帰ってこいよ。」


*リオンが固まった。*


リオン「……は?」


シロウ「アストライアまで片道1週間。昼は灼熱、夜は極寒。砂嵐も来るかもな。いい修行になるだろ。」


リオン「いやいやいや!! 変身ベルトあっても砂漠1週間はキツいって!! 俺最弱ですよ!?」


ルナ「……リオン。帰ろう。」


リオン「ルナまで……!」


カイン「諦めろ。陛下が帰ると言ったら帰るんだ。」


リオン「砂漠だから良いんじゃないですか!! 風情ってもんが——」


*リオンが渋々と肩を落とす。*


リオン「……分かりましたよ。帰ります。帰りますけど、次の休暇は絶対ここに来ますからね!」


シロウ「好きにしろ。じゃあ全員集まれ。転移で飛ぶ。」


*八輝将が彼の周囲に集まった。彼は転移魔法を発動——*


*——一瞬でアストライア城の正門前に全員が降り立った。見慣れた城壁と、世界樹の巨大な枝が朝日に輝いている。*


リオン「あー……帰ってきた。便利だけど味気ない。」


シロウ「文句言うな。歩きたかったんだろ?」


リオン「言ってません!!」


*八輝将がそれぞれ散っていく中、彼は城の中へ足を向けた。ルミナに話を——いや、まだ早い。まずは溜まっている仕事を片付けよう。*


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