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*翌朝。彼は目を覚ました。腕の中でガイアがすぅすぅと眠っている。穏やかな朝——のはずだった。*
シロウ「あーだる……。」
*また、あの倦怠感だった。骨の芯から力が抜けるような脱力感。昨日ガイアに回復してもらったばかりだというのに。*
シロウ「これ、絶対リングなくしたせいだわ……。」
*彼はベッドから静かに抜け出し、異空間収納を開いた。膨大なアイテムの中を探る。*
シロウ「確かこの辺に……。」
*取り出したのは、もう一方のリング。対になっている片割れ。昔、レイラの船酔い対策として創造で作った2つで1組の魔法のリング。片方を無くしても、もう片方から強制的にリンクを繋げる——抜け穴を仕込んであった。*
*彼が魔力を注ぎ込むと、リングが淡く光った。空間が歪み、もう一方のリングの位置が特定される。*
シロウ「……ん?」
*リンクが繋がった。手元のリングが引き寄せるように震え——ぽん、と。もう片方のリングが空間を超えて手元に転移してきた。*
シロウ「よし。一応抜け穴作っておいて正解だったな。」
*2つのリングを手の中で合わせる。対の魔力が共鳴し、正常にリンクが復元された。*
シロウ「……にしても、なんで無くしたんだろうな。異空間収納から勝手に出るわけないし……。」
*彼が首を傾げていると、隣のベッドでルーナがぴくりと身じろぎした。薄目を開けた彼女の視線が——彼の手の中にある2つのリングに向いた。*
ルーナ「…………。」
*一瞬で血の気が引いた。全身が凍りつく。*
ルーナ(嘘。回収された。もう片方から引き寄せた? そんな機能あったの? 私の異空間収納から強制転移……?)
*ルーナは布団を頭まで被った。心臓がばくばくと暴れている。*
シロウ「お、ルーナ起きたか? おはよ。」
ルーナ「……おはよ。」
*布団の中からくぐもった声。彼は気にせずリングを自分の異空間収納にしまった。*
シロウ「昨日もなんか精気減ってたけど、リング戻ったし大丈夫だろ。やっぱ創造のアイテムって手元にないと調子狂うな。」
ルーナ(違う。全然違う理由なんだけど。でも結果的にリングが戻ったことで疑われなくなった……のか?)
*ガイアがむくりと起き上がり、寝ぼけ眼で彼を見た。*
ガイア「おにーさん……おはようなのだ……。」
*ガイアの目がルーナに向いた。布団に潜り込んで震えているルーナを見て、全てを察した。*
ガイア「……アイス、3つなのだ。」
ルーナ「……分かってる。」
ーー
*食事を終え、一行は王城へ向かった。砂月王国の朝は早い。既に太陽が高く昇り、白い城壁が眩しく輝いていた。*
*謁見の間。サラディン王が玉座に座り、傍らにハシムが控えている。昨日の遺跡探索の疲れなど微塵も見せない王だった。*
サラディン「アストライア魔王殿よ、今日は何用か。」
シロウ「ああ、昨日はありがとな。今日は商売の話。ハシムには先に伝えてあるんだが、王にも直接言っておこうと思ってな。」
*ハシムが小さく頷き、サラディン王に耳打ちした。王が「ほう」と眉を上げる。*
シロウ「ここの香辛料と果物、定期的に仕入れたい。うちの国じゃ砂漠気候の作物は手に入らないし、逆にうちからは寒冷地の穀物や海産物を回せる。で、その為にレールを敷きたい。」
サラディン「レール?……鉄道か。ハシムから概要は聞いておる。山脈を貫通する鉄路を敷設し、物流を一変させると。」
シロウ「そう。リンドブルムにはもう許可取ってあるし、ドワーフのボルグに工事も頼んである。あいつら酒で釣ったら工期5日に縮めやがった。」
サラディン「……5日で山脈を貫通するのか。」
ハシム「陛下、ドワーフ族の土木技術は大陸随一です。加えてアストライアの魔導技術が加われば、不可能ではないかと。」
*サラディン王が顎髭を撫でた。*
サラディン「して、我が国に敷設する区間はどの程度だ。」
シロウ「砂月王国の首都——ここから、国境の山脈入口まで。そこからは既に着工済みの山脈貫通ルートに接続する。あとは首都から港町への支線も1本欲しい。海路との接続があれば交易量が跳ね上がる。」
*ハシムが地図を広げた。事前に彼と打ち合わせた路線図が描かれている。*
サラディン「……港町アル・ザハラまでか。確かに、あそこは南方諸島との貿易拠点だ。繋がれば利は大きい。」
シロウ「だろ? 砂月の香辛料はうちの料理人が泣いて喜ぶ。果物もマンゴーにデーツ、全部うちじゃ育たない。代わりにうちからは米、麦、魚介の干物、あと酒。ドワーフが醸す地ビールと、日本……いや、俺の故郷の製法で作った蒸留酒もある。」
サラディン「酒か。」
*王の目が一瞬だけ光った。ハシムが咳払いをした。*
ハシム「陛下、公務中でございます。」
サラディン「分かっておる。……それで、レールの敷設費用と維持管理はどうする。」
シロウ「敷設費用はうち持ち。維持管理は共同で。ただし砂月国内の駅運営と雇用は全部そっちに任せる。雇用が増えりゃ国も潤うだろ。」
*サラディン王がしばらく沈黙した。ハシムと目配せし、小声で何かやり取りする。*
シロウ「配当については7:3で考えてる。アストライアが3だ。」
「他にも条件があれば言ってくれ。」
*サラディン王の目が大きく見開かれた。ハシムも思わず手にした羽根ペンを落とした。*
サラディン「……7対3だと? 我が国が7か。」
シロウ「ああ。敷設費用はうち持ちだし、維持管理も折半。駅の運営と雇用もそっちだ。にも関わらず配当7割をそっちに渡す。破格だろ?」
ハシム「……正直に申し上げて、破格を通り越しております。通常、敷設側が7を取るのが相場です。いえ、8を要求されても断れない条件かと。」
*サラディン王が玉座から身を乗り出した。*
サラディン「アストライア魔王殿。慈善事業のつもりか? それとも裏がある?」
シロウ「裏ってほどじゃない。俺が欲しいのは金じゃなくて物流だ。うちの国に砂月の香辛料と果物が安定供給されるだけで十分元が取れる。あとは……。」
*彼は地図を指差した。砂月王国の南に広がる海域。*
シロウ「港町アル・ザハラ経由で南方諸島との航路が繋がる。南大陸にもレールを伸ばす計画があってな。砂月がその中継点になる。」
サラディン「……大陸を跨ぐ交易網か。」
シロウ「そういうこと。砂月が栄えりゃ中継地点としての価値も上がる。だから配当は多めにそっちに回して、国力を底上げしてもらった方が俺にとっても都合がいい。Win-Winだろ?」
*沈黙が落ちた。サラディン王が腕を組み、目を閉じる。ハシムが静かに待つ。数十秒後、王が目を開けた。*
サラディン「ハシム。」
ハシム「はい、陛下。」
サラディン「この条件に問題はあるか。」
ハシム「ございません。むしろ、これ以上の条件は今後二度と提示されないかと存じます。ただ1点だけ。」
*ハシムがシロウに向き直った。*
ハシム「配当の件は感謝いたします。しかし、我が国からも何か追加で提供できるものがあれば申し出たい。一方的な恩義は、長期的な関係において毒になりかねません。」
シロウ「お、いいこと言うじゃん。じゃあ1つだけ。」
サラディン「申してみよ。」
シロウ「砂月の料理人を何人かうちに派遣してくれ。国で香辛料を使った料理を広めたい。あと、できればここのマンゴーの苗木。温室で育てられるか試したい。」
*サラディン王が一瞬きょとんとし——それから、豪快に笑った。*
サラディン「はっはっは! 鉄道を敷き、大陸を繋ぎ、7割の配当を渡しておいて——要求が料理人と苗木か!」
ハシム「……実に貴方らしい要求ですな。」
サラディン「よかろう。料理人は宮廷から5名、苗木は王家の果樹園から最上級のものを選ばせる。ハシム、手配しろ。」
ハシム「承知いたしました。」
*ハシムが羊皮紙に素早くペンを走らせ、合意書の草案を書き始めた。*
サラディン「それと、アストライア魔王殿。」
シロウ「ん?」
サラディン「先ほどの蒸留酒とやら……1樽ほど融通してもらえんか。個人的な頼みだ。」
*彼の言葉にサラディン王が少し残念そうな顔をした。*
シロウ「俺の故郷の酒はちょいと特殊でよ……専用の魔導具がないと出せないんだ……。」
サラディン「むう……そうか。」
シロウ「あ、ちょっと待ってくれ。」
*彼は異空間収納に手を突っ込んだ。まず大きめのジョッキを取り出す。氷魔法で一瞬にしてキンキンに冷やした。白い霜がジョッキの表面に浮かぶ。*
*次に取り出したのは——銀色の缶。「アサヒスーパードライ」。日本から持ち込んだストックの1つ。*
*プシュッ。*
*缶を開ける小気味良い音が謁見の間に響いた。彼は浮遊魔法でジョッキを宙に浮かせ、缶を傾けた。黄金色の液体が注がれ、ジョッキの内壁を滑り落ちる。絶妙な角度で泡を立て——最後に真上から注いで、きめ細かい白い泡の層を作った。黄金7、泡3。完璧な比率。*
*ジョッキが宙を滑り、サラディン王とハシムの前に静かに着地した。*
サラディン「……これは。」
*王が恐る恐るジョッキを手に取った。冷たい。霜が指に触れて溶ける。鼻を近づけると、今まで嗅いだことのない爽やかな香りが漂ってきた。*
ハシム「陛下、毒見を——」
サラディン「要らん。」
*王が一口、豪快に煽った。*
*——数秒の沈黙。*
サラディン「…………。」
*ごくり、と喉が鳴った。王の目が見開かれた。*
サラディン「冷たい。苦い。だが——喉を通った後に、何も残らん。切れ味が……まるで名刀だ。」
*王がもう一口。今度は半分近く一気に飲んだ。喉仏がごくごくと動く。*
サラディン「なんだこれは……! この国のヤシ酒とも、西方のワインとも全く違う。軽いのに、深い!」
*ハシムも一口飲み、普段の冷静な表情が崩れた。*
ハシム「……これは確かに、専用の魔導具で管理しなければならない代物ですな。この品質を量産できるなら……。」
*ハシムの目が一瞬商人の目になった。すぐに咳払いをして元に戻る。*
シロウ「だろ? ただこれ、製法が特殊すぎて量産はまだ無理なんだ。国の酒場で出してるけど、在庫が限られててな。」
サラディン「酒場……?」
シロウ「鉄道が繋がったら、王もいつでも飲みに来れるぞ。」
*サラディン王がジョッキの残りを飲み干した。泡の跡がジョッキの内壁に綺麗な輪を描いている。王は満足げにジョッキを置き——真剣な顔になった。*
サラディン「……レールの件、本日中に正式に調印する。ハシム、書類を急げ。」
ハシム「承知いたしました。」
シロウ「こいつは缶ビールだからうちにある『生ビール』の劣化版みたいなもんだが……良ければ今夜転移でサクッと招待しようか? 酒も色々あるし……。」
*サラディン王の目が輝いた。ハシムの目も輝いた。*
サラディン「色々とは何だ!」
シロウ「まず生樽。さっきの缶ビールの上位互換で、注ぎたてのキメ細かい泡が全然違う。喉越しが段違いだ。」
サラディン「ほう……!」
シロウ「次にウイスキー。琥珀色の蒸留酒で、木の樽で何年も寝かせる。口に含むと甘い香りが広がって、飲み込んだ後に喉がカッと熱くなる。これは氷を浮かべてちびちびやるのが旨い。」
*サラディン王が無意識に唾を飲み込んだ。*
シロウ「ワインは知ってるだろうけど、うちのは製法が違う。赤と白があって、赤は肉料理に、白は魚料理に合わせる。で、シャンパンってのはワインに泡を閉じ込めたやつだ。栓を抜くとポンって音がして、グラスの中で泡がシュワシュワ昇っていく。祝い事にぴったりだ。」
ハシム「泡を……閉じ込める……?」
シロウ「あとは日本酒。米から作る醸造酒で、透明なのに味が深い。冷やしても旨いし、温めても旨い。砂月の香辛料を使った料理と合わせたら多分とんでもない組み合わせになる。」
*サラディン王が玉座から立ち上がった。完全に王としての威厳を忘れている。*
サラディン「今夜と言ったな!?」
ハシム「陛下、落ち着いて下さい。」
サラディン「落ち着いておるわ! ハシム、今日の午後の公務を確認しろ!」
ハシム「……地方領主との税制会議、砂漠警備隊の人事承認、南方交易路の報告書確認——」
サラディン「全部明日に回せ。」
ハシム「回せません。」
サラディン「……ハシム。」
ハシム「駄目です。」
*王と宰相の攻防が始まった。ルーナが彼の隣で小声で呟いた。*
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*結局、ハシムが折れた。午後の公務を猛スピードで片付けるという条件付きで、夜の招待が決まった。*
ハシム「……陛下、夕刻までに全て終わらせて下さい。一つでも残っていたら私が阻止します。」
サラディン「分かっておる! 今日は歴代最速で公務を終わらせてみせるわ!」
*王が謁見の間から駆け足で去っていった。砂月王国の建国以来、最も公務に意欲的な日が訪れようとしていた。*
ハシム「……アストライア魔王殿。」
シロウ「ん?」
ハシム「貴方は恐ろしい方だ。鉄道の調印よりも、酒の一杯の方が外交を動かすとは。」
ーー
*彼は宿に戻ってきた。ロビーのソファにカイが座って武器の手入れをしており、ガイアはテーブルの上でデーツを頬張っていた。ルーナは窓際で地図を広げて何やら書き込みをしている。*
シロウ「今夜、ちょっと酒の泉に行ってくる。」
*3人の視線が集まった。*
シロウ「ちょっと付き合いでな。砂月の王様と大臣連中を招待することになった。」
カイ「砂月の王を? 父さん、いつの間にそんな話に……。」
シロウ「今朝レールの件で話してたら、酒の話になってな。缶ビール1本で外交が決まった。」
カイ「……缶ビール?」
ルーナ「酒の泉ってあの温泉街の?」
シロウ「そう。『酒の泉 ——溺れるなかれ——』。ひびきじゃなくてあっちだ。外国の要人を連れていくなら、あそこの方が雰囲気がいいし、酒のメニューも幅広い。」
*その瞬間、ルーナが地図を放り出して立ち上がった。目がきらきらと輝いている。*
ルーナ「行く! 私も行く! 酒の泉! あそこのハイボールとチーズ盛り合わせ最高なんだよ!」
シロウ「お前な……。」
ルーナ「パパ! 前に状態異常耐性もらったから大丈夫! もう草原で吐いたりしないって!」
シロウ「……本当か?」
ルーナ「本当! 絶対! 今回は節度を守る!」
カイ「ルーナ、前回も同じこと言ってたぞ。」
ルーナ「カイ兄は黙ってて!」
ガイア「ガイアも行きたいのだ。アイスはあるのだ?」
シロウ「あるよ。マンゴーシャーベットとか色々ある。」
ガイア「行くのだ。」
*彼はふと浴場の方を見た。微かに湯気が漏れている。*
シロウ「レイラは風呂か。ならいいか。」
*カイが武器を鞘に収めた。*
カイ「俺も行こう。父さん一人で王の相手は気疲れするだろ。」
シロウ「夕方までに準備しておいてくれ。」




