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*数ヶ月が過ぎた。季節は巡り、温泉街の「酒の泉」は連日盛況だった。トビアスは見事に店長としての役割を果たし、売上は月ごとに右肩上がり。オルクスの胃痛は相変わらずだったが、帳簿の数字だけは彼を安心させた。*
*そして今日。ルクスが2歳の誕生日を迎えた。*
───────────────────
*城の中庭。芝生の上を、銀色の髪をした小さな男の子がよちよちと歩いている。足取りはまだ覚束ないが、本人は実に楽しそうだ。*
ルクス「にゃー! にゃー!」
*その傍らを、1匹の黒猫が悠然と歩いていた。ネメシスだ。深淵の根源体。数万年の時を生きた存在が、2歳児の歩調に合わせてのんびりと尻尾を揺らしている。*
ネメシス『……また転ぶぞ、坊主。』
*念話がシロウの頭にも届いた。彼は中庭のベンチに座り、その光景を眺めていた。*
*案の定、ルクスが芝生に足を取られて前のめりに倒れた。だがその瞬間、ネメシスの体がぬるりと伸び、ルクスの下に滑り込んだ。黒猫がクッションになり、ルクスはふわりと着地した。*
ルクス「にゃー!」
*ルクスがネメシスの毛に顔を埋めて笑った。ネメシスが迷惑そうに耳を伏せたが、振り払おうとはしなかった。*
シロウ「……お前、すっかり枕だな。」
ネメシス『黙れ。これは監視だ。この坊主の中に眠るモノを、我が見張っておるだけだ。』
シロウ「監視ね。」
ネメシス『……そうだ。』
*ルクスがネメシスの腹の上に乗り、ぽんぽんと叩いた。ネメシスの尻尾がぴくりと動いたが、それだけだった。*
*メアがどこからともなく現れ、ルクスの隣に丸くなった。黒猫と白猫に挟まれた銀髪の幼児。絵画のような光景だ。*
ルミナ「お兄ちゃん、ケーキ出来たよ。」
*ルミナが中庭に出てきた。両手にホールケーキを持っている。白いクリームに苺が乗った、シンプルだが美しい仕上がりだった。*
シロウ「おお、上手いな。」
ルミナ「レイラが生クリームを3回味見して量が減ったけどね。」
レイラ「品質管理だと言っておろう。」
*レイラが後ろから出てきた。口元にクリームが付いている。*
シロウ「……拭けよ。」
レイラ「なっ……!」
*慌てて袖で口元を拭うレイラ。その隣からステラが駆けてきた。*
ステラ「パパ! ルクスにプレゼント持ってきたの!」
*ステラの手には、小さな木彫りの馬があった。不格好だが、自分で彫ったのだろう。*
シロウ「自分で作ったのか?」
ステラ「うん! 図書室の本を見て彫った!」
*ゼノとセレスも続いて現れた。ゼノは絵本を、セレスは手編みの小さな帽子を持っていた。*
ゼノ「ルクス、これ読んであげるね。」
セレス「……かぶる」
*ルミナが目を丸くした。彼の指が、彼女の口元からクリームを拭い取り、そのまま舐めた。*
ルミナ「っ……お、お兄ちゃん……!」
*ルミナの頬がみるみる赤く染まった。銀髪が揺れ、金色の瞳が泳ぐ。*
ルミナ「……人前で、そういうこと……。」
シロウ「ん? クリーム付いてたぞ。」
ルミナ「分かってるけど……!」
*レイラが横目でそれを見ていた。フォークを握る手に力が入っている。*
レイラ「……妾にもクリームが付いておるぞ。」
シロウ「さっき自分で拭いただろ。」
レイラ「今また付いた。」
*わざとらしくケーキの端を頬に塗り付けたレイラ。彼は呆れた顔で、レイラの頬をナプキンで拭いた。指ではなく。*
レイラ「……ナプキンではない。」
シロウ「十分だろ。」
レイラ「ぐぬぬ……。」
*中庭の芝生では、ステラがルクスを膝の上に乗せてケーキを食べさせようとしていた。ゼノが絵本を広げ、セレスが編んだ帽子をルクスの頭に被せている。少し大きいのか、帽子がずり落ちてルクスの顔を覆った。*
ルクス「んにゃっ!」
セレス「……ずれた。」
*セレスが無表情のまま帽子を直す。ルクスがきゃっきゃと笑い、ネメシスの背中によじ登ろうとした。ネメシスが溜息混じりに体を低くしてやる。*
ネメシス『……我は乗り物ではないのだが。』
*ルクスがネメシスの背中に跨り、満面の笑みで毛を掴んだ。ネメシスがゆっくりと芝生の上を歩き出す。即席の猫騎乗だ。メアがその後ろを、ちょこちょこと付いて歩いた。*
ステラ「あ、ルクスずるい! 私もネメシスに乗りたい!」
ネメシス『お前はもう14だろう。重い。』
ステラ「重いって言った!? パパ、ネメシスが酷いこと言った!」
シロウ「ネメシス、言い方。」
ネメシス『……事実を述べたまでだ。』
*ゼノが絵本をルクスに見せようとするが、ルクスはネメシスの背中から降りる気配がない。仕方なくゼノはネメシスの横を歩きながら、絵本のページをめくった。*
ゼノ「ルクス、見て。ここにドラゴンが描いてあるよ。」
ルクス「りゅー!」
ゼノ「うん。竜だね。格好いいでしょ。」
*穏やかな午後だった。彼はベンチに座ったまま、その光景を眺めた。ケーキの甘さが舌に残っている。隣ではルミナがまだ頬を赤くしたままケーキを突いていて、レイラは不機嫌そうにフォークを咥えていた。*
*穏やかな空気が、衛兵の駆け足で断ち切られた。*
*鎧の擦れる音と共に、中庭の入口に衛兵が膝をついた。息が上がっている。*
衛兵「申し訳ありません、陛下! 緊急の報告です!」
シロウ「……聞こう。」
*彼はベンチから立ち上がり、ケーキのフォークを置いた。*
衛兵「西方、山脈を越えた先の砂漠地帯より、使者が到着しております。3名。護衛が12名。全員が見慣れぬ装束を纏っており、国旗には赤い三日月の紋章が掲げられております。」
シロウ「赤い三日月……。」
*聞き覚えがない。西の砂漠地帯は、これまでほぼ交流のない未踏の領域だった。山脈が天然の壁となり、人の往来を阻んでいたからだ。*
シロウ「使者は何と言っている?」
衛兵「『砂月王国の第三王女、ファリダ・アル=サルーナの名代として、アストライア魔導皇国の長に謁見を求む』と。」
*砂月王国。初耳だ。*
シロウ「オルクスに連絡。使者を第二応接間に通せ。武装解除は……護衛の武器だけ預かれ。使者本人には手を出すな。礼を欠くことになる。」
衛兵「はっ!」
*衛兵が駆け去った。彼は子供達の方を振り返った。ルクスがまだネメシスの背中でご機嫌だ。*
ルミナ「仕事?」
シロウ「ああ。悪い、ルクスの誕生日なのに。」
ルミナ「いいよ。こっちは私が見てる。行っておいで、お兄ちゃん。」
レイラ「妾も出る。」
シロウ「お前は……。」
レイラ「未知の国の使者だ。何があるか分からん。妾が横に座っておれば、抑止力になる。」
*否定できなかった。レイラが横に座っているだけで、相手の交渉態度は3段階は軟化する。恐怖による軟化だが。*
シロウ「……分かった。来い。」
*彼は着替えずいつも通りの服装を、レイラは黒のドレスに着替え、隣に並んだ。*
*第二応接間に向かう廊下で、オルクスが合流した。既に書類を抱えている。*
オルクス「陛下。砂月王国について、古い文献に僅かな記述がありました。山脈の西方、大砂漠の中央に位置する王政国家。人口は推定で50万から80万。主要産業は香辛料と宝石の交易。他国との外交は極めて閉鎖的で、ここ200年は山脈を越えた使者の記録がありません。」
シロウ「200年ぶりに山を越えてきた、か。何かあったな。」
オルクス「間違いなく。」
*第二応接間の扉の前に立った。彼は一度深く息を吸い、扉を開けた。*
*中に座っていたのは、砂色のローブを纏った3人の使者だった。先頭の1人がフードを下ろした。浅黒い肌に、深い緑の瞳。額には赤い三日月の刺青。年齢は30代半ばか。鋭い目つきだが、どこか疲弊の色が見えた。*
*使者の先頭に立つ男が、片膝をついたまま口を開いた。*
使者「感謝いたします、陛下。我が名はハシム・アル=ラシード。砂月王国サルーナ、第三王女ファリダ殿下の側近にございます。」
*ハシムの声は落ち着いていたが、その奥に切迫したものが滲んでいた。*
ハシム「率直に申し上げます。我が国は今、滅びの危機に瀕しております。」
*オルクスがペンを走らせ始めた。レイラは椅子の背もたれに身を預け、腕を組んだまま使者を見据えている。*
ハシム「3ヶ月前のことです。大砂漠の中心部……我々が"始まりの遺跡"と呼ぶ古代遺跡から、異変が始まりました。地下深くに封じられていた何かが目覚め、竜……が、極めて凶暴な砂竜が、地中から湧き出すように発生し始めたのです。」
シロウ「数は。」
ハシム「初めは数十体でした。しかし今では……推定で3,000を超えております。日に日に増え続けている。」
*レイラの眉がぴくりと動いた。*
ハシム「砂竜は遺跡周辺に留まらず、周囲のオアシス集落を襲い始めました。既に7つの集落が壊滅。死者は2,000を超え、難民が王都に押し寄せております。我が国の軍は精強ですが、砂竜は倒しても倒しても遺跡から新たに湧き出る。根本を断たねば、いずれ王都にまで達します。」
シロウ「……それで、200年ぶりに山を越えてきたわけか。」
ハシム「恥を忍んで申し上げます。我が国だけでは、もう持ちません。」
*ハシムが懐から巻物を取り出し、テーブルの上に広げた。砂漠地帯の地図だ。中央に「始まりの遺跡」と記された場所があり、その周囲に赤い印が無数に打たれている。砂竜の出現地点だろう。赤い印は遺跡を中心に同心円状に広がっており、最外周は王都の手前まで迫っていた。*
ハシム「ファリダ殿下からの親書です。」
*もう1通の封書を差し出した。赤い三日月の封蝋が押されている。*
シロウ「……。」
*彼は封書を受け取り、封を切った。中の羊皮紙には、流麗だが力強い筆跡で書かれていた。*
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アストライア魔導皇国 国主殿
我が名はファリダ・アル=サルーナ。
砂月王国第三王女にして、現在の戦時指揮官。
貴国の鉄道技術と軍事力の噂は、
砂漠を越え我が耳にも届いております。
我が国は誇りを捨て、助けを求めます。
見返りは必ずお渡しいたします。
どうか、我が民を救ってください。
ファリダ・アル=サルーナ
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*彼は親書をテーブルに置き、オルクスとレイラを見た。*
オルクス「……陛下。如何なさいますか。」
レイラ「3,000体の砂竜か。遺跡が発生源なら、そこを潰せば止まる。面白い。」
*レイラの口角が僅かに上がっていた。戦闘好きの血が騒いでいるのだろう。*
*彼の目が、スケッチに釘付けになった。*
*太い2本の角。砂色の硬い外殻。巨大な体躯に、先端が棍棒のように膨らんだ尻尾。そして、地中から突進してくる突撃姿勢の描写。*
シロウ「……。」
*間違いない。これはディ○ブロスだ。名前こそ「砂竜」だが、シルエットは完全にあのモンスターだった。*
*彼が2枚目のスケッチをめくった。砂の中を泳ぐ魚竜型の生物。背中の鰭。砂から飛び出して獲物を襲う図解。*
シロウ「……ドス○レオス……。」
ハシム「陛下? 何かご存知で?」
シロウ「いや。……似たような生物の文献を読んだことがある。」
*嘘だ。ゲームで狩りまくった。転移前の記憶が、こんな所で役に立つとは。*
*彼は脳内での知識を引っ張り出した。ディア○ロスは音に弱い。地中突進は音爆弾で止められる。ドスガレ○スは砂から出た瞬間が隙。どちらも火属性が有効……。*
シロウ「……他にはいるか? 似た生物で。」
ハシム「はい。もう1種。」
*3枚目のスケッチが出てきた。彼の手が止まった。*
*砂漠に佇む巨大な四足歩行の竜。口から砂を吐き出し、周囲一帯を砂嵐で覆い尽くしている。角は1本。体表は風化した岩のような質感。そして、異様に発達した翼膜。*
シロウ「……。」
ハシム「これが最も厄介です。遺跡の最深部に棲み着いていると思われる個体で、出現は1体のみですが……この1体が、我が国の精鋭部隊500名を壊滅させました。」
レイラ「500名を1体で?」
ハシム「砂嵐を纏い、視界を奪い、地面ごと兵士を飲み込む。近づくことすらできませんでした。」
*彼はスケッチを凝視した。*
*ダレン・○ーラン……いや、違う。これは……。*
シロウ「……バオ○スか。」
ハシム「……? 陛下、その名は?」
シロウ「こっちの話だ。」
*彼はスケッチをテーブルに戻し、椅子の背もたれに体を預けた。腕を組み、天井を見上げる。*
シロウ「整理するぞ。砂竜が3,000体以上。魚竜型が数不明。遺跡の最深部に親玉が1体。遺跡が発生源で、塞がない限り増え続ける。」
ハシム「その通りです。」
シロウ「遺跡の構造は分かってるのか?」
ハシム「地上部分は調査済みですが、地下は3層目までしか到達できておりません。砂竜が密集しており、それ以上の進入は……。」
シロウ「何層まである?」
ハシム「古い文献では、地下7層と記されております。」
*彼はオルクスを見た。オルクスは既にペンを止め、こちらを見返していた。*
オルクス「陛下。出兵となれば、国内防衛の再編が必要です。また、砂漠地帯への補給線の確保も……。」
シロウ「大規模な出兵はしない。」
オルクス「は?」
シロウ「少数精鋭で行く。」
*レイラが横で、にやりと笑った。*
シロウ「俺とレイラとルーナ。あとは…八輝将でいいか。ついでにカイも呼ぶか。」
*ハシムが目を見開いた。たった12人。3,000体以上の砂竜と、精鋭500名を壊滅させた親玉に対して、12人。*
ハシム「……陛下。失礼ですが、それは……。」
シロウ「足りると思ってるが…不安か?」
ハシム「正直に申し上げますと……。」
シロウ「なら見せてやる。オルクス、八輝将に召集をかけろ。カイにも連絡。ルーナは……。」
オルクス「ルーナ様は現在、酒の泉で飲んでおられます。」
シロウ「……昼から飲んでんのかあいつ。」
オルクス「休暇中とのことです。」
シロウ「叩き起こせ。『一狩り行くぞ』って言えば目が覚める。」
レイラ「ふん。久しぶりに暴れられるな。」
*レイラが椅子から立ち上がり、首を鳴らした。小柄な体から放たれる気配が、一瞬だけ部屋の温度を下げた。ハシムの顔が青ざめる。*
ハシム「……この方は……?」
シロウ「俺の嫁。魔王妃レイラだ。」
ハシム「……魔王妃……。」
シロウ「ハシム。出発はいつがいい。」
ハシム「一刻も早く……できれば明日にでも。」
シロウ「了解した。明日の朝、出る。」
*彼がハシムに向き直った。*
シロウ「メンバーを紹介しておく。まず俺とレイラ。次に娘のルーナ。こいつは始祖竜ユキの主だ。」
ハシム「始祖竜……!?」
シロウ「息子のカイ。精霊神として完全覚醒済み。守護獣に聖獣フェンと不死鳥イグニを従えてる。」
ハシム「精霊神……聖獣……不死鳥……。」
シロウ「あとは八輝将。8人いるが、全員が単独で小国の軍を相手にできる。」
*ハシムの顔色が、青から白に変わっていた。隣の使者2人は完全に固まっている。*
ハシム「……陛下。1つだけ確認させてください。」
シロウ「なんだ。」
ハシム「本当に……12人で、よろしいのですか?」
シロウ「多いくらいだ。」
*レイラが鼻で笑った。*
レイラ「妾1人でも片付くが、夫が行くと言うのでな。家族旅行のようなものだ。」
ハシム「家族旅行……。」
*ハシムが呆然と呟いた。3,000体の砂竜殲滅を、家族旅行と呼ぶ国。200年ぶりに山を越えてきた彼は、自分がとんでもない国の扉を叩いたことをようやく理解し始めていた。*
シロウ「オルクス。留守中の防衛はシルフィと結界に任せる。国政は通常運転で頼む。」
オルクス「承知しました。……陛下、報酬交渉はまだですが。」
シロウ「ああ、そうだった。」
*彼がハシムに向き直った。*
シロウ「報酬の話をしよう。親書には"見返りは必ず"とあったが、具体的に何を出せる?」
*ハシムが居住まいを正した。ここからが外交だ。*
ハシム「砂月王国が誇る最高級の香辛料。サフランの10倍の価値を持つ"月砂金"。そして……遺跡から出土した古代の魔道具。」
シロウ「香辛料は魅力的だな。うちは食料品や調味料が少ないからな、そっち方面だと嬉しい。金は困ってないから金は要らん。」
*ハシムの表情が、驚きから安堵へと変わった。*
ハシム「香辛料でしたら、いくらでもご用意いたします。砂月王国は"香辛料の宝庫"と呼ばれております。月胡椒、砂カルダモン、赤砂サフラン……大陸では手に入らぬ品々がございます。」
シロウ「いいな。あとは食料関係……穀物とか、砂漠特有の作物があれば、それも欲しい。」
ハシム「砂漠麦や、乾燥地帯で育つ豆類もございます。砂棗という果実も。保存が利き、栄養価が高い。」
シロウ「最高だな。」
*彼の目が輝いていた。砂漠特有の香辛料と食材。国内の食文化を一気に拡張できる。温泉街の飲食店にも、酒の泉にも活かせる。*
シロウ「あとは討伐した竜の素材、全部貰ってもいいか?」
*ハシムが一瞬、言葉に詰まった。隣の使者2人と目を見合わせる。*
ハシム「……3,000体以上の砂竜の素材、全てですか。」
シロウ「ああ。角、鱗、牙、尻尾、全部だ。魚竜型も。あと親玉の素材も。」
*ハシムが額の汗を拭った。砂竜の素材は、砂漠では鎧や武器の材料として極めて高価な資源だ。3,000体分となれば、その総額は途方もない。*
ハシム「……正直に申し上げます。砂竜の素材は我が国にとっても貴重な資源です。しかし……。」
*ハシムは一度目を閉じ、深く息を吸った。*
ハシム「民の命には代えられません。全てお渡しいたします。」
シロウ「話が早いな。」
オルクス「陛下。条件を整理いたします。報酬は、砂月王国の香辛料および食料資源の継続的な交易路の開設。討伐した全モンスターの素材の譲渡。これでよろしいですか。」
シロウ「ああ。あと1つ。」
*彼がハシムを真っ直ぐ見た。*
シロウ「交易路を開くなら、山脈を越える手段が要る。」
シロウ「香辛料を定期的に購入したいからな。レールを設置させてくれ。」
ハシム「レール……?」
オルクス「鉄道です。我が国が誇る高速輸送手段でして。山脈を貫通させ、砂漠地帯まで線路を敷きます。」
ハシム「山脈を……貫通……?」
*ハシムの顔が引き攣った。あの巨大な山脈を、ぶち抜くと言っているのだ。*
シロウ「南大陸でもやったんだ。問題ない。ボルグ親方に任せれば2週間もありゃ終わる。」
ハシム「……我が国としては、交易路の開設は大歓迎です。ファリダ殿下も異論はないかと。ただ、鉄道という技術は初めて耳にしますので、詳細を確認させていただければ……。」
シロウ「現物見せた方が早い。帰りに乗せてやるよ。」
*彼が椅子の背もたれに体を預け、腕を組んだ。*
シロウ「あとさ、終わったら古代遺跡の見学させてもらっても?」
*ハシムが再び使者2人と目配せした。今度は少し長い沈黙があった。*
ハシム「遺跡の見学は……問題ございません。ただし、1つ条件がございます。」
シロウ「言ってみろ。」
ハシム「討伐した砂竜の素材ですが、全量ではなく3分の2をお渡しし、3分の1を砂月王国に残していただけないかと。我が国の軍備再建に、砂竜の素材は不可欠なのです。」
*彼はちらりとオルクスを見た。オルクスが小さく頷いた。妥当な線だ。2,000体分の素材だけでも、国内の鍛冶産業を数年は潤せる量だ。*
シロウ「いいだろう。素材は3分の2を貰う。残り3分の1はそっちで使え。その代わり、遺跡は最深部まで自由に見せてもらう。」
ハシム「承知いたしました。」
*ハシムが深く頭を下げた。その肩から、目に見えて力が抜けるのが分かった。*
オルクス「では条件を纏めます。」
*オルクスがペンを走らせ、羊皮紙に清書していく。*
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【協定書(仮)】
1. アストライア魔導皇国は砂月王国の砂竜討伐に協力する
2. 報酬:香辛料・食料資源の継続的交易路の開設
3. 討伐素材の配分:アストライア2/3、砂月1/3
4. 山脈貫通鉄道の敷設許可
5. 古代遺跡「始まりの遺跡」の最深部までの自由見学権
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シロウ「問題ないな。」
ハシム「異存ございません。」
*双方が署名し、封蝋を押した。ハシムが立ち上がり、深々と腰を折った。*
ハシム「アストライア魔導皇国の御厚意、砂月王国は決して忘れません。」
シロウ「堅いな。まあ、明日の朝には出発する。今日はゆっくり休んでくれ。宿は用意させる。」
*ハシムら使者が退室した後、部屋に残ったのは彼とレイラとオルクスの3人だった。*
レイラ「……で、本音を聞かせろ。お主、遺跡が本命だろう。」
シロウ「……バレてた?」
レイラ「妾を誰だと思っておる。」
*その日の夜。城の大広間に、見慣れた顔ぶれが集まった。*
*最初に扉を開けたのは、こめかみを押さえながら入ってきたルーナだった。銀髪が若干乱れている。その隣にカイ。フェンとイグニもいる。そしてルーナの足元には、きゅいきゅいと鳴きながら小走りするユキ。*
シロウ「あ、ルーナ、昼間からのビールは美味かったか?」
ルーナ「……うるさいな、父さん。休暇だったんだから別にいいでしょ。それよりオルクスさんからの通達、あれ何? 『一狩り行こうぜ』って。」
シロウ「そのまんまだよ。」
ルーナ「……は?」
*彼がテーブルの上に広げたスケッチを指差した。ルーナが覗き込み、一瞬で固まった。*
ルーナ「……。」
シロウ「分かるだろ?」
ルーナ「……ディ○ブロス。」
シロウ「な。」
ルーナ「あとこれドス○レオス。……え、ちょっと待って。これ……」
*3枚目のスケッチを見た瞬間、ルーナの頭痛が吹き飛んだ。*
ルーナ「嘘でしょ!? バオ○ス!? いるの!? この世界に!?」
シロウ「砂漠の古代遺跡に棲み着いてるらしい。」
ルーナ「行く。絶対行く。明日? 明日でしょ? ユキ、聞いた? 狩りだよ狩り!」
ユキ「きゅいっ!」
*ルーナの目が完全に覚醒していた。さっきまでの二日酔いは消滅している。オタクの血が沸騰したのだ。*
カイ「……父さん。ルーナがもう止まらないんだけど。」
シロウ「知ってる。想定内だ。」
*カイがため息をつきながら隣に座った。フェンが彼の膝の上で丸くなる。*
カイ「砂漠の竜退治か。フェンもイグニも連れていく。砂漠は暑そうだけど、イグニは問題ないとして……フェンが暑さでバテなきゃいいけど。」
フェン「……くぅん。」
*明らかに嫌そうな顔をしている聖獣だった。*
ルーナ「ねえ父さん、素材全部もらえるんでしょ? 砂竜の角で双剣作れないかな。あと鱗で防具。ボルグ親方に頼めば……」
シロウ「素材は3分の2な。残りは向こうに渡す約束だ。」
ルーナ「十分十分! 2,000体分でしょ? 素材の山じゃん! あ、親玉の素材は?」
シロウ「そっちはうちが全部もらう。」
ルーナ「最高かよ……。」
*ルーナがガッツポーズをした瞬間、大広間の扉が再び開いた。*
*八輝将が、揃って入ってきた。*
リオン「……召集って聞いて来たんすけど。なんすか?『一狩り行こうぜ』って。」
ルナ「リオン。黙って座って。」
*リオンがルナに腕を引かれ、席に着いた。やさぐれた顔だが、目は真剣だ。*
ヴァイス「砂漠の古代遺跡……興味深いですね。記録させていただきます。」
シロウ「砂漠といえば何が必須?」
ルーナ「「クー○ードリンク!」」
*2人の声が完全にハモった。カイが呆れた顔をし、八輝将の面々が一瞬きょとんとした。*
カイ「……また始まった。」
レイラ「妾にはさっぱり分からん。」
ルーナ「父さん、ホット○リンクもいるよね? 夜は冷えるし。」
シロウ「当然。あとは砂漠用の装備だな。砂対策のゴーグルと、通気性のいいマントは欲しい。」
ルーナ「うん。ユキには砂避けの布を巻いてあげなきゃ。鱗の隙間に砂入ると痛がるから。」
ユキ「きゅい……。」
*ユキが不安そうに鳴いた。砂漠は初めてだ。*
*ルーナが自分の荷物を広げ始めた。テーブルの上にずらりと並ぶ。*
ルーナ「えーと、回復薬が30本、万能薬が15本、閃光玉が……足りない。父さん、閃光玉ある?」
シロウ「音爆弾の方が要る。砂竜は音に弱い。地中からの突進を止められる。」
ルーナ「あっ、そうだ! ディア○ロスは音爆弾だった! 忘れてた!」
リオン「……すんません、2人だけで盛り上がってるとこ悪いんすけど、何の話してんすか?」
ルナ「リオン。分からなくていいの。付いていけばいいだけ。」
リオン「いや俺も作戦くらい知りたいんだけど……。」
*彼がスケッチをテーブルの中央に広げた。八輝将全員が覗き込む。*
シロウ「作戦を伝える。敵は3種。地上型の砂竜が約3,000体。地中遊泳型の魚竜が数不明。そして遺跡最深部に親玉が1体。」
ドルガン「3,000か。久々に骨のある戦いだな。」
カイン「……遺跡の構造は?」
シロウ「地下7層。3層目までは向こうの軍が調査済み。それ以降は砂竜が密集して進入不能だった。」
ヴァイス「記録しました。地下7層構造の古代遺跡……歴史的にも非常に興味深いですね。」
*彼が地図を指差した。*
シロウ「まず地上の3,000体を掃除する。これは八輝将とカイ、ルーナに任せる。俺とレイラは遺跡に直行して親玉を叩く。」
ルーナ「え、親玉は私も行きたいんだけど!」
シロウ「地上を片付けてから合流しろ。ユキの広域ブレスで数を減らせるだろ。」
ルーナ「……まあ、ユキの練習にもなるか。分かった。でも親玉倒す前に待っててよ!」
シロウ「善処する。」
ルーナ「善処じゃなくて約束して!」
シロウ「……分かった分かった。」
*ルーナが満足げに頷いた。ユキがきゅいきゅいと尻尾を振っている。*
ゲオルグ「砂漠での補給はどうしますか。水と食料の確保が課題かと。」
シロウ「それも問題ない。水は魔法で出せるし、食料は俺の異空間収納にたくさん入ってる。」
ゲオルグ「……流石です。」
シロウ「それでは、明日の朝、西門に集合! 以上!」
*彼がパンと手を叩いた。全員が立ち上がる。*
リオン「了解っす。……にしても砂漠か。暑いのは勘弁なんだけどな。」
ルナ「文句言わない。リオンには日除けの布、巻いてあげるから。」
リオン「……どうも。」
ドルガン「3,000体か。腕が鳴るな。」
カイン「……遺跡の最深部、何がある。気になる。」
ヴァイス「未知の古代遺跡の記録……これは歴史的大発見になりますよ。筆が止まりません。」
*八輝将が次々と退室していく。カイがフェンを抱き上げ、立ち上がった。*
カイ「父さん。イグニは砂漠の熱は問題ないけど、フェンに冷却用の術式かけといてくれない?」
シロウ「ああ、明日の朝やっておく。」
フェン「くぅん……。」
*フェンが安堵したように鼻を鳴らした。*
ルーナ「ユキ、明日は早起きだからね。今日は早く寝るよ。」
ユキ「きゅい!」
*ルーナがユキを抱えて部屋を出ていった。足取りが軽い。二日酔いの痕跡は完全に消え去っている。狩りへの興奮が全てを上書きしたらしい。*
*大広間に残ったのは、彼とレイラだけだった。*
レイラ「……ふん。楽しそうな顔をしておるな。」
シロウ「そうか?」
レイラ「分かるぞ。お主、遺跡の中身が気になって仕方がないのだろう。」
シロウ「……まあな。地下7層の古代遺跡だぞ? ロマンの塊だろ。」
レイラ「子供のようだな。」
*レイラが呆れたように言ったが、その口元は僅かに緩んでいた。*
レイラ「妾は先に寝る。明日に備えよ。夜更かしするなよ。」
シロウ「はいはい。」
*レイラが踵を返し、大広間を出ていった。*




