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シロウ「あ、ステラのところ行ってネメシスを回収しなきゃ……」
*すっかり忘れていた。彼は転移魔法を展開し、ステラの寮の部屋に飛んだ。*
*部屋に入ると、ステラの姿はなかった。ベッドは綺麗に整えられ、机の上には講義用のノートが数冊残されている。もう1限目の講義に行ったのだろう。*
*代わりに、ベッドの上で丸くなった黒猫が一匹。ネメシスだ。彼の気配を感じたのか、ぴくりと耳が動き、ゆっくりと顔を上げた。*
シロウ「大丈夫か?」
ネメシス「……にゃあ。」
*ネメシスが欠伸をしながら伸びをした。黒猫の姿のまま、のそのそとベッドの端まで歩いてくる。*
ネメシス「……遅い。」
*人型に戻ったネメシスが、少しだけ不満そうな顔で彼を見上げた。*
ネメシス「ステラが言っていた。『パパは朝には来ると思うから待ってて』と。もう1限が始まる時間だ。」
シロウ「……悪い悪い。ちょっと色々あってな。」
ネメシス「色々?」
*ネメシスの鼻がひくひくと動いた。猫の嗅覚は人間より遥かに鋭い。彼の体から微かに残る甘い匂い……シャワーを浴びたとはいえ、完全には消えていなかったらしい。*
ネメシス「……女の匂いがする。」
シロウ「……。」
ネメシス「昨日の銀髪の女。ルミナ。」
*ネメシスが淡々と指摘した。表情は変わらないが、じっと彼を見つめている。*
シロウ「……妻だからな。」
ネメシス「知っている。ステラが教えてくれた。『パパとルミナママは仲良し』だと。」
*ネメシスが再び黒猫の姿に戻り、彼の肩にひょいと飛び乗った。*
ネメシス「……ステラは優しかった。夜、一緒に寝てくれた。温かかった。」
シロウ「そうか。ステラに懐いたか。」
ネメシス「……嫌いではない。」
*肩の上で丸くなりながら、ネメシスが小さく喉を鳴らした。*
ネメシス「……で、今日はどうする?」
シロウ「俺は城に帰るが……残るか? それとも来るか? 好きにしてくれ。」
*ネメシスが彼の肩の上で耳をぴくぴくと動かした。しばらく考え込むように目を閉じ、それからゆっくりと開く。*
ネメシス「……行く。」
シロウ「ん?」
ネメシス「お前と行く。ステラは夕方まで講義だと言っていた。一人で待つのは……暇だ。」
*黒猫が彼の肩の上でもぞもぞと位置を調整し、首元にぴったりと収まった。小さな肉球が鎖骨の辺りを踏む。*
シロウ「分かった。じゃあ行くか。」
*彼は転移魔法を展開した。行き先は夜天のアストライア魔導皇国、王城。*
*光が収まると、見慣れた王城の廊下に立っていた。朝の光がステンドグラスを通して床に色とりどりの模様を落としている。*
ネメシス「……大きい。」
*ネメシスが初めて王城の内部を見て、わずかに目を見開いた。肩の上から周囲をきょろきょろと見回している。*
*廊下を歩いていると、向こうから足早にこちらへ向かってくる人影があった。*
オルクス「陛下! お帰りなさいませ!」
*財務担当のオルクスだった。手には分厚い書類の束を抱え、額にはうっすらと汗が滲んでいる。彼の姿を見た瞬間、目が輝いた……が、それは再会を喜ぶ目ではなく、仕事を押し付けられる獲物を見つけた目だった。*
オルクス「丁度良かった! リンドブルムとの鉄道計画の件、予算案をまとめましたので確認をお願いしたく……。それと旅の収支報告も……。」
*早口でまくし立てるオルクスを見て、ネメシスが彼の肩の上で小さく呟いた。*
ネメシス『……あの男、必死だな。』
シロウ『……あいつはいつもああだ。』
シロウ「結果としては大成功だ。」
オルクス「おお! では収支の詳細を……」
*オルクスが目を輝かせて書類を広げようとした、その時。廊下の奥からぱたぱたと小さな足音が聞こえてきた。*
*黒い毛並みの猫……メアだ。普段は城内を自由に歩き回っている。*
*メアは彼の足元を素通りし、真っ直ぐネメシスに向かって駆け寄った。肩の上で丸くなっている黒猫に鼻先をすりすりと押し付ける。*
ネメシス『……何だ、こいつは…』
シロウ「猫同士いいんじゃね?」
ネメシス『……猫ではない。私は…』
*そう言いながらも、ネメシスはメアの鼻先をぺろりと舐めた。メアがにゃあっと嬉しそうに鳴き、尻尾をぶんぶん振る。ネメシスが彼の肩から降り、メアの隣に座った。二匹がすりすりと体を寄せ合う。*
シロウ(深淵の根源体様が丸くなったもんだ……。)
*かつて大迷宮の31階層で鑑定不能の巨大な繭として鎮座していた存在が、今や同じ黒猫に頬を舐められている。感慨深いを通り越して、もはやシュールだった。*
オルクス「……陛下、あの黒猫は?」
シロウ「旅の仲間だ。」
オルクス「はあ……。それで、旅の収支報告なのですが……」
*オルクスが咳払いをして話を戻した。書類の束をぱらぱらとめくる。*
シロウ「国庫に行こう、ここじゃ狭い。」
*オルクスは大量の金貨や銀貨を期待しながら彼と二人で転移した。ネメシスはメアと一緒にいる。*
---
*国庫に到着し、真ん中にドンっと宝箱を置いた。直径50cmくらいで高さが30cmくらいの普通の宝箱…オルクスが震えながら開いた。*
シロウ「迷宮の報酬だ。深淵の迷宮って名の通りほとんど黒金貨で助かったよ。」
*オルクスが宝箱の蓋を開けた瞬間、国庫の照明を反射して黒い輝きが溢れた。ぎっしりと詰まった黒金貨の山。その隙間を埋めるように白金貨が散りばめられている。*
*オルクスの手が震え始めた。書類の束を持つ手から紙がはらりと一枚落ちる。だが彼はそれに気づかない。目が黒金貨に釘付けだった。*
オルクス「く、黒金貨……。これは……」
*オルクスが膝をつき、宝箱の縁に手をかけて中を覗き込んだ。唇が小刻みに動き、目が左右に走る。暗算を試みているらしい。*
オルクス「ざっと見て黒金貨が……1,500枚以上……。白金貨も300は……」
*オルクスの顔が蒼白から紅潮に変わった。震える手で黒金貨を一枚取り出し、裏表を確認する。正真正銘の本物だ。*
オルクス「こ、こんな数……陛下なら……。」
*オルクスがゆっくりと振り返った。目に涙が浮かんでいる。*
オルクス「陛下……。」
シロウ「おう。」
オルクス「……建国29年で、一度の収入としては過去最高額です。」
*オルクスが直立不動で敬礼した。全身がまだ震えている。*
オルクス「これだけあれば……大陸横断鉄道のリンドブルム区間の資材費を全額賄っても、まだ国庫に十分な余裕が残ります。温泉施設の拡張も、大迷宮周辺のインフラ整備も……。」
*オルクスが早口でまくし立て始めた。財務官の目がきらきらと輝いている。すでに頭の中で予算配分を組み立てているのだろう。*
オルクス「それと陛下、これとは別に旅の途中の収支報告もお願いしたいのですが……。」
シロウ「ああ、それもあったな。旅の分は白金貨125枚だ。ギルドで換金した。」
オルクス「白金貨125枚……合算すると……。」
*オルクスが手帳を取り出し、猛烈な速さで数字を書き込み始めた。*
オルクス「陛下、正確な枚数を数えてもよろしいでしょうか。一枚たりとも記録に漏れがあってはなりません。」
シロウ「好きにしてくれ。」
*オルクスが宝箱の前に正座し、一枚一枚丁寧に数え始めた。財務官の顔は真剣そのもの。さっきまでの涙はどこへやら、完全に仕事モードに切り替わっている。*
シロウ「過去最高……いや2番目の稼ぎだな。」
*オルクスが黒金貨を数える手を止め、振り返った。*
オルクス「2番目……? これより上があったと?」
シロウ「オルクスは知らないだろうが……1つ下のSランク時代には黒金貨数十万は持ってたからな。」
*オルクスの手から黒金貨が滑り落ちた。からんと乾いた音が国庫に響く。*
オルクス「す、数十万……。黒金貨を……。」
シロウ「残りは城の修繕や家の建て替えで使ったけど。」
*創造でスキルを作る時に数万単位で黒金貨を大量消費していた……とは口が裂けても言えない。オルクスが知ったら卒倒するどころか、暴動を起こすだろう。*
オルクス「……陛下。差し支えなければお聞きしたいのですが。」
シロウ「ん?」
オルクス「建国以前の資産がそれほどあったにも関わらず、建国初期に陛下が金策に苦労されていたのは……一体何にお使いに?」
シロウ「……生活費だ。」
オルクス「黒金貨数十万を……生活費で……。」
*オルクスが無言で彼を見つめた。財務官の目が「絶対嘘だろ」と語っている。しかし彼はそれ以上追及しなかった。長年仕えてきた経験から、深く掘ると碌なことにならないと学んでいるのだ。*
オルクス「……まあ、過去のことはさておき。現在の国庫残高と今回の収入を合わせますと……。」
*オルクスが手帳を広げ、数字を走らせた。*
オルクス「鉄道のリンドブルム区間の資材費、温泉施設の拡張費、大迷宮周辺のインフラ整備費……全て賄った上で、予備費として黒金貨400枚以上が残る計算になります。」
シロウ「十分だな。」
オルクス「はい。ですが陛下、今後の帝国方面への鉄道延伸も視野に入れると、もう一度金策に行って頂けると……。」
シロウ「……お前、俺を打ち出の小槌か何かだと思ってないか?」
オルクス「滅相もございません。ただ、陛下の1回の遠征が国家予算数年分に匹敵するという事実を申し上げているだけでして。」
*オルクスが真顔で言い切った。悪びれる様子は一切ない。*
オルクス「……それと陛下。数え終わりました。黒金貨1,847枚、白金貨312枚。」
*オルクスがペンを走らせ、合計額を書き出した。*
*彼は腕を組んで頷いた。迷宮一つでこれだけ稼げたのは、深淵の迷宮の特殊性のおかげだ。通常の迷宮なら金貨止まりだろう。*
シロウ「よし。じゃあ数え終わったなら、鉄道の予算案を見せてくれ。」
オルクス「はい! お待ちください!」
*オルクスが嬉々として分厚い書類を広げ始めた。国庫の中で、財務官と魔王の会議が始まる。*
シロウ「あ、そうそう。ルクス、猫が増えたんだ。ネメシスだ」
*近づけるとネメシスが飛び起きた。ルクシオンだと気づいたようだった。*
シロウ「こいつに記憶はない。いまのところな。」
*彼がルクスをネメシスに近づけた瞬間、丸まっていたネメシスが弾かれたように飛び起きた。背中の毛が逆立ち、尻尾がぶわっと膨らむ。黒猫の姿のまま、ルクスを凝視している。*
ネメシス『……こいつ……。』
*ネメシスの念話が震えていた。メアが隣で不思議そうに首を傾げている。*
ネメシス『ルクシオン……。光の神ルクシオン……。私を……あの繭に封じた……。』
*ネメシスが一歩、二歩と後退する。猫の体が小刻みに震えていた。数万年の孤独。暗闇の中でただ存在し続けた記憶。その元凶が、今、目の前で無邪気に手を伸ばしている。*
ルクス「にゃー! にゃー!」
*ルクスはネメシスの怯えなど知る由もなく、小さな手をばたばたと振りながら触ろうとしている。ぷくぷくの頬に満面の笑みを浮かべて。*
シロウ「こいつに記憶はない。いまのところな。ただの1歳児だ。俺とルミナの息子……ルクスだ。」
ネメシス『……分かっている。この体からは神格の残滓しか感じない。記憶も意識も……ない。だが……。』
*ネメシスが彼を見上げた。黒猫の瞳に、複雑な感情が渦巻いている。恐怖、怒り、困惑……そしてほんの僅かな安堵。*
ネメシス『……お前の子なのか。』
シロウ「ああ。」
ネメシス『……そうか。』
*ネメシスが長い沈黙の後、ゆっくりと毛並みを落ち着かせた。逆立っていた尻尾が元に戻る。震えも止まった。*
*ルクスが身を乗り出し、ついにネメシスの頭にぺちっと触れた。小さな手がふわふわの黒い毛を掴む。*
ルクス「にゃっ!」
ネメシス『……痛い。引っ張るな。』
*そう言いながらも、ネメシスは逃げなかった。ルクスに頭を撫でくりまわされながら、じっとしている。*
ネメシス『……不思議なものだな。数万年、この存在を恨んでいた。だが……この姿を見ていると、恨む気にもなれない。』
シロウ「そりゃそうだろ。こんな顔されたらな。」
*ルクスがネメシスの耳をむにっと掴み、きゃっきゃと笑っている。ネメシスが耳をぺたんと倒しながらも、されるがままだった。*
ネメシス『……お前は知っていて、私をここに連れてきたのか?』
シロウ「まあな。遅かれ早かれ会うことになる。なら早い方がいいだろ。」
ネメシス『……相変わらず、勝手な男だ。』
*ネメシスがふいっと顔を背けた。だがその直後、ルクスがネメシスの背中にぱたりと倒れ込んだ。小さな体が黒猫のふわふわの毛に沈み込む。*
ルクス「ふにゃ……。」
*そのまま目を閉じ始めた。どうやらネメシスの温もりが心地よかったらしい。すぐに寝息が聞こえてくる。*
ネメシス『……おい。寝るな。……おい。』
*リーシアがオムツを持って戻ってきた。*
リーシア「お待たせしました、シロウ様。……あら、寝てしまいましたか。」
シロウ「ああ、寝てしまったよ。」
*彼がルクスをネメシスから離そうとすると、ルクスの目がぱちっと開いた。小さな唇がへの字に曲がり、泣きそうな顔になる。慌ててネメシスに近づけると……すとんと目を閉じた。*
シロウ「……。」
*もう一度離す。目が開く。近づける。閉じる。*
シロウ「……完全にネメシスが枕扱いだな。」
ネメシス『……私は枕ではない。』
*リーシアが小さく笑いながら手早くオムツを替えた。熟練の手つきで、ルクスをネメシスから離さずに作業を終える。さすがメイド長だった。*
シロウ「リーシア、こいつ預かる。」
リーシア「ルクス様をですか?」
シロウ「いや、こっち。」
*彼はネメシスの首根っこを掴み上げた。ネメシスが四本の足をだらんと垂らす。*
ネメシス『おい……掴み方が雑だ……。』
*リーシアからルクスを受け取り、片手にルクス、片手にネメシス。そのままルクスの部屋へ向かった。*
*部屋に入り、柔らかいベッドにネメシスをぽすっと置いた。その上にルクスをそっと寝かせると、小さな腕が反射的にネメシスの胴体をぎゅっと抱きしめた。*
ルクス「ふにゃ……。」
ネメシス『……。』
*ネメシスが身動き一つ取れなくなった。ルクスの腕は小さいが、やたらと力が強い。半神人の膂力で黒猫を完全にホールドしている。*
シロウ「……可愛いな。」
ネメシス『可愛いではない。私は身動きが取れないのだが。』
シロウ「いいだろ、しばらく付き合ってやれ。」
ネメシス『……お前、私を子守用の抱き枕にする気か。』
シロウ「お前がいると安心して寝るみたいだからな。深淵と光……正反対の属性のはずなんだがな。」
*ルクスがすうすうと穏やかな寝息を立てている。小さな指がネメシスの黒い毛を握りしめ、頬をふわふわの体に押し付けていた。*
ネメシス『……数万年前、この存在に封じられた。暗闇の中で、ただ在り続けた。それなのに……。』
*ネメシスがルクスの顔を見つめた。安らかな寝顔。何の悪意もない、ただの赤ん坊の顔。*
ネメシス『……温かいな。』
*ネメシスが小さく呟いた。諦めたように目を閉じ、体の力を抜く。ルクスの体温に包まれながら、黒猫もまた目を閉じた。*
*彼はそっと毛布を二人にかけ、音を立てずに部屋を出た。扉の隙間から覗いた最後の光景は、黒猫を抱きしめて眠る赤ん坊の姿だった。*
シロウ「……さて。視察に行くか。」
*彼は小さく息をつき、廊下を歩き出した。南大陸への鉄道、その進捗を確認しに行かなければならない。*
ーー
シロウ「相変わらず速すぎだろ……。」
*彼は川沿いの崖に立ち、眼下に広がる光景を見下ろした。*
*彼が精製した岩盤、そして川の上に頑丈な橋脚が等間隔で立ち並んでいる。その上に薄紅色の…ミスリルとアダマンタイトの合金のレールが真っ直ぐに南へ伸びていた。仮設のトロッコが忙しなく行き来し、ドワーフたちが汗だくでレールを運んでいる。*
*掛け声が響き渡る。金属を打つ音、木を削る音、指示を飛ばす怒鳴り声。活気に満ちた現場だった。*
ボルグ「おう! 陛下じゃねえか!」
*岩盤の上から、太い腕を振り回しながらボルグ親方が駆け寄ってきた。全身汗まみれで、革のエプロンに土埃がこびりついている。それでも目は爛々と輝いていた。*
シロウ「数日でもう3分の1か。予定より早くないか?」
ボルグ「はっ! 当たり前だろうが! あの酒飲んだらな、体の奥底から力が湧いてくんだよ! うちの連中も目の色が変わったぜ!」
*ボルグが親指で後方を指した。見ると、ドワーフたちが異常な速度でレールを敷いている。一人で枕木を3本同時に担いでいる者もいた。*
シロウ「……茅台酒の効果、まだ残ってんのか。」
ボルグ「残ってるっつーか、あの酒をもう一杯飲みてえって一心で全員が働いてる。完成したらまた飲ませてくれるんだろ?」
シロウ「ああ、約束だからな。」
ボルグ「よっしゃあ! おい、お前ら聞いたか! 陛下が酒を約束してくれたぞ!」
*ボルグが振り返って叫んだ瞬間、現場から地鳴りのような歓声が上がった。作業速度が目に見えて上がる。*
シロウ(やっぱり酒の力って怖いな……。)
ボルグ「で、見てくれよ魔王。橋脚の設計だが、陛下が設置した岩盤が硬すぎてな。こっちの杭が刺さらねえから、代わりに岩盤ごと削って嵌め込み式にした。」
*ボルグが設計図を広げた。岩盤に直接溝を彫り、そこに橋脚の基部をぴたりと嵌め込む構造になっている。接合部には特殊な金属を流し込んで固定しているらしい。*
シロウ「なるほど。これなら振動にも強いな。」
ボルグ「だろ? 川の増水にも耐えられる。数百年は持つぜ。」
*ボルグが胸を張った。ドワーフの職人としての矜持が滲んでいる。*
シロウ「南大陸側の地盤はどうだ?」
ボルグ「そこなんだが……。川を渡った先、少し地盤が緩い場所がある。砂地が混じっててな。そのまま敷くと沈むかもしれねえ。」
シロウ「場所を教えてくれ。岩盤を追加で設置する。」
ボルグ「助かる! こっちだ、来い!」
*ボルグに連れられ、彼は川を渡った先の南大陸側へ向かった。確かに足元の土が柔らかい。踏むとわずかに沈む。*
シロウ「確かに沈むな……川に近いから仕方がないとは思うが……。」
*彼は片膝をつき、地面に手を置いた。土魔法の魔力が指先から大地に浸透していく。地中の水分と砂を押し固め、古代コンクリートのような岩盤を形成していく。ただし今回は完全な一枚岩ではなく、等間隔に排水用の隙間を設けてある。川に近い土地だ。水の逃げ道を作っておかなければ、雨季に地下から圧力がかかって隆起する恐れがある。*
ボルグ「おお……おお! 見ろお前ら! 地面が固まっていくぞ!」
*周囲のドワーフたちが手を止め、彼の作業を見守った。地面が低い振動と共にみるみる変質していく。柔らかかった砂地が、踏んでもびくともしない灰色の岩盤に変わっていった。*
シロウ「……よし。ここから南大陸の山の外側まで伸ばすか。」
*彼は立ち上がり、南へ歩き始めた。手を地面に触れたまま、歩くたびに岩盤が広がっていく。山に囲まれた盆地の外縁部、山裾に沿って弧を描くように岩盤を敷設していった。*
*レールを敷く幅に加え、左右に余裕を持たせた広さ。将来的に複線化する可能性も見据えた設計だった。*
ボルグ「陛下! この隙間は何だ? 手抜きじゃねえよな?」
シロウ「排水用だ。ここは川の近くだから、雨季に地下水位が上がる。隙間がないと岩盤ごと押し上げられる。」
ボルグ「……なるほどな。さすがだ。俺らが気づく前に対策済みってわけか。」
*ボルグが顎を撫でながら感心した様子で頷いた。彼の後を追いかけるように、数人のドワーフが早速測量道具を持って走り出している。*
シロウ「山の外側まで固めたぞ。ここから先の地盤はどうだ?」
ボルグ「山を越えた先は岩場だ。そのまま敷ける。問題はこの川周辺だけだったからな、これで全区間いける!」
*ボルグが拳を突き上げた。*
ボルグ「この調子なら……あと10日で全線敷設完了だ!」
シロウ「10日? 当初の予定は1ヶ月だっただろ。」
ボルグ「だから言ったろ、あの酒のおかげだって! うちの連中、飯も忘れて作業してやがる!」
シロウ「いや、飯は食わせろ。倒れたら元も子もない。」
ボルグ「分かってるよ! だが止まらねえんだ、あいつら!」
*見ると、彼が今し方固めた岩盤の上に、既にドワーフたちがトロッコでレールを運び込んでいた。固まったばかりの地面を踏みしめ、もう作業を始めている。*
*彼は腕を組み、南の山々を見渡した。その向こうには南大陸の広大な海が広がっている。*
ボルグ「そういや陛下、南大陸側の駅舎はどうすんだ? 設計図はもうできてんのか?」
*彼は念写で紙に映像を投影した。転移前の記憶……日本の田舎にあった小さな駅。単線ホームに屋根付きの待合所、簡素な改札口。木造とコンクリートが混在したシンプルな構造だ。*
ボルグ「……ほう。」
*ボルグが紙を受け取り、目を細めて食い入るように見つめた。太い指で構造をなぞる。*
ボルグ「随分とすっきりした造りだな。屋根はあるが壁は片側だけか。風通しがいい。」
シロウ「これが一般的なやつだな。資材とか置くだろうし……貨物用の荷下ろし場を隣に併設した方がいい。南大陸はまだ開拓途上だから、建材や食料の輸送がメインになる。」
ボルグ「なるほどな。ってことは、人が乗る側と荷物を降ろす側を分けるわけだ。」
*ボルグが懐から炭筆を取り出し、念写した紙の横に素早くスケッチを描き始めた。駅舎の隣に広い荷下ろし場、そこからトロッコ用の引き込み線が分岐する図面だ。*
ボルグ「こんな感じか? 荷下ろし場はうちの連中が得意な石積みで作る。屋根は木材で十分だろ。」
シロウ「ああ、それでいい。あと、将来的に人が増えたら拡張できるように、駅舎の両隣は空けておいてくれ。」
ボルグ「了解だ。……しかし陛下、この絵に描いてある文字は何だ? 見たことねえ字だが。」
*ボルグが念写の紙を指差した。駅名表示板に書かれた日本語の文字が残っていた。*
シロウ「……気にするな。古い言語だ。」
ボルグ「ふうん? まあいいか。それよりも素材だが、駅舎本体は石と木の併用でいいか? ミスリルは勿体ねえし。」
シロウ「石と木で十分だ。ただ、ホームの端と屋根の骨組みだけは鉄で補強してくれ。列車の振動で崩れたら困る。」
ボルグ「任せろ。鉄の加工ならうちの右に出る奴はいねえ。」
*ボルグが念写の紙を大事そうに折り畳み、エプロンのポケットにしまった。*
ボルグ「レールの敷設と並行して駅舎も建てる。追加で人手が要るが……鍛冶場の若い連中を回せば何とかなるな。」
シロウ「無理はさせるなよ。」
ボルグ「分かってるって。……で、陛下。酒はいつ届く?」
シロウ「完成したらだ。」
ボルグ「……急ぐか。おい! お前ら! 休憩終わりだ! ペース上げるぞ!」
*ボルグが振り返って怒鳴った。既に休憩していたドワーフたちが弾かれたように立ち上がり、作業に戻っていく。やはり酒の力は偉大だった。*
シロウ(……南大陸側の駅が一つ目か。ゆくゆくは南端の港町まで延伸したいが、まずはここからだな。)
*彼は山の向こうに広がる南大陸の風景を眺めた。緑の平原が果てしなく続き、遠くに海の青が微かに見える。*
シロウ「はぁ……買っても買っても酒が無くなっていく……。」
*彼は腕を組み、遠くで狂ったように作業するドワーフたちを眺めながら溜息をついた。日本で買い付けた山崎やメーカーズマークの樽も、このペースで報酬に使えばあっという間に底をつく。*
シロウ「これはもう新しく事業を始めないと酒代でまずいことになるな。」
*彼の脳裏に一つの計画が浮かんだ。自分がいなくなった後も、この世界に酒を安定供給し続ける仕組み。それには日本側に拠点が必要だ。会社を設立し、簡易転移魔法で定期的にこちらへ送る。資金源は……この世界に腐るほどあるダイヤや金だ。*
シロウ「よし、行くか。まずは各国の宝石屋だな。」
*彼は鍛冶場を後にし、城へ戻った。私室で服を着替える。変装用のギメイ……黒いローブに身を包み、顔の印象を少し変えた。SSランク冒険者の魔王が宝石屋を回っているとなれば、面倒なことになる。*
*まずはアストライア国内の宝石商から始めることにした。城下町の商業区画、大通りから一本入った路地に高級宝石店が並んでいる。*
*彼は一軒目の扉を押し開けた。*
ギメイ(シロウ)「すまない、少し聞きたいんだが。」
*カウンターの奥から、眼鏡をかけた痩せた男が顔を上げた。*
宝石商マルコ「いらっしゃいませ。どのようなご用件で?」
ギメイ(シロウ)「こっちの世界の宝石の相場を知りたい。ダイヤモンド、ルビー、サファイア、エメラルド……それぞれのカラットあたりの買取価格はいくらだ?」
*マルコが眼鏡を押し上げ、じろりと彼を見た。ローブ姿の客が突然相場を聞いてくる。怪しいが、商人としては無視できない問いかけだ。*
マルコ「……買取ですか。品質にもよりますが、最高品質のダイヤモンドなら1カラットで金貨50枚。ルビーは金貨30枚、サファイアが金貨25枚、エメラルドが金貨20枚といったところです。」
シロウ(金貨50枚……日本円で50万か。日本だと最高品質1カラットのダイヤは100万以上する。差額で十分利益が出るな。)
ギメイ(シロウ)「なるほど。逆に、こっちで安く手に入る宝石で、他国では高値がつくものはあるか?」
マルコ「そうですね……南大陸産の蒼玉石は、帝国では3倍の値がつきます。流通量が少ないので。あとは深海珊瑚。海洋国家エルデンシアでは装飾品として人気ですが、内陸国ではほぼ無価値です。」
シロウ(地域ごとの価格差か。これは使える。だが本命は日本への持ち出しだ。こっちの金やダイヤを日本で換金すれば、酒の買い付け資金は無限に近い。)
ギメイ(シロウ)「助かった。また来る。」
マルコ「お待ちしております。もし売却をお考えでしたら、うちが一番高く買いますよ。」
*彼は宝石店を出て、路地を歩きながら頭の中で計算を組み立てた。*
シロウ「まてよ……活火山なら原石で取り放題なんじゃ……だが、誰が採掘するか……。」
*彼は商業区画を歩きながら思考を巡らせていた。ダイヤモンドの原石はマグマの圧力と熱で地中深くに生成される。活火山の地下なら高品質な原石が眠っている可能性が高い。だが問題は採掘だ。活火山の内部に人を送り込むのは現実的ではない。*
*そんなことを考えながら歩いていると、すれ違った冒険者二人の会話が耳に入った。*
冒険者A「おい、聞いたか? 北東のグラナド火山が噴火したらしいぞ。」
冒険者B「マジかよ。あそこ数百年は静かだったのに。周辺の村は大丈夫なのか?」
冒険者A「ギルドに避難依頼が出てたぞ。火山灰がひでえらしい。」
冒険者B「近づきたくねえな……。」
*二人が通り過ぎていった。彼は足を止め、北東の空を見上げた。薄く灰色の煙が遠くの空に棚引いているのが見えた。*
シロウ「北東か……行ってみるか。」
*彼は路地裏に入り、人目がないことを確認してから転移魔法を発動した。行き先はグラナド火山の麓。座標は冒険者の会話と、遠方に見えた噴煙の方角から割り出した。*




